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みのる少年の事件簿(1987)

新型コロナウイルス感染拡大を防ぐべく、

大会中止が続く新日本プロレス。

他団体は無観客でビッグマッチを敢行するという、

文字通りマット界も異常事態に突入。

こういうときこそ歴史を振り返りましょうか。
猪木、ベイダーと初遭遇

現役のNJPWレスラーズが、

自身の思い入れで過去の名勝負を振り返る、

テレ朝チャンネル2『ワールドプロレスリング オレのメモリアルバウト』。
オレのメモリアルバウト

先日放送された鈴木みのるの回が、

抜群に面白かったです。

TPG(たけしプロレス軍団)の登場から、

アントニオ猪木の強権発動によって、

暴動が発生したあの日(参照:天才・かんじの狂気が出るプロレス!!~前編~同~後編~)。
TPGin新日本

それは当時、

一介の新弟子に過ぎなかった鈴木が、

猪木の一挙一動を見て、

「プロレスラーとは何か?」を知った夜だったそうです。
ベイダーの後方には鈴木の姿

1987年12.27 両国国技館

アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダー

猪木vsベイダー

この試合をチョイスした鈴木の言葉に、

80年代の新日を愛した者として胸打たれました。

鈴木
「何でこれ選んだかっていうと、試合後に大暴動が起きたんだよね」

鈴木の猪木論1

3年5ヵ月ぶりの長州力とのシングルマッチを終え、

この日2戦目に臨んだ猪木でしたが、

初対決のビッグバン・ベイダー相手に、

全くいいところないまま秒殺負け。
何も出来ぬまま完敗の猪木

試合終了後もお客さんは帰らず、

リングに向かって飛び交うは罵声とゴミ。
物が飛び交う国技館で、

これを見かねた田中秀和リングアナが、

客席に向かって自発的に土下座をしましたが、

一向に収まる気配を見せません。
土下座するケロちゃん

当然バックステージも大混乱、

坂口征二副社長らは、

試合を終えたばかりの猪木に懇願します。

鈴木
「その時に、まだデビュー前だったんだけど猪木さんのそばで身の回りの世話をしているときに、『お客さん帰らないからどうしよう』ってなったの。そこに坂口征二さん、藤波辰巳さんとか、当時のトップのメンバーがワッと集まって、『どうしよう!』ってなる訳。で猪木さんが横でこうやってタオルを畳みながら見てて。当時社長だったんで、『社長が行ってお客さんに謝って帰してくれ』
(という結論)
鈴木の猪木論2

暴動の発端となった突然のカード変更に、

猪木が自ら頭を下げることで、

事態を収拾しようという提案でした。

すると猪木は、こう答えます。

鈴木
「『そんなに謝って欲しかったらお前らが行って来い』って、喧嘩し始めて(ニヤリ)。控え室で、両国の」

鈴木の猪木論3

今のご時世、不祥事が起これば、

謝罪会見を開いて会社のトップが頭を下げるのが、

一つの常識になりつつあります。

ところが猪木にとってそれこそが“非常識”。

まさしく「猪木の常識、非常識」なのです。

鈴木
「そのときに言った一言が、全部正しいかどうかわかんないけど一応憶えてる限りで言うと…『俺が出した結果が気に入らない、そんな出た結果が客の求めてるものと違うからって、いちいち頭なんか下げてられるか』って。『ここで頭下げたら二度とこいつら観に来なくなる。そんなに頭下げて欲しけりゃお前らが行って来い』。確かそんな様なことを言ったんだよ。そのときに物凄く…正直言って心打たれて。凄ぇーな、この人! と思って」

鈴木の猪木論4

この猪木の一言が当時、

デビュー前の鈴木の胸に響いた訳です。

ところが事態を鎮静化させるため、

結局は猪木が出ていくこととなります。

鈴木は護衛の一人としてリングに帯同しますが、

そこで猪木の取った行動にも感銘を受けます。

鈴木
「で、猪木さんがリングに行くのに守らなきゃいけない、お客さんも大興奮して殴りかからん勢いなんで。
『金返せー!』って。猪木さんがリングに上がってマイク持ったら、何言うのかな? って思って横に付いてたら、『ありがとーー!』っつったんだよ。ハッハハハハ」
鈴木の猪木論5

実際には「今日はありがとう!」だったそうですが、

猪木の謝罪を望んでいたであろう観客席は、

この一言によって当然の如く怒り狂うのです。

鈴木
「そしたらまたゴミが、空き缶だとか、いろんなカップだとか、座布団だとか、いろんなものワーッと飛んできて。それを見てて、当時まだ19歳の“みのる少年”は泣きながらゴミをはたき落としてたんだよね、来るやつをこうやって。当たっちゃいけないと思って、必死で。だから凄く憶えてる、いちいち」

鈴木の猪木論7

いくら怖いもの知らずな“みのる少年”でも、

何千人もの群衆から一斉に罵声が飛び、

たくさんの物を投げられれば、

それまで味わったことのない恐怖を感じたことでしょう。
fc2blog_20200326234643d9c.jpg

と同時にプロレスラーとしての自我という、

種が蒔かれた瞬間でもあったのです。

鈴木
「う~ん、このとき何が変わった…あのね、プロ…プロレスラーが何を見せていくか? とか、何を考えるべきなのか? とか、何となく…何となくこう刷り込まれた日だったかも知れないね。そのときの会話が今もあるもん。そんなこと言う人いないじゃん。今だったら、『じゃ誰が責任取る?』『あ、すいませんでしたって行こうか』とにかくなだめることばかりみんなが考える。そこを物凄く強い信念で『俺の出した結果が客の求めるものと違うからといって頭を下げたら二度と観に来なくなる』って…凄く大きい事件ではあったね」

鈴木の猪木論8

この一部始終を見てプロレスラーとなった鈴木は、

のちにUWFからパンクラスへと戦場を変えていくときも、

周りの総合格闘家とは全く異なる存在でしたし、

プロレスに回帰して以降も、

ある時期から今に至るまで、

世界中どこのリングに上がっても、

周りのプロレスラーと全く違う、

オンリーワンの存在感を示しています。

その原点がこの日の猪木の姿だったという。

鈴木
「今もね、プロレスじゃ観ないけど、格闘技の世界とかであるんだよ。試合やって負けたときに『ゴメンゴメン!』って、こうやって謝ってるやつ一杯いんだよね。それが俺は嫌い! 凄く嫌だね。まさにこのことだもん。誰相手に仕事してんだ? ってことだからね。そういうプロとしての気持ち、心構えのうちの一つを教えてもらったというか、体験した一日かな」

鈴木の猪木論9

番組はここでエンディングとなっていますが、

実は過去のインタビューで、

鈴木はこの続きを語っています。

猪木毒本表紙
 猪木毒本―いま、なぜイノキなのか? より

鈴木
「猪木さんは『仕方ねぇな。行くか』と出ていったんですよ。何が起こるかわからないから、(護衛として)僕はずっと傍らにいましいたよ。リングへ上がったら、
『馬鹿野郎』『死ね』といった野次が飛んできた。火がついた玉も飛んできたから、必死に払い落としましたよ。そんな状況のなか、猪木さんはマイクを握って『ありがとう』と叫んだんですよ」

「それからニコニコしながら手を振ってリングを下りた。それから暴動は輪をかけてひどくなったけど、もしあそこで謝っていたら、いまの猪木はいないと思う。ひどい試合をしたら、観客はレスラーが謝罪するのを待っている。でも、絶対に頭を下げてはいけない。そのことを僕は猪木さんから学びましたね」


当時、私も雑誌の記事を読んで、

『さすがにこれは猪木マズイんじゃない?』と思ったものですが、

年が明けて1988年1.4 後楽園ホールでは、

一転して猪木に対する大声援。
一同、

この僅か9日間での相反するファンの反応に、

唯一無二のカリスマ性を痛感した次第です。

それはずっと猪木がこだわった美学、

独自の哲学があってこその世界観。

あの80年代の猪木のニオイを持つ現役レスラーは、

もはや鈴木だけなのかも知れません。
満を持してのエルボーバットで、

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tag : 鈴木みのる アントニオ猪木 ビッグバン・ベイダー

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Secret

No title

誰を相手に仕事してるんだ。

以前、吉田沙保里がオリンピック決勝で敗退し金を取って当たり前みたいな風潮だったのに銀だった時
、泣きながら「ごめんなさい」と言ってた時、凄い違和感を感じました。

別に国民の為じゃなくて自分の為にやってるんじゃないの?誰に対して謝ってるんだろうと思って。

今記事の鈴木の発言を見て違和感の正体が何となく解った気がしました。

>aliveさん

吉田沙保里がオリンピック決勝で…銀だった時、泣きながら「ごめんなさい」と言ってた時、凄い違和感<あの時点では国を背負っていたし、国民も過剰に背負わせていましたからね。国民のほとんどは『負けたけど、よくやったでしょ』というものだったのに、吉田選手自身は『負けてしまった。日本国民に大変なことをしてしまった』という真逆の想いであったという。
負けた負けたっていっても世界2位ですからね。

別に国民の為じゃなくて自分の為にやってるんじゃないの?誰に対して謝ってるんだろう<あの時点では吉田選手クラスになると国民のためという部分もあったと思います。今も昔も日本にとっての五輪とはそういうものなのでしょう。

No title

リアルタイムではもちろんありませんが、TPG騒動、なかんずく、ありがとう発言を知ったときは、子供心に猪木という人物について、あるいはプロレスラー、その他の人気商売のスターのあり方について考えさせられましたねぇ。一選手として、または政治家や経営者と同列に扱っちゃいけないというか、いや、同列なんですけども(笑)、世間並の人気者やリーダーとして見なすべきではなくて、たまに天皇陛下のような存在なのかなと思うこともありましたが、とにかく、猪木さんは本気で世間と戦っていたんだなあって。おなじことを他の人たちに求めるのはあまりに無茶ですから、結局は猪木が通れば道理が引っ込むぐらいに思うようになりました。ゆえに業界の内外をとわず、猪木さんにたいする批判を目にするたびに苦笑しちゃうんですよ。だって批判のたいがいは正しいんだもの(笑)。世間並の正しさの域を出ないかぎり、猪木さんからは絶えず、ありがとうと言い返されてしまうんじゃないかなあ。




…天下の志村けんさんが亡くなられたっていうニュースでもちきりですが、猪木さんは大丈夫かな。


No title

実は、武藤が過去に似たような行動を取ったことがありました。

横浜アリーナ・メインでのムタ対藤波。
結果はムタの凶器攻撃による不透明決着。
客は誰一人席を立たず、暴動寸前の雰囲気になりました。

ケロちゃんがマイクで、「ムタ選手、出てきて下さい」と叫ぶが、ムタは出てこず。

この時、バックステージでは、「ここで出ていったら、ムタじゃない」と武藤が語っていたそうです。

スタイルは違えど、違う形で猪木イズムを継承しているのだなぁ、と思ったものです。

結局その場は猪木と長州がマイクアピールをした後、猪木が強引に1.2.3.ダー、で納めたのでした。
確か、YouTubeにあったような。。
これぞ因果応報??(笑)

90年代の新日本でも、これはヤバい!?と思う雰囲気の時がありましたが、過去の経験を生かして上手く回避してましたね~。

No title

何かこれを読んでふと、ここでも取り上げたUインターでの札幌で起きた高田vsバックランドでの試合後の事を思い出しました。
別に負けた訳でもなく、試合後のリングには本人が上がってないから全然違うけど。

ファンは味方でもあり時として敵なのか・・・いや違うか。

No title

こんにちは。あの「ありがとう」発言ってそういう捉え方もあるんですね。お陰で腑に落ちました。しかし猪木もかっこいいけど、そこからパワーをもらってしまう鈴木も凄い!!

レガさんの文章にいつもパワーをもらってます。大変な今だからこそ、へこたれずにお互い頑張りましょう。生きていればいつかまたお目にかかれますし。サミットで!

No title

読んでいて思い出したのですが、僕が高校時代にみちのくプロレスが大阪(臨海スポーツセンター)の大会のメインで デルフィンvsSATO(ディック東郷)のマスカラ・コントラ・カベジェラがありまして、その際にSATOが試合の9割方を攻めていてフィニッシュを狙ったフランケンシュタイナーの一瞬の隙を付いた急所打ちで勝ったのですが、坊主にされるはずのSATOが一旦はデルフィン軍団によってイスに座らされ縛られたもののなかなか髪切が始まらないと思っていたらSATOはそこから逃げだしてしまいました
リングに取り残されたデルフィン軍団と髪切が行われなかったことに怒りまくる観客(僕もそうでした)
特にデルフィン軍団はルードでありながらデルフィンの地元でありリンピオ扱い、正規軍はルード扱いであったこともあり、雑誌にも
「暴動寸前」
と書かれておりました(実際には「暴動するぞ!」と言った客に対して周囲からの「ふざけんな!」という暴言が多くあった感じです)
結局、デルフィンがその場を収めて(詳しい言葉は覚えてませんが謝罪というよりは「次にまた勝つからこの場は収めてくれ」に近い内容でした)事態は収拾しました

しかし、いつからレスラーはお客さんに謝るようになったのでしょうか・・・

>ひなの冠者さん

お久しぶりです。

ありがとう発言を知ったとき…プロレスラー、その他の人気商売のスターのあり方について考えさせられました<媚びてしまってはスターとはならないんですよね。しかしながらプライベート時において、猪木ほどファンを大切にしたレスラーもいないという…この不文律。

猪木さんは本気で世間と戦っていた<今よりもっともっとプロレスへの色眼鏡が濃かった時代から、対戦相手は世間だったという。

猪木さんにたいする批判を目にするたびに苦笑しちゃう<これだけ歳を取っても尚、批判されたり否定されたり。それこそ猪木という人物のカリスマ性に他ならないと思うのです。

>平田さん

横浜アリーナ・メインでのムタ対藤波…客は誰一人席を立たず、暴動寸前の雰囲気<ああ!! 何となく覚えておりますよ。ムタは入場時のプリンセス天功のマジックで苛立っていたんですよね。

ケロちゃんがマイクで、「ムタ選手、出てきて下さい」と叫ぶが、ムタは出てこず…「ここで出ていったら、ムタじゃない」<確かにファンや関係者の以降を聞き入れていたら、もはやそれはムタではないですもんね。

違う形で猪木イズムを継承<それぞれの弟子が開けていった引き出しの中でも武藤は猪木の奥深い部分を抜き取って行ったんでしょうね。

猪木と長州がマイクアピールをした後、猪木が強引に1.2.3.ダー<長州はG1全敗で引退説が強まっていた頃でしたか? あれで一気に気迫が戻ったんですよね。

90年代の新日本でも、これはヤバい!?と思う雰囲気の時がありました<小川絡みなんかが最後でしょうかね? 2000年代以降はドラゴンストップのアレぐらいかな?

>スライディングDさん

札幌で起きた高田vsバックランドでの試合後の事を思い出しました<あの時も大概ヤバかったです。

別に負けた訳でもなく、試合後のリングには本人が上がってない<あれはあれで形を変えた猪木イズムだったのかも知れません。

ファンは味方でもあり時として敵なのか<プロとしてそこにお金が存在している以上は仕方がないことかも知れませんが、そこは表裏一体なんでしょうね。

>てつさん

こんばんわ。

猪木もかっこいいけど、そこからパワーをもらってしまう鈴木も凄い<そこは猪木がよく言っていた“気付き”如何でしょうね。19歳で物凄いアンテナ立ててたんだな、という。

大変な今だからこそ、へこたれず<ありがとうございます。てつさんお住いの地域でも切実なものがあると思います。ゴールが見えない闘いですが、お互い耐えきって、再び乾杯する日を迎えましょう!!

>ナリさん

高校時代にみちのくプロレスが大阪(臨海スポーツセンター)の大会のメインでデルフィンvsSATOのマスカラ・コントラ・カベジェラ<ああ!! それもありましたね。みちのくはトップのプロレス頭が研ぎ澄まされていたからか、90年代としてはかなりスレスレの勝負も仕掛けていたと思います。札幌のポーゴ参戦も会場で観ていましたが、結構なヤバさがありました。

リングに取り残されたデルフィン軍団と髪切が行われなかったことに怒りまくる観客<大阪は特に前科がありますから主催側も一筋縄じゃ行かなかったでしょうね。

デルフィンがその場を収めて…事態は収拾<弁が立ちましたからね。ある意味、そこはサスケより説得力ありましたし。

いつからレスラーはお客さんに謝るようになった<決着がつくことにありがたみがなくなった頃からでしょうね、きっと。
紫レガとは?

紫レガ

Author:紫レガ
48歳のプロレス話


「昔はインターネットを旅してましたからね。毎晩ブログでね、今みたいにSNSがいっぱいある訳でもないし、終わったらみんなブログでね、一日の終わりにUPして。今こんなこと言ったらエラいことになりますけどね、よく寝不足になったね、部屋でPCを打ったりね。…いや、そういう歴史はちゃんと教えとかないとね」

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