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合わせ鏡のピリピリ度(1994)

あの『プロレスリング・ワールドトーナメント』開催から、

26年が経過しました。
皇帝親子6

ということは、

プロレス界に爆弾を投下した“一億円会見”(参照:ごちゃごちゃ言わんと待ってます)からも26年。
一億円会見5

“Uインターの頭脳”宮戸優光が手掛けた中でも、

特に波紋を広げた企画でしたが、

この大会の発案者が、

実は当時の若手社員だったというのも、

意外と知られてはいない事実でしょう。
池田克明氏@Uインター若手社員

宮戸が自らの著書で明らかにしています。

UWF最強の真実表紙
 UWF最強の真実 より

宮戸
当時営業担当で池田克明という若手社員がいたのだが、その池田が
「宮戸さんはどんなメンバーを考えているのですか?」と聞いてきた。当時のメンバーとしては、すでにUインターに参加している選手が中心にならざるを得ない。
それにどれだけプラスできるかということで、多少は外国人で候補がいた。それを言うと池田が、
「それ、ちょっと弱いんじゃないですかね」とはっきり感想を述べたのだ。


この大胆な若手社員、池田氏とは、

芸能事務所の老舗である青二プロダクションで、

現在、常務取締役を務める池田克明のことです。

宮戸
すると今度は池田がアイデアを出してきた。
「よくテニスとかいろんなスポーツで、特別招待選手とかってあるじゃないですか。ああいうのってプロレス界はできないんですか?」と純粋にそのアイデアをぶつけてきた。
私が「う~ん…この業界じゃ難しいな~。正直言ってできないな…」と喉元まで出かかったのだが、純粋にそう言ってくる池田の発想というのはある意味、Uインターで育ったからこそ出てきた純粋な発想なのかなと思った。
そう感じた瞬間に「それはこの業界ではできないな」とは言えなくなってしまった。


1972年生まれでバリバリの新日ファンだった池田氏。

Uインター入社後もプロレスを愛するがゆえの純粋なアイデアが、

同じくプロレスファン出身者である宮戸の心を動かしました。

宮戸
今度は私が「どうやってやれば、できると思う?」と聞くと、
「いろんなスポーツでやれているわけですから、ちゃんとしたギャランティーと、それから賞金と、キチッとした招待状を書けば、それはできるんじゃないですか」と、正論を言う。
それを聞いて「なるほど」と思った。

(略)だから、トーナメントという発想は私だったが、特別招待選手とか賞金トーナメントのアイデアは、正直言うとじつは私のアイデアではなかった。


日本プロレス界を揺るがした会見の中で、

5団体エースに送られた招待状も、

宮戸ではなく池田氏の発案だったんですね。
一億円会見4

ここからは昨年夏に発売された、

『KAMINOGE 91』でのインタビューにおいて、

池田氏ご本人が回想した、

当時の宮戸との関係性をクローズアップします。
池田克明氏@青二プロ

KAMINOGE91表紙
 KAMINOGE91 より

池田氏
「宮戸(優光)さんにはよくかわいがっていただきましたよね。(略)『こういうふうに考えてるんだけど、どう思う? もし仮にこうなったらどうだ!?』って客観的な意見が知りたいときはボクを連れ出して聞くっていう感じだったと思います」

「ボクも『自分がお客さんだったら』っていうプロレス少年の心はずっと持ち続けていましたから(笑)。なのでマッチメイクしかり、会場の演出しかり、そういったところは常にファン目線で考えていて、小学生のときに新日本プロレスを観に行ったあのときの興奮が忘れられないので、どうしたらファンが盛り上がるんだろうとか、音の出し方ひとつ、照明の切り替え方ひとつ、ファンがワクワクするようなことを自分もファンのつもりになっていろいろ考えてやってましたね」


完全に片腕ですね。

ファン目線だからこその着眼点、

それにしても当時の池田氏、まだ21歳ですよ!!

若手レスラーにとっては鬼軍曹的存在の宮戸(参照:宮戸語録 vol.14)が、

この若手営業マンには一目置いていたことが窺えます。

池田氏
「けっこう純粋な気持ちだったんですよ。(略)やっぱりウチは強さ、最強というものを証明するために凄いこだわりを持っていましたし。それで宮戸さんが『トーナメントをやりたい』と言ったので、『じゃあ、オープントーナメントってできないんですかね? ほかのスポーツや格闘技にはあるじゃないですか』と言ったんです。とにかくオープンな場を作って、きちんとした賞金も出す、そこへの招待状を文句のないように各団体にきちんとした形で出そうと。それで来る来ないは次の話ですから。半分世間知らず的なところもあったんでしょうけど、わりと純粋に『こういうのをやってみたらどうなんですかね?』っていうのがありましたね。『テニスとかほかのスポーツにはオープンな大会があるのに、なんでプロレスにはないんですか?』って」

『なるほどな。それ、いいな』みたいな感じで『じゃあ、それをやろう』って真面目に動き出したんですよ。それで『もしやるなら1億円を用意して失礼がないようにして、ちゃんと勝った人に払おう』みたいな話を何日もしていたと思うんですよね。(略)もちろん全員出てきてくれたらラッキーだし、『これだけの賞金をバッと並べて、プロの意地があったら来るんじゃないか?』という感覚でしたね。それで来なけりゃ来ないで、そういうウチの精神だけは示せるわけですし、とにかくイケイケだったんですよね。それでもし応えてくれるのであれば交渉になっていくわけですから」


難しい理屈は抜きにして、

シンプルに各団体のトップを集結させ、

誰が一番強いかを決めるためのトーナメント。

プロレスの枠を超えてテニスやゴルフの、

全英オープン、全米オープンの様なコンセプトですね。

その優勝賞金として相応しいのが“一億円”。

もっともこの金額は、

鈴木健取締役の案だったそうです。
一億円会見1

とにかくイケイケだった90年代のUインターという団体。

数々の仕掛けの中枢だった宮戸の存在を、

池田氏はこう思っていました。

池田氏
「宮戸さんはちょっと普通じゃなかったですね。普通じゃない発想と、強すぎる思いを持っていました。何かが乗り移った感があるくらい、とにかく一生懸命というか、ホントにあきらめない人でしたし、『こうあるべきだ』って思ったらみんなをとことん説得してやらせてた感じですよね」


宮戸は宮戸で、

その企画ごとに池田氏のアイデアからヒントを探り、

鈴木健氏へ資金調達を頼み、

“相棒”安生洋二と大喧嘩しながらプランを固め、

最後にエースで社長の高田延彦に決裁を仰ぐという、

団体内の真剣勝負を常に繰り返していたのです。
記者会見の宮戸

そこには宮戸、池田氏に共通する、

かつての新日本プロレスへの想いがあったのです。

池田氏
「『新日本が凄くて強くてよかった時代』みたいなものを宮戸さんはきっと思い描いていただろうし、猪木さんが持っている影響力というものを高田さんに求めていたと思うし、高田さんもそれに応えられるスター性と実力を兼ね備えていたので、格闘技世界一決定戦っていうのはまさにね、それを昔の新日本ファンがUインターに求めていましたよね。(略)あとはその時代にスタイリッシュに見えたUWFスタイルっていうのものを巻き込みつつ、新日本が失っていたものを体現していたことで、ファンがガーッとついてきてくれたんだと思うんですよ」


私も90年代前半の新日本を観ていましたが、

この部分を読んで思わず大きくうなづいた次第です。

闘魂三銃士を主役に据えたそのリングからは、

既にアントニオ猪木の匂いが薄らぎ始めていました。

もっと具体的に書けば、

格闘技世界一決定戦に代表される、

『プロレスリングは最強の格闘技である』という概念ですね。
猪木君の勝ちっ(茨城訛り)

その新日本のあるべき姿を描いた宮戸と、

Uインターとその新日本を重ねていた池田氏。

プロレスファンとしての私もまた同じ想いでした。
脱兎の如くエスケープ

二つの団体に共通するのは、

試合スタイルではなく“緊張感”だったと思うのです。

池田氏
「まあ、ピリピリはしてましたね。とにかくいろんな問題があるし、やっぱり一戦一戦の試合を、それは間違いなく高田さんが常にプレッシャーを背負って立つんですけど、やっぱり高田さんのピリピリ度っていうのは会社全体を支配するので、あのときはUインターも一番盛り上がってましたけど、高田さんのプレッシャーたるやそれはハンパなかったと思います。そういうムードの中で、みんなは『高田延彦のために!』って一致団結をしていた一番いい時代だったかもしれないですね。だからボクも『高田延彦のためなら死ねる!』ぐらいの覚悟で働いてましたし、そういう思いは社員全体が持っていたと思いますね」


1970年代の猪木…その全盛期を、

リアルタイムで観ることが出来なかった悔しさ。
勝者猪木

これを1990年代の高田に投影していたのが、

20歳前後のプロレスファンだった私ということです。
北尾戦勝利の1ショット

プロレスリングの強さに対する志は、

その両方の選手、関係者、ファンの共通項。

さらにいえば猪木と高田という、

二人がその想いを背負い、

身体を張って闘ってきた結晶ですね。

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tag : 宮戸優光 池田克明 プロレスリング・ワールドトーナメント 高田延彦 アントニオ猪木 新日本プロレス70'S

comment

Secret

No title

トーナメントの内容以上に提案した若手社員が現在は青二プロダクションで働いてるのにびっくり。
と思ったら、Uインターのリングアナは青二プロの小野坂昌也さんだったから、その縁なのかな?。

No title

私も、大きく頷いた1人です。

前に書いた事がありましたが、自分は新日本で充足出来ない「新日イズム」を、新日時代のベイダーや、高田から吸収していました。

なので、高田vsベイダーの時は、複雑な心境だったものです。。(笑)

No title

先日購入した宮戸本からのスネピまでの流れをガッチリと補完できました!ありがとうございます!

当時21歳でしたか。
ゴリッゴリの宮戸イズムとバブルを知る若者の感性がマリアージュ。面白くなるに決まってますね。

1億円トーナメントは残念ながらリアルタイムではないのですが、プロレスを200%信じていた頃に本で読んだときは純粋に『メジャーってダッセエんだな』と思いました(笑)。
そりゃ今考えりゃ無理な話ではあるんですけども。
わかってて仕掛ける。本気のプロレスですよね。

"1970年代の猪木…その全盛期を、
リアルタイムで観ることが出来なかった悔しさ。
これを1990年代の高田に投影していたのが、
20歳前後のプロレスファンだった私ということです。"

コレ、きっと猪木の全盛期をリアタイしてない、ゼロゼロ年代くらいまでにファンになった人は少なからず持っている感情ですよ。各々誰かにそれを投影しているだろうなって思いました。
私の場合は言わずもがなですが(笑)。

先日、dropkickで鈴木秀樹が中嶋勝彦戦を語る記事を読みましたが、やっぱりプロレスは格闘技なんだなと、最低限の装備と使いこなせる強さというのは時代が変われどあるんだなと実感できました。

まあ、そんなの読まなくても私は死ぬまでプロレスラーに強さを求め続けていくのでしょうが。

>スライディングDさん

トーナメントの内容以上に…現在は青二プロダクションで働いてるのにびっくり<大手の中の大手ですもんね。まさかの転職先です。
PRIDEの巻き舌おばちゃんことレニー・ハートさんも所属しております。

Uインターのリングアナは青二プロの小野坂昌也さんだったから<確かに吉水リングアナもしかりです。PRIDE創世記は二人ともリングアナを務めていましたね。

>平田さん

私も、大きく頷いた1人<平田さんも想いは一緒でしたね! 特に『その時代にスタイリッシュに見えたUWFスタイルっていうのものを巻き込みつつ、新日本が失っていたものを体現していた』という部分。80年代末、新日本のスタイルが時代とともに枝分かれしていった中で、私らはその先にUWFスタイルを見ていたんですよね。だから池田さんのこの一言がUインターファンそのものだと思います。

新日本で充足出来ない「新日イズム」を、新日時代のベイダーや、高田から吸収していました<覚えておりますよ、ええ。
本来そこを一手に引き受けてたのが橋本だったのかも知れませんね。でも見る見るうちにコンディション悪くなっていきましたからね。本人的には大きくなって破壊力を増していたのかも知れませんが。

高田vsベイダーの時は、複雑な心境<平田さんにとっては神宮球場が統一世界戦ならぬ新日イズム世界一決定戦だった訳ですね!?

>駒シバさん

宮戸本からのスネピまでの流れをガッチリと補完<欲を言えば、そこからの偏屈レスラー鈴木秀樹誕生や猪木との再会なんかも補完して再文庫化を希望してるのですが前記の理由上、難しいでしょうね。

当時21歳でしたか<そうですねぇ。時代が後押ししたんでしょうね。
引き分け試合見たら○○の一つ覚えみたいに「延長」コール、絞め技が出たら途端に「落とせ」コール…みたいなそういう時代ですよ。全日の会場なんかだと腕とか足関節技が出ても「落っとっせ! 落っとっせ!」みたいな。そういう時代です。要するにバブルの末期、プロレスのバブル末期ですね。
コンプライアンスが存在しないやったもん勝ちの世界でした。それぞれの私生活も仕事も。

プロレスを200%信じていた頃に本で読んだときは純粋に『メジャーってダッセエんだな』と思いました…わかってて仕掛ける。本気のプロレス<歴史はその繰り返しと言いましょうか、このブログで何度も書いてきた様に創世記に力道山vs木村政彦が存在している以上、日本のプロレスはそういう歴史なんですよ。
猪木が執拗に馬場さんを挑発したのも、前田氏の挑発を猪木が回避したのも、蝶野発言にUインターがアポなし突撃したのも、高田vs北尾も…全てがつながっているんです。
ついでに言うと、札幌の「アントニオ猪木ーー!!」もかな?

猪木の全盛期をリアタイしてない、ゼロゼロ年代くらいまでにファンになった人は少なからず持っている感情<語弊を恐れずに書くと、馬場さんの場合は全盛期をあとから知っても悔いはないというか、その時代ごとに味わいがあるという。
一方の猪木の場合は晩年になるにつれ哀愁というか、「もしも、あんときの猪木だったら…」という後悔が押し寄せる場面多々あったんですよね。
だから新生UWFの立上げくらいまでの前田氏、パンクラス旗揚げ年の船木なんかもその対象だったと思います。

dropkickで鈴木秀樹が中嶋勝彦戦を語る記事を読みました<あの試合は面白かったですね。ゴング鳴った後、鈴木が中嶋にエルボーのことを何やら言っていましたが、どういうアレだったのか気になります。

そんなの読まなくても私は死ぬまでプロレスラーに強さを求め続けていくのでしょうが<…お前、今言ったなコラ! お前、吐ーいた言葉飲み込むなよコラ! 本当だぞ、なあ。中途半端な書いた書かないじゃないぞコラ!


…ということで駒シバさんの完全復帰を私はいつでも待ってます!! いつでもやります!!

No title

お久しぶりです(*´∀`*)

僕がこのトーナメントを知ったのは高校卒業する直前、池田さんが21歳ってことはレガさんと変わらない年齢ですよね??
今から思うとそんな『正論』とはいえあまりに世間知らずの若者の意見を
「確かにそうだね」
と企画として通しちゃうインターという会社もすごいなと思います。

ちなみにこの当時も既に大仁田信者だった僕ですが
「FMW 大仁田厚」
の名前が無いじゃないか!と怒ることはなかったです 笑
当時よくテレビに出ていましたが
「高田選手と比べると大仁田さんはどのくらい強いんですか?」
と聞かれて
「あっちのが強いに決まってるだろうが!
ただし、電流爆破でやるなら分からんよ」
と意味不明の自信を見せてはいました・・・

>名も無き戦士さん

お久しぶりです<ん? ナリさんですか?

池田さんが21歳<まさに同い年、グレーテスト1972なのであります。

『正論』とはいえあまりに世間知らずの若者の意見を「確かにそうだね」と<当時はさすがに宮戸も「それはプロレス界では難しい」と思ったそうですが、池田氏の熱に背中を押されて実現に動いたそうです。後年、「あの時代は見えない何かに動かされていた」とも言ってますね。

「FMW 大仁田厚」の名前が無いじゃないか!<これも以前、記事にしましたが、宮戸は高田vs大仁田も描いていたそうです。さらに先日発売された中野本によると、どういう意図かはアレですがポール・オンドーフも視野に入れてたとのことです。

「あっちのが強いに決まってるだろうが!ただし、電流爆破でやるなら分からんよ」<それでこそ邪道の真骨頂というか新日においても、試合結果ではなく蝶野を、ムタを、さらに引退した長州を電流爆破のリングに上げたということが大仁田にとって何よりの勲章なのでしょう。
紫レガとは?

紫レガ

Author:紫レガ
47歳のプロレス話


「昔はインターネットを旅してましたからね。毎晩ブログでね、今みたいにSNSがいっぱいある訳でもないし、終わったらみんなブログでね、一日の終わりにUPして。今こんなこと言ったらエラいことになりますけどね、よく寝不足になったね、部屋でPCを打ったりね。…いや、そういう歴史はちゃんと教えとかないとね」

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