一番大きなボタンの掛け違い~後編~

前編からの続きです。

「自分の考えを曲げてまでやる必要はない」と、

独自の信念で対抗戦を蹴った結果、

田村潔司自身も予想だにしなかった待遇が待っていました。

KAMINOGE [かみのげ] vol.20
 KAMINOGE vol.20 より

田村
「うん、その後試合に干されたり、給与の支払いがストップしたけどね。自分ではそこまで行くとは思ってなかったんだけど。まあ、そのときはいろんな感情があったけど、結果的には会社の方針に従わなかったんだから仕方ないことだよね」


Uインターに残留した自分以外の全員が、

対抗戦に臨む中で、

ある意味、当たり前の話かも知れませんが、

気がつけば田村は、

その行き場すら失いかねない立ち位置に来てしまってました。
迎え撃つのは暫定エース、田村

そして今回の記事の幹である、

高田延彦との“別れ”のいきさつです。

田村
「これもあんまり覚えてないけど、たしか道場で練習後だったと思うんだけど、高田さんから『田村、このあとちょっといい?』って言われて、高田さんがどっかの取材を受けたあとに話をするってことになったんだけど、その取材が凄く長かったんだよ。で、その話っていうのも、空気的に対抗戦の話なのかなっていうのは察して、取材は長いし、いつ終わるかわからないし、俺は一回道場を空けちゃったんだよね。それで、あとで道場に電話して『高田さんに代わってくれ』って言ったら、『高田さんは“代わらない”って言ってます』って言われてさ」

「その後、ひとり多摩川で小1時間『俺、これからどうなるのかな』って、ポツーンと考えていた記憶はあるな。『えらいことしちゃったなあ』って」

「うん、そっから、高田さんだけでなく、みんなとも距離ができちゃって。やっぱりみんなは、いい意味で言えばインターを守るために新日とやって、対抗戦に向けた練習をやってるわけじゃない? そうなると俺も道場に行きにくくなって、近所のスポーツジムに入会して、そこで練習するようになって。そんな感じで距離ができちゃったよね」


あくまでも私の解釈で書きます。

これ互いに“似た者同志”、

早い話が“頑固者同志”ゆえに、

なるべくしてなった必然だったと思います。
遂に向かい合う

本当に伝えたい事があるなら田村は、

何を置いても待つべきでしたし、

田村の話を聞き入れる覚悟があるなら、

高田も電話に出て一喝するべきでした。

もしかすると…そこから元に戻った可能性もある訳です。

まぁ非常に小さな確率ではありますけど。
過去が変わった瞬間

10.9に背を向けた田村に左遷を言い渡したのは、

宮戸優光を排除した鈴木健でした。

田村
「対抗戦があった東京ドームの前、鈴木健さんに
『メシ食おう』って誘われて、メシ食ったんだよ。それでドームの対抗戦の2日後にインターの大阪大会があったんだけど、『大阪は休んで』みたいな言い方で俺が外されることが告げられてね。自分の居場所がなくなって」


新日との関係をメインに据えていくには、

田村という存在は“邪魔者”に過ぎなかったのでしょうね。

これ、いわゆる“干される”扱い以下の、

いわば“飼い殺し”ですね。

それでも田村にチャンスは巡ってきます(参照:極限のうどんの味。)

それは負けたら全てを失う、

文字通り“ハイリスク・ハイリターン”の一発勝負でした。
小太刀に祈りリングイン

田村
「道場にも練習に行けなくなり、近くのジムで練習するっていう状況が2、3ヵ月続いたのかな? そんな状況で、K-1のほうから
『パトリック・スミス戦をやらないか?』っていうオファーが来て、何とか素手のアルティメットルールで勝つことができたんだけど、勝ったあとに『田村さんひとりだけおいしい思いをして』的な声もちらっと聞こえたりして」

「でも、その『おいしい思いをした』とか『いい格好して』っていうのは結果論だから。こっちとしたら、負けたら引退、廃業だと思ってたからね。そこまで究極に追い込んだ状態でやって、何とか生き残ることができて。それを『ひとりだけおいしい思いをして』って言われたら、ちょっとショックっていうか。みんなとの距離が、より開いた感じだったな」

「あと、パトスミ戦のあと、手のひらを返したように話をしてくる人もいて。当時は心を閉ざしてたから、『人って単純なんだな~』って。そのころから、孤高の王道を歩きはじめたわけよ。
(略)俺が対抗戦に出なくて孤立してるとき、本当に心配で声をかけてくれる人は少なかった」


極限の精神状態から勝利を手にした田村に、

周囲の対応は様々だった訳ですが、

すでに田村自身が人間不信の様な状態にあり、

同志と思っていたはずの後輩達とは、

ほぼ交流がなくなりつつありました。
勝ったーーー!!

ここでもう一つの驚愕の事実が…、

田村
「…あっ! でも、高田さんにはパトスミ戦の試合前に食事に連れて行ってもらった。
(そこでの話の内容は)いやいや、そこは高田さんとの個人的なことだから、ちょっと言えないけど」


この時、何が話されたんでしょうね…。
7年越しの抱擁

実はこの日が“ラストチャンス”だったのでしょうか。

もしかしたら終始とりとめのない会話だったのかも知れませんし、

大一番直前とあって言葉少なに終わったのかも知れません。

この時期、高田も負傷欠場中でしたしね。

ひとつはっきりしているのは、このパトスミ戦、

対抗戦に出て行った選手とは違う意味ではありますが、

田村自身の心の中では、

自分もUインターの所属選手であって、

団体の看板を背負っての闘いだったという事です。
ゴーンさんの笑顔がいい

田村
「当時の俺は会社に対していろんな気持ちがあったけど、インターを背負ってる気持ちもあったし、インター所属で試合をしたかった。だから、会社には結構な金額のファイトマネーが振り込まれていたと思うし。でも、パトスミ戦に勝ったあとは、試合前の状況と違って、手のひらを返したように、いろんな人に声をかけてもらったのは確かだね」

「まあ、俺がどんな精神状態で試合してたかなんて、わかってもらおうとした自分が悪いんだけど。この試合に限っては、試合前と試合後の環境のギャップをイヤと言うほど感じたね。
(略)宮戸さんをセコンドにつけることですら、一悶着あったからね。そのへんは大人の事情だからよくわからないけど。いろんなことがあったよ。でも試合後、肩の荷が下りてのビールがめちゃくちゃ美味しかったのは鮮明に覚えてる」


田村にとって、この夜のビールの味だけが、

何もかもわかってくれる同志であり、

格別に浸み渡った事でしょうね。
宮戸と麦酒1

結局、高田との関係は修復されぬまま、

この半年後に田村はUインターに決別する訳ですが、

今回のロングインタビューで、

当時の田村の想いがはっきり理解出来ただけでも、

私にとっては最高の内容でしたね。

ガンツさん、本当にありがとうございます!!



気がつけば最新号の告知もUPされていますね。

 KAMINOGE公式 より
KAMINOGE21
『KAMINOGE』vol.21は8月下旬発売!

田村潔司
格闘人生25年を振り返る田村潔司物語・3部作、ついに完結!
PRIDE参戦/幻に終わったタイガーマスク変身計画/髙田延彦引退試合/吉田秀彦戦/ついに実現した桜庭戦/そしてこれから。[後編]

「最後にもう一度大勝負? それはわからんし、引退試合だってやるかわからない。とりあえずいまの目標は『子どもの運動会では絶対に俺が一番になる』ってことだから」


もう一丁!!

読ませて頂きますよ。

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tag : 高田延彦 田村潔司

comment

Secret

No title

面白かったです。
実はまだKAMINOGE買えてません。本屋にないものですねぇ…。

この時期の田村の話って聞けなかったし、こういう感情(内情)はあの当時なら書けないですよね。

しかし、この時のパトスミ戦って田村が独断で決められたのでしょうか?
それこそ、会社に無断となると飼い殺しではなく”首”になりそうな気がします。
インターが「勝てるわけ無い、思い知れ」と契約したのか、当時の契約内容が外部との試合に対する束縛がなかったのか?
この時期はまだ「プロレスラーが対外試合で負けることは許されない」という時期だったので、前者のような気がするのですが…。


10年ほど前に、中邑が「こっちは毎日プロレスやってる、格闘技で名前を売って~~」と金本(だったと思います)に批判を受けて当時のファンに絶賛されていた時に、田村のこの時期を思い出したと同時に
「お前らが格闘技に対して、見て見ぬふりしてきた始末を後輩が尻拭いしてるのにその言い方はないだろ!?ファンもそれくらいわかるだろ!?」
とか思ってました。



しかし、こうして見てると田村ってめんどくさい生き方を選んでしまってますね。
普通に対抗戦に出て、新日本に絡んで、キングダムに行って、どこかでプロレスと混ざるか格闘技に行くかしてれば・・・
こういう気苦労もなかったんでしょうが。
残念ながらそういう姿が想像出来ないのは、私が田村信者だからでしょうか(苦笑)

こんばんは

アップしてくれた写真の数々…涙でそうになります。
当時の葛藤はすごかったと思うし…繊細さが、そうさせたんだと思います。
この面倒くささ、最後まで貫きとおしてほしいな。

>ナリさん

実はまだKAMINOGE買えてません<書店の規模によるんでしょうかね?
意外と大きいところにも置いていなかったりします。

この時期の田村の話って聞けなかったし、こういう感情(内情)はあの当時なら書けない<そうなんですよ。年月を経るごとに高田との秘話が出てくるんですよね。
今回のインタビューはさすがガンツ氏!! という感じですよね。

パトスミ戦って田村が独断で決められたのでしょうか?<K-1側、石井館長直々のオファーだったらしいです。
Uインターは他の選手を提示したのですが、石井館長は「どうしても田村選手で」と。

当時の契約内容が外部との試合に対する束縛がなかったのか?<実はこの試合発表と同時にUインターは正道会館と業務提携したんです。
その流れで翌年の金原vsチャンプア、桜庭vsレネ・ローゼが行われました。

「こっちは毎日プロレスやってる、格闘技で名前を売って~~」…「お前らが格闘技に対して、見て見ぬふりしてきた始末を後輩が尻拭いしてるのにその言い方はないだろ!<中邑も当時はとんがっていましたしね~(笑)。
金本といえば、ファイトのインタビューで「Uのスタイルは誰でもできる」みたいなコメントして田村にキレられていましたね。
私は…金本嫌いです。

こうして見てると田村ってめんどくさい生き方を選んでしまってますね<やれば出来るのに、無理矢理世渡りしない…みたいな(?)。
サッカー選手で言えば、代表に入っても不思議じゃないのに頑なにJ2に出続ける…みたいな(?)

いや、どれも違うな(笑)。他に誰一人いないのが田村の生き方でしょうね。

>怜ちゃん

こんばんわ。

アップしてくれた写真の数々…涙でそうになります<田村の生き方を長く見続けてきた怜ちゃんの素直な感想ありがとうございます。

当時の葛藤はすごかったと思うし…繊細さが、そうさせたんだと<図太さと繊細さを併せ持ったAB型ならではの…(笑)。
でもその一つ一つの葛藤を隠さないから、私ら田村が好きなんでしょうね。

この面倒くささ、最後まで貫きとおしてほしい<心より同意致します。

No title

Uインターと正道会館< これ聞いて思い出しました。
ニコ・ゴルドー(弟?)、エロー・タイガー・マデューロ(でしたっけ?)もそのラインでしょうか?
新日本と同じく、あんまり提携を生かせてなかった印象です。

石井館長からの田村のオファーは何かで見たのを思い出しました。
石井館長は田村に惚れていたらしいですね。
やりたくて仕方なかったK-1総合部門の日本のエースに・・・とでも考えていたのでしょうか。
本来なら美味しすぎるオファーに対しても
「やるならUスタイルで」
と相変わらずの田村節を披露する姿は思い浮かびますが(苦笑)



金本は嫌いです(苦)
というよりは、惜しいんですよね。
実は彼のデビュー戦を地方の体育館(岩出総合体育館)で見ている縁というか、初めてデビュー戦から見ていた選手としてずっと注目してきたものがあって。
凱旋してからすぐに後輩の大谷に3連敗、(プロレス同好会出身のくせに)みちプロレスラーに対する見下すような試合、同じくUスタイル云々(対抗戦は面白かったですが)、一時の妙な持ち上げられ方(G1出場前後)、件の発言、新日退団に至る経緯(新幹線のグリーン席問題)・・・
プライベートの事に関しては直接携わっていないのでいわゆる「武勇伝のうち(前田のそれとかと同じ)」ですが、表の部分でもやはり「なんかなぁ」という部分をずっと心にひっかかりがあります。
実際、気も強くて喧嘩腰な姿勢は認めますが肝心なところをもっとしっかりしてくれない?というか・・・。



田村の例えは、総理の器はあるのに我が強すぎるせいで大きな与党を離れ新しい党を建てるも、例によって我が強くいつもその党から追い出されたり孤立したり・・・
なんか違うかな?
でも、書いてて小沢一郎みたいに思えてきたんで複雑です(苦笑)

>ナリさん

新日本と同じく、あんまり提携を生かせてなかった印象<提携ついでに書きますと、最もひどかったのはWARとの関係ですね。
高田と橋本の再戦交渉に出たところ、新日からはWARを紹介されてうやむやに…。WARもWARで、天龍以外の選手も使ってもらおうとの交渉をUインターとの提携にすりかえられ…。
結局はゴールデンカップスvs冬木軍という副産物を生み出した訳ですが。

石井館長は田村に惚れていたらしい<Uインター側は田村を出したくなかった様ですね。
さらにセコンドも辞めた人間で固められて、Uインターの方からクレームを入れたそうですが、石井館長は一蹴したそうです。

金本…惜しいんですよね<プライベートに関しては何も思うところはありません。私が金本を嫌うのは試合スタイルです。
実力はある方だと思うんですが、一個一個の技が雑だと思うんです。
最後まで掛け切らないというか…打撃でインディの選手を壊していったのもそういうのが原因していたと思います。

田村の例え…書いてて小沢一郎みたいに思えてきたんで複雑<確かに複雑な締めになっちゃいましたね(笑)。

金本の話題が出たので

もういつだったか忘れましたが、WARの後楽園ホール大会で、金本対ウルティモ・ドラゴンを観ました。
金本は舐めた態度で、つきあいの悪い闘い方でした。つきあいが悪いのは許せても、あの態度は相手を舐めすぎだろう、というくらい相手を見下していました。
苦労人のドラゴンはそんな金本を相手に試合を成立させようとしましたが、金本が態度を改めないので、とうとう切れたか、攻撃が激しくなって・・・・
お互い相手の技を受けないで激しくやりあって・・・・
虚を突いたドラゴンのニールキックがクリーンヒットして金本はダウン。この一撃で息が上がってしまったので、プロレスのニールキックは見せ技だと思っていた私はびっくりしました。ドラゴンはこんなナイフを持っていた!
金本はぐったりして動けなくなってしまい、それは許せても、情けないのはその後はたいへんつきあいのよい、聞きわけのよい子になってしまい、勿論ドラゴンが勝ちました。
つっぱるんなら最後までつっぱれよ。それで負けてもダメな奴とは思いません。
なんて中途半端なチキン野郎だ。一見ショーマン派のドラゴンの方がストロングスタイルじゃないか。新日本も堕ちたものだ。
金本は新日本の恥です。

>SisLANDさん

いつぞやのサスケとの「何年選手だと思ってんだ!? 蹴りころすぞ!!」も思い出しますね。

喧嘩度胸は認めますが、雑なところが嫌なんですよね。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
45歳のプロレス話


長州、これは俺のブログだ。

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