欧州“殺し”紀行~eins~(1978)

読書の秋という事なのか、

この時季になると、

例年様々なプロレス本が発売されます。

その中で今秋、

断トツでプロレスマニアの話題をさらったのが、

Gスピリッツ Vol.21 (タツミムック)
Gスピリッツ Vol.21でした。

さらに言えば、その中の、

■巻頭スペシャル
独占キャッチ!衝撃の2万字インタビュー
ローラン・ボック
30年の空白を経て、“地獄の墓掘人”が蘇る


いろいろな意味で衝撃を与えられました。

30年近くに亘って消息を絶ち、

流れる噂は悲惨なものばかりだったボック。

その現在は意外な姿であり、

インタビューはマニア心を充分満足させる内容でした。

ライターの那嵯涼介さんには、

心から感謝と感服を申し上げます。

さて、この“地獄の墓掘人”ローラン・ボックといえば、
ボックだ!!

我らがアントニオ猪木の歴史に、

深い爪痕を残す『KILLER INOKI EUROPE TOUR(欧州世界選手権シリーズ)』

改めて調べてみると、

凄まじいものが見えて来ました。

そもそもボックというレスラーがどんな人物だったのか?

これについてはGスピリッツのインタビューと同様に、

流星仮面二世さんが詳細に記事にされてますので、

ぜひご覧下さい。

 団塊Jrのプロレスファン列伝 より
インタビューまで待てない!!ローランド・ボック

そもそも猪木が、

なぜ全盛期ともいえる1978年に、

わざわざシリーズを休んでまで、

ハードな遠征に旅立ったのか?

アントニオ猪木50Years (上巻) (B・B MOOK 664 スポーツシリーズ NO. 536)
 アントニオ猪木50Years(上巻) より

新間
「アリvs猪木の借金があったからね。ギャラは良かったよ、10万ドル以上あった(調べでは約1億円)


この2年前のパキスタン(参照:アノキ・ペールワン~前編~~後編~)もそうですが、

とにかく当時の新日プロという会社にとっては、

お金が必要だったんですね。

しかしながら、そんな状況でも、

新間寿は違います。

新間
「マネージャーをやってもらった
(当時夫人の)倍賞さんとも相談して、このお金は新日本プロレスに入れることはないと…。うん、入れなかった


なぜだ!?(笑)

この時点で欧州遠征の意味が変わっちゃってますからね。

さらに猪木当人さえも、

 アントニオ猪木の証明―伝説への挑戦 より

猪木
「アリ戦があって、ペールワン戦があって、俺の名前が世界的に売れたことで彼
(=R・ボック)から誘いがあったんですけど、招かれて向こうへ行くまでは、あんまりよく知りませんでしたね。(略)まあ、わざわざ行かなければならない理由もなかったし、行ってみていろんな問題に気づいたんだけど、当時の俺の夢というか、『世界制覇』の感覚じゃなくて『世界漫遊』のいい機会だなと(笑)

「たしかそんなに悪い条件じゃなかったと記憶してる…金額はよく憶えてないけどね


ここでも出ました「呑気が一番!」。

しかし“漫遊”には程遠い、

殺人的なスケジュールの中で、

猪木は欧州に到着します。

当時の資料を読み返しても、

これ尋常じゃないんですよ。

 アントニオ猪木引退記念ファイト縮刷版 より

猪木は三日午前十時に日本を出発、同日午後、北京に到着。ここで乗りかえてパキスタンの首都、イスラムバットからカラチへ着いたのが午後九時五十分。空港で予定外のTVインタビューを受けたあと車で四十五分も走ってやっとホテルへチェックイン。
翌四日、何と猪木は午前五時に起き、六時からの記者会見へのぞんだ。
(略)午前十一時、やっと報道陣から開放された猪木は海水浴(カラチの海岸)で一息入れたあと、午後三時までランニング、スクワット、プッシュアップなどで精力的にトレーニングをこなした。
午後九時三十分、地元有力者の招待で猪木一行は遅い夕食会へ。パキスタンの大蔵大臣なども顔を見せ盛況だった。
猪木が開放されたのは午前一時半で「疲れた」と猪木はすぐホテルの自室に引きとって就寝。
ゆっくり寝るひまなどなく、猪木はこの日も(5日)午前五時に叩き起こされ、六時発の飛行機で西独のフランクフルトへ。(略)八時間もかかって、やっとフランクフルトへ着いた。ベルリンのホテル(ボック経営)に着いたのは午後十時五十分。


さらに到着してからも、

 アントニオ猪木の証明―伝説への挑戦 より

猪木
「向こうに行ってみたら、事前に聞いていた日程と全然違っていたりね」


当初11試合という契約だったのが、

到着した時には17試合という話になり、

最終的には22試合(結果20試合)まで増えてしまい、

しかも全戦(ヨーロッパルールによる)シングルマッチで、

その対戦相手の顔触れを見ると…。

とても呑気ではいられない話になっていました。

zweiにつづきます。

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tag : アントニオ猪木 ローラン・ボック 新間寿

comment

Secret

No title

1975年世界オープン選手権は馬場さんによる、見慣れたシュートレスラーが多数配置された、猪木潰しが露骨に現れた大会なので猪木さんもこれは回避しました。
なのに国外で馬場さん以上に陰湿そうなボックが同じ事を行えばより危険になるのは大方予測できるだろうに、猪木さんはノコノコ出かけて大変な目に合うんですよね。まあ、猪木さんの思考は一般人の常識と懸け離れているから仕方ないのですが。

>病弱者さん

1975年世界オープン選手権…猪木さんもこれは回避<そこにBIの違いがあるんでしょうね。
馬場さんが日本選手権に出て来るとなったら、猪木の場合は自ら率先して対戦したでしょう。前哨戦とかなしに、一発勝負で。

馬場さん以上に陰湿そうなボック<それがGスピリッツを読むと、案外そうでもないんですね。
まぁ当時の意識とは違って来てるんでしょうけど、『自分はシューターではない』と。『試合はあくまで勝負だ』みたいな。ホーガンとさえも“レスリングの勝負”をするつもりだったそうですから。
この辺がアメリカのレスラーとは大きく違う部分でしょうね。

猪木さんの思考は一般人の常識と懸け離れているから仕方ない<エースで社長なのに、自分で敵地行ってやってしまいますからね。
ペールワンの時と同様、不思議な思考ですよ。

No title

ご購読、ご感想、有難うございました。

次号では、謎が多いと言われている「イノキ・ヨーロッパ・ツアー」の全貌について、徹底的に調査してみたいと考えております。
現在その準備を進めている最中ですが、面白いものにはなると思いますので、ご期待下さい。

>那嵯涼介さん

こちらこそ素晴らしいものを読ませて頂き、ありがとうございました。

次号では、謎が多いと言われている「イノキ・ヨーロッパ・ツアー」の全貌について、徹底的に調査してみたいと<おおっと!! 続編というか…徹底的調査ですか!?
私も現在、いろんな資料を読み漁ってるんですが、このハードな日程とボックの焦り、そして猪木の心の強さ(言い換えると呑気さ!!)…異常な2週間だったんですね。
私ごときの素人のブログ記事には絶対真似の出来ない大作を楽しみにしております。

No title

どうも!!

いやぁ夜勤がなくなってしまったせいで、まったくPCを開けない状況で・・・今頃コメ失礼します。

リンクの方、ありがとうございます。Gのインタビュー、圧巻でしたね!!なんだか続きもあるみたいで・・・これは楽しみです(^^)

30年という年月が経ち、しかし今なおこうして盛り上がれる我々は本当に幸せですね。おおっと、欧州“殺し”紀行も楽しみにしていますよ(^^)

>流星仮面二世さん

夜勤がなくなってしまったせいで、まったくPCを開けない状況<いえいえ、お忙しい中で気にかけて下さってありがとうございます。

リンクの方<むしろいつもありがたいです。
本当に素晴らしい記事ばかりなんですよ、流星さんのは。
私も目指す所が似てるというか、何度でも読み返したくなる様な記事が目標です。

30年という年月が経ち、しかし今なおこうして盛り上がれる我々は本当に幸せ<まさしくその通りですよね!!
こんなに難解な謎掛けをたくさん残してくれた猪木には感謝の気持ちしかありませんよ。

もう少しだけ、このシリーズお付き合い願います。
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