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追悼・8の字固め

今年も年頭から訃報が入りました。

亡くなられたのは、

アントニオ猪木が初めて世界タイトルを奪取した相手、

“死神”ジョニー・パワーズです。
王者パワーズ

昨年の暮れ、12月30日にカナダ・オンタリオ州の自宅で、

息を引き取ったとの事ですが、

それはWWEや新日といった、

メジャー団体の公式ニュースからではなく、

マニア向け媒体やファンサイトでひっそりと流れたものでした。
猪木の喉元へパワーズの強烈なエルボー

日本におけるパワーズの全来日記録が、

詳細に綴られているブログがありました。

元週刊プロレス編集次長の、

“シッシー”こと宍倉清則さんです。

 生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ / 訃報。「死神」ジョニー・パワーズが昨年末、死去。全13回の来日の記録。妙に印象に残っているのは… より

昭和41年<1>東京プロレス旗揚げ「ビッグマッチ・シリーズ」10・12蔵前~11・22大田区…エース格はジョニー・バレンタイン。パワーズは10・28板橋(野外)で猪木とシングル。2-1で敗れる。11・14札幌では猪木&豊登VS「ジョニー・コンビ」バレンタイン&パワーズという、いわば最強タッグ戦が実現。1-1で引き分け。2本目、パワーズは豊登に足8の字固めでギブアップ勝ち。

48年9月<2>以降、新日本プロレス 9月「闘魂シリーズ」前半戦、特別参加。9・7小山遊園地スケートセンターの生中継で、猪木とシングル。反則負け。9・13大分の録画中継では(14日、放送)猪木&坂口VSパワーズ&イーグル。イーグルが2本、取られ、ストレート負け。このシリーズの前に、8・24ロサンゼルスで、パワーズ&パット・パターソンvs猪木&坂口の北米タッグ戦。3本目、猪木がパワーズに反則勝ち。反則のため、王座移動なし。31日に放送。

48年12月<3>終盤、特別参加。12・7大阪府立の生中継でパワーズ&パターソンの北米タッグに猪木&坂口が挑戦。3本目、猪木組が反則勝ち。
王座移動なし。12・10東京体育館でパワーズのNWF世界ヘビーに猪木が挑戦。2-1で猪木が新王者に。3本目は卍固め。14日に放送。その前日、12・9豊田では猪木&坂口がパワーズ&パターソンにストレート勝ち。1本目は反則、2本目は猪木がパターソンを体固め。放送は21日。

49年7~8月<4>前半戦、特別参加。7・30名古屋・吹上(ふきあげ)ホールで、猪木のNWF世界に挑戦。3本目、猪木が反則勝ち。8月2日に放送。パワーズが出たTVマッチは4回で、7・11後楽園ではイーグルと組み、坂口&星野に敗退。これがメインで、猪木がセミだった。

50年8月<5>前半戦、特別参加。猪木が左ヒザ関節炎で欠場。パワーズがTVマッチに出たのは2回だけ。8・22高崎でvs小林、8・29足立区でvs星野。

51年2~3月<6>2・28名古屋・愛知県体育館で猪木とノンタイトル。パワーズが反則勝ち。ノーTV。3・12高崎の生中継でも猪木とシングル。今度は猪木が反則勝ち。最終戦、3・18蔵前で猪木のNWF世界に挑戦。1本目、両者リングアウト、2本目、猪木が卍固め。翌19日に放送。ほかにTVマッチは3・4広島でvs星野、3・16花巻でvs小林。

52年3~4月<7>第4回ワールドリーグ戦に初参加。開幕の3・4高崎で坂口に勝つも、4試合、消化したあと、猪木への挑戦に専念するため、リーグ戦を辞退。3・24札幌で猪木とノンタイトル。無効試合に。放送は翌25日。3・31蔵前で猪木のNWFに挑戦。20分33秒、体固めで敗れる。51年11月からNWFは「世界」を取ることを余儀なくされた。

54年1月<8>2年ぶりに来日。エース格はシュートマッチに強いボブ・ループ。1・19佐賀・唐津の生中継で猪木とシングル。無効試合。翌週の生中継、1・26岡山武道館では坂口に敗れ、NWA認定北米ヘビーを奪われる。藤波のドラゴン・ブーム。

54年11月<9>中盤戦、特別参加。11・16沖縄の生中継では猪木&坂口&藤波vsローデス&モラレス&パワーズ。もはやエース格ではなく、日本組が反則勝ち。翌週の生中継、11・23鹿児島では猪木&坂口vs狂虎シン&パワーズが実現したが、猪木がパワーズを体固め。前日の11・22長崎・佐々木町でも6人タッグの2本目、猪木がパワーズを体固め。

55年3月31日<10>1試合だけ国際プロレスに出場。後楽園の4大タイトルマッチに登場。ラッシャー木村のIWA世界ヘビーに挑戦。リングアウトで敗れる。このときのパワーズ、木村健吾&永源、剛竜馬は新日本からの「レンタル」だった。木村とは41年の東京プロレス以来、実に14年ぶりの対戦だった。

55年4月<11>第3回MSGシリーズに参加。予選トーナメントで小林に敗れ、敗者復活トーナメントでもティト・サンタナに反則負け。途中帰国。

55年11月<12>第1回MSGタッグリーグ戦に参加。オックス・ベーカーと組んだが、なんと、全敗。ハンセン&ホーガン組、アンドレ組とは当たることもなく、途中帰国。2つの不戦敗。

平成2年(1990年)<13>9月30日、横浜アリーナ。猪木30周年記念興行のセレモニーに参加。10年ぶりの来日。


凄い! 完全網羅ですね。

新日に初参戦した2度目の来日から、

特別参加のエース扱いでしたが、

NWF世界ヘビー級王者として来日した、

同年12月をピークとして徐々に転落。
坂口vsパワーズ

選手として最後となった1980年12月来日では、

タッグリーグ出場も全敗→途中帰国という末路です。

そんな中で目を引くのは、

1980年3.31 後楽園ホールで、

ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦した、

唯一の国際プロレス参戦。
ラッシャー木村vsジョニー・パワーズ2

試合を動画で見つけると、

とにかく徹底した脚攻めからのパワーズロックで、

木村にほとんどいいところのない防衛戦。

ある意味、格の違いを見せつけた展開ですが、

全く噛み合わず、名勝負に程遠い内容でした。
ラッシャー木村vsジョニー・パワーズ1

やはり最も光った試合は唯一無二と言っていい、

1973年12.10 東京体育館

NWF認定世界ヘビー級選手権

ジョニー・パワーズvsアントニオ猪木
(参照:権威への挑戦)でしょう。
パワーズ今度は左腕に攻撃

この試合もパワーズの攻撃の軸は、

徹底した足殺しなのですが、

猪木はそれに耐えるだけではありません。
充分に痛めつけてから、

グラウンドの攻防は見応えありますし、

立ってはエルボーを中心とした打ち合いも然り。

3本勝負の2本目を取ったパワーズロックでの、

妖気迫る表情が印象的です。
この表情まさに死神

さて、そのパワーズロック=別名“8の字固め”の由来は、

『俺のは4の字固めの2倍効くから8の字だ』という本人コメントが定説ですが、

実際には全く違った様です。

Gスピリッツ51表紙
 Gスピリッツ Vol.51

パワーズ
「フランク・タニーに呼ばれてトロント地区に行った時だったと思うが、当時、家庭用の大型ネジ回しで『パワー・ロック』という工具が人気商品になっていた。これにあやかって、新人時代に
(師匠のジャック・)ウェントワースから教わったフィギュア・フォー・レッグロックをパワー・ロックと称して使い始めたというわけさ。脚力には自信があったから、自分のフィニッシュとして最適だったよ」

(『4の字の2倍』説については)いや、それは初めて聞いたよ。傑作だね!」


何と! 知らなかった!?

これもいわゆる櫻井康雄さん命名だったのでしょうかね?

本人はアメリカでの名称である“パワーロック”として、

足4の字固めという技を得意技にしていたまで、と。

ダイビング・ボディプレスを“ハイフライフロー”と呼ぶのと同じですね。

でもこのパワーズロックの説得力は、

『裏返ってこそ完成形』という部分でして、

それって“表+裏で2倍”という意味にも取れて、

ネーミング通りだなと思ったりもする訳です。
でたパワーズロック(8の字固め)!!

このインタビューでパワーズは、

猪木戦をこう振り返っています。

パワーズ
「試合は猪木に負けたが、まったく悔いのないベストマッチができて満足したよ。あの試合ではナショナルアンサム(国歌吹奏)のセレモニーもあったし、とてもマジェスティ(威厳)に満ちていたね。猪木はそれまでにもスーパースターになる資質をすべて兼ね備えた奴だったが、あの試合で私がそれをフルオープンしてやった感じだったな(笑)」


どうでしょう?

技術的な事や戦術的な部分には言及せず、

格式的な事を重んじる主義というか。

尚且つどこか上から目線ですね。

猪木のライバルとしては珍しいタイプです。
花束贈呈、国歌吹奏、選手権宣言

私がリアルタイムで観れた姿は、

往年の時代からずーっと後になります。

それは1990年9.30 横浜アリーナでの、

『アントニオ猪木デビュー30周年記念興行』における、

猪木のライバルが集結したセレモニー(参照:一つ一つの闘いが私の言葉)での姿。
猪木30周年セレモニー12

“鉄人”ルー・テーズを筆頭にあのメンバーが揃った画は、

今観ても壮観の一語です。
猪木30周年セレモニー33

そんな中でパワーズのスーツ姿は、

どこか元レスラーよりも実業家寄りの佇まいでした。
猪木30周年セレモニー35

同誌のインタビューで、

猪木もパワーズとの闘いを振り返っていますが、

これを読んで納得した部分もあります。

猪木
「彼は興行師でもあったり、最後は不動産屋をやったりなんかして。彼のルートで、選手が何人か来てるんじゃないですかね?」

「レスラーとしては、どっちかと言えば器用な選手ではなかったですけどね。まあ、身体もパワーもありましたけど、どっちかに行っちゃうんですね。技に行くのか、パワーに行くのか…俺らはどちらかと言えば、スタミナの方で勝負する」


選手である以前に実業家で、

レスラーである以前に興行師だったんですね。

持っていたポテンシャルを認めながらも、

物足りない対戦相手だったという事でしょう。
コブラツイストで締め上げて、

過去にはもっと辛辣な評価をしていました。

アントニオ猪木の証明表紙
 アントニオ猪木の証明―伝説への挑戦 より

猪木
「非常にレスリングの下手な選手―」

「パワーズっていう選手は、なんていうか不作法で不器用というかね。あんまりうまい選手じゃなかったんです。実際に俺以外の選手とやった試合のビデオでも残っていたら、見てもらえばわかると思うんだけど、結構試合自体はつまらないんですよ」


強い弱いとか上手い下手、

それ以前の問題で『不作法で不器用』

猪木としてみれば、

ベルト以上の価値を見い出せない相手だったのでしょうか。
ガッチリ極まってパワーズはギブアップ

しかしながらデビュー30周年セレモニーに招き、

未遂に終わったものの、

IGF旗揚げ後も2008年4.12 大阪府立体育会館に、

ゲストとして招待を企画した猪木。

新日旗揚げの苦しい時期に、

世界のベルトを持って参戦してくれたパワーズと、

闘いを超えた何かがあった事は確かでしょう。
ジョニー・パワーズvsアントニオ猪木

新日本プロレスの黎明期を彩った、

ジョニー・パワーズさんのご冥福を心よりお祈り致します。
猪木30周年セレモニー13

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tag : 訃報ジョニー・パワーズアントニオ猪木ラッシャー木村

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No title

こんばんは。グレーテスト18クラブですね。当時、私もTVで見ていましたが感慨深いものがありました、あれから30年も経ったんですね。こうして今、取り上げてくださる御ブログに私が縁があったことを
嬉しく思います。当時各メンバーは皆、選出されたことに喜んでいる様子でしたね。
記念?ベルトの初代認定王者は長州力であったことはさておき(笑)ここまでのメンバーを
招待できたレスラーは稀代の猪木以外、もう今後は現れないでしょう。もっと評価されて良いのではともいまだに思います。

>charさん

こんばんわ。
ご返信が大変遅くなりまして申し訳ございません。

グレーテスト18クラブ…当時、私もTVで見ていましたが感慨深いものが<当時は土曜4時でしたね。猪木をリアルタイムで追ってこられた世代の方にはひとしおのものがあった事でしょうね。名勝負が走馬燈の様に甦る、といったところでしょうか。

今、取り上げてくださる御ブログに私が縁があったことを嬉しく思います<いやはやcharさん、それは私のセリフであります。こうして縁があってコメント頂ける事が何よりのモチベーションなのであります。

記念?ベルトの初代認定王者は長州力<グレーテスト18クラブ認定のベルトはNWFをそのまま使用して、その挑戦者が18クラブのT・J・シンという(しかもあまりの無法ぶりに追放!)複雑な要素をはらんだ王座でしたね。しかもIWGPと統一戦やって果てには封印という…。

招待できたレスラーは稀代の猪木以外、もう今後は現れないでしょう<そこは間違いないですね。馬場さんの場合は元子さん基準になるでしょうし、他にはこれだけ多くのライバルと呼べる存在を有したレスラーはおりません。

全く関係なければ申し訳ございませんが、charさんというお名前で世界的ギタリストのあの方を思い出した次第です。
1987年の『突然卍固めLIVE』に本名の竹中尚人さん名義でご出演され、バンド紹介時に「オンギター! たけなかなおと!!」と茶化され、「違うっつーの! おれは“ひさと”だって!」というやり取りが懐かしいです。
当時、NHK-FMの深夜番組で2週に亘って放送され、必死にエアチェックしたのを思い出しました。

パワーズロック

大変遅いコメントになってしまってすみません!

ジョニーパワーズの訃報は、たまたまジョニーパワーズで検索したら出てきてビックリしたんですけど、たしかにあんまりニュースになってなかったですね。新日本にとって重要な選手だと思うんですが、、、

選手間での評判の悪さばかりが目に付く人ですけど、Gスピでのインタビューではなかなかの好人物のような気がしましたね。それに、ジョニーパワーズというリングネームは傑作です。オースティンパワーズを観ると必ずジョニーパワーズを思い出します。

国際の木村さんとの試合の動画、面白かったですよ。国際向きの選手だったんですかね?それに、この頃のラッシャー木村さんの身体の凄さはビックリしました。

>独断さん

大変遅いコメントになって<とんでもないです! 例え過去に書いた記事でもコメントがいつまでも続いていくなら、こんなにブロガー冥利に尽きる事ないですよ!!

たまたまジョニーパワーズで検索したら出てきてビックリ<虫の知らせというか、そういうのはあるんでしょうね。個性派ガイジンの一人ですよね。

選手間での評判の悪さ<リング上では名選手でも、いざリングを降りるといろんな話を聞きますね。でも我々ファンにとってはリングで輝いてりゃノー問題という部分もありますね。

オースティンパワーズを観ると必ずジョニーパワーズを思い出します<そこは独断さんならではのアレですね!
湯豆腐を見てポール・オンドーフを思い出すとか、もう本当に(笑)。

国際の木村さんとの試合の動画、面白かった…この頃のラッシャー木村さんの身体の凄さ<吉原社長というレスリングの猛者が率いる団体でエースに君臨してた訳ですから弱い訳がないでしょうけど、そのフィジカル面は猪木、馬場さん以上のものがあったかも知れません。
これは過去のサミットで何度も議題に上がりました。

独断さん、また必ずお会いしたいですね。
猪木さんの納骨が横浜の總持寺に行なわれれば、いずれ流星さんと二人で行く事になると思います。
その時は横浜サミットですね。出来れば8月8日が良いですね~。
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Author:紫レガ
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「昔はインターネットを旅してましたからね。毎晩ブログでね、今みたいにSNSがいっぱいある訳でもないし、終わったらみんなブログでね、一日の終わりにUPして。今こんなこと言ったらエラいことになりますけどね、よく寝不足になったね、部屋でPCを打ったりね。…いや、そういう歴史はちゃんと教えとかないとね」

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