Yoji Anjo Is Alive vol.15~十年間、そして十年後・其の壱~(1994)

それは突然の事でした。

しかしながら、

UWFインターナショナルという団体にとっては、

必然の事でもありました。

いずれにしても、

この出来事によって、

プロレス界は完全にグレイシー柔術と関わってしまい、

Uインターは崩壊への道程を歩む事となりました。

この出来事がなければ、

PRIDEの誕生もなく、
安生との抱擁(実は単に松ヤニ塗ってただけ)

日本にMMAが根付く事もなかったでしょう。

その出来事とは…

17年前の安生洋二“ヒクソン道場破り返り討ち”です。
安生シリアスモード

1994年10.8 日本武道館のリング上、

第7試合終了後の休憩明け、

鈴木健取締役は声高らかに宣言しました。

「(略)最近、マスコミ等におきまして、グレイシー柔術なるものが大変もてはやされいるのを私どもも目にしております。私どもUWFインターナショナルは旗揚げより『プロレスこそ最強の格闘技である』『プロレスがあらゆる格闘技でナンバーワンだ』と叫び続け、また実践してまいりました。最強をかかげた私どもと致しましては、グレイシー柔術なるものの現在のような取り上げられ方を、だまって見過ごすわけには、断じてまいりません。
(略)今後はグレイシー柔術最強といわれております、ヒクソン・グレイシーにしぼって追いつめてまいろうと思っております。私どもが、グレイシーに出す条件はただひとつ、それは『ケンカルール、金網デスマッチ、時間無制限によるヒクソン・グレイシーとの一騎打ち!!』…それだけでございます。
こうしてお集まり頂きましたファンの皆様がたのために、そして、プロレス界のために、私どもは、グレイシーを本気でつぶすために前進することをここにお約束致します」


ちょうど一年前に行われた第1回アルティメット大会で、

衝撃的な登場を果たしたホイス・グレイシー

同じU系団体であるパンクラスのエース外人である、

ケン・(ウェイン・)シャムロックが準決勝で、

いとも簡単に一本負けしてしまった事は、

“最強の格闘技プロレスリング”を自負していたUインターにとって、

決して他人事では済まされませんでした。

さらに当時、ホイスは優勝インタビューにおいて、

「ここにいる兄ヒクソンは、私の十倍強い」と言い放った事で、

“グレイシー柔術最強幻想”がどんどん高まり、

日本国内においても“プロレス最強説”にかげりが出て来つつありました。

こうなればUインターは黙っている訳には行きません。

迷宮Xファイル―あの事件はいったい何だったのか!? (Geibun mooks―Dynamism! (No.462))
 迷宮Xファイル―あの事件はいったい何だったのか!? より

鈴木健
「あれは元々、リベンジしなきゃいけないのはシャムロックであり、パンクラスだと思って、自分たちは静観していたんだよ。ところが、その動きはまったくない。それでいてグレイシーの名前ばかりが日本で浸透していって、それがあたかも最強の格闘技だ、みたいなことになっていった。その状況はさすがに静観していられなくなったわけ。だって自分たちの団体は“プロレスが最強の格闘技だ!”って言ってきた団体だし、自分たちのためというよりも、プロレス界のために、自分たちがアクションを起こそうってなったんだ」


U.W.F.最強の真実 (BLOODY FIGHTING BOOKS)
 U.W.F.最強の真実 より

宮戸
なぜ、そこまでグレイシーにこだわったかといえば、我々は強さを看板にしていたからだ。あそこで黙っていることは、ファンからも許されることではなかっただろう。あるいはファンが黙っていてくれたとしても、潜在的にそれを望まれていることは間違いなかったはずである。


ただし、これは根回し無しの言いっ放しではなく、

上記の発言からヒクソンに標的を絞って、

密かに行っていた水面下での交渉が、

思う様に進まない事から、

現状打破を狙っての爆弾投下でした。

プロレス激本 No.4 (双葉社スーパームック)
 プロレス激本 No.4 より

宮戸
「ヒクソンは乗ってこないんですよ。あるときはお金をタテにして、またあるときは別のことをタテにする。でね、そのときの経験から言うと、ヒクソンはお金がどうのこうのと言われるけれども、彼はそんなことにこだわってないと思う。(略)出ていく機を見てるんだよね。ギャラの駆け引きじゃない、ルールの駆け引きでもない、時期を見てるんですよ」


Uインターはその後も大会ごとに仕掛けていきました。

10.14 大阪城ホール大会の試合前、

会見を開きました。
恒例の取締役トリオによる会見

鈴木健
「彼らが闘うというのであれば、私どもと致しましては戦場は、アメリカだろうとどこであろうと、それはたいした問題にしておりません。とにかく私どもは、プロレスを心から愛し、また最強の格闘技であると確信しておりますので、グレイシーの現在の様な取り上げられ方は、納得がまいりませんし、また、だれもそれに対し、目をつぶっているのであれば、我々がプロレス界を代表して“つぶすしかない”そう思っております。(略)最後に私どもが改めてグレイシーに言いたいことは、“ヒクソン・グレイシーよ逃げるな”、それだけでございます」

「逃げるなヒクソン!」

そして会見に同席した安生が、

遂に口を開きました。

「常に僕らの方が力は上。10年以上プロレスを続けてきて、僕らを超える格闘技はないと信じている」

「高田さんが出るまでもない」


当時の安生はとにかく自信が漲っていました。

新生UWF時代から定評のあった立ち技と関節技(参照:Yoji Anjo Is Alive vol.13~ルーツ・オブ・レスリング編~)に加えて、

ビル・ロビンソンとの出会いからレスリング・テクニックが飛躍的に伸び、

試合内容の充実ぶりには目を見張るものがありました(参照:Yoji Anjo Is Alive vol.7~至高の闘い・前編~vol.8~同・後編~vol.11~悲願の初登頂~)。
安生はデスロックに行く

この揺るぎない自信と周囲の信頼感から、

時代は大きく動いていきました。

其の弐へ続きます。

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tag : 安生洋二 宮戸優光 鈴木健 ヒクソン・グレイシー

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グレイシー柔術

ヒクソンを初めて見たとき。
まったく 訳がわからなかった。
どこをキメていったのか?
なんで ひっくり返ったの?などなど。
頭の中??????
さして 強そうにも 見えなかったもんで。
カッコイイと 思いました。
ホイス は あんまり・・・。

スターにはなれなかったが重要人物

こんばんは。顔面ボコボコの写真は今でもはっきりと覚えています。

でも、これがなかったらPRIDEもなかったので前田的表現ですが塞翁が馬という気がします。

しかしアルバレス戦の3日後位にテイセンで試合したりするとか無茶なところは実は一番猪木イズムを体現したのは、安生だったのかなあと思ったりもします。次編も期待しています。

No title

来ました!!リアルタイム世代なので懐かしいです。その弐、楽しみにしております。

>ケロさん

ヒクソンを初めて見たとき。まったく訳がわからなかった<本当最初はそんなもんでしたよ。構えも何とも胡散臭くて。

カッコイイと思いました<今でも思うんですけど、渡辺裕之に似てますよね。キム夫人は原日出子には似ておりませんけど。

ホイスはあんまり・・・<モト冬樹みたいですもんね。

>aliveさん

こんにちわ。

顔面ボコボコの写真<それまでのプロレス界にはなかったですよね。まさに衝撃的でした。

これがなかったらPRIDEもなかった<今回の記事の肝はそこにもあります。

アルバレス戦の3日後位にテイセンで試合<ありましたね!!
しかも一番動きが良かったですもんね。

実は一番猪木イズムを体現した<それ新説ですね!!

次編も期待しています<ありがとうございます。その一言が嬉しいです。

>てつさん

リアルタイム世代なので懐かしいです<私らの世代にとって、このヒクソン道場破りと10.9対抗戦は確実にプロレス史のベスト5に入りますもんね。

その弐、楽しみにしております<ありがとうございます。嬉しいです。
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