Uインター異人史 vol.2(1991)※追記あり

前回(vol.1)の続きですが、

このUインター旗揚げの1991年に登場した、

のちのち団体の中心人物となる二人を、

決して忘れる訳にはいきません。

その一人は、

1991年7.30 博多スターレーンに初来日。
ビリー初参戦

ガッツ溢れるファイトが信条だった、
ダイナミックな投げ

ビリー・スコットです。
若き日のビリー

昨年、『U-SPIRITS』に久々の来日を果たした際、

インタビューでUWFインターとの馴れ初めを語っていました。

Dropkick Vol.3 (晋遊舎ムック)
 Dropkick Vol.3 より

ビリー
「若い頃からずっとアマチュア・レスリングをやっていて、あるとき人を介してUWFを紹介してもらって日本でデビューするチャンスを得たんだ。(略)デビューするまで16~17ヵ月もかかったよ。(略)でも、それまでにはフィジカル・トレーニングを始め、本当にたくさん練習をやったよ」


地元ナッシュビルのインディ団体に上っていたビリーですが、

実に1年半近くにも及ぶ練習生期間から、

満を持してのデビューが博多での山崎戦だったんですね。

ん? でも初来日から「16~17ヵ月」遡ると、

1990年の2~3月…、

これ新生UWFの末期ですよね。

そのまま言葉の通り受け取れば、

新生Uに来てた可能性があったという事ですね。

ならば私は…あの当時の鈴木みのる戦が観たかったですね。

ただ1991年当時のインタビューを読み返すと、

けっこう食い違いもあるんですよね。

 週刊プロレス No.468 より

ビリー
「いいえ、ハイスクールではもっぱらフットボール。ラインバックとオフェンシブ・ガードの両方をやっていました。春のシーズンは、陸上部で1マイル・リレーと1マイル中距離の2種目。学校のクラブでは、レスリングはやらなかったんです」


最初の登場時が吊りパンだったので、

レスリングのイメージが大きいのですが、

実際にはフットボールと陸上部。

これどちらが正しいのでしょうね。

そう言われれば、

試合で見せるあの突貫ファイトは、

その2つの競技がバックボーンだったのかも知れませんね。

さらには、

ビリー
「ボクの実家のすぐそばに、むかしプロレスラーをやっていたというおじいさんが住んでいて、ボクと弟は毎年、夏になるとそのおじいさんのところでレスリングを教えてもらいに行っていたんです。教えてくれることといったら、それこそサブミッションばかり。ボクも弟も、マーシャルアーツの護身術でも習っているような感覚でした。腕のとり方、足首のきめ方などはUWFスタイルとそれほどちがわないフォームでしたね」


これぞまさしくプロレス版“リアル・ミヤギさん"!!

まさに以前書いた通り(参照:ビリー・カムバックホーム)、

ビリーこそが“実写版ベストキッド”だったのです!!

そのビリーの代表的な一戦といえば、

1991年12.22 両国国技館での、

格闘技世界一決定戦

vsジェームス・ワーリング
以外ありません。
ビリー@格闘技世界一決定戦1

この試合を勝利した事で、
ビリー@格闘技世界一決定戦3

スターへのチケットを手にしたのですが、

金銭的なトラブルから一度、

Uインターとの縁は切れてしまい、

2年のブランクの後、

再びビリーはUインターを主戦場にしますが、

スーパーヘビーの波に飲まれて、

中堅どころに甘んじてしまいます。

それでも最後の最後、

1996年12.27 後楽園ホールでの、
ビリー@Uインターラストマッチ1

最終興行まで添い遂げました。
ビリー@Uインターラストマッチ3

かつてUインターの合宿所に住み込みで鍛えたビリー。

宮戸の言葉を借りれば、

彼も“血族”(参照:Uインター上がって来いや!!)なのでしょう。



そしてもう一人。

逆に計算外で、

ビリーと対極的な道を歩んでいったのが、

ゲーリー・オブライトでしょう。
元気よくアピール

彼もインディ団体を転々とする、

流浪のレスラーだったのですが、

一本のビデオテープから人生は変わります。

 週刊プロレス No.477 より

ゲーリー
「UWFの存在は以前から知っていたよ。カルガリー時代の友人でモリムラ
(※リッキー・フジ)
という男からビデオをみせてもらったことがあって、こりゃあ、おもしれえやと思っていたんだ。(略)とにかくオレは、UWFスタイルの試合がどうしてもやってみたくて、新しくできたUインターのオフィスに履歴書を送りつけたんだ」


ちなみにゲーリーの場合は、

本当に輝かしいアマレスの実績があります。

わかる範囲で書いてみますと、

中1からレスリングを始め、ビリングス・ウエスト高校時代はフットボールと両立。春夏(レスリングのオフシーズン)はAAUでトレーニング。レスリング奨学生としてネブラスカ大学入学。

オール・アメリカン選手権優勝3回

82年全米選手権フリースタイル・ヘビー級部門優勝
(2/2追記:ROSESさんより教えて頂きましたが、“Pan American Championship グレコ100キロ超級”の間違いの様です)


84年NCAA全米大学選手権2位

(2/2追記:ROSESさんより教えて頂きましたが、他にも“83年World Championship フリー100キロ超級2位”と“同大会グレコ130キロ級3位”というのもあります)

※ 84年春にはロス五輪金メダリストのジェフ・ブラトニックから勝利

戦績:135戦112勝19敗4引き分け(70ピンフォール)


まさに五輪代表級の実力者だった訳です。

その後のUインターでの暴れっぷりは改めて書くよりも、

過去の記事を読んで頂いた方が話は早いでしょうね。

 Yoji Anjo Is Alive vol.6~ポリスマン最大の功績~
2発目!! 速い!!

 赤鬼の殺人風車
ゲーリーのバックドロップ

殺人風車3

叩きつける

 赤鬼の快進撃
ハイアングル式3

サルトも器用に

驚愕のダブルジャーマン9

「もうお前しかいないぞ!! タッカッダー!!」

 オーバー・ザ・シュート【7発の殺人橋】~前編~~後編~
ありえない角度で、

 スーパースター誕生
長い睨み合い、

 ゲーリー幻のゴッチ式ジャーマン
炸裂!!

 赤鬼の秒殺劇
雄叫び!!

 最強の名の下に
グラウンドへ移行

 幻の映像…遂に目撃!!~其の参~「if,“U”…」
ゲーリー、ライディック圧勝

 修羅場の田村
にじり寄るゲーリーにも動じず

とにかくもう…本当にUインターを代表する、

ガイジンでしたよ。

今でも私はU系史上最強のガイジンは、

ヴォルク・ハンでもケン・シャムロックでもなく、

クリス・ドールマンでもスーパー・ベイダーでもなく、

アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラでもエメリヤーエンコ・ヒョードルでもなく、

ゲーリー・オブライトだと確信しています。

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tag : ビリー・スコット ゲーリー・オブライト

comment

Secret

No title

ゲーリーのジャーマンは、ぶっこぬくというスタイルですよね。
通常、相手の協力なくして成立しないであろう技なのですが、
力いっぱい引っこ抜きぶん投げるみたいな感じで
こんなのありか!って思って見ていました。
(実際は相手の協力はあったのでしょうか?
通常は投げられる側は投げられる体制になると力を抜きますが)

Uインター時代のゲーリーは雑誌でしか見ていないはずですが、
強引すぎるジャーマンが印象的でした。

こんばんは。

ビリーもゲーリーも気になるレスラーですよね。^^

今回のブログの件でmixiの方にメッセージを送らせていただきました。m(_ _)m

初コメです!

はじめまして。
最近、こちらのブログのファンになりました。
「こんな興味をそそられるブログを俺は何で今まで読んでなかったんだょ…」というのが現在の心境です(笑)
もちろんブログの存在は知ってはいたのですが。
今は過去の記事を読むのが日課となっております。
今後も更新楽しみにしてます!

No title

旧キングダムでビリーさんを知ったので、Uインター時代の活躍は知らなかったのですが、仰るように端正な顔立ちの方なので売り出し方次第でスターになれた素質の方だったと思われます。
ただ旧キングダムは、仮にケツ決めがあったとしても、当時の最先端の格闘技術とアスリート性を持ち合わせた者しか勝ち残れない実力主義の団体でしたので、負けが込んでいながら継続的に参戦し続けたビリーさんの勇気と根性に感心していました。

>太郎さん

改めて、初めまして。
コメントありがとうございます。

通常、相手の協力なくして成立しないであろう技<いや協力無しの技ですよ、本来は。元々がレスリングの技術ですしね。
但し今はほとんどが掛けられる方の膝のバネで成立していますよね。

こんなのありか!って思って見ていました<まさしく“殺人風車”。
スープレックスでありながら、ボム系の破壊力を秘めた技でしたよね。

>ROSESさん

おはようございます。

mixiの方にメッセージを送らせていただきました<いつも本当にありがとうございます!!
以前も教えて頂きましたが、ゲーリーの映像は本当に貴重ですね。
とても学生に見えないウィリアムスも(笑)。

またいろいろとよろしくお願いします。

>慎大江さん

初めまして。
コメント頂きありがとうございます。
良いHNですね。

「こんな興味をそそられるブログを俺は何で今まで読んでなかったんだょ…」<ありがとうございます。嬉しいお言葉です。

過去の記事を読むのが日課<多少読みづらい部分もあるかとは思いますが、更新の遅い時は過去記事を少しでも振り返って頂けたなら幸いです。

今後とも宜しくお願いします。

>病弱者さん

旧キングダムでビリーさんを知った<ああ、そうでしたか。
逆に私はキングダム時代をほとんど知りませんので、またおかしな事を書いてたらご指摘願います。

端正な顔立ちの方なので売り出し方次第でスターになれた<何より宮戸が最も買っていましたしね。
ちょっとこれまでにない外人エースに育っていたかも知れません。

旧キングダム…負けが込んでいながら継続的に参戦し続けたビリーさんの勇気と根性<ある種、根性試しみたいなルールでもありましたよね。
折原なんかは今の彼を築く上で何か上積みになったものがあるのかな? とか思います。
でもプロレス団体としては先を走りすぎちゃったかも知れないですね。

こんにちは。

お忙しい中スミマセン。

再びメッセージを送らせていただきました。

分かりづらい内容でスミマセン。m(_ _)m

あと、細かい点ですが、データベースも分かりづらいですよね。

83年のWorld Championshipも100キロ超級だと思います。

重ね重ねスミマセン。m(_ _)m

度々スミマセン。

1983年フリースタイル世界選手権エスポワール100kg超級決勝でオブライトに勝って優勝したのは…










ジョン・テンタみたいです…。^^

>ROSESさん

こちらこそ、お忙しい中ありがとうございます。
早速、訂正させて頂きました。

テンタですか!!…まさか11年の時を経て、日本のプロレス団体で再戦するとは予想もしなかったでしょうね。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
45歳のプロレス話


長州、これは俺のブログだ。

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