極限のうどんの味(1995)

田村潔司の現役生活の中で我々ファンは、

いくつもの修羅場を観てきましたが、

最も選手生命を左右するターニングポイントとなったのは、

誰が何と言おうとこの試合以外ないでしょう。

1995年12.9 名古屋レインボーホール

K-1ヘラクレス
でのアルティメット戦、

田村潔司vsパトリック・スミスです。
田村潔司vsパトリック・スミス

この試合の背景には様々なものがありますが、

簡単に言うならば、

会社の方針(参照:歴史は10月に作られる~平成編~ 、 封じられた“伝家の宝刀”~前編~~後編~)に従わなかった田村が、

干されて飼い殺されかけた中、

四面楚歌の中で決断し、

一か八かの一発勝負に出た…という事で、

 赤いパンツの頑固者―Uの魂 より

田村
そのときの僕はといえば、試合に出ていなかったので3ヶ月間もノーギャラだった。正直なところノドから手が出るほどお金は欲しかったし、立場的にも追い詰められていた。(略)K-1での対戦相手はパトリック・スミス。アルティメットルールで闘った。そのとき僕は「K-1でも何でも出てやる」みたいなことをマスコミ向けにいっていたけど、本心はアルティメット
(現UFC)にもK-1ルールにも興味はなかった。


まさに背に腹は変えられない状態での出陣でした。

しかも相手は当時の格闘技界において、

ジェラルド・ゴルドーと双璧の喧嘩屋、

“狂犬”パトリック・スミスです。
狂犬パトスミ…この眼

さらにルールは正真正銘のバーリ・トゥード。

“素手による顔面パンチあり”のアルティメット戦です。

一世一代の大勝負に、

田村がセコンドにお願いしたのは、

打撃コーチのゴーン・ユタチャイさんと、
ゴーンさんのミットを蹴ってウォーミングアップ

元スタンディングバウトのエース・大江慎

さらに宮戸優光という三人でした。
セコンドには宮戸と大江

この時点で既にUインター所属ではなくなっていた三人が、

お揃いのUインタージャージを着て、

田村のバックアップに回った事が、

Uインター内での田村の孤独感を最も表しています。

もう一つすがったのは“小太刀”です。
小太刀に祈りリングイン

リングに上がった田村は静かに眼を閉じて、

天命に身を任せました。
ゴング直前の田村の表情

さあ、初めてUWF以外のリングで臨む試合の、

開始ゴングが鳴り響きました。
ゴングです!!

両者はジリジリとにじり寄ると、
にじり寄って、

同時に動きます。
同時に仕掛けた!!

パトスミのローキックに田村のタックル。
田村のタックルとパトスミのローが交錯!!

一歩間違えたらここで終わってる場面。

結果的に田村が意を決して飛び込む事で、

パトスミの蹴りの間合いを殺したのですが、

特筆すべきはここからさらに、
掴まえた田村はパトスミの刈っていき、

「何としてでも倒してやる」とばかりに、

パトスミの左足に絡み付いていった、

田村執念の右足です。
テイクダウン成功

上になると田村はUの鉄則とも言える、

サイドポジションを取りに行きますが、
サイドポジションを取る、

下からこれですよ。
下からファールカップを掴んでくるパトスミ、

ほとんどのプロレスラーがMMAではショートタイツを穿かないのは、

これが一番の理由なのですが、

この試合でのパトスミの場合は、

ファールカップを壊しにいっていたという説があります。

田村の攻め手がゆるんだ隙を突いて、

首を取りに来ます。
さらに首を取りに来る、

ここで田村も体勢を変えると、

パトスミもガードポジションとなり、
ガードポジションから、

バンデージでガチガチに固めた拳で、

田村のテンプルを殴っていきます。
唯一最大の武器ナックル炸裂

田村がそれを嫌って足を取りに行くと、
体勢を変えて田村は足を取ると、

躊躇せずガンガン踵を落としてきます。
ガンガン踵を落としてくる、

田村は足首を取って立ち上がると、
一旦立って、

すぐにアキレス腱固めへ。
アキレス腱固めへ、

同時にパトスミは上体を起して、

顔面を狙ってきます!!
同時に上体を起すパトスミ、

田村も瞬時に左に捻りを加えて、
殴りに来るのを左に捻って、

さらに右足で突き離しにかかります。
右足で突き離す

絶対に極めさせん、と力を込めるパトスミに、
力比べ、

田村も必死の形相!!
田村必死の形相、

パトスミは田村の右足首を持って、
まだ狙ってるパトスミ、

もう一度、踵を落としますが、
再度踵落としへ、

田村は右手で防御。
田村必死のディフェンス、

顔面が空いた瞬間を狙って、

パトスミの右ストレートが!!
またナックル!!

入ったか!?
危ないっ!!

すれすれでスウェーした田村!!
すれすれでスウェーした田村は、

一瞬でヒールホールドに切り替えて、
ヒールホールドに移行して、

一気に絞り上げると、
一気に絞り上げると、

パトスミの右足踵が180度以上回転!!
踵が真逆の方向へ!!

たまらずタップアウト!!
たまらずパトスミはタップアウト

田村激勝!!
勝ったーーー!!

と同時に泣き崩れると、

宮戸以外のセコンド陣が一斉に駆け寄ります。
駆け寄るセコンド陣

泣き顔の田村の横で、

満面の笑顔のゴーンさんが良いですね。
ゴーンさんの笑顔がいい

この田村の表情こそ、

極限に張り詰めていたものから開放された、

人間の“素の顔”なんですよね。

当時のギリギリの精神状態を表す、

発言があります。

孤高の選択
 孤高の選択 より

田村
この試合は、かつてないくらいに緊張した。
口も利けないくらいに緊張したのだ。
「負けたら、この世界から足を洗おう」
つまり引退―。
そのくらいの覚悟で挑んだ。
Uインターという会社を敵に回し、これで負けたら帰る場所なんてない。あったとしても、どの面下げて帰れというのだ。


田村の涙

田村用語を借りるならば、

自分の作るうどんに絶対の自信を持つ職人が、

ある日、急にラーメン作りを求められ、

頑なにうどんにこだわった挙句、

そのうどんが得体の知れないソースで煮込まれても、

ラーメンよりも「美味しい」と言わせる事が出来るのか? という、


ちょっと書いてて自分でわからなくなってますが(笑)、

2012年現在、ラーメン屋に行けば、

もの凄い種類のメニューが堪能できる様になっています。

ラーメンはもちろん餃子、炒飯、エビチリ、フカヒレ…、

そのどれも味はハイクオリティーです。

でも私はうどんが食べたいなぁ、と。

ラーメン屋の食品サンプルを見ながら思っている訳です。

ただし今、この街にはうどん屋がありません。

無いなら再び作るのか?

弟子達に伝承したうどんを小さな店で売っていくのか?

もう一度実演販売に出て行くのか?

あのうどんの味を知ってる者には、

4年という年月は長過ぎますが、

極限で作るうどんの味を知っているからこそ、

寒風吹きすさぶ中でも、

“準備中”の札が外されるのを、

黙って行列に並んで、

待つ事が出来るのかも知れませんね。

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tag : 田村潔司 パトリック・スミス UWFインターナショナル

comment

Secret

こんばんは。

この頃は、まだ総合なんて名称もない時代で95年や翌96年は一番VTアレルギーが強かった時期だったと認識しています。

そんな時代にこのルールで狂犬相手に素手の試合するなんて並のハートじゃないね。『高田調』

一つの勝敗がその後の選手生命を脅かす試合に乗り出す、やはりこのシチュエーションが一番そそられます。

試合後、号泣したのは、やはり負ける事が怖かったのかなと。でも、こんな修羅場をくぐり抜けたからこそ、未だに注目してしまうし総合なんていつでも出来る的な発言をするレスラーに異を唱えても説得力がありすぎますもん。

この試合、インターの後輩が名古屋まで大挙して駆け付けて道場内では別として、ここぞという時の団結力は、やはり素晴らしいと思います。

またブブカのインタビューで鈴木健の田村がシュートの新団体を作ろうとしたら●●さんが孤立したとありましたが、誰だと思いますか?私は佐野かなと思ったんですけど。
でも、このインタビュー、シモの話を多くのせるくらいなら、解散の裏話を書いてほしかったです。

No title

団体の中で知らぬ誰かを迎え撃つものと、自分で出て行ってしまい知らぬ誰かと闘うことはまるで気持ちが違うでしょうね。

冷静に作戦を立てるならば、キックがベースのパトスミに足関節狙いにいくと空いてる側の足がバンバン飛んでくるからサイドポジションになるのは定石だったのですが、ここにあるような急所狙いというかこちらからすると意味のわからない事をしてくるのが、格闘家と喧嘩屋の大きな違いですよね。
今は整備されているのでこういう喧嘩屋が活躍できるUFCではなくなりましたが、この当時は何をしてくるか分からないってのが定番だったから作戦も立てづらいというか…。

なんにせよ、今のVT(というかMMA)しか分からない当時の認識や状況を知らない人が簡単にああすれば良かったのに、こうすれば良かったのに、といえるような試合ではないのは確実です。


4年の準備中の看板を外すに相応しい相手が出てくることを願います。

>aliveさん

こんばんわ。

95年や翌96年は一番VTアレルギーが強かった時期<そうですね。正直、私にとっては怖い世界でした。

そんな時代にこのルールで狂犬相手に素手の試合するなんて並のハートじゃないね<後年キングダムで金原も倒していますが、この頃とは怖さの質が違いますからね。

このシチュエーションが一番そそられます<必要以上に自分を追い込むという作業…のちのヤマヨシ戦でのUインタージャージ、ヘンゾ戦でのUのテーマもそうですが、こういったところに思い入れを抱いちゃうんでしょうね。

試合後、号泣したのは、やはり負ける事が怖かったのかなと<何度か田村の涙を見ましたが、ゲーリー戦、第1回KOK、高田戦…どれも重いですよね。

総合なんていつでも出来る的な発言をするレスラーに異を唱えても説得力がありすぎます<三沢、金本…なかなか言えそうで言えない相手にも言ってきたし、村浜みたいな逆のケースもありましたね。
黙っていられない性格がいいんでしょうね。

インターの後輩が名古屋まで大挙して駆け付けて<あれたまたま翌日が新日の名古屋大会だからだったんでしょうけど、良い写真でしたよね。

ブブカのインタビューで鈴木健の…●●さんが孤立したとありましたが<その後の流れからいくと山ちゃんかな? と。
Uインターの選手でMMAに出て行かなかったのは山ちゃんと宮戸だけですしね。
ただクーデターというのは違うかな?

それにしてもあの女子プロレスラーの部分…あんなの書いてもいいんでしょうか?

>ジョーカー ナリさん

団体の中で知らぬ誰かを迎え撃つものと、自分で出て行ってしまい知らぬ誰かと闘うことはまるで気持ちが違う<プロレスの場合は特にそうでしょうけども、MMAに関しても似た部分はあるでしょうね。

ここにあるような急所狙いというかこちらからすると意味のわからない事をしてくるのが、格闘家と喧嘩屋の大きな違い<ゴルドーのサミングもそうですが、この時代のVTは「狂ったもん勝ち」みたいなところありましたしね。

この当時は何をしてくるか分からないってのが定番だった<日本語訳が「何でもあり」ですから、想定外の出来事が当たり前でした。

当時の認識や状況を知らない人が簡単にああすれば良かったのに、こうすれば良かったのに、といえるような試合ではない<確実に競技ではない時代でしたからね。

4年の準備中の看板を外すに相応しい相手<数人浮かぶんですけどね…どうなる事でしょう?

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No title

はじめまして。裏にこういうことがあったやなんて初めて知りましたわ。ほとんど他ジャンルの挑戦であって、これは普通の総合とはまた違う感じで興味深いですわ。

>○○○○○さん…否、○っつぁん

旧ハンドルネーム<私にとっては今でもゆっつぁんのままですよ。

Uの歴史を違った角度から見てきた同志ですよね。

>つるじょあさん

初めまして。
コメントありがとうございます。

ほとんど他ジャンルの挑戦<それも当時はまだMMA…というかVTにはセオリーよりも恐怖心が上回ってた時代ですからね。
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Author:紫レガ 
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