ヨンクチュアリ~ザ・スコアー検証の後編~
盟友・流星仮面二世さんから受け継ぐ形で始めた、
『ワールドプロレスリング』におけるOP曲『ザ・スコアー』の初使用検証。

団塊Jrのプロレスファン列伝 より
プロレス研究所~ザ・スコアーは本当に新日本が最初だったのか?~
ザ・スコアーがUWFの会場で流れていた、UWFがザ・スコアーを使っていたとは、29年目にして初めて知る事実でした。驚きしかありませんでした。
(略)使用は偶然だったと思うんです。この曲を聴いた人が、あ、盛り上がっていい曲だな。使ったらよさそうだな、合いそうだなと…そんな気持ちで使用に至ったんだと思うんです。その気持ちがシンクロニシティし、テレビ朝日とUWFという離れた場所でありながら同時期に使用されたのではないかと…こう思うんです。
でも、ワールドプロレスリングが1月に対しUWFが5月なのはやっぱりちょっとおかしい気がします。
Wikipediaにも(1989年1月 -)と記されています。
ところが前編の検証でわかった通り、
1989年1月においては、
前年のOP曲(バンド名CUBIC名義の名曲!)と同じものが使われていました。

1989年2.4放送回(1.26 唐津市文化体育館)から行ってみましょう。
番組冒頭恒例のソ連ロケは、
サンボの専門学校『サンボ70』からです。

国家ぐるみでスポーツ英才教育をする、
まさしくロッキー4の世界そのものですね。

思わずアントニオ猪木も、
たくさんの金の卵たちに真剣な視線を注ぎます。

自らも練習に加わったのでしょうか、
最後は猪木も上半身脱いでのインタビューです。
猪木
「身体にね、生活の中に入って来るって、これ一番強みですね。そういう意味では我々ももっと育成しなくてはいけない。若手をね」
「もう今回の旅行は、とにかくいろんなことが勉強だったしね、私自身も。我々のプロレスの流れもね、大きく変わる時期かも知れません」

まさに刺激充分な旅の締め括りでした。
場面変わって2.11放送分(2.3 山形県体育館)のタイトルバックです。

ん~、2月に突入しても、
OP曲はそのままですねぇ。

このシリーズの目玉は藤波辰巳、長州力に対し、
ビッグバン・ベイダー、クラッシャー・バンバン・ビガロがそれぞれ3回ずつシングルで対戦する、
『バーニングバトル3番勝負』でした。
当時のベイダーとビガロは脂が乗り切っていて、
藤波にとっても長州にとっても、
かなりキツイ闘いだったと思います。

さてお次は2.18放送分(2.9 札幌中島体育センター)、
毎年恒例の“雪まつり興行”ですね。

今観ると、当時の雪まつり会場の風景も、
まだ昭和の風情が残っていて良い感じですね。

もちろんOP曲は変わらずです。
ちなみにこの放送回では、
遂にソ連最強軍団が来日し、
新日本プロレスとプロ契約を結びました。

『日ソ・プロレス協定』が調印された訳ですが、

新日本プロレスとソ連国家スポーツ委員会との間ですからね、
当時はかなりセンセーショナルでしたよ。

ソ連レッドブル軍団から出席したのは、
サルマン・ハシミコフ、ビクトル・ザンギエフ、ウラジミール・ベルコビッチの3選手。

ハシミコフとザンギエフは、
マスコミを前にしてスパーリングも披露しました。

さすがにこの二人はレッドブル軍団の中でも、
プロとして抜きん出ていましたよね。
エンディングでも同じ曲が流れて終了です。

さてさて、続きまして2.25放送回は、
レッドブル軍団初お目見えとなった、
2.22 両国国技館大会。
新日にとってはTPG初登場の暴動(参照:天才・かんじの狂気が出るプロレス!!~前編~ 、 同~後編~)以来、
実に1年2か月ぶりの国技館使用解禁。
注目の番組OPなのですが…、
…。
本当にごめんなさい!! ディスク自体がイッちゃってて、
視聴不能であります(泣)!!
これ以前も書きました通り、
『DVD-Rの経年劣化問題』(参照:アナログだろう)でして、
この日のレッドブル軍団初登場、猪木vs長州衝撃の結末が、
全く再生出来ないという…。
その後の『'89ビッグファイトシリーズ』、『バトルライン闘強導夢』という、
2つのシリーズも丸っと消失していました。
限りある映像資源、
何とか保守していきたいのですが、
いかんせん時の流れには逆らうことも出来ず。
…気を取り直してプロレス界初のドーム進出、
4.29放送回のOP、

『'89格闘衛星☆闘強導夢』!!
ここでは既に『ザ・スコアー』が奏でられています。

『プロリンピックPART1 日・米・ソ三国決戦』のサブタイトルに相応しく、
全出場選手が総登場したリングは壮観の一言!
この雰囲気に曲がピタッとハマりましたね!!

日本選手団の旗手を務めるのは、
凱旋帰国の蝶野正洋。

アメリカ選手団の中には、
1984年ロス五輪レスリング・グレコ100キロ級金メダリストのジェフ・ブラトニックや、
マーシャルアーツから“怪鳥”ベニー・ユキーデの顔も見えます。

絢爛豪華な開会式から、
記念すべき初の東京ドーム大会がスタートした訳ですね。

ということで、
結果的に『ワールドプロレスリング』OPでの初使用は、
1989年2月~4月の間に絞られました。
一方、新生UWFでの会場使用は…?
再び流星さんのブログより引用します。
たとえばワールドプロレスリングの放送をUWFの関係者がこの4ヶ月もの間、ひとりも見ていない、というのはあり得ないと思うんです。いくら双方が偶然、同じ曲を使うに至ったとしても、他団体が4ヶ月も使用した後では、あ、被っちゃうな、よくないなと、さすがに躊躇するはずです。しかし旗揚げから一周年という特別な舞台で堂々使われていました。ということは…
UWFは89年5月より前から、会場でザ・スコアーを使っていた、とは言えないでしょうか?
ここはまた時間を置いてから、
捲土重来を期して再検証してみたいと思います。
もしも当時の記憶からUの会場で、
『ザ・スコアー』を聴いたことのある方がいらっしゃいましたら、
ぜひ、私か流星さんにご一報願います。
しかしながら、
これで終わっちゃあ【腕ひしぎ逆ブログ】の名が廃る!!
検証を進めた結果、
一つの答えが出ました。
番組OPに限定しなければ、
日本のプロレス界において、
初めて『ザ・スコアー』が使われた映像は、
これに間違いありません。
1988年2.22放送回での、
『'88トップ・オブ・ザ・スーパージュニア総集編』のオープニングです。

フルで9分以上もあるあの曲の中から、
ワープロOPにかかっていた部分と、
全く同じところを切り出しているのです。

思い返すとこの頃は、
まだ月曜8時のゴールデンタイムでした。

鈴木修氏(参照:先駆者)はこれをブラウン管で流したとき、
きっと何らかの手応えを感じ、

その記憶を自信に変換して、
翌年、満を持してのOP曲採用だったのかと思います。

それから、これもあくまで仮説ですが、
全く同じ様な記憶を持っていたのが、
実は新生UWFの神真慈社長でして、

前田日明氏が無期限出場停止処分中で、
当時、UWF軍団のマネージャーだった神氏は、
着々と独立に向けて動き出していたはずです。

映像を観た際に「この曲、会場が盛り上がるな」と記憶し、
旗揚げしてから大会場限定で、
レーザーショーに使用することを考えたのかな? とか。

どちらかが先に使い始めたとしても、
実はどちらかの影響ではなく、

単に『ザ・スコアー』という作品自体が気に入って、
それぞれ重要な場面で使い始めたのではないか、と。

繰り返しますが、
これは、あくまでも私の“格闘妄想”に過ぎません。

時が流れて『ワールドプロレスリング』は、
深夜番組になり、
30分に縮小され、
今年は番組のタイトルロゴまでリニューアルされました。
それでも『ザ・スコアー』は30年以上にわたって、
OPで流れ続けています。

そして会場でも大会開始を告げる合図に、
大音量の『ザ・スコアー』が鳴り響きます。

この曲が耳に入ってきた瞬間、
老若男女が「あっ、プロレスの曲だ」と思える程、
もっと、もっと、もっと、もっと! もっと! もっと!! もっとぉーーー!!
浸透していって欲しいです。
ヨンクチュアリの旅は終わらない。
Kシバさん、俺は待ってるぜ。
流星さんよ、今夜も有り難う。
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comment
検証!!ザ・スコアー
新日本プロレスのオープニングのザ・スコアー、謎が解けつつありますね(^o^)
まずオープニングとしての使用が1989年2月から4月の間に絞られた、これは定説の1月からを覆した大発見ですね!!ここまでわかれば完全解明の日も近いかもしれないですね(^-^)/
初めてザ・スコアーが流れたのが1988年2月22日放送回、これも大きな発見ですね~。ボクがブログを上げたときにMr.プロレスさんがコメントをくれて88年の6月頃に使用されたお話と、その映像リンク(現在は削除されており視れず)を貼ってくれたのですが、この88トップ・オブ・スーパージュニア総集編は、これより4ヶ月早いんですね~。驚いてしまいます。きっとこの2月からオープニングに使用されるようになるまでは、番組内でちょこちょこ使われていたのかもしれないですね(^-^)
いつもレガさんのブログには刺激を受けます。ボクもちょっと捜査を再開しようと思いま~す(≧▽≦)
そうそう、Kシバさんはどうしているのかな・・・今もレガさんのブログ、読んでくれているんですかねぇ・・・
いつかレガさんのブログに現れて「生きてます!!以上!!」と言ってくれることを祈っております。ボクも待ってますよ~(*´-`)
No title
いますが、Kシバさんどうされてい
るのか気になります。
No title
No title
YouTubeで観ると、格闘衛星闘強導夢の放送回から
「ザ・スコアー」が使用されていると記憶している方がいるようですね。
プロレス界初のドーム興行ですし、オープニングを変えるにはいいタイミングではありますよね。
オラは月曜8時時代から土曜夕方の新日本には本当に縁遠くて、
塾やらなんやらでほとんど見れなかったんですよ。
週プロや週ゴンで追ってただけなので、この辺全然わかりませんなぁ。
勉強になりました^ ^
>流星さん
ヨンクチュアリは今回も謎を残したまま終わります。
定説の1月からを覆した大発見<そう考えると流星さんが常日頃おっしゃる通り、ネット上に転がってる情報は事実と異なること多々ありますよね。Wikipediaでもそうなんですね。
初めてザ・スコアーが流れたのが1988年2月22日放送回…88年の6月頃に使用されたお話<これは自信持って言えます。初出しは88年2.22ですね。それもほぼ現在のOPと同じ部分が使われていて、当時、効果担当の鈴木修氏にしてみれば快心の選曲だったことでしょう。
6月は藤波がIWGP防衛していた時期ですね? これも探してみます。いつも、ありがとうございます!!
ボクもちょっと捜査を再開しようと<MSGは最後まで付いて行きますよぉぉぉ―――!!(ドンドンドン!)
Kシバさんはどうしているのかな…「生きてます!!以上!!」と言ってくれることを祈っております<そのときは全開に『TAKE OVER』を鳴り響かせましょう!!
>みーさん
というか、みーさんもどうされてるかみんな気にしてましたよ~。
>HBKさん
YouTubeで観ると、格闘衛星闘強導夢の放送回から<やはりそうなんですかね? 4月なのでテレビ番組の構成の切り換えには相応しいですし、ドーム初進出からっていうタイミングもわかりますよね。確かに。
オラは月曜8時時代から土曜夕方の新日本には本当に縁遠くて<そう考えると、人それぞれプロレスとの距離感って違ってて興味深いですね。案外、私ら世代にとってのその時期ってプロレス離れの境目だったかも知れないです。
No title
生きてます!
以上‼︎
と言いたいところですが、
本当になんとか(^_^;)
気合いを入れながら。
>みーさん
本当になんとか…気合いを入れながら<気合も継続するといつかバテてしまいますから、時には緩~く緩~く…無理せずに生きていきましょう。
みーさんはまだお若いのですから、何だって出来るのであります!!
生きてます!
いや、本当にすみませんでした。
大先輩にここまでしていただいてリバプールから戻らない理由など…。
今後ともよろしくお願いします!