プロレスとプロボクシングとルール(1991)

少し前になりますが、テレビ朝日が開局50周年記念番組として猪木vsアリを33年ぶりに放送しました

近く、この試合の真実を追究した単行本『1976年のアントニオ猪木』も大幅に増補され、文庫版で『完本1976年のアントニオ猪木』(柳澤健)となって発売されます。

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)




各ブログでは、テレ朝での放送内容への賛否が飛び交ってます。

私も猪木vsアリに関しては大いに興味がありますので、ブログという場で語りたいのですが…

もちろんリアルタイムで見たわけでもなく、ビデオでノーカット版を見たわけでもなく、あくまでも編集されたものしか眼にしていない訳です。

やはり一部始終全てを見なければ、語ることは出来ないというのが私の答えです。

その代わり同じくルールでもめたプロレスvsボクシング。

猪木vsアリから15年後に行われた格闘技世界一決定戦

高田延彦vsトレバー・バービックを検証してみたいと思います。(参照:本当の意味での真剣勝負)

高田入場

この一戦が実現したいきさつには、Uインターという団体の方向性がはっきりと表れています。

発表記者会見

泣き虫




 泣き虫(金子達仁) より

高田
「旗揚げした直後だったと思うんですけど、十二月の両国国技館を押さえちゃったんですよね。誰とやるかも決まってないのに、とにかく押さえちゃえと。いまや両国の国技館っていうのはそんなに大きな規模の興行じゃなくなってきてますけど、あの時代のUインターにとっては、一発で会社の浮沈が決まってしまうぐらいの大きな興行だったんです。で、両国を押さえてしまった以上、なんとしても大物をつかまえなきゃならない。そこで出てきたのが、トレバー・バービックの名前でした」


旗揚げから解散までの約5年半の間、Uインターは常に自転車操業を余儀なくされました。

一年目の最終興行にして最大のビッグマッチであるこの両国大会が失敗していたら、

その時点でUインターという団体は崩壊していました。

当時はネコも杓子も“異種格闘技戦”の名の下に、プロレスのリングに他の格闘技選手が上がっていました。

しかしUインターのコンセプトは“異種格闘技戦”ではなく、“格闘技世界一決定戦”。

格闘技世界一決定戦 高田vsバービック

それは単に高田というプロレスラーが、バービックというボクサーと試合するわけではなく、プロレスラーが、プロボクサーが、それぞれのジャンルの威信を賭けた“他流試合”だったのです。

U.W.F.最強の真実 (BLOODY FIGHTING BOOKS)




 U.W.F.最強の真実(宮戸優光) より

我々の場合は選手を招聘する方法も他の団体とは違っていた。当時、他の団体にもいろいろなボクサーや他の格闘技選手が上がっていたが、そういう場合の契約は団体とその選手個人で交わされていた。でも我々の契約は選手個人ではなく、ドン・キング・プロモーションの傘下で彼らが所属していたブレバーマン・プロモーションとの間で交わされていた。
高田さんとバービックの試合を「出稼ぎ根性でUインターのリングに上がってきたボクサーが、蹴られて泣いて…」なんて言う人もいたが、それはまったく違う。あれは、彼らが所属プロモーションと契約している年間契約試合の中の1試合だった。だから、彼らにしてみたら出稼ぎだからどうのこうのではない。
ボクシングの試合に出るのと、あの試合に出ることは、契約している一試合という意味において、試合の重さは一緒だった。ヘタな試合をしたら次の契約に響くわけだから…、他の団体に上がっていた出稼ぎボクサーとはそこがまったく違っていたのだ。


それまでの格闘技戦とは全く性質の異なった試合でした。

試合は格別な緊張感の中で行われ、高田が勝利しました。

打つ!!

最後の一発

完勝

動けぬバービック

だが、ここで問題となったのはバービック側のコメント。

バービック陣営の弁護士、マーク・バナンジオ氏
「高田は契約を破った。腰から下は蹴らないという契約条項はアメリカにある契約書の中に入っている。今日の午前中に安生とも最終確認をしている。我々は法的措置も考える」


セミのB・スコットvsJ・ワーリングでも、試合後にワーリング陣営から採点に対する不信感を追求され、一悶着ありました。

Uインター側は早急に会見を開き、「文句があるなら、明日道場でやってやる」と反論し、泥仕合と化しました。

しかし当時、バービック側との交渉に当たった人物によると、

紙のプロレスRADICAL No.58 (58) (WANIMAGAZINE MOOK 220)




 紙のプロレスRADICAL No.58 より
「格闘技世界一決定戦」の真実(タダシ☆タナカ)

バービックはローキック連発を嫌がり場外逃走して試合放棄。ペルク氏によれば「ホテルからバービックと一緒にタクシーで会場に行くときに『ローキックは反則だ! 蹴ってきたらブッ殺してやる!!』とか暴れて大変だった」と語るが、「ローキックは契約で認められていた。そうでなければボクサーが膝にプロテクターなど付けない」と証言する。また「ホントにクレージーなヤツでした! 彼は当時、いろいろと裁判を抱えて追いつめられていたこともあって、ホントに何をするかわからない危険な状態だった。契約に関してはマネージャーがOKしただけかもしれない。何しろ字が読めるかどうかもわからない」と、当時の真相を振り返っている。

※ペルク氏=テディ・ペルク氏。父親がマーベル・コミックの仕事をしていて、スパイダーマンを広めるために来日。幼少時から日本にいたので、日本語はペラペラ。70年代からプロレスを見ていて、後にスーパータイガージムに入門。宮戸らと知り合う。ハワイ大学卒業後、Uインターのブッキングの仕事に携わる。現在はボン・ジョヴィら外タレの仕事やWWEファンクラブの仕事に関わっている。


とのことです。

高田と同様、バービックにも負けられない事情があったんですね。

プロレスとプロボクシングが対戦する場合、ルールに関しては何十年経とうと“平等”というものはありえません。

総合格闘技=MMAという統一ルールにしても“平等”ではないのですから。

ましてや猪木、アリという世界的な人間がリングで対峙した場合、それが真剣勝負であろうがなかろうが安易に勝った負けたの結末を迎えられるわけがないのですから。

猪木vsアリほどのスケールではなかったとしても、高田vsバービックに当時、はっきりと決着が付けられたということ自体、今思えば“奇跡”のような結末だった訳です。

野次を睨みつける

真実はどこにあるのかは知る由もありません。

ただ残された事実として、

バービックは高田の蹴りを恐れて両膝をプロテクターでガチガチに固定して試合に臨み、

アリの左脚は猪木の蹴りを受け続けることで異様なまでに腫れあがっただけです。

ただそれだけのことです。

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tag : 高田延彦 トレバー・バービック 格闘技世界一決定戦 泣き虫 紙のプロレスRADICAL U.W.F.最強の真実

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