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20年越しのおくりびと(2019)

BI砲の偉大さを、

まざまざと思い知らされた平成の最後(参照:これは面白い!実に面白い!!実に美しい!!!世界一美しき二人!!!!)。

3月そのまま視聴が出来た日テレジータスで、

2019年2.19 両国国技館での、

『ジャイアント馬場 没20年追善興行』も観ました。
猪木@馬場追善興行1

この番組を観た大きな理由は、

大会のオープニングアクトという、

大役を務めたのが何と、
猪木@馬場追善興行2

『炎のファイター』に乗って姿を見せた、

我らが“燃える闘魂”アントニオ猪木だったからです。
猪木@馬場追善興行3

足どりは軽やかにとは言えませんが、

歩き慣れた国技館の花道、大猪木コールの中、

ボディガードの鈴川真一を従えての入場です。
猪木@馬場追善興行4

リングの手前で歩を止めると、

木原文人リングアナが声を掛けます。
猪木@馬場追善興行5

猪木はうなづきながら軽く微笑み、
猪木@馬場追善興行6

サッと胸を張ると、

闘魂マフラーを握った両手を掲げました。
猪木@馬場追善興行7

私はここからの数分間に、

いろいろなドラマが詰まっていたと思います。

今回はあの場面における猪木の心理を、

私の思い込み中心に振り返ります。

マイクを手渡されれば、
猪木@馬場追善興行8

第一声はもちろん、

猪木
「元気ですかー!!」

猪木@馬場追善興行9

声は1月の蝶野正洋との共演時(参照:この冬、密やかな解禁)の番組冒頭よりも、

かすれていないですね。

これは嬉しかった。

猪木
「元気があれば何でも出来る、元気があればっ!…」

猪木@馬場追善興行10

と一瞬、間を置いてから笑顔を浮かべて、

猪木
「…“おくりびと”も出来る、ということで」

猪木@馬場追善興行11

そう“おくりびと”、

馬場さん逝去時には短いコメントを出したまでで、

葬儀にもお別れ会にも、

猪木の姿はありませんでした。

Gスピリッツ50表紙
 Gスピリッツ Vol.50 より

猪木
(日プロ時代の馬場さんとは)そりゃあ、口を利かないというのは奥さん(馬場元子夫人)が中に入ってるから。俺は奥さんとは話したことがないんで」


昨年、元子夫人が旅立ったことで、

今回やっと実現した、

20年遅れの“お別れ”なんですね。

猪木
「馬場さんも20周年ですかね? 20年、没、早いもので。まあ20年経つと、大体忘れられてしまうんですが、今日はこの様に会場にね、たくさんの方が駆け付けてくれてありがとうございます。ジャイアント馬場に成り代わって、お礼申し上げます」

猪木@馬場追善興行12

これ単なるリップサービスと捉えた方が、

多数いらっしゃったと思いますが、

この場において馬場さん本人に成り代われるのは、

もはや猪木以外考えられなかった感さえあります。

会場に詰めかけたファンに対して、

格の上でも、立場的な意味でも。

猪木
「えー、まぁ話せば今日は猪木のトークショーで2時間やりたいところなんですが、まぁあの最後にですね、入院される前によく、あるホテルのロビーで顔を合わせるんですが、そこですれ違って立ち話をしたときに」

猪木@馬場追善興行13

二人に近しい人物はよく言いますね、

「馬場は生前、実は猪木とよく会っていた」と。

頻繁ではないと思いますが、

私もその説を信じてる部分あります。

猪木
「『お前はいいよなぁ』って…何がいいのかわかりませんけどね。私がいつも挑戦し続けたので、馬場さんも困ったろうな、って思うんですね」

猪木@馬場追善興行14

これ猪木がよく使うフレーズですね。

馬場さんが入院した当時、

既に猪木は現役を退いていたので、

単に引退出来た猪木の立場が羨ましかったのか?

新日以外でも自由にやれてる猪木が羨ましかったのか?

猪木
「最後に来た手紙が『三途の川で待っている』…」

猪木@馬場追善興行15

生粋の馬場派であるアスク御大のコメント通り、

これはさすがに“メルヘン溢れるジョーク”だと思いますが、

実はこの後に続く言葉への、

イントロでもあった訳です。

猪木
「挑戦を受けるべきかどうか、逆に私が困りましたけどね。えー、でもだんだん歳を取るのはしょうがないなあと、私もそろそろ“おくられびと”になりそうかな、と」

猪木@馬場追善興行16

本当に言いたかったのはここだったと思います。

これさえも一連のジョークと捉えてしまうと、

もはや“主題”がなくなってしまいます。

私はここでグッと来てしまい、

思わず流星仮面二世さんにメールをしてしまった次第です。

猪木
「まあその時は、せめて10年ぐらい経っても思い出してもらいたいなと思いますけどね」

猪木@馬場追善興行17

とんでもない!!

10年どころか20年、30年、

いや、それ以上に命がある限り忘れませんし、

インターネット、ブログという文化がある限り、

ここで書き綴っていく所存ですよ。

猪木
「何はともあれさっきも若い選手が控室に挨拶に来てくれましたが…まぁ知らない選手も」

猪木@馬場追善興行18

ここで出ました猪木お得意の一言、

「挨拶に来てくれましたが…まぁ知らない選手も」

当然、今活躍する選手のほとんどが面識ないでしょう。

かつては常に逆を言ってて、

『俺は触ってねえですから』←関心あり。

『俺は専門誌も読まないんでね』←常に目を通している。

というアレだったのですが、

今は本当に知らない選手だらけなのでしょう。

それでもプロレスの世界においては、

まぎれもなく後輩である現役選手たちに、

伝えたいことは今も変わりません。

猪木
「やはり、えー格闘技、プロレスというのは永遠だと思いますんでね。形は変われども、これから50年、100年、もっと何百年も続くと思いますが、その一つはやはり伝統という、大事なスピリットというか、それをね、つなげていって頂きたいと思います」

猪木@馬場追善興行19

…と、ここまでいったところで、

一転して熟成されたアントンジョークに持っていきます。

猪木
「…ということで、話が長くなると『あいつは歳を取った証拠だ』って言われるんで挨拶はこのぐらいにしますけどね」

猪木@馬場追善興行20

確かにどの世界でもそうです(笑)。

猪木
「えー、久しぶりに…私もね、『元気ですか』もね、あんまり言えなくなってきてね(微笑)。ついこないだまでは皆さんの前で」

猪木@馬場追善興行21

さぁて…。

猪木
「今日は『元気ですか!』って出ましたけど、『
(しゃがれ声で)元気ですか』って、声がね。…ということで久しぶりに上着を取ってやります」
猪木@馬場追善興行22

来た来た! 何年経っても胸が高鳴る瞬間です。

ひときわ上がる大歓声の中で、

猪木は鈴川に上着を預けると、
猪木@馬場追善興行23

さらに大音量の猪木コールが沸き起こります。

気が付けば猪木の後方から光るピンスポットが、

あたかも阿弥陀如来像の後光の様であります。
猪木@馬場追善興行24

猪木は右手を軽く挙げ、

一旦コールを静めてから、
猪木@馬場追善興行25

突然、リングに上がらなかった理由を、

先程の挑戦状話に絡めて言い出します。

猪木
「本当はね、リングの上に上がろうと思ったんですが、上がったら“挑戦状を受けた”ってことになりそうなんで今日は下からね、皆さんにご挨拶させてもらってますけどね」

猪木@馬場追善興行26

この部分あくまでも猪木流の“建前”でしょう。

あとで行なわれたブッチャー引退セレモニーを観て、

私は猪木がリングに上がらなかった、

本当の理由が理解出来ました。

それは1979年6.1 高松市民文化センターでの、

『MSGシリーズ』公式戦で、

右足の負傷を押してリングに上がった、

藤波辰巳の負傷箇所を蹴って、

リングから降ろしたあの頃から続く、

いや、それ以前からずーっと貫いている、

プロレスに対する猪木の美学なんですよ。

最初に国会議員になったときにも、

納得できるコンディションが作れなかったら、

リングで肉体をあらわにすることを絶対に許さなかった。

それはファンに対する、リングに対する、

揺るぎない猪木の美学なのです。

猪木
「いいでしょうか!? …日本をますます元気に、という。プロレスは師匠・力道山から始まり、日本を戦後の復興に大きい元気をつけてくれたその思いも込めて若い選手たちに一つのメッセージとして送り、またファンの皆さんも宜しくお願い致します」

猪木@馬場追善興行27

日本人にとってのプロレスとは?

それを考えることはもはや必要ないのかも知れませんが、

形が変わっても不変なのは、

我々ファンがリングの上から、

“元気”をもらっているという部分です。

猪木
「いいでしょうか? 行くぞーーっ!!」

猪木@馬場追善興行28

おーーーっ!!

猪木
「いーち! にーっ!」

猪木@馬場追善興行29

…さんっ!

猪木
「さんっ!」

猪木@馬場追善興行30

拳を握って、

猪木
「ダァーーーッ!!」

猪木@馬場追善興行31

ダーーーッ!!

あぁ気持ちいい…この瞬間、

札幌中島体育センターで、月寒グリーンドームで、北海きたえーるで、

何度となくやってきたこれなんです。

花道を去る猪木は再び、

足元を見ながらゆっくりと歩を進めました。
猪木@馬場追善興行32

気が付けば私の目頭もね…ンムフフ。

しかしながら、

これで完全にスイッチが入っちゃいました。

もう後には引き下がれません。

というか引き下がってたまるかコノヤロウ!!

迷わず行きます。

行けばわかるでしょう。

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tag : アントニオ猪木 ジャイアント馬場

comment

Secret

No title

泣けたー!!

やっぱり猪木!!

レガさんからメール来たタイミングのときは、ちょうど

「まだまだ大丈夫だぁー!!」

と叫んでいるときでしたよ~(о´∀`о)

もう、引き下がれません!!猪木に始まり猪木に終わる平成の最後まで、クライマックスをよろしくお願いいたします(^o^)

お疲れ様です!

88.8.8ですねヽ(;▽;)ノ

みやげ話を楽しみにしております!!

>名も無き戦士さん

ありがとーーー!!

>流星さん

「まだまだ大丈夫だぁー!!」と叫んでいるとき<引退試合のときといい、今回といい、流星さんは猪木のマイクに対する合いの手名人なのであります。

猪木に始まり猪木に終わる平成の最後<まさしく…やはり我々にとっては猪木なんですねぇ。

あと、三世くん! オカダのIWGP奪還並びに入籍おめでとうございますーー!!

>ヨンペイさん

88.8.8…みやげ話を楽しみに<あー! 月末のアレですね?

行きたいですよねーーー!!

同一犯

先日はタイトルの代筆ありがとうございました。
あれを見てもう私のパターンはレガさんに全て見きられているなと。
マフラーを治していただいたりとだんだんご迷惑をおかけするようになりました。

>当時の猪木は超世代軍時代の小橋の様にまっすぐで、駆け引きなしのケレン味ないプロレスラー

あの時点では猪木は真面目過ぎて浮いている若手社員。
自分勝手に独断で企画を通そうとする、周りの上司からの鼻つまみ者と言ったら言い過ぎかな。
でもそれを貫いてプロレスを代表する選手以上の存在になりました。

ところで今日のタイトルですが・・
11回ワールドリーグで放送中に聞こえる「やっば猪木だな!」
おじさんと、二年後の場所も同じ東京と体育館ジュニア・馬場のNWA戦で「時間がないよっ」「急所急所!」って叫ぶおじさんは同一人物じゃないかと。

>アスク御大

タイトルの代筆<そんな大袈裟なアレでもないですよ~(微笑)。

マフラーを治していただいたり<いや隙あらば、こうギュッとね…そのまま首に回して、こう…い、いや! 何でもないですっ!!(汗)

あの時点では猪木は真面目過ぎて浮いている若手社員<絵に描いた様なモーレツ社員だったんですかね? それも一度会社を飛び出して対抗勢力になっての出戻りですから、当時の日本人ではあまりいないタイプのモーレツ社員でしょうね。
猪木引退特番で中尾彬氏が「最初はアメリカ人だと思ったねぇ」とかって言ってましたもんね。

自分勝手に独断で企画を通そうとする、周りの上司からの鼻つまみ者<その集大成が1973年以降のテレビが付いた新日本プロレスだったのかも知れませんね。けっこう打ち合わせ度外視した仕掛けとかやってたみたいですもんね。あの緊張感が理想形だったんでしょう。

11回ワールドリーグで放送中に聞こえる「やっば猪木だな!」おじさんと…ジュニア・馬場のNWA戦で「時間がないよっ」「急所急所!」って叫ぶおじさん<歌舞伎やプロ野球にもいるという“掛け声名人”でしょうかね? 或いは日テレが仕込んだプロのエキストラ?

プロレスにおけるテレビの歴史において、忘れられない言葉の数々…PRIDE.4で金切り声女子の「またかよ~!!」とか、1999年秋のドームで小川に敗れた橋本が猪木に感謝の言葉を述べた直後の「橋本~! お前馬鹿か~!!」とかもありました。
あと10.9の「前田が泣いてるぞー!」連呼は本当に仕込み説までありました。

ちなみに猪木引退セレモニーの『道』冒頭の「猪木ーー!!」という声は25歳の流星仮面二世さんであります。
紫レガとは?

紫レガ

Author:紫レガ
47歳のプロレス話


「昔はインターネットを旅してましたからね。毎晩ブログでね、今みたいにSNSがいっぱいある訳でもないし、終わったらみんなブログでね、一日の終わりにUPして。今こんなこと言ったらエラいことになりますけどね、よく寝不足になったね、部屋でPCを打ったりね。…いや、そういう歴史はちゃんと教えとかないとね」

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