武藤vs中邑 言葉のプロレスリング(2003)~前編~

中邑本中邑真輔の一見さんお断りが遂に発売されました。

仕事帰りに3軒ほど書店をハシゴしましたが、

案の定、こっちではまだ出ていないようです。

中邑真輔のパーソナルな部分…、

2003年末にサムライTVのトーク番組『プロレスの砦』で、
プロレスの砦

その一端を見る機会がありました。

その頃から今まで…彼はぶれてないと思います。

しかもこの番組のMCは、

武藤敬司なんです。

全く正反対のプロレス論を持つ二人の会話、

これもプロレスなんですねぇ…

【学生時代の大怪我について】
武藤「今振り返って、大学の4年間って無駄だったですか?」

中邑「いや、もう無駄じゃないですね。全部今に生きてます」

武藤「例えば?」

中邑「例えばですね、友人のつながりだったりですね。あとは、その、アマレスをやりながら、僕、一回その…大学2年の時、ヘルニアで腰いわしちゃったんですけど」
ヘルニアを語る中邑

武藤「うわぁ…」

中邑「あの、その時期に、もしかしたらレスリングもうダメかも知れないと思った時があって。まあ、心の支えとかになった友達もいますし。あとは、その、やっぱりレスリングの成績を取る為に大学に来たのに、レスリングの成績が取れないから、その、まぁ歯痒い思いをしながら、その、今、柔術とか流行ってると思うんですけど、まあそっちの世界にも足を踏み入れるようなキッカケになったですね、はい」

武藤「そのヘルニアって、今もう完治してるの?」

中邑「もう完治してます。自然治癒ですね。あの、手術っていうのは僕、基本的にちょっと抵抗があるんで、切らないで治療して、あの、ほとんど東洋医学なんすけども、そっちの方に頼り切るっていうか、そんな感じで治してるんです、ケガは」

武藤「完治してれば良いけどな。ヘルニアなんて一歩間違えたらずっと引きずる…ケガだからね」

中邑「そうですね、はい。朝起きたら足が曲がらないんです」

(略)

武藤「ヘルニアってのは(どうしてなった)?」

中邑「ヘルニアってのはレスリング、アマレスの時に、そうっすね、ま、けっこう腰に負担かかる競技で。僕なんかは、おっきい割には、その、軽量級みたいな動きをしてたんで、全部腰に来ちゃってたみたいで、そっからその溜まり溜まって、ある日突然バキッって…」

武藤「まぁ完治したから…。だって俺、一番最初に膝壊して、手術したのが24くらいだから。そっから今まで尾を引いてるからさ。ケガだけは極力しない方がいいよ」
膝の怪我を語る武藤

中邑「そうですね」


【特殊な青学レスリング部】
武藤「で、アマチュアレスリング、その青山学院のときに目標であるタイトルとかは? 箔を付ける為に行ったんでしょ?」

中邑「タイトルは、例えばその大学1年で入って、すぐにその、全日本のジュニアでは優勝したんですけど、それで世界大会かなんかにも行かしてもらったんですけども、その後、ケガをしてしまったんで、まぁ、周りの同世代の他の大学の選手から比べると、凄い出遅れた感じになりまして。まあそん中でプロレスやろうと思って…まぁレスリングの成績だけじゃダメなんだろなっていう所があって、そのキックボクシングってのを教えてもらったり。青山学院大学には格闘家の方が、いっぱい練習しに来るんですよ」

武藤「え、どうして?」

中邑「元々その、ウチのOBの…あの、僕の当時、総監督やられてた方が、佐山聡さんとかと親交があったり、空手の、あの、北斗旗の…えーと…まぁとりあえず、その、なんすかね、佐山さん経由で、その知り合いがいまして。で、修斗の選手だったり、あとは正道会館の選手だったり、あとシュートボクシングの選手が、ウチにそのぉレスリングを…」

武藤「アマチュアのレスリングのそこの道場に?…ほぉ~」

中邑「練習に来られてる機会があったんで、僕らがレスリング教える代わりに、まぁ教えてもらったり、今度はそっちの道場に連れてってもらったりとかしてまして。それが、大体…ずっと続いてましたね。そのアマレスの練習終わってから、格闘技のジムに行くっていう生活だったすね」


【新日本入門の経緯】
武藤「で、今度は大学で進路を決めなきゃならない時に…」

中邑「もちろん、もうここで辞めたらダメだと思って、もう大学3年の時には、プロレスラーになるんだって、はい」

武藤「でも親は反対しますよね」

中邑「親はもうその頃、自分の親父は亡くなってたんすけども、母親はもう『好きにすればいい』って。『人生はあなたのものだ』ってことで。それで、まぁ好きにさしてもらったというか、ま、一応親には『ごめんね』って…。まぁそれでプロレスの試験受けて、一応入団がOKって事で、まぁそれで親は賛成って言うか喜んでくれまして、はい」

アシスタント「新日本はやっぱり(大学と)近かったから、新日本プロレスにした?」

中邑「いや、じゃないすね。近かった…場所が近かったからって言うんじゃないっすね、はい」

武藤「フフフフフ…」

中邑「やっぱり僕が、その、中学生の頃からガッツリ見るようになったのは新日本プロレスだったですね、はい」

武藤「はぁ…(何度も頷く)」

アシスタント「じゃ、武藤さんも…」

中邑「そうすね、武藤さんもちょうど全盛期の頃ですね、はい」

武藤「そうすか?、へぇ~(微笑)」

武藤ご満悦

【プロレスと総合格闘技】
アシスタント「バーリトゥードとかもやりましたよね? ダニエル・グレイシーさんと」

中邑「あれも思い出(なぜか満面の笑み)。ボッコンボッコンになりましたけど」

アシスタント「K-1戦士のノルキアさんとかも総合ルールでやってましたよね?」

武藤「そういうのには抵抗なく?」

中邑「だって『プロレスラーってつえーじゃん』って思ってましたから、ファンの頃からずっと。『いつ武藤さんは、その、グレイシーを倒してくれるんだろう』と思ってましたから、はい。ま、いつのまにやら自分が、その、なんすかね、やる立場になっただけで、はい。ま、そこは、『やだ』なんて言ったら、その…」
武藤を語る中邑

武藤「そういうのって常に自分の意思で?」

中邑「意思ですね、はい」

武藤「『あいつとやりてーよ』とか、『こいつとやりてーよ』って?」

中邑「そうすね。最初の、去年のイノキ・ボンバイエなんかは、トントン拍子というか、その…あれは猪木さんですね。猪木さんが、なんすかね、『出してやる』って言われたんで、もう、ね、名前を売りたいばっかりの時期だったんで。もう相手は誰でも良いし、その、どうしても勝ちたいって言うのがあって、まぁ、負けてしまったんですけど、一応そこで、なんすかね、自分のデビュー2戦目だったんですけど、デビュー2戦目にして自分の転機になる試合だったと思いますね」


ここまでの内容では主に武藤はホスト役に徹していますが、

この後、自論を展開していきます。

一方の中邑もキャリアの差があるにもかかわらず、

独自の理論を語っていきます。

二人の会話、

後編をお楽しみに。

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tag : 武藤敬司 中邑真輔

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青山学院大学レスリング部道場

1988年だったかな、修斗の大会を観戦しました。カール・ゴッチが居て、一緒に写真を撮ってもらいました。
この時、佐山にヒールと評された選手が、後年 北原についてWARに乱入して石井の首を決めたり、さらに後にプライドのジャッジをやっていたのには驚きました。
(私はただのファンです)

>SisLANDさん

1988年…修斗の大会を観戦<さんざん新生Uの批判をしていた時代ですね。

後年 北原についてWARに乱入して石井の首を決めたり、さらに後にプライドのジャッジをやっていた<ん? 誰でしょうか? 教えて下さるとありがたいです。

名前はわかりません。(覚えていません)
WAR乱入は当時の週刊ゴング、週刊プロレスで見ました。

>SisLANDさん

名前はわかりません<失礼しました。
MAX宮沢(ニーハオ)ではないですよね?
もし思い出されましたら、宜しくお願い致します。
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