私についての説明から

という訳で…まずは自己紹介からでしょ。

1972年…新日、全日が旗揚げしたプロレス界激動の高度経済成長期(?)のベビーブーム、6月28日に私は生まれました。華の47年組なわけです

物心ついた頃には、じいちゃんの膝の上で白黒TVの遠山の金さん、欽ちゃんのどこまでやるの、相撲中継などと同じように金曜8:00のワールドプロレスリングを見ていました。
最初のヒーローは仮面ライダーストロンガーでもウルトラマンタロウでもなく、ストロング小林とタイツの色以外で判別不能なアントニオ猪木でした。

かといって毎週のめりこむように見入った訳ではなく、じいちゃんの付き合いというか…土曜は全日よりも全員集合が見たかったし、私の幼少時に全日がゴールデンでやってたかどうかの記憶もございません。
シン、上田やアンドレ、ハンセンが夢に出てきては泣きながら目覚めるという怪獣感覚。
あ、なぜか深夜(といっても日曜22:30だけど)にやってた全日でオープンタッグ決勝のファンクスvsブッチャー、シークは奇跡的に見ましたね。あの時のエンディングで流れたロッキーのテーマ聴いてから、しばらくの間「♪テリー王者~」って歌ってました。

そんな中で、まさしく“のめりこむように見入る”事になるのは初代タイガーマスクからでした。
当時、先行でアニメのタイガーマスク2世がスタートし、そこで刷り込まれてから実写版の佐山でドッカ~ンと。
大人のファンのように否定から入って度肝を抜かれたんじゃなく、初めから「きっと凄いんだろうなぁ」と期待しておいて、さらに上を行かれたと。まさに天才でしたよ。

学校の下敷きはタイガーの切り抜き、部屋はタイガーのカレンダー、冬は雪ダルマ作ってローリングソバット練習…とここから生活の98%がプロレスになりました。
おそらく当時はプロレスラーよりもプロレスの事考えてたと思います。
しかしながら、これも長く続かず、タイガーは突然の引退。そして当時大好きだった欽ちゃんの番組で素顔公開…がっくし。

だが、この頃既に私はたっつぁんを追っかけてました。クラスの男子は全員、正規軍派と維新軍派に分かれて土曜の朝はワープロの話題で持ちきり。文字通りのプロレスブームでしたね、はい。
長州のパワフル・リキラリアート! スコーピオンデスロック! ひねりを加えたバックドロップ!
ドラゴンの逆ラリアート! 掟破りの逆サソリ! 猪木譲りの延髄斬り…ってほとんどパクリやん(汗)

でも学校でのプロレスごっこはなぜか猪木役か鶴田役。たっつぁん役、長州役はみんなで奪い合いなので一歩譲ってました。そのくらいこの二人が人気あったんです。で、無理やり押し付けるのはカーン役とラッシャー役(笑)
戦績は良かった方です。雪上以外は投げ技禁止という暗黙の了解がありました中で、スモールパッケージとか小ずるい勝ち方してました(汗)

で…この頃から我が家にビデオ(中村さんちのマックロード!)が設置されて、毎週の録画が始まった訳です。
しかし当時はテープ買うのも一苦労で、姉ちゃんと一本のテープを共有。猪木vsホーガンも数週間後には金八先生に消された訳です(涙)

~次回、中学編へつづく~
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