物騒さ世界一決定戦~序章~(1980)

アントニオ猪木の格闘技世界一決定戦において、

確実にターニングポイントとなった試合がいくつかあります。

その一つが、70年代空前の格闘技ブームのフィナーレに実現した、

“熊殺し”ウィリー・ウィリアムス戦だと思います。
熊殺しウィリー

梶原一騎が作り上げた格闘技ブーム。
梶原先生

その中心に並び立っていたのが、

“格闘王”猪木率いる新日本プロレスと、

“ゴッドハンド”大山倍達総裁率いる“地上最強のカラテ”極真会館でした。
ゴッドハンド

プロレスと極真の関係は長く、

古くは力道山時代にまで行き着きます。

若き日の大山総裁が、

アメリカ本土での修行中にプロレスのリングにおいて、

270戦無敗の記録を打ち立てた、と。

その中には力道山も勝てなかったタム・ライスも含まれていた、と。

しかしこの一連の発言を聞いて黙っていられない男がいました。

猪木とも名勝負を繰り広げた(参照:昭和の日韓戦)大木金太郎です。
韓国の猛虎・大木金太郎

1975年6月、大木は自ら記者会見を開き、

「大山氏のこの発言は故力道山先生を侮辱する物であり、力道山門下生の一人として黙っている訳にいかない」と、

大山総裁への挑戦を表明しました。

対する極真側は慎重な構えから、

逆に記者会見を開き、

「大木の挑戦表明は、私の名前を利用した売名行為である」と一蹴。

実際には総裁は半年の調整期間を経た上で、

大木の挑戦を受けて立つつもりでしたが、

逆にいきり立つ門下生の中から、

梶原一騎の実弟であり作家の、

真樹日佐夫を迎撃役に指名。

だがこれを大木が黙殺し、

プロレスvs極真は呆気なく幻と消えました。

だが、その直後に再び接近します。

きっかけは同年秋に行われる、

『第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会』。

主催する極真側は「どんな格闘技ともオープンルールで闘う」と宣言。

これに噛み付いたのが、

キング・オブ・スポーツを自負する新日プロでした。

「選手を出場させたいので、ルールがわかる書類を送って欲しい」と依頼。

しかし送付されてきた書類を読んで、

「試合での掴み技を禁じている。こんなルールでプロレスラーの参加を求めるのはペテンではないか!!」と猛抗議。

一触即発の中、

新日の新間営業本部長は、

大山総裁と直接会談を持ちました。

Gスピリッツ SPECIAL EDITION Vol.1 アントニオ猪木 (タツミムック)
 Gスピリッツ SPECIAL EDITION Vol.1 アントニオ猪木 より
激録 アントニオ猪木

櫻井康雄
『新間さん、これはないだろう』と大山さんが言うわけ。でも新間氏は『本気も本気。猪木はやる気でいますよ』と。大山さんは『空手には空手のルールがあるんだから』と説明したんだけど、新間氏は『先生ね、そんなこと言ったって、ルールもへったくりもないじゃないですか。ウチは試合場に行って、やりたいことをやって、全部反則負けでもいいです』と強気だったよねえ。それで最後は『先生に猪木を認めてもらえればいいんですよ』ということになってね。結局、僕が大山さんに『猪木は強い』というような内容の観戦記を東スポに書いてもらったんです」


結果的に和解。

後の猪木vsアリの際には、

総裁自ら猪木にローキックを指導するという関係にまでなりました。
極真総本部にて

しかし…

極真の門下生たちは、

この一連のやり取りから、

完全に猪木に対する敵対心を抱きました。

中でも猪木vsアリのクローズド・サーキットをTV観戦した、

極真空手北米支部の大山茂支部長と、

ウィリーがその急先鋒。
ウィリーvs熊

原因は『格闘技世界一決定戦』という名称に対してです。

それが決定的となったのは、

2年後の1978年4.4。

フィラデルフィアにおいて猪木は、

全米プロ空手世界ヘビー級王者のザ・ランバージャック・ジョニー・リーを、

同じく『格闘技世界一決定戦』の名称の試合で倒したことに対し、

「プロ空手に勝った位で格闘技世界一を名乗るのは許せない」と、

猪木への挑戦を表明。

しかしこれを良しとしなかったのは大山総裁でした。

「他流試合は許さない。強行すればウィリーは破門」と表明。

実現はまたも暗礁に乗り上げました。

…のですが、

大山茂北米支部長が、

6.20ホテル・ニュージャパンにて単独記者会見を開き、

ウィリーの猪木挑戦を表明。

ここから事態は急展開します。

11.2京王プラザホテルにおいて、

梶原一騎極真会館評議委員長と、

同じく評議委員の“鬼の”黒崎健時氏が同席で、

「翌年4月、都内の屋外会場(後楽園球場)での猪木vsウィリー戦」構想を発表。

2週間後には同所で行われた新日の『プレ日本選手権前夜祭』に、

梶原、黒崎両氏を伴って大山茂支部長が現れ、

ウィリーからの挑戦状を朗読。

一方の猪木からは具体的なアクションを起こす事なく、

年が明けた1979年もミスターXを皮切りに、

L・デイトン戦(参照:猪木、スーパーマンとの喧嘩)、パキスタンでのJ・ペールワン戦と精力的に格闘技戦を展開。

その間、ウィリーは極秘来日し新格闘術黒崎道場で特訓し、

さらに新格闘術世界ライト級王者の藤原敏男と青森の山中で山篭りを敢行します。
ウィリー、藤原敏夫とのロードワーク

6.11ホテル・ニューオータニで梶原氏と新日本・新間営業本部長も同席の上、ウィリーが記者会見し、

梶原氏は「10.15日本武道館での猪木vsウィリー開催」構想を発表。

そして、8.2新日の品川プリンスホテル・ゴールドホール大会で初めて新間営業本部長の口から、

「W・ウィリアムスの挑戦を受諾する」事が発表されます。

8.27…『プロレス夢のオールスター戦』の翌日、

京王プラザホテルで初めて猪木とウィリーが同席の記者会見。
遂に会見

「対戦合意」が発表されるも、

場所と日時は全く発表されない不思議な会見となりました。

思えばPRIDE.1の立ち上げ、

高田vsヒクソン(参照:第一歩)の際にも日時が変更されましたが、

この猪木vsウィリーの場合は2度変更されて、

対戦決定の会見でも日時の発表なしという異常事態。

それは二人が背中に背負った新日本プロレスと極真会館という看板の重さからに他なりません。
夢の2ショット

しかしここから、

さらに事態は変わっていきます。

次回、前編に入っていきましょう。

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tag : アントニオ猪木 格闘技世界一決定戦 大山倍達 ウィリー・ウィリアムス 極真会館 大木金太郎 櫻井康雄 梶原一騎

comment

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これは…面白そう。
期待しちゃいます。

新間とか、もうこのむちゃくちゃな駆け引き。。。スリルあるよなぁ。

>トラさん

期待しちゃいます<ありがとうございます。

新間とか、もうこのむちゃくちゃな駆け引き<これ、どっかで似たような展開あったなぁ…と思ってたら、ヒクソン狩り失敗の時の佐山に対する宮戸なんですね(笑)。
あと5年早く生まれてたら、Uインター嫌いになってたかも知れません(笑)。
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