Uインター異人史 vol.4(1992)

1992年のUインターに来日してきたガイジンで、

最もビッグネームといえば、

“黒い猛牛”バッドニュース・アレンになるでしょう。
“黒い猛牛”バッドニュース・アレン

新日との憎悪関係の最初のキッカケとなった、

アレンの引き抜きでしたが、

最初が日本人とではなく、

なぜかゲーリー・オブライトとの2連戦だったのは、

いまだに謎です。

初戦の1992年8.14 札幌中島体育センターは、

観に行ったのですが、

さながら“レスリングvs柔道”の他流試合の様相で、

グラウンドではアレンがゲーリーを完全にコントロール。
グラウンドでゲーリーを圧倒したアレン

高田戦以外で初めて見たゲーリーの苦戦でした。

最後は強引にグラウンドのフルネルソンで、

ゲーリーが勝利。
初戦のフィニッシュはフルネルソン

続く8.28 後楽園ホールも、

力ずくのネックロックで返り討ちでしたが、
リベンジならず

終始やり辛そうなゲーリーの表情が、

印象に残っています。

その後は若手や中堅どころを相手に、

長期参戦しました(参照:高山に柔道の罠!?~後編~)が、

それまで培ったラフファイトではなく、

ベース部分の柔道テクニックで闘っていたのが、

印象に残っています。
アレン絶妙の小内刈り1

フィニッシュはもちろん腕十字。
再び十字で、

参戦時期はかなり長かったのですが、

そのほとんどが前座に終始してしまったのが、

もったいなかった様な気がします。

プロレスでの実績抜群なアレンを上手く使えば、

例えばダブルバウトの世界も、

もう少し確立できたかな、と。



前回の記事で反響を呼んだ(?)スティーブ・デイと並ぶ、

“もう一人のスティーブ”…と呼ばれてた訳ではないですが、

スティーブ・コックスも、
スティーブ・コックス

初戦は1992年7.12 静岡産業館の、

高田延彦戦でした。
やはりキックに苦戦

変にアグレッシブな動きを見せる選手でしたね。

実は彼にも忘れられない事件があります。

但し“珍事件”の方ですが…

1992年8.28 後楽園ホールでのダブルバウト、

山崎一夫をパートナーに、

高田、マーク・フレミング組と対戦した際、

先発を買って出たまま…一度も山崎に交代せず、
一度も交代せず、

タップアウト負けという!!
観客も山ちゃんも愕然

先程の続きじゃないですが、

こういう試合があったから、

ダブルバウトが定着しなかったのかも知れません。

ちなみにゲーリーも一度やってますからね(1992年10.23 日本武道館)。



見るからに真面目なレスリング少年という風情の、

レイ・ロイド
レイ・ロイド

彼もアレン同様に1992年8.14 札幌中島体育センターが初参戦。

しかも田村潔司とのシングルバウトという大抜擢。
究極の地味なレスリング

これも生で観てたんですけど…全く印象にない。

1993年7.18 両国国技館では、

宮戸優光と対戦しましたが、

これ最後勝った宮戸が、

思わず両手を挙げるガッツポーズ。

ロイドにも成長の跡が見えましたが、

この試合を最後にUインター参戦はありませんでした。



最後もビッグネームでシメるなら、

この人しかいません。

アイアン・シークです。
出ましたアイアン・シーク

参戦は一度限り。

1992年10.23 日本武道館(参照:Yoji Anjo Is Alive vol.5~Uの本質~)ですが、

一発だけ投げを決めましたが、
ここでシークのバックドロップ

全くいいところなくギブアップ…。
このスタイルは無理でした。

何より受けて立つ姿勢の安生洋二に対して、

終始逃げ回っていたのでは、

何の為に来たのかがわかりませんでした。

前述したアレンやボブ・バックランド(参照:vol.1)を見ればわかる様に、

どんなビッグネームであっても、

または無名であっても、

そこに闘う姿勢がないと、

Uインターでは通用しないという事です。

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tag : バッドニュース・アレン アイアン・シーク スティーブ・コックス レイ・ロイド

comment

Secret

No title

ビッグネームのところに「アイアン・シーク」がなかったので おや? と思いましたがオチでしたか(苦笑)

彼の強さというのは元五輪選手ならしいでお墨付きだと思いますが(実際は出てない説もありますね)この頃はすっかり晩年でしたね。
安生がSTFを狙おうとした際に、ステップオーバートーホールドの段階でギブアップしてしまったのは笑ってしまいました。
(蝶野いわく「トーホールドが決まればフェースロックはおまけみたいなもの」と何かのインタビューで言っていたのであながち笑えるものでもなかったのかもですが)

youtubeでアイアン・シークを見るとコシティをブルンブルン振り回す映像が多々見られます。
これを見ると実に昔のプロレスラーらしいたくましい体をしているので、もっと昔に参戦していたらまた違ったものが見られたと思うと残念です。

No title

懐かしい!バッド・ニュース・アレン!!
毎回、猪木に延髄斬りを決められてやられる役という印象でした。
解説で柔道の実力者みたいな話をしていましたが、当時彼からの
強さは感じられずでした。
子供ながらに
ブッチャーの引き立て役だけではもったいないと思ってましたが。

でもWWEに行ってからは、いいポジションを与えてもらっていたし。
それが妥当かなと。 

Uインターに来た時にようやく日本のファンが彼ができる選手だと気づいたことでしょう。

柔道でオリンピック出た人は相当なもんですよね。

会社の後輩がメダリストの石井選手と大学時代に
対戦したそうですが、大人と子供くらいの差があるそうです。

僕は掴んだら柔道が最強ではないかと昔から思っていました。
今は総合とかあるので、なんとも言えませんが。

アレン。新日本でも上手に使えばよかったのにと思います。
MVP、ベンジャミンの活躍に期待です。

アイアン・シーク。
なんだったんでしょうね。もしかしたら?って思ったりもしたのですが、
あっけなかったですね。


WWEで大ヒールとして活躍した人は
殿堂入りしますね。スローターとかシークとか
戦争ギミックで大ヒールになった人は功績を称えられるのかなぁ。

ずっとバッドニューサーアレンとして覚えていたのに何時の間にかバッドニュースアレンに変わってました
ちなみに「バッドニュースアレン」でGoogle画像検索するとこのブログがヒットしまくりでした

バッド・ニュース・アレンで思い出したのが、確かメインが佐野VSベイダーで山ちゃんがアレンから「逆片エビ固め」でギブアップを奪った際、極めた状態で片手でガッツポーズを決めていた写真が週プロに掲載されてました。確か、新日本時代に高い存在だったアレンに勝ったとか何とかだったような・・・。

ダブルバウトか・・・新日本との対抗戦末期に高田さんが武藤・ライガー組とのタッグマッチでパートナーの佐野選手が捕まっていてもカットに入ったの2、3回ぐらいだったか。
アイアン・シークはバックランドと闘わせてタイトルマッチの再現って、二人に失礼か。

No title

お久しぶりです!!やっとネット復旧しました(TT)

いやぁ~これ、すばらしい企画ですね!!昔はプロレス大百科なんて本が必ずあったものでしたが、ちょっと髣髴させる内容ですごく楽しかったです(^^)

シークは歳を取っていての参戦だったのでちょっと残念だったなぁ~というのを当時思ったことがありましたねぇ~。

ところで今度、旧UWF異人史とか、どうですかね(^^;

Xはアレンだった!

おはようございます。

札幌の大会の三週間位前に高田がPRとサイン会を札幌駅近くのアスティ?で開き、この時点でオブライトの相手はXとされていたので、東スポなんかは北尾か?とか例によって怪しい煽りをしていたのですが、司会者から相手はアレンと発表された時の客のドン引きぶりをよく覚えています。

大会も観戦しましたが、フルネルソンで勝敗が決まった試合は初めて見たので新鮮でした。

確か、プロレス読本で流氏がオブライトがドラゴンを使ったら凄いことになると軽口を叩いたら近くにいた安生が冗談じゃない生死に関わることだと怒り出したと書いてあったはずです。

ちなみに、PRでは高田のトークショーも少しあり、今まで試合した中で強かったのを三人あげてくれという質問に対しオブライト、前田、船木と答えていたのですが、その前のいわゆるつかみの部分でドン荒川と答えて笑いを取ってましたが今考えたら、もしかしたらガチ?とも思います。

No title

ビックネームはWWF出身者が多いですね。
ホーガンのイメージングが強いですが、レスリングの強い選手も多かったんですよね、WWF。
カートやレスナーが藤田や中邑とUスタイルで試合したら面白かったかもしれませんね。

>ジョーカー ナリさん

「アイアン・シーク」<やっぱり気になりました?(笑)。
もうバレバレでしょうが、あと何人かのビッグネームが出て来ますよ。

元五輪選手ならしいでお墨付きだと思いますが<この当時の参戦もテーズの推薦らしいですからね。
果たして鉄人の意図はどこにあったのか…?

ステップオーバートーホールドの段階でギブアップ<もう開始数分で逃げる気満々でしたから…どこかが極まった時点で諦める気も満々だったのでしょう(笑)。

もっと昔に参戦していたらまた違ったものが見られた<時代が違ったんですねぇ…。でも確かに名選手だったのには違いないです。

>太郎さん

柔道の実力者みたいな話をしていましたが、当時彼からの強さは感じられず…ブッチャーの引き立て役だけではもったいないと<そもそもが五輪銅メダリストですから、アスリートとしてのポテンシャルが図抜けてますよね。

WWEに行ってからは、いいポジション<ホーガンのライバルでしたよね。
逆に猪木から食うだけ食った延髄斬りがフェバリットホールドでしたか。
後にWWEでも、しっかりと“エンズイギリ”という技が残りましたもんね。

柔道でオリンピック出た人は相当なもん<世界的にはわかりませんが、日本では格闘技やってる人の大半が柔道経験者ですから…競技者人口が桁違いですね。
私も柔道経験者の端くれとして、某女子日本一の選手に教わった際、袖を掴まれただけで「参りました」と(笑)。

アイアン・シークなんだったんでしょうね<謎なのですが…しっかりと名を残してる事は確かですよね(笑)。

スローターとかシークとか戦争ギミックで大ヒールになった人は功績を称えられるのかなぁ<あぁそう言やそうですね。
スローターとシークなんか湾岸戦争のアレですよね。アメリカって凄い国ですよね。

>レンロスさん

バッドニューサーアレンとして覚えていたのに何時の間にかバッドニュースアレン<そういうのありますね。
ファイトでは最後までブロディがブローディでしたし、テレビじゃゴディでも週プロではゴーディだったり。

「バッドニュースアレン」でGoogle画像検索すると<本当だ!!
しかもこの記事の冒頭の画像、インパクトありすぎ(笑)。

>通り菅井さん

山ちゃんがアレンから「逆片エビ固め」でギブアップを奪った際、極めた状態で片手でガッツポーズを決めていた写真<ありましたね。タイトルは“山崎一夫は、錆びちゃいない…”って記事ですね。

高田さんが武藤・ライガー組とのタッグマッチでパートナーの佐野選手が捕まっていてもカットに入ったの2、3回ぐらいだったか<いや、あれは一度もカットプレーなかったんですよ、確か。
「ウチと新日のタッグマッチに対する見解の違い」みたいなコメントして、ライガーは「やる気がないなら上ってくるな、ここは新日だ!!」みたいな…あれはあれで面白かったんですけどね。

アイアン・シークはバックランドと闘わせてタイトルマッチの再現<そうなるとEXマッチですね(笑)。

>流星仮面二世さん

お久しぶりです!!やっとネット復旧しました<お帰りなさいローンウルフ!!(辻義就調)

すばらしい企画ですね!!昔はプロレス大百科なんて本が必ずあったものでしたが、ちょっと髣髴させる内容で<ありがとうございます。
読み応えという部分では流星さんの半分以下ですけど、ちょっとした資料性のある記事が書きたかったというか。

シークは歳を取っていての参戦だったのでちょっと残念<レスリング側の人間としてはそういう事でしょうね。
でもこう振り返ってみると、Uインター…実力の程はピンキリですが、レスリング出身者の宝庫でしたね。

今度、旧UWF異人史とか、どうですかね<う~ん…ちょっとだけ時間を下さい(滝汗)。

>aliveさん

こんばんわ。
その後いかがでしょうか?

高田がPRとサイン会を札幌駅近くのアスティ?で開き…司会者から相手はアレンと発表された時の客のドン引きぶり<地方大会にありがちですね(笑)。
でも何でアレン? ってのはありましたよね。良く考えたら札幌ってけっこうUインター人気高ったですが、91年の最初以外はカードがそんなに良くなかったですね。

フルネルソンで勝敗が決まった試合は初めて見たので新鮮でした<会場も「え? これで終わるの? 待て待て、頑張れアレン!!」みたいな空気でしたね。
ちなみにゲーリーがススキノの街を破壊したのはこの日でしたかね?

流氏がオブライトがドラゴンを使ったら凄いことになると軽口を叩いたら近くにいた安生が冗談じゃない生死に関わることだ<ありましたね、そういうの。
ゲーリーは92年大阪のプロレスリング世界戦で、すでにフルネルソン・スープレックスを狙ってたそうですが。

今まで試合した中で強かったのを三人あげてくれという質問に…ドン荒川と答えて笑いを取ってましたが今考えたら、もしかしたらガチ?<荒川最強説…というか昔のレスラーはみんな「本気でやったら猪木より俺の方が…」みたいな事言いますからね(笑)。

>名も無き戦士さん

レスリングの強い選手も多かったんですよね、WWF<究極は後のカート・アングルとブロック・レズナーでしょうね。

時代が違ってたら彼らもUインターに上っていたかも知れません。
あるいはマーク・コールマンやマーク・ケアーなんかも。

こんばんは。

アイアン・シークは残念ですが五輪には出場していませんね・・・(T-T)

コールマンがUインターに出たがっていた話、ありましたね~^^

時期が合わなかったのでしょうか?

UFC 10は1996年7月12日みたいですが、コールマンが高田vsオブライト戦を見てUインターを知ったのは、おそらくバルセロナ五輪からUFC 10の間でしょうね・・・。

もしかしたらその間に話があったかも?^^;

>ROSESさん

コールマンがUインターに出たがっていた話<彼もUインターの全米PPVを目撃して日本行きに夢を馳せた一人なんですよね。

高田vsオブライト戦を見てUインターを知ったのは、おそらくバルセロナ五輪からUFC 10の間<ゆくゆくはWWEという頭があったそうですから、まさか黎明期のMMAで名を馳せるとは夢にも思わなかったでしょうね。

本当にいつも情報ありがとうございます。

アレン

私の周囲にはアレンの強さを認めない者はいなかったです。
藤原が試合前に握手を求めるのは強さを認めた相手だけ、という説がありました。ピート・ロバーツ、マイク・ジョージ、スチーブ・ライト、マードック、そしてアレン。
あるシリーズで地方興行の猪木のシングルの相手は全部アレンということがあったそうだし(猪木が地方興行でシングルを闘うのは稀)
私が観た地方興行ではメインのタッグに出て客席を熱くしました。
強いだけでなく、プロとしても一流です。

>SisLANDさん

藤原が試合前に握手を求めるのは強さを認めた相手だけ、という説…ピート・ロバーツ、マイク・ジョージ、スチーブ・ライト、マードック、そしてアレン<アレンが合宿所にいた時期って藤原組長は日本にいたんでしたっけ?
もしかしたら結構スパーでやりあったんでしょうかね。

あるシリーズで地方興行の猪木のシングルの相手は全部アレンということが<さすがの猪木も地方においては鉄板を持って来ていたんですね。
確かに大一番はなかったですけど、二人のシングルは噛み合ってた記憶あります。

私が観た地方興行ではメインのタッグに出て客席を熱くしました<客席を温めるのはお手の物でしたね。
私も初観戦の時、アレンが入場時にエプロンサイドから花束嬢の足を掬ったりしてるのを観て、怖かったです。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
45歳のプロレス話


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