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追悼・地獄の落武者

今年も新年から、

往年の名レスラーが天に召されました。

90年代のマット界において、

“喧嘩最強”と謳われたケンドー・ナガサキです。
“地獄の落武者”ケンドー・ナガサキ

 東スポWEB / 死去“ケンカ最強男”ケンドー・ナガサキさんの超絶武闘伝 より

日本プロレス界の「喧嘩最強男」が天に召された。レジェンドレスラーのケンドー・ナガサキ(本名・桜田一男)さんが12日に死去したことが大日本プロレスから発表され、マット界は深い悲しみに包まれた。71歳だった。北海道・網走刑務所で育ち、海外で名声を獲得した後に日本のプロレス界で活躍。数々の団体を渡り歩き、1995年3月の旗揚げから大日本を支えた功労者は、知る人ぞ知る数々の武勇伝を持つ男だった―。

(略)死因は不明。2016年に心臓の手術を受けるも、数日前までは元気な姿を見せていたという。近親者がいないため葬儀日程などは未定で、小鹿会長は「彼がおらんかったら大日本の存在はなかった。感謝しかない。親族の方がいらっしゃいましたら、どうか大日本プロレスまでご連絡ください」と涙をぬぐった。

(略)大相撲からプロレスに転向。米国に渡って悪役レスラーとして一時代を築いた。


現在では日本一のデスマッチ団体・大日本プロレスですが、

旗揚げ時に掲げていたテーマは“ハラキリ”路線。

デスマッチの真逆をいくバーリトゥードによる、

“打倒ヒクソン・グレイシー”というものでした。
1994年のヒクソン・グレイシー

何といっても私の中でナガサキの記憶は、

1995年9.26 駒沢オリンピック公園総合体育館における、

八角形リングでVTJルールのvsジーン・フレイジャーからです。
ナガサキのVT挑戦1

完全アウェーのプロフェッショナル修斗公式戦に乗り込んで、

当時、波紋を広げたVTJルールに挑戦。

ほとんど何も出来ぬまま、
ナガサキのVT挑戦2

最後は大の字に倒れての、

壮絶な秒殺KO負け。
ナガサキのVT挑戦3

一説には無防備に頭を下げて突進した戦法は、

ナガサキのベースである相撲流の、

『マワシを取りにいった結果』というのもありましたが、

いずれにせよこの一戦を以って、

ナガサキと大日本の当初のプランは消えました。



もう一つの記憶は1996年9.16 愛知県体育館の新日本プロレス興行に、

グレート小鹿社長率いる大日本プロレス総出で乗り込んだあのシーン。
安田が防波堤となるが、

長州力のインディー批判発言に端を発して、

メジャー対インディー論争が巻き起こり、

黙っていられず小鹿社長は先頭を切って、

新日本へ直談判で宣戦布告したんですよね。

1980年代中盤には新日本プロレスにも参戦。この時期から「最強説」は根強かった。「大日本が他団体になめられず、新日本にも殴り込めたのも、ナガサキさんがいたからです。小鹿と並んで本当に怖い人が中心にいるから、絶対になめられなかった」と登坂社長は語る。

96年9月16日には新日名古屋大会に小鹿会長、ナガサキさんら大日本軍団8人が乱入。新日プロ勢も殺気立ち、通路では元小結の安田忠夫が仁王立ちするも、小鹿会長が「どけコラ。殺すぞ」と叫び、背後でナガサキさんが眼光鋭くするや、自然と道が開いた。当時の大日本メンバーだったTAJIRI(49)は「リングに上がると、新日本の選手は会長と桜田さんを中央分離帯のように避けて僕らに襲い掛かってくるんです」と証言する。ナガサキさんは「俺は新日本の道場でやってきたことをお前らに教えた。だから何もひるむことはないよ」と堂々としていたという。

団体が格闘技「バーリトゥード」路線に転じるや、ナガサキさんは95年9月26日に駒沢で、ジーン・フレジャー(米国)との一戦に出撃。試合前にはブラジルに約1か月間の柔術修行に向かうも、何も対策を練らずにビーチを走っただけで臨んだ。試合はわずか36秒でKO負け。


映像で観ると確かに安田忠夫が防波堤となり、

ナガサキとブルーザー岡本がそれをこじ開けた形です。
ナガサキと岡本で突破

リングに上がると、

マイクを持つ小鹿社長の横で、

用心棒の様に目を光らせるサクラダの迫力たるや。
威風堂々とマイク

結局、1997年1.4 東京ドームで対抗戦は実現し、

出場した小鹿社長、田尻義博(現・TAJIRI)中牧昭二は、

持ち味をいかんなく発揮しましたが、

全4戦中、大日側で勝利したのはナガサキだけです。
ナガサキが大日勢唯一の勝利

対戦相手は平成維震軍の後藤達俊

ちなみにこの試合の決まり手“イス上のパイルドライバー”は、

90年代のインディームーブと捉われがちですけど、

実は10年以上前にナガサキが持ち込んだ技なのです。
ナガサキ得意のイス上のパイルドライバー

1985年10.4 札幌中島体育センターで、

のちにドームで闘う後藤の凱旋帰国第一戦、

ライジングサンズのパートナーとして新日初登場。
サクラダ新日初登場

当時のリングネームはランボー・サクラダ

アメリカマットで暴れていた際のペイントを落とし、

『ドリフ大爆笑』バカ兄弟・あんちゃん風ヘアスタイルで、

ランボー・サクラダ、後藤達俊vsコンガ・ザ・バーバリアン、リック・オリバーに臨みました。
サクラダ、後藤vsバーバリアン、オリバー

大型に似合わずキビキビしたファイトで、

落差のあるベンジュラム・バックブリーカーが強烈な印象に残っています。
強烈なベンジュラム・バックブリーカー

結果的にサクラダが勝利を奪いましたが、

冒頭CM中に肩を負傷した後藤にとっては、

散々な凱旋試合でした。
勝利の雄叫び

翌週のTVマッチ、10.11 古川市民体育館では、

前週のタッグに続きコンガ・ザ・バーバリアンと一騎打ち。
翌週はバーバリアンとのシングルマッチ

この一戦でイス上のパイルドライバーが出る訳ですが、

実はやられる側です。
椅子の上でパイルドライバーを食う

その翌週11.18 後楽園ホールでは、

遂に“キングコング”ブルーザー・ブロディとの一騎打ち!
さらに翌週は超獣と一騎打ち

3週連続のテレビ登場と重要なマッチアップ、

サクラダはかなり良いポジションに位置してました。

この試合はイスの上ではなく、

場外フロアにダイレクトのパイルドライバー! を、

これまたやられる側でした。
場外パイルドライバーで額を割り、

一発で額が割れたサクラダは、

首が吹っ飛びそうなICBM弾から、
地獄のICBM弾から、

新日では出し惜しみしていた、

必殺のキングコングニードロップで轟沈。
キングコングニードロップでフィニッシュ

サクラダの巨体に遠慮なくガンガン入れていく、

ブロディらしさ全開の好勝負でした。
流血の末敗れたサクラダ

そこからサクラダはしれっと、

アメリカで大暴れしたナガサキへのヒールターン。

ミスター・ポーゴとタッグを結成して、

1986年7.25 秋田県立体育館では、

藤波辰巳木村健吾が持つ初代IWGPタッグ王座に挑みました。
地獄の仮装行列

試合前、マネージャーの将軍KYワカマツと3人で、

花束嬢から花束を奪い奇襲攻撃。
試合前、花束での奇襲

IWGPタッグ選手権試合

藤波辰巳、木村健吾vsケンドー・ナガサキ、ミスター・ポーゴ

藤波、キムケンvsナガサキ、ポーゴ

仕切り直しで選手紹介を受ける3ショット、

古舘伊知郎アナ曰く「“地獄の仮装行列”」。
ナガサキ、ポーゴwithワカマツ

プライベートでは仲の悪い二人ですが、

リング上ではさすがに長いキャリアだけあって好連係。
好連係のナガサキとポーゴ

リング下に降りればフルスイングのイス攻撃で、

負傷したキムケンの脇腹を徹底的に痛めつけ、
ナガサキの強烈なイス攻撃

さらにはボーアンドアローまで繰り出し、

テクニシャンとしての一面も見せつけていきます。
ナガサキは弓矢固めも初(?)公開

この試合、キムケンが孤立して耐え忍び、

藤波へのタッチがことごとくレフェリーに認められない、

80~90年代の王道アメリカンスタイルに、

新日流のアレンジが加えられた名勝負でしたが、

最後は藤波までもがイス上のパイルドライバー敢行!
藤波までもがイス上パイルドライバー

分断に成功した上、

ポーゴと乱入して来たワカマツを同士討ちさせ、
最後は同士討ちから、

最後は藤波がラリアートでポーゴを押さえて、

5度目の王座防衛に成功。
ラリアートで防衛成功

生中継の放送時間残り1分という、

奇跡の様な幕切れでした。

もう一つ忘れられない一戦は、

1987年3.20 後楽園ホール

アントニオ猪木vsケンドー・ナガサキ

アントニオ猪木vsケンドー・ナガサキ

この日も味わい深い2ショットですね、

あぁ…こういうプロレスに戻ってくれ! マジで!!
ナガサキとワカマツ

…いやいや、失礼しました。

迎え撃つ猪木は気合十分!
迎え撃つ猪木

この試合で印象深いシーンはこれですね。

先にコブラツイストを仕掛けたナガサキでしたが、

崩れる形でグラウンドへ。

ナガサキはバナナスプレッドに移行しますが、
ナガサキのバナナスプレッドを、

カメラがワカマツを映した瞬間に、

猪木は切り返してインディアンデスロックへ。

通常のリバースではない形です。
インディアンデスロックで切り返した猪木

これどういう風に切り返したのか、

見たかったですねぇ。

最後は猪木がショルダーアームブリーカーから、
腕折りから、

狙いすまして延髄斬り!!
延髄へ、

この闘魂コンボから卍…ではなく、

最後は骨法流の鬼殺しでフィニッシュ!!
最後は骨法流鬼殺し!!

ライガーvs鈴木(参照:(参照:俺の獣神ベスト5~その5~前編同~後編)で飛び出したあの技です。

会場を考慮して、

敢えてレアな決まり手に持って行く、

この閃きが猪木の神髄ですね。

それはナガサキという一流に対する、

猪木なりの敬意だったのかも知れません。
ケンドー・ナガサキ@1988

他にも日本でのナガサキは、

全日、SWSなどで実績を残していますが、

私の記憶の中では以上です。

心よりご冥福をお祈り致します。



…と記事を終えようとしたところで先日、

独断小僧さん(from 昭和のヒーロー)のご縁で知り合えたバッカスさんからメールを頂き、

もう一つの訃報を知りました。

 デイリースポーツ online / ザ・ロックの父ロッキー・ジョンソンさん死去 WWE殿堂入りレスラー、猪木とも対戦 より

元プロレスラーのロッキー・ジョンソンさんが15日に死去したと、米国の世界最大手プロレス団体WWEが発表した。75歳。死因は不明。

ジョンソンさんは64年に出身地のカナダでプロレスデビューし、米国に進出。ドロップキックの名手で空中殺法を武器に70年代にはNWA世界ヘビー級王座に何度も挑戦し、83年11月にはトニー・アトラスと組んでWWF(現WWE)タッグ王座を獲得するなど、数多くのタイトルを手にする活躍を見せた。08年にはWWEの殿堂入りを果たした。70年に日本プロレスに初来日。80年には新日本プロレスに参戦し、アントニオ猪木とも対戦した。


70~80年代の名レスラー、ロッキー・ジョンソン
ロッキー・ジョンソン1

現在、ハリウッドスターのドウェイン・ジョンソン

プロレスファンにとってはWWEスーパースター、ザ・ロックの父ですね。
少年時代のロック様

じっくりと試合を観た記憶は薄いのですが、

ドロップキックの切れ味は当然知っております。
ロッキー・ジョンソン2

死因が不明とのことですが、

こちらも心よりご冥福をお祈り致します。
ロッキー・ジョンソン3

バッカスさん、いつも情報ありがとうございます!

本年もどうぞ宜しくお願い致します。



それにしても、

ナガサキがVTに挑戦したのが、

現在の私と同じ47歳。

ロッキー・ジョンソンの息子であるロック様は、

私と同じ現在47歳。

…いろいろ思うところがありますなぁ。

関連記事

tag : 訃報 ケンドー・ナガサキ ランボー・サクラダ ロッキー・ジョンソン アントニオ猪木 藤波辰巳 木村健吾 ミスター・ポーゴ ブルーザー・ブロディ コンガ・ザ・バーバリアン

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お久しぶりです
ナガサキの死因は公表されてはいないですが数日前までは元気にしていたって感じで、カブキやキラーカンなどのレジェンドたちと記念撮影をしてる写真がありました

僕のナガサキのベストバウトはオンタイムではなく後年になってから見たのですが
大仁田・後藤vsナガサキ(ドラゴンマスター名義)栗栖のストリートファイトタッグですね
余分な間もなくひたすらイスやら蹴りやら頭突きやら、場外乱闘にもとにかく迫力があって客も本気で逃げ惑ってる状態でした

以前雑誌で見たのはアメリカのレスラーは
「スモーレスラーはシュートが強い」
という認識があるそうで、キング・ハク、コンガ・ザ・バーバリアン、ケンドーナガサキもそういう認識で一目置かれていたのかも知れません(その割には天龍とか石川孝志とかのそういう話は聞かないですが)

もう一人の使い手

椅子の上へのパイルドライバーはキムケンが藤波相手に出してましたね。タッグ王者同士の謎の抗争で。

その後、スパナ稲妻で幻の初勝利。

「そこまでして勝ちたかったという事ですよ」by山本小鉄

>ナリさん

今年も宜しくお願い致します。

数日前までは元気にしていた<その様ですね。ペイントを施せば顔色や肌艶はわからないですしね。

ナガサキのベストバウト…大仁田・後藤vsナガサキ(ドラゴンマスター名義)栗栖のストリートファイトタッグ<そこはナリさんらしいチョイスですね。大仁田の持ち味であるやられっぷりは確かにその試合で開花した感があります。私は雑誌で見ただけですが、その頃はまだ大仁田もトペとかやっていませんでしたか?

アメリカのレスラーは「スモーレスラーはシュートが強い」<空手と同様、東洋の神秘的な幻想があるのでしょうね。あるいは力道山が印象付けた部分もあるのかも知れません。
どちらかというと全日系にその傾向が強く、馬場さんがアリ戦にナガサキを推したということ、小鹿が初代エースにナガサキを据えたこと、三沢がUFOと当たる際にパートナーとして力皇を帯同したこと…全部つながっている気がします。

>aliveさん

キムケンが藤波相手に出してました<ちょっとズレていた感じもしましたが、キムケンのジャンピングパイルドライバーは強烈でした。

スパナ稲妻<鉄パイプでしたね。自分の方が痛いんじゃないのか? という。

aliveさんはキムケンの話題が尽きませんね!!
紫レガとは?

紫レガ

Author:紫レガ
48歳のプロレス話


「昔はインターネットを旅してましたからね。毎晩ブログでね、今みたいにSNSがいっぱいある訳でもないし、終わったらみんなブログでね、一日の終わりにUPして。今こんなこと言ったらエラいことになりますけどね、よく寝不足になったね、部屋でPCを打ったりね。…いや、そういう歴史はちゃんと教えとかないとね」

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