田村潔司の源

またまた昨日のつづきであります。

桜庭の場合はあくまでもレスリングをベースとしたテクニックに道場でのスパーリングで培われたサブミッションが加味されて独特のスタイルが出来上がりました。

さらにボーウィとじゃれあう(組み技の)スパーの中で、なぜか打撃の間合いをも身につけてしまいました。

それでは田村の方は?

ボディビルダーの様なキレと見せ掛けじゃない筋力を求めて和田さんをウェイトトレーニングのトレーナーに仰ぎ、打撃を習得すべくボーウィと大江の指導を受け、アマレスを身につけるべく日体大レスリング部へ通い、関節技に磨きをかけるため木口道場に出稽古。

田村inU-FILE初期

かつて前田が発した新格闘王宣言を地で行ったわけです。

まず肉体作りについての持論はかなりストイックで…

赤いパンツの頑固者―Uの魂赤いパンツの頑固者―Uの魂
(1997/12)
田村 潔司

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 赤いパンツの頑固者 より

田村
リングスに移籍してからは生活のパターンが急変して、練習内容にも影響が出てきた。そして筋肉の密度が確実に落ちていることを痛感した。
たとえばシャワーを浴びているとき。背中を洗っていると、骨があたる感覚がある。以前なら筋肉で覆われていたのに、筋肉が落ちてしまっていた。ボディービルの場合、ナチュラルな状態で体を作るために10年の計画を立てる。胸・肩・背中・脚などに分けて鍛えるためのフォームを、きちんと覚えてトレーニングするだけでも5年はかかるものだ。

Uインターでレフェリーをやっていた和田良覚さんは最高のパートナーで、僕がウエイトトレーニングを始めた頃から、できるだけサブについてもらっていた。


あの狭いUインター道場には肉体作りのエキスパート…そう和田さんがいたのです。

Uインターの若手選手は皆、素晴らしい体をしていました。

今では想像出来ないですが、高山の腹筋も6パックに割れてたんです。

次に今でも総合格闘家として遥か高いレベルにある田村の打撃テクニック。完全にタイ式から入ってます。

これもUインターの道場が礎であります。

GONKAKU (ゴンカク) 2008年 04月号 [雑誌]GONKAKU (ゴンカク) 2008年 04月号 [雑誌]
(2008/02/23)
不明

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 GONKAKU 2008年4月号 より

大江
「それは僕にコーチがいないというところから始まって、タイに探しに行ったんですよ。目黒ジムの鴇田さんにチュタワナジムを紹介してもらって。その時にチーフトレーナーを務めていたのがゴーン。何人もチャンピオンを育てている名コーチだったんですよ。それで日本に来てもらったんですけれど、すぐにみんなと仲良くなりました。高田さんをはじめ、一時間くらいみんなのミットを持ちっぱなしでしたね。高田さん、田村さん、高山さん…桜庭くんは嫌々やっていたけれどみんなの蹴りの技術がプロレスラーという枠を超えるくらい伸びたのは間違いなくボーウィーとゴーンのおかげです


田村は一途にムエタイに傾倒していきました。

何度かタイへも渡りました。

しかし不思議な事に実戦のリングにおいては1992年5月の他流試合、マシュー・サード・モハメッド戦後から1994年2月の垣原戦までの2年弱の間、レガースを外してキックを封印していた。

思うに田村は“専門家が見ても矛盾のない技術”を身に付けるまで、実戦では使うまいと決めていたのでしょう。

次にアマレスですが、プロレスラーの中では上の方に位置していたとしても、これはもちろん桜庭のそれと比べれば劣ってしまう技術でしょう。

しかしパトスミ戦で見せたようなここ一番の気迫のタックルは技術以上の何かがあります。

意外と最初のアマレス体験は、
 赤いパンツの頑固者 より

田村
(Uインター旗揚げ当時は)リングがないからスパーリングもできないので、夜、ひとりで藤沢の高校のアマレス部に出向いて練習したりした。


あくまでも単独行動ですが。

本格的な出稽古となったのは、その後で、

孤高の選択孤高の選択
(2006/02)
田村 潔司

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 孤高の選択 より

田村
もう10年以上前になるけれど、日本体育大学にも行ったことがある。そのときは、まだ学生だった、永田裕志さん(現新日本)がいた。新生UWFのころ、アマレスの試合を観に行ったことがあり、そこで永田さんを紹介してもらっていたから、そのときのつながりで練習に行ったのだ。

ほかには、専修大学には『練習させてください』と飛び込みで訪ねたこともあった。なかには、僕のことを知っている人もいたから、そういうときは『うわっ!?』と驚かれたりしたこともある。それでも総じて皆さん、友好的だった。


ツテがあったとはいえ、日体大、専大という強豪大学に出稽古に行くのはプロとしては相当な覚悟が必要だったと思います。

今でもUインター出身の選手は日体大に出稽古へ行くようです。

リングスへ移籍してからは、サンボで道着の経験もしてます。

田村in木口道場

多くのチャンピオンを輩出した木口道場です。

 孤高の選択 より

田村
一時期はかなりいろいろなところに行っていた。
例えば、木口道場。
ここには、サンボを習得している方々がいて、そういった人たちを相手に練習ができた。べつに僕はサンボを習っていたわけではない。ただ、サンビストと練習することで、自分の技術の幅を広げられたのだ。


こうやって改めて検証してみると、いかに若き日の田村は一途に格闘技を追求していたのかがわかります。

その経験と生まれ持ったプロレス心が田村のスタイルを作り上げたのだと思います。

それと、やはりずば抜けた身体能力。

最後に高田が語った田村の新弟子時代のエピソードを…

 週刊プロレス(号数不明) より

高田
「Aという技があるでしょ。それを何度かやっているうちに、田村はディフェンスしてきたんです。まだ坊主頭の新弟子のときに、ですよ。これはダイヤモンドの原石かな、と…」


当時のスパーリングは延々と横四方のままですからね。

しかも新生時代の高田は110キロくらいありましたから、乗られてるだけで地獄です。

そんな中で田村は…やはり、天才だったんでしょう。
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tag : 田村潔司 高田延彦 大江慎 UWFインターナショナル

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Secret

初めまして。

高田から少々、いや、かなり離れてしまったのでコメントしづらかったのですが、Fさんの所でお見かけして以来、ホームページの頃にインターの復習をさせてもらいに見てました(苦笑)

私は生観戦できませんが、正座してテレビにかじり付こうと思ってます…

No title

こんにちは。
田村のサンボの道着が、赤色なのが嬉しいです(笑)。
やっぱりレスリング力というかテイクダウン能力はサクの方が上だと感じます。今回サクは、そこから一本を狙いに行くのでは無く、顔面を殴りに行くんでしょうね。
・・・・・と、いつも試合を妄想すると、悪い方、悪い方へと考が行ってしまいます。
田村は打撃が軸で、あとはやはり日頃の摂生で培った肉体と体力で勝負なんでしょうね。

>高山の腹筋も6パック
確かに今の体からは想像できないです(笑)。

>やすにいさん

初めまして。コメントありがとうございます。

紫レガインターの方は資料としてお役に立てられれば嬉しいです!!

私もこのまま行けばTV組となりそうですが…最後まで粘ってみます。
今後も宜しくお願い致します。

>武さん

レスリング力<確かに桜庭の方が上ですね。
でも本当にフィジカルの部分では田村は年齢以上のものがありますからね。
お互いにスタートダッシュするタイプじゃないんですが、今回はスタートからバッチンバッチンいきそうです。

武さん、それよりもなによりも大晦日参戦決定おめでとうございます。

アーーーーー赤色の道着‼︎




一言…。

田村選手にこの記事を読んでいただきたいです。

>みーさん

アーーーーー赤色の道着‼︎<見つけてくれましたね!?
実は田村と道着の関係も古いんですよね~。

田村選手にこの記事を読んでいただきたい<それはさすがに恐れ多いです!!
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Author:紫レガ 
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