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高田延彦のなつかCM

プロレスラーは一生懸命プロレスだけやってれば良い、

決してそういうことはありません。

特にトップレスラーともなれば、

その相手が対プロレスファンから対“世間”に広がる訳です。

昔から“環状線の理論”を唱えるアントニオ猪木は特にその傾向が強く、

様々なアプローチで打って出ていました(参照:『環状線の理論』作品集)。
「美味さ、無敵っ!」

そして弟子である高田延彦もまた、

Uインター時代、世間へ打って出るべく、

様々なメディアに顔を露出していました。
高田CM1

高田の場合は特に、

メジャー企業への進出にこだわりがあった様で、

私の記憶に残っている範囲で振り返ってみましょう。
高田CM3

まず最初は、

国内自動車業界トップ『TOYOTA』のトラック、

“ダイナ”と“トヨエース”のテレビCMです。
高田CM2

高田とUインターにとっては激動の、

1995年に放送されていた、

ある意味“幻”の作品です。
高田CM4

トレーニング風景から始まる映像は、

当時、機能性や安全性、環境への配慮から生まれた、

“新世代16バルブエンジン”搭載が売りの新世代トラック。
高田CM7

一転してロングガウンをまとい、椅子に腰掛ける姿は、

大一番を前にした高田のイメージそのままです。
高田CM8

リングに上がって一点を見つめる表情も、

当時の精悍な高田が素のまま出ています。
高田CM9

最後はもちろん商品名のアピールですが、

このCM、実に放映期間が短かったのです。
高田CM10

というのもタイミングが悪くて、

引退発言後の参議院選挙出馬の時期でした。
突然の引退宣言

これによる契約違反で莫大な違約金が発生し、

さらに背水の陣で臨んだ参議院選挙も完敗と、

急激にプロレスラーとしての光を失ったあの頃です。

泣き虫表紙
 泣き虫 より

高田
「当時、マイク・タイソンが五年ぐらいやってたトヨタ・トラックの宣伝があったんですが、その後釜をぼくがやらせてもらえることになったんです。撮影は三月ぐらいに終わってて、もうオンエアも始まってた。で、うちの事務所の人間に選挙に出ることにしたって伝えたら、広報の人間がすっ飛んできて、ちょっと待ってください、大変なことになりますよってことになった。そりゃそうですよね。トヨタさんの方からは一年だけじゃなく、長く付き合っていきましょうという話までいただいてたのに、選挙に出るとなると、全部おじゃんになっちゃうわけですから」

「聞いた瞬間、顔面蒼白です。広報の人間に言わせると、もし選挙に出馬するんであれば、トヨタに対して違約金を払わなければならないっていう。そりゃそうですよね。きちんと契約を結んで、お金と時間をかけてCMまで撮影したのに、土壇場になって“やっぱりCM流すのはやめてください”なんて、常識から考えても言えるはずがないですから。さあエライことになった。さわやか新党の方にも出馬の意向は伝えてしまった。かといってトヨタの方を断るわけにもいかない。どうしよう、どうしようってオタオタしてるうちに、さわやか新党の記者会見の日が近づいてくる。自分が種を蒔いてしまったこととはいえ、あのときは本当にいたたまれなかったですね」


逆にいえば高田にとってこのCMが、

プロレスラーとして最後に輝いた映像かも知れませんね。
恒例の勝利のアピール

ここから新日本との対抗戦へと流れ、

まさしく激動の1995年が終わると、

明けて1996年には、

IWGPヘビー級王者となった高田(参照:ちょっと待った!!~後編~)。
高田勝利

リング上での輝きを取り戻すと共に、

再び高田にスポットライトが当たります。

『大鵬薬品工業』“チオビタドリンク2000”のCMで、
高田CM11

マッチョな上半身裸のイケメン集団の中に、

ひと際ゴツイ男が立っているなぁと思ったら、

それが高田の姿でした。
高田CM12

スクラムを組んで力漲る横顔から、
高田CM13

走りながらボールをパスし合う光景。
高田CM14

どうやらラグビーを題材とした内容の様ですね。

現在、ラグビーと栄養ドリンクといえば、

『大正製薬』“リポビタンD”のイメージですが、

当時はチオビタが担っていたんでしょうか?
高田CM15

高田とラグビーといえば、

Uインター時代に愛用していたカンタベリーですね。

プライベートでの高田はほとんどカンタベリーでしたし、

Uインターユニフォームの赤ジャージ(参照:さらば愛しき赤ジャージよ)も、

PRIDE.1のときのコスチュームも関係者が着たTシャツも(参照:顔を見る、感情を見る。)、

ずーっとカンタベリーでした。
高田CM16

“タウリン2000mg配合”は当時画期的で、

私も徹夜明けの仕事の際によくお世話になりました。
高田CM17

CM最後は高田が太い声で「よっしゃあ!!」とシャウト、

ポーズも最強時代の片鱗が出ててカッコ良かったです。
高田CM18

最強時代といえばこの2年前に遡り、

1995年5.17 大阪府立体育会館の大会スポットCMも、

YOUTUBEには転がっていました。
高田CM19

当時は大会場でも、

3,000円から生観戦出来たんですねぇ。
高田CM20

この大阪大会は4.20 名古屋レインボーホール(参照:決意のオエッ~前編~同~後編~)、

6.18 両国国技館(参照:7年半の引退ロード)という2大興行の谷間でしたが、
高田CM21

高田がUインター全興行の中で唯一、

レガースを装着しなかったレア興行でもあります。
最後はガッチリと高田のヒールホールド

それから時が経ち、

Uインター解散後はレガースのない姿が当たり前になりました。

現役選手として最終章に入った高田が、

PRIDEファイターとして2000年に出演したCMが、

『サントリー』“デカビタC”で、

共演は今を時めく“フカキョン”深田恭子さん
高田CM22

試合を終えて控え室へ帰る高田に、

フカキョン
「私、感激しました! どうぞっ」
高田CM23

おもむろに差し出されたデカビタCの瓶に、

高田は仏頂面で一言。

高田
「ここでグイっとか? スポ根野郎じゃあるまいし」

高田CM24

拒絶して立ち去る高田に、

フカキョン
「あんたフラれちゃったね」
高田CM25

フカキョンは悪びれず瓶にキスすると、

一方の高田は控え室でデカビタC片手に、

高田
「さっきはゴメンな」
とこちらもキス(笑)。
高田CM26

ここでフカキョンがトドメの一発、

フカキョン
「ビンビンなのにね!」
高田CM27

たまらんちん!!(ⓒ高田純次)

「元気ビンビン! デカビタC!」
高田CM28

ちょうど20年前のCMですから、

当時の高田は37歳くらい、

フカキョンは17歳くらい、バリバリのアイドルです。

いまだに可愛い…まさしく奇跡の37歳です。

高田のビタミン飲料といえば、

真っ先に思い浮かぶのは『C1000タケダ ビタミンドリンク』(参照:高田延彦公式飲料)ですが、

こちらのCM出演はなかったと記憶しています。
高田CM29

このまま再びUインター時代に戻って、

当時のアイドルとの共演CMで締めましょうか。

1994年秋、『アサヒビール』“収穫祭”です。
高田CM30

バラドルブームの先頭に立っていた森口博子さんですね。

森口
「美味いよ美味いよ~! 収穫祭生ビールだよ~!」
高田CM31

威勢よく収穫祭会場を走っていくと、

さわやかな笑顔の高田がキャッチアップします。

高田
「頂戴~!!」

高田CM32

みんなで一気に飲み干す光景ですが、

高田のジョッキは超特大!! ヤマケンのお店の『漢ジョッキ』級!!
高田CM33

近年は若い人のビール離れで、

こういった季節限定商品って激減しましたよね。
高田CM34

最後も満面の笑顔で、

高田
「今年の秋はっ!」


森口
「収穫祭っ」
高田CM35

見事に決まりました!!

思えばプロレスラー出演のCMって、

それまではコワモテを売りにしたものがほとんどで、

他だと少しとぼけた味を出したのが多かったのですが、

高田の場合はスポーツ選手らしい、

さわやかさが最大の特徴でした。

タレント業が主体の今では高田のキャラも一変して、

CMで見るのが珍しいことではなくなりましたが、
高田CM36

その根底にあるのは、

やはり、あんときの笑顔なのだと思います。
高田CM37

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tag : 高田延彦 深田恭子 森口博子

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No title

私、高田への憧れが強くてカンタベリーの服、たくさん買いました。サッポロファクトリーにカンタベリーショップが、あり何度も足運びました。今もあるのかなぁ。フリース、Tシャツ、ラガーシャツ、ベンチコート、ダウンコート、ジャンパー、ウインドブレーカー、スタジャンとかベンチコートなんて銀色で2回目のヒクソン戦の虎ガウン意識して買い通勤時に着てました。その意図は誰にも届かなかったと思いますけど。1回目のヒクソン戦を意識した紫というかワインレッドのベンチコートでも通勤してましたけど、こっちはReebokでした。

>aliveさん

カンタベリーの服、たくさん買いました<私も結構買いましたよ~。若いときの嫁との写真、ほとんどがカンタベリーです(笑)。

ベンチコートなんて銀色で2回目のヒクソン戦の虎ガウン意識<ガウンはさすがにカンタベリーではなかった様です。
意外とプロレス界では馬場さんも愛用されていましたね。
紫レガとは?

紫レガ

Author:紫レガ
47歳のプロレス話


「昔はインターネットを旅してましたからね。毎晩ブログでね、今みたいにSNSがいっぱいある訳でもないし、終わったらみんなブログでね、一日の終わりにUPして。今こんなこと言ったらエラいことになりますけどね、よく寝不足になったね、部屋でPCを打ったりね。…いや、そういう歴史はちゃんと教えとかないとね」

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