アノキ・ペールワン~前編~(1976)

大晦日、青木真也vs廣田瑞人において、

青木が行った行為に一斉にバッシングが浴びせられ(参照:僭越ながら…カッコ悪いよ!!)、
青木問題のシーン

その後、落ち着いてきています。

 kamipro.com より
日本格闘競技連盟及び『戦極』サイドが青木と関係者に対して処罰を要求!!

パラエストラ東京が青木真也を指導スタッフから解任


相手の腕を折るという行為以上に、

試合後の“中指突き立て”が問題のようです。

 日刊H.T より
青木真也「(廣田戦は)・・怖かった」

青木
「僕はPRIDEという名の宗教に入っているから。中井先生は『僕の中では格闘技は宗教である』と言っているじゃないですか。僕の場合、格闘技=PRIDEなので。その宗教(現在DREAMを支える元PRIDEスタッフかな)が行けということは、ある意味狂信的な感じですよね。…(PRIDEは消滅したが)僕の心の中では残っている。怖いですよ…『やってくれ』と言われた時、僕は震えました。怒りとともに、自分の中に芽生えた恐怖に震えたんです」


狂信的…宗教…格闘技…腕折り…

丸33年前に異国の地で行われた“腕折り(実際には脱臼)”は、

もっともっと狂気に満ちていて、

それでいて、不思議なものでした。
この筆文字こそワープロ

今回の記事は、

もっともっと早い時期にUPしようと思っていたのですが、

kamipro最新号で、猪木自身が青木問題を語っていることを知り、

これを読んでから仕上げました。

そこで見えてきた一つの答えがあります。

諸説あるでしょうが、

全盛記のピーク=いわゆる『1976年のアントニオ猪木』の最後の一戦が問題の試合です。
カラチの街に、

現地ファンの歓迎を受けて、

猪木一行はカラチの地に降り立ちました。
日本の格闘王見参

調印式で顔を合わせた“パキスタンの英雄”はオーラのかけらもありませんでした。
調印式

前日の公開練習でも猪木はリラックスしていました。
試合前日、現地の子供達とスパーリング

しかし、

屋外の巨大会場を包み込んだ異様なまでの殺気が、
カラチ・ナショナル・スタジアム

パキスタン国民の英雄に対する期待と重圧が、
会場外の丘にまで見物客が…

猪木の狂気を呼び起こしたのです。
入場ゲートも大混雑

物々しい試合会場へ、

猪木は新間マネージャー、永源、小沢、藤原、

そして美津子夫人を伴って足を踏み入れました。
夫人らを伴って猪木会場入り

陽が沈んで、照明のあたるリング上以外は漆黒に包まれた中。
陽が沈み、

二人はリングに立ちました。
猪木入場

民族衣装のコスチュームでヒンズースクワットのデモンストレーションを繰り返す“地元の英雄”に、
民族衣装のアクラム

猪木の気合が入りました。
気合を入れる猪木

さらにゴングと同時に軽快な舞いを披露。

これはムエタイのワイクーのようなものでしょうか?
開始と同時に謎の舞いを見せるアクラム

1976年12.12 パキスタン・カラチ ナショナル・スタジアム

格闘技世界一決定戦

アントニオ猪木vsアクラム・ペールワン

アントニオ猪木vsアクラム・ペールワン

ファーストアクションはアクラムの胴タックルでした。
胴タックルから、

すぐにバックを取るスピードはさすがです。
すぐにバックに回ったアクラムだが、

しかし冷静沈着な猪木はきっちりとリストを取って、
猪木は冷静にリストを取って、

ダブル・リストロック…いわゆるUインターの伝家の宝刀(参照:封じられた“伝家の宝刀”~前編~)です。
ダブル・リストロック

極め切れないと見るや、

瞬時に腕ひしぎ逆十字へ移行します。
さらに十字に移行するが、

アクラムの肘関節が逆方向に反りますが、

並外れた柔軟性で脱出に成功します。
二重関節(?)アクラムは凌ぎきる

スタンドから再開。
スタンドから再開

珍しい猪木のフロント・スープレックス風テイクダウンが決まります。
フロント・スープレックス気味にテイクダウン

あくまでもバックを奪う事にこだわるアクラム。
すぐにバックを取るアクラムだが、

ブレイクがかかった後、再びスタンドから。

猪木は腰投げにいきますが、

腰の重いアクラムは崩れません。
腰投げが入らないと見るや、

ならばと猪木は、

柔術の動きで自ら引き込みます。
とっさに“潜り”!!

アクラムも巧く腕を抜き、

グラウンドを嫌います。
グラウンドを嫌うアクラムは、

離れると、スタンドを要求。
スタンドを要求

既にグラウンドでは勝ち目が無い事を悟った様です。

この辺の猪木の技術について、

“世界のTK”こと高阪剛は総合格闘技的視点で語っています。

 Gスピリッツ Vol.6より
“世界のTK”がペールワン戦を斬る

高阪
「これは“潜り”っていうんですけど、猪木さんはペールワンの左足を取りにいったんだと思います」

「潜りというものを教わったんじゃなくて、たぶん思った通りに動いたら、あの動きになったんだと思うんですよ。(略)猪木さんが最終的に極めることができたのは、自分の身体とか、技の本質を知ってなければできないでしょうし、感性で動いたんでしょうね。それは道場でのスパーリングでしか得られないものですから、やっぱり凄い練習してたんだなあっていうのが見えましたよ」


バーリ・トゥードという言葉も、MMAという言葉も、総合格闘技という名称ですら、まだなかった時代。

猪木の試合からは、

随所に、今のMMAに見るテクニックを発見する事があります。

アリキックを一発見舞ったところで、
アリキック一発

第1Rが終了。

そうです、この試合は5分×6回戦の三本勝負というラウンド制だったのです。

ん? ラウンド制で三本勝負???

そのルールという部分ですが、

セコンドに付いた藤原は語ります。
セコンドは“影武者”藤原喜明

 猪木毒本―いま、なぜイノキなのか? より
“影武者”藤原喜明の証言

藤原
知らん。俺、ルールのことはなんも聞いてない。つまり、“なんでもあり”なんでしょうね。アルティメットは目潰しや金的はやっちゃいけないってあるらしいけど、たぶんあのときはそんな規制もなかったんでしょう。どんなルールだったんだろうねえ?」


え!?

当の猪木自身は、

 アントニオ猪木の証明―伝説への挑戦 より

猪木
「いやね、ルールよりも何よりも言葉が通じなかったんですよ(笑)

「いま考えてみたら、お互いに何を基準に闘っているのかさえ曖昧だったんだよね。俺のほうは当然プロレスルールのつもりだけど、アクラムのほうはそうじゃないという。全然認識が違ったまま試合になっちゃってね、言葉が通じないんだからどうにもなんないですね(笑)


…!?!?!?

言っときますが、当時の猪木は、

一攫千金を夢見る一人の無名な青年ではありませんよ。

新日本プロレスの社長であり、エースです。

いまの青木真也をはじめとするMMAファイターの何十倍も大きなものを背負った人物です。

それが日本じゃ全く無名の格闘家相手に、

わざわざ敵国に出向いて、

ルールのない試合に…

後編へいきましょう。

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tag : アントニオ猪木 アクラム・ペールワン 青木真也 格闘技世界一決定戦 腕折り

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青木真也「(廣田戦は)・・怖かった」

 ちょっと時期もずれた感じもしますが、前にアップした廣田記事(関連記事)が好評のようなので、同じ雑誌に掲載されていた対戦相手の青木...

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こんばんは!自分の記事をリンクして頂きありがとうございます!貴重な映像もってますね!
自分も青木の試合を見て、この試合を連想しました。当時は今のように正確に明記されたルールもないでしょうし、これこそまさにバーリトゥードと呼べるかもしれませんね。猪木の絶対負けられない思いが伝わってくる試合だと思います。

>H.Tさん

こんばんわ。

貴重な映像<これサムライTV観てた時のものです。

当時は今のように正確に明記されたルールもないでしょうし<本当にノールールだったそうです、というよりも言葉が通じないからルールの確認も何もなかったそうです(笑)
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