私についての説明から~中学編②~

…という訳でのつづきです。

UWF軍団が帰ってきて、プロレス界初の本格的なキック攻撃を見せられ、ますます想いはUに傾きました。

前田のニールキック、高田のソバット、山崎の速射砲キック…かっこよかった。

さらに藤原のサブミッション、週プロの『スーパーテクニック』を毎週読みながら友人を実験台に極めの修練を重ねました。

「本気でやれば一番強いのが前田」と思い始めました。

しかし、そもそもそういう考え自体が今までの自分への否定であって、これまで見てきたプロレスが本気でやっていないのか? ということにもなってきます。

当時は本当に真剣に悩みました。

そんな中で行なわれた猪木vs藤原

この試合で私の心は決着つきました。

「猪木のプロレスこそが最強である」

当時はUWFが真剣勝負の格闘技であり、新日は見せることを前提としたプロレスであるという風潮がありましたが、私の決着は異なりました。

その後も新日vsUWF5対5イリミネーションマッチ、前田vsアンドレの不可解試合、藤波vs前田の両者KOを経て新日を見続けました。

平行して全日の方も土曜夜7:00の放送となり、まさしく本格的なプロレスブームが到来しました。

私自身も将来を見据えて、帰宅後にヒンズースクワット、プッシュアップ、腹筋、ブリッジを開始。

いい感じで時は流れていきました。

そんな中、急遽としてプロレス界の主役は猪木から前田に移り変わりました。

1986年10.9両国国技館『INOKI闘魂LIVE』

猪木のデビュー25周年興行で猪木自身はレオン・スピンクス相手に不完全燃焼試合。

前田はドン・ナカヤ・ニールセン相手に格闘技史上に残る名勝負を繰り広げました。

“新格闘王”となった前田はどんどんファンの支持を得ました。

クラスのみんなも前田支持。

そうなると私のひねくれた性格はあくまでも猪木支持となります。

長州も戻ってきた87年、低迷していく視聴率に反して私のプロレス熱はぐんぐん上昇しました。

当時は火曜夜8:00のワールドプロレスリングと日曜夜8:00の天才たけしの元気が出るTV!! が私のライフワークでした。

でも…その日は突然来ました。

「最強」であるはずの猪木のプロレスに、強さへの否定が表れてきたのです。

『長州顔面襲撃事件』

これをキッカケに前田は新日から追放、猪木が発した「卑怯千万、プロレス道にもとる」という言葉が決め手でした。

そこから前田は新生UWFを結成。

『最強』の称号はどのプロレスファンにも明確に猪木新日本から前田UWFに明け渡されました。

~次回、高校編へつづく~
※駆け足にもほどがある…
関連記事
スポンサーサイト

tag : 中学生

comment

Secret

紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
44歳のプロレス話


待て待て待て待て!! 読め!! 俺の記事をこの野郎!! 待て貴様ぁ!!

どーですかぁーーーー!!

最新記事
最新コメント
カテゴリ
来場者数
最新トラックバック
検索フォーム
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
月別アーカイブ
リンク
QRコード
QRコード