さらば、無我よ

それ程大きな話題にはなっておりませんが、

夏の参議院選に西村の出馬が発表されました。

 kamipro.com より
船木、因縁の鈴木に金網戦で大流血KO勝利!! 浜亮太が小島を破り三冠王者に

第5試合終了後、マイクを持った西村修が「デビューから20年間ありがとうございます。私には夢があります。夢を実現させて、このリングにまた戻ってきます」と語り、いきなり長期離脱を示唆した。バックステージでは「志した夢は12年間温存してきたものです。ある尊敬している方に相談をしている最中ですので、答えが出た瞬間に実現に向けて動き出します。それが何かは明日(22日)の記者会見で明かします」と語り、具体的な内容までは言及しなかった。


西村が国政へ!!
「無我で世界を救う」西村修が今夏の参院選出馬を表明!!

武藤
「最初に聞いたときは何をトチ狂ったのかと思ったけど、西村がリング上でやりたいことの延長にはこういうこともあるのかと思った。(西村に向かって)プロレスの世界は反則が5カウントまでOKだけど、そっちの世界は勝ち負けしかない世界だからな」

西村
「全日本プロレスの入団前に学校設立に動いていたことがあります。某ヨットスクールのプロレス版のようなかたちです。九十九里に道場を持っていたので、プロレスとサーフィンで組んで心の病の医者、東洋医学や漢方の医者もいるという。準備ができたところで自分が全日本プロレスに入ったため、学校としてはオープンしていないです。ただ、ずっとそういう相談は受けてきました。政治の力で訴えていきたいのは教育です。年間3万人以上の自殺、引きこもり、登校拒否など、政治の力を使って不屈の精神を持った若者を育てたいです」


唐突な感もありますが、

なるべくしてなったような気も致します。

西村修

紫レガインター時代からお付き合い頂いてる方には御承知の通りですが、

私にとって西村修は特別なレスラーの一人でした。

90年代後半、

私は新日本プロレスに対する愛情を軽く失いかけていました。

“最強”と信じたプロレスラーたちが次々とグレイシー柔術に敗れ、

それに対して日本のプロレス界の砦ともいえる新日本がシカトを決め込んだからです。

折しも時はnWoブーム

“最強”の奪還どころか本流のリング上自体が、

強さとは無縁の世界に変わり果ててしまったのです。

深夜のワールドプロレスリングはいつ見ても同じような光景。

当然、新日~Uの流れで見てきた私の目は、

PRIDEにシフトチェンジしつつありました。

そんな中に一人の古臭いプロレスラーが現れたのです。
西村の卍

「今のファンは馬鹿です」

え? 今、何て?

会場のファンと一体になって盛り上がっていくのが、

主流となっていた平成のプロレス界を、

真っ向から否定した男。
西村の足4の字

そのファイトスタイルは、

失われつつあった本流のストロング・スタイル。
西村の人間橋

西村修です。

しかし、気になっていた西村は癌という大病を患って、

リングから姿を消します。

その間、西村の姿は忘れましたね。

そして2000年、

彼は見事にカムバックを果たしました。
西村の倒立

当時、携帯サイトでのプロレス談義に出会ったばかりの私は、

カニばさみさんと、しゅるつさんという、

二人のドラゴン信者に出会い、

西村のことを勉強させてもらいました。

そこから、西村の哲学を知るにつれ、

「この男がエースにならなきゃ新日本じゃない!!」という思いを強くしました。

彼のプロレスには“信念”がありましたから。

いわゆる“無我”ですね。

でも、その“信念”は、

いつしか形を変えて、

“無我”を商標登録というオチになってしまうんですが…

私はプロレスラー西村に、

命を一度失いかけた人間の“強さ”を見せて欲しかったです。

いや充分見せてくれたんですけど、

“闘い”をみせてもらいたかった。

でも西村というレスラーには、

私自身の好きなレスリングスタイルを思い出させてもらった感謝しかないです。

ちょうど12年前、

猪木からもらった洗礼は、
闘魂は連鎖する1

国政の場へ出て行くという、
闘魂は連鎖する2

“闘魂の遺伝子”だったんですね。
闘魂は連鎖する3

これも猪木イズムでしょう。

まさかの国民新党
 kamipro.com より
亀井静香代表も「ほれた!」西村修、国民新党から参院選出馬

西村
「ガンという大病を患い、命の尊さ、ありがたみを考えてきました。とくに近年では自殺者の問題ですとか、心の病を持った方を大変多く見受けられます。私はリングの上からメッセージをずっと訴えまいりましたが、ぜひとも政治の力で若い人たち、国民に元気になっていただきたい。政治の力を利用して訴えてまいりたい。新人ですがやる気だけは誰にも負けないつもりで、命がけで頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いします」

「プロレス団体と同じで、さまざまな団体がありますが、さまざまな批判を言う方々はいます。でも、有限実行、男として、政治家、人間としてこれにつきると思います。その点で、かっこいい生き様、尊敬できるのが亀井先生だったということです」


男が男に惚れたなんて粋な話じゃないですか。

何とも西村らしい。

しかし、リングに戻ってくる事はあっても、

選挙で全力を尽してから復帰したレスラーの衰退は何度も見てきてますから、

ここは「さらば、無我」と言いますよ。

そして、その“信念”で、

日本を変えてくれ、西村ーっ!!
無我

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tag : 西村修 無我 参議院選

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No title

 そーいや「西村選手はパンクラスの近藤選手と同一のパーソナリティを持っている」と論じたKAMIPROの論客としても有名な菊池成孔氏による「サイコロジカル・ボディ・ブルース」が近頃のプロレス本の中でヒットでした。おすすめです。

 90年代の新日本というのは「1976年のアントニオ猪木」にて初めて状況を知ったこちらとしてはアントン・ハイセルなどであそこまで会社を荒らされたわけで、猪木のように異物を取り入れていって興行にしてしまうより、安定した明るいドームプロレスに移行していったのも分かる気がするし、当時の闘魂三銃士はじめ、エース格の選手のプロレスと格闘技の境界についての言説も大人そのものです。特に蝶野選手の初期のUFCを見た感想が「あれは交通事故のようなもの。見てみたいとは思っていても、実際目にしたら気持ちが悪くなる」「喧嘩もしたこともない観客が喜んでる」というのが90年代半ばごろの宝島社のムックにあり、もう完全に格闘技と別にしているのが大人性の白眉だと感じましたね。
 西村選手はいい意味でプロレス界「大人の事情」を超えてくる気配が90年代新日本では魅力だったのかな、と。

>8798さん

「サイコロジカル・ボディ・ブルース」<これ、こっちじゃ見かけないんですよ。
菊地氏の自論はあまり納得できないんですけど、言ってる事自体は面白いですよね。

安定した明るいドームプロレスに移行していったのも分かる気がする<あの時代の勢い…冒険よりも安定でした。
でも、その中にも確かに“闘い”があったんですよね。

特に蝶野選手の初期のUFCを見た感想<絶対に格闘技、さらに“格闘技的なもの”と関わる事がなかったですもんね。

西村選手はいい意味でプロレス界「大人の事情」を超えてくる気配<結構えげつない事もやってたんですよね。鼻の折れた天山の顔面にナックル入れたり。90年代には異質なレスラーでした。
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Author:紫レガ 
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