欧州“殺し”紀行~drei~(1978)

zweiからのつづきです。

突如行われた格闘技戦を、

勝利で切り抜けたアントニオ猪木
勝利のダー!

その後も連日、西ドイツでの過酷なサーキットは続きます。

11.10 ハンブルク・スポーツホール

11.11 ハノーバー・メッセホールと、

当時、3年連続ハノーバー・トーナメントを制覇していた、

ジャック・デ・ラサルテーズと連戦して1勝1分。

11.12 ベルリン・ドイッチェランドホールでは、

早くもローラン・ボックと再戦し両者リングアウトのドロー。

11.13 カッセル・エセスホールで、

ラサルテーズと再戦しピンフォール勝ち。

そして前半戦の山場、

11.16 キール・コンサートマネージメントで、

“東京五輪レスリング金メダリスト”ウィルフレッド・デートリッヒ戦を迎えます。

zweiでも書いた通り当初のマッチメイクでは、

第3戦のフランクフルトで対戦するはずだったデートリッヒ。

Gスピリッツ Vol.21での、

ボック2万字インタビューでも触れていますが、

西ドイツではボック以上に有名な“国民的英雄”です。

その強さも確かなもので、

猪木に帯同した藤原喜明曰く、

「デートリッヒは強かった。あんこ型で首がなく、脚が太くて短く、全身がゴムのようで、スープレックスの威力はボック以上だった」

何より対戦した猪木自身が、

「ボックより印象に残っている」という説もあります。

試合は猪木が4R2分20秒、腕固め(脇固め?)で勝利。

翌、11.17 ミュンヘン・セペルスメイヤー・スポーツホールで、

ルスカと再戦し10Rフルラウンド・ドローに終わると、

11.19スイスに渡り、

バーゼル市セントヤゴス・スポーツホールでの、

ラサルテーズとの4度目の対戦は反則勝ち。

何とこの日は日付を越えずに、

オーストリア・ウィーン市ウィナー・ホーレンスタジアムでもう1試合、

アマレス出身の強豪・ユーゲン・ウィスバーガー相手に反則勝ち。

11.20西ドイツに戻ると、

ザールブルッケン・ザーランドホールで、

5度目のラサルテーズ戦にピンフォール勝ち。

11.21 ルートウィフハーフェン・エバートホールにて、

2度目のデートリッヒ戦は両者リングアウト。

一日置いて11.23オランダへ。

ロッテルダム・マホイスポーツランドでは、

当初オランダの“国民的英雄”である、

“東京五輪柔道無差別級金メダリスト”アントン・ヘーシンク戦のはずでしたが、

突然出場をキャンセル。

これには猪木よりもプロモーターのボックに大ダメージでした。

当時契約のあった全日本プロレスからストップがかかったか、

ボックがプロデュースしたセメントマッチへの不安からか、

二つの説があります。

それでも代役の地元出身ルスカと再戦し10Rドロー。

すぐに翌11.24西ドイツに戻って、

ドルトムント・ベストフォーレンホールで、

CWA世界ヘビー級王者・オットー・ワンツと初対決し10Rドロー。

文字通り殺人的な日程で、

このレベルの選手にも勝てない位に、

猪木の疲労と負傷のダメージはピークに来ていました。

しかしここまでの(17日間で)シングル15連戦!!

勝てないまでも“絶対に負けない”というのが、

猪木の凄さだと思います。

星を落としても、さほど影響のない土地での、

言ってみれば誰も覚えちゃいないような試合。

それでも“絶対に負けない”。

後のズベール・ペールワン戦(参照:スパさん、本当にありがとう。)もそうですよね。

これ現在の様な“結果より内容”とか言われてる時代には、

想像出来ない程の重圧との闘いですよ。

しかし、これにも猪木流の秘密が隠れています。

 アントニオ猪木の証明 より

猪木
「引き分けが多かったでしょう。もうね、ダメージがあまりに大きくて、倒すことよりも倒されないだけで精一杯でしたね。それでも反面ね、俺のコンディションが悪いことで、逆に相手も俺を極めきれなかった部分もあったんですよ」

「肩を痛めていたことで右腕が全然使えなかったんだけど、技っていうのはね、相手がまったく力を入れていないと逆に完全にはかからないんですよ。相手のパワーや反発も利用して、初めてがっちりと入ったりするんだけど、俺のパワーが落ちているんで、腕を取ることすらできないという局面はあったね。もちろん俺も技を仕掛けることはできないんだけど、相手はそれ以上に難しかったと思うね。俺を倒せるヤツってそういないと、今でも豪語できるのはそんな経験をしてきているからなんです


よく小鉄さんも解説で似た事を言ってましたが、

これぞ“風車の理論”の原点じゃないですか!?

さらに精神的なダメージの蓄積。

猪木
「何よりも冬のヨーロッパっていうのは、信じられないくらい侘しくてね。ええ、もう草木もないし夜は早いでしょう。試合が終わってホテルに帰ると、もうレストランも閉まってて食事もできない…。しょうがないからそこのコックさんに無理にお願いして、サンドイッチだけ作ってもらったりね…。なかなかいい経験をさせてもらいましたね(笑)」


これをどう凌いでいたのか?

極限状態においては意外なものが、

猪木を癒していました。

猪木
「そんな中で唯一救いだったのが、向こうの興行ではサーカスみたいなアトラクションが必ず試合の他にあるんだけど、黒人でフュー! って火を噴いたりするヤツが一緒に出てたんですよ。その黒人が出てくるときに場内で流れていた音楽が、なんとも軽快でよかったんですね。ヨーロッパ的じゃなくてアフリカ的な音楽でね、暗くて侘しい控え室にいて、その陽気さにはずいぶん救われた思いがありましたね。(略)なにか、試合の印象というよりも、そういうことのほうがはっきり憶えている」


とにかく心身ともに異常な状態のコンディションで、

猪木は欧州世界選手権の決勝戦を迎えます。

後年まで語り継がれる伝説の一戦。

人はそれを“シュツットガルトの惨劇”と呼びます。

次回、vierで検証しましょう。

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tag : アントニオ猪木 ローラン・ボック ウィルフレッド・デートリッヒ アントン・ヘーシンク 藤原喜明

comment

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こんばんは。

ウィスバーガーは五輪にも出ていたようですね。^^

いいレスラーを教えていただきましてありがとうございます。^^

>ROSESさん

当時の欧州マットには五輪出場者がゴロゴロいたんですね。
それでもかなりマイナースポーツで、ボックなんかはプロ転向を発表しただけで「奴は終わった」みたいな扱いされたそうですよね。

でもそこに飛び込んで行くんだから…やっぱり猪木凄いと思うんですよね。
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