アントンとミッコ~時計をとめて編~(1987)
世界一強いプロレスラー、アントニオ猪木と、
国民的女優の倍賞美津子さんという、
本当に奇跡の様な夫婦が、
かつて実在していたんですよねぇ…。

結婚直後、谷底に突き落とされた(参照:アントンとミッコ~一億円ジャンボ挙式編~)にもかかわらず、
文字通りの二人三脚で、
猪木の闘魂に着火した美津子さん。

“世紀の一戦”vsモハメド・アリにおいても、
当時の美津子夫人が背中を押したから、
猪木は実現に向けて走り出した訳です。

アントニオ猪木自伝 より
猪木
もちろん妻の美津子にも相談した。普通の奥さんなら、そんなことやめなさいというところだろう。金もかかるし、大変なリスクを背負うことになる。しかし彼女は、やるべきだ、と言ってくれた。彼女が生きている日本映画の世界では、なかなか世界に打って出るのが難しい。彼女も私に夢を託したのだと思う。
ニューヨークのプラザ・ホテルの特別室で、調印式と記者会見を開くことになった。私は羽織袴姿。着付けは美津子がしてくれた。
美津子さんは当時、
日本人女優として叶えるのが困難な夢を、
夫のアントンに投影したんでしょうね。

その後も猪木が僻地へ乗り込む際、
治安の良し悪しに限らず、
美津子夫人は帯同しました(参照:新間氏が語ったアントンとミッコと愛と恋 / 氷点下のハーリー&レイス)。
女優としての幅を異文化に直接触れる事で、
大きく広げていったのだと思います。

力を合わせて返済していった最強夫妻でしたが、
アントン・ハイセルによる出口が見えない負債額で、
遂に二人の絆は引き裂かれてしまいました。
猪木
借金地獄が始まっても、夫婦の絆は強かったと思う。しかし、借金が膨らむ一方で、あまりに苦しい日々が続くうち、私と美津子の関係も変化せざるを得なかった。
金の問題だけではない。借金に苦しむ私には、かつての勢いも魅力もなくなっていたのだろう。美津子は女優だし、そのことを敏感に感じ取って、心が揺れはじめたのだと思う。夫婦喧嘩も多くなってきた。
この時代の猪木はリング上の対戦相手よりも、
試合前に容赦なく襲ってくる取立ての電話や、
糖尿病によって大きく消耗した肉体で、
プロレスラーとしてのスキルが著しく低下していました。
“一番過激な観客(©村松友視氏)”として、
長年、最も近くから見続けた美津子さんは、
そんな姿が我慢ならなかったのかも知れません。

そこに加えて自暴自棄気味の猪木も、
つい魔がさしてしまい、
写真週刊誌『FOCAS』にスキャンダルが、
取り上げられてしまいます(参照:スキャンダルと男のけじめ)。

負の連鎖は加速していきます。
猪木
男の勝手な理屈だと言われるかもしれないが、浮気はしても私はまだ美津子に惚れていたし、離婚する気など毛頭なかった。彼女は私にとって理想の女で、惚れていたのは私の方だったのだから。苦労も共にしてきた。今でも新日本プロレスの最大の功労者は倍賞美津子だと思っている。
美津子は社交的で、とても開放的な女だ。一見、強くみえるかもしれない。しかし家庭では静かな生活を好む、ごく普通の女性だった。娘のこともあるし、借金やスキャンダルに巻き込まれるのは耐え難かったろう。
互いの心が離れていくときには、間の悪いことが重なるものだ。あるとき、たまたま外国からの知り合いの女の子が私を訪ねて来た。結局、一緒に泊まったのだが、そのとき、美津子は私の帰りを待っていたらしい。雨の中、傘もささずに、マンションの前でずぶ濡れになって…。
(略)今でも、あのときのことは後悔している。
その後、彼女の方も他の男性とのことを記事にされたりして、マスコミは私たち夫婦の離婚は時間の問題だと断定していた。全ての状況は悪くなる一方だった。
仮に反省をしても後悔はしないはずの猪木が、
ずっと引きずってしまう程の後悔に襲われる。
そんな事件が続いた挙句、
美津子夫人にも「他の男性」の影がチラ付き始めるのです。

遂に猪木は最悪の決心を固めます。
猪木
私は自殺しようと思った。
借金地獄に家族だけは巻き込みたくなかった。しかし美津子は女優だったし、否応なく巻き込まれてしまうのはわかっていた。借金は、もうどうしようもない額になっていた。一介のプロレスラーがどんなに頑張って稼いでも、絶対に返せない金額だ。私は掛け捨て保険に入ろうと思った。私が死ぬことで解決できるなら。死ねばいい。それが倍賞美津子に対して私が出来る唯一の思いやりであり、最後の愛情だった。彼女を幸せにしてあげられる方法を、それしか思いつけなかった。私も現実の苦しみに疲れ果てていたのである。
離婚は美津子の方が言い出した。
常人には考えられない精神力の猪木でさえ、
死んで解決させようと判断させてしまう。
借金というのはかくも恐ろしいですね。
ところが猪木はプロレスラーとしての本分を思い出します。
猪木
人間は弱いものだ。追いつめられると、どうしても考えることがネガティブになってしまう。心の奥底に、死んでもいいという気持ちがまだあったし、ヤケクソになっていたのかもしれない。どうせ死ぬなら、私らしく、闘って死にたいと思った。
私が巌流島で観客なしの決闘をする、と言い出したとき、ほとんどの人は気が狂ったと思ったのではないか。
観客なし、ギャラもなし、興行のためではなく、闘いたいから闘う。そんな馬鹿な話に乗ってくるプロの選手はいない。だが、マサ斎藤が名乗りを上げたのだ。マサ斎藤とは東京プロレスからの縁がある。彼は何も言わなかったが、苦しんでいた私の思いをわかってくれたのだろう。
「どうせ死ぬなら、私らしく、闘って死にたい」。
離婚届提出の後、猪木は下関に飛び、
遺書をしたためてから巌流島の地に立ちました(参照:Pride of instinct.9~巌流島の決闘 序の章~)。

闘いはまさしく死闘となりましたが、
猪木は2時間5分14秒で、
マサ斎藤を失神に追い込んで勝利(参照:Pride of instinct.14 ~巌流島の決闘 終章~)。

そして闘いを終えた猪木の胸中も、
憑き物が落ちた様に変化します。
猪木
巌流島の直後、離婚がついにマスコミに知れてしまい、私は追いかけ回されることになる。でも巌流島で離婚のストレスから少し解放されたのか、死のうという気はもうなくなっていた。
「私にとって理想の女」と断言した通り、
美津子夫人を失った代償は、
余りにも大きかったと思いますが、
この後、猪木には2度の素敵な出会いがあり、
昨年の夏には悲しい別れがありました。
8月27日未明、妻・田鶴子が永眠致しました。
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) August 27, 2019
生前のご厚誼に深く感謝致します。
カメラマンとして私の写真を撮りながら、
いつも献身的に尽くしてくれました。
今は感謝の言葉しかありません。
故人の遺志により、葬儀は家族葬で行います。
弔問、香典、供花はご辞退申し上げます。
アントニオ猪木
また、別れから何年もの時間が経過し、
猪木と美津子さんの関係も、
一段上のステップに昇華していった様です。
猪木
惚れた女を失うということは、男にとって一番惨めなことだ。外ではプロレスの王者でも、一人になると、情けない自分と向き合わなければならない。彼女に宛てて、出す気のない手紙を書いたりしたこともある。
彼女が他の男と付き合っていることへのジェラシーはあったが、それほど強いものではなかった。誰でもいいから、彼女を幸せにしてくれればいいと思った。
今はもう、彼女が脚光を浴びれば素直に拍手できるし、私に出来ることがあれば協力を惜しまないつもりだ。私たちは男と女というより、魂の友人になったのだと思っている。
「魂の友人」…ですか。
例え離婚していなかったとしても、
それが夫婦の最終地点かも知れませんね。

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comment
No title
ちなみに私が以前勤めていたホテルに倍賞美津子が泊まってて私の上司が夜勤だったのですがショーケンから「繋いでくれ」と電話つないだと言ってました。携帯電話ない時代の話のようです。
No title
辛かったんでしょうね。。
そして、その辛さを本業で乗り越えるとは・・・!
そんな経験をしていながら、またよくわからない発明にはまってしまう辺り、アントンはお人好しなんでしょうね。。
>aliveさん
都合悪い記事、書いた出版社にバキュームカーを乗り付けて糞尿ばらまく…実行したら犯罪ですけど、それはそれで世間に風穴<ありましたね! 倍賞さんも「私だって伊達にプロレスラーの妻やっていないから」みたいなコメントも思い出されます。汲み取り業者に相談までしたんじゃなかったでしたっけ?
借金苦で、精神的に弱ってる時期にライオンと闘おうと思った<劇画以上に劇画チックな人生歩んでいますよね。ライオンの場合は実際に自宅に飼った事もありましたね!
以前勤めていたホテルに倍賞美津子が泊まってて…ショーケンから「繋いでくれ」と電話つないだ<凄いエピソードだなぁ~!! aliveさんは秘話の宝庫ですね。江口洋介氏のエピソードに続き、ありがとうございます!!
>平田さん
辛さを本業で乗り越えるとは<そこに付き合うマサさんもまた最高なのであります。
そんな経験をしていながら、またよくわからない発明にはまってしまう<永遠の夢追い人ですね。祖父の教え、『何でもいい。乞食でもいいから世界一になれ』を死ぬまで追い続けるのが猪木という人なのでしょう。素敵です。