暴風雨の中の風車 Vol.10~創造の先にHall of Fame~(1981~2017)

Vol.9からの続きです。

アントニオ猪木はNWFヘビー級王座を封印すると、

いよいよ世界統一のIWGP開催へ本腰を入れていきます。

そんな中で全日とのレスリングウォーは激化し、

アブドーラ・ザ・ブッチャーの引き抜きに成功(参照:Vol.7)するも、

それまでのガイジンの柱であったタイガー・ジェット・シンと、

最高のライバルとなっていたスタン・ハンセンを失ってしまうのです。
ブッチャー新日登場2

ライバルたちとの別れの気配を感じつつ、

1981年6.4 蔵前国技館において、

第4回MSGシリーズ優勝戦進出者決定戦を延長の末、

猪木はシンに反則勝ちし(参照:血で血を洗う信頼感・੬~デスマッチとUWA~)、
金的一発でシンの反則負け

同優勝戦に進出すると、

苦しい連戦の中、

場外戦でハンセンを自爆に誘い、
第4回MSGシリーズ優勝戦1

最後はトップロープ越しのドロップキックで、
第4回MSGシリーズ優勝戦2

辛くもエプロンでのカウントアウトによる勝利。
第4回MSGシリーズ優勝戦3

逆境の中からV4を達成しました。
第4回MSGシリーズ優勝戦4

しかしながら、猪木とハンセンの闘いは進化を続けていても、

同じ顔合わせに見慣れてしまったファンからは、

既にマンネリの声が囁かれ始めていました。

この年の猪木はIWGP開催に向けての助走的に、

ハンセン以外の大物ガイジンと、

数多くのシングルマッチを闘いました(参照:天の川に掛けた人間橋)。
完璧なカウント3

さらには“新国際軍団”との抗争も始まり、

7年ぶりに日本人対決にも本腰を入れていきました(参照:認めるがゆえにサディスティックカリスマ×矛盾=キラー~前編~同~後編~)。
太い首にスリーパーが食い込む

猪木とハンセン、最後のシングルマッチは“逆ラリアートの地”(参照:Vol.6)、

1981年9.18 広島県立体育館で行なわれましたが、

結果は両者リングアウトに終わります。
猪木とハンセン最後のシングル戦

さらに12.8 蔵前国技館での、

アントニオ猪木、藤波辰巳vsスタン・ハンセン、ローラン・ボックを経て、
猪木、藤波vsハンセン、ボック

12.10 大阪府立体育会館の、

MSGタッグリーグ優勝戦進出決定戦

アントニオ猪木、藤波辰巳vsスタン・ハンセン、ディック・マードック
が最後の闘いとなりました。
猪木とハンセン最後のタッグ戦

特に蔵前の試合前には、

自らのトレードマークであるテンガロンハットを、

場内に投げ入れた姿が印象的です。

これは新日ファンに対するハンセン流の、

お別れのプレゼントだったのでしょう。
ハンセンお別れのテンガロンハット投げ

ハンセンはシリーズ終了後、そのまま日本に残り、

全日本プロレスへ電撃移籍の乱入を敢行しました。
ハンセン全日登場

これについて猪木はズバリ言い切ります。

アントニオ猪木自伝表紙
 アントニオ猪木自伝 より

猪木
引き抜きの背景にはいろんな要素があるのだが、私からすればこういう面もあると思う。同じ選手との闘いがずっと続いていくと、最後はどちらかが降りることになってしまうのである。例えば、藤波‐長州がライバル関係になって、闘いがエスカレートしていけばいくほど、その結果として、どっちかがドーンと落ちるときがくる。
シンもハンセンも、自分の限界を知ったのだろう。もちろん、プロだから金のこともある。しかし自分の肉体にプライドを持ち、私との「過激な」闘いで観客から絶対的な支持を受けていた時代だ。過激になればなるほど自分が厳しいところへ追い込まれていく。エスカレート合戦の果てに、限界を感じたとき、彼らは安住の地を求めたのだ。それが全日本だったのではないか。
それほど私との試合には厳しさが要求された。生はんかなプロレスではファンも私も絶対に納得しなかった。


ハンセンにとってもシンにとっても、

全日本のリングというのは安住の地だった、と。

全日のオールドファンから怒られるのを承知で、

これについては私も同感です。

二人がプロレスラーとして、

あらゆる断面を見せたのは新日時代の事であって、

新日時代に完成させたキャラクターの一部分を、

全日では使っていただけに過ぎないのではないか、と。

新たな驚きはありませんでしたよね。

事実、シンは全日に行った事で、

猪木との抗争以上の輝きを放つことは不可能でした。
ジャイアント・コブラ1

一方のハンセンは全日でもトップガイジンに伸し上がり、

興行的な集客力でも断トツの存在となりました。
ハンセン入場

しかしながら猪木との闘いで見せた、

テクニカルな格闘技術は影を潜め、

パワーとラフの部分だけを高めて行きながら、

猪突猛進の直線型スタイルを全うしました。

猪木との抗争で見せてきた様な、

闘う度に見られた新たな面はありませんでした。
ハンセン入場

しかし一方の猪木も、

激しい闘いの中で肉体を消耗した代償は大きく、

ハンセン離脱の翌1982年には、

生命すら危ぶまれる大きな病に襲われます。
猪木欠場の挨拶

猪木
昭和五十七年、スタン・ハンセンが全日本へ引き抜かれた次の年だ。夢中で走り続けているうち、私は三十九歳になっていた。プロレス入りして二十二年。身体も相当ガタが来ていた。膝はもう限界で、四月の終わりに私は左膝半月板損傷の手術をした。

(略)検査してみると、私はひどい糖尿病だったのだ。血糖値は六百近くに達し、いつ死んでもおかしくない、と言われた。私は即刻、慈恵医大に入院させられた。
到底、試合に出られる状態ではない。怪我ではなく、内臓疾患での長期欠場だ。私も、もうプロレスは無理かもしれない、と覚悟した。


血糖値600(実際の数値は596)!!

さらにはこの年に痛風も発症しています。

しかし、本当に死の目前までいきながら、

決してインシュリンなどに頼る事なく、

持ち前の常人離れした回復力と、

自らに課した独自のトレーニング、食事療法のみで、

猪木は見事にリングへ帰って来ます。

猪木
ともかく、あのとき生きるための闘いに挑み、打ち勝ったことで、私はまたリングに復帰することが出来たのである。


しかもただ単に帰って来た訳ではなく、

どんどん新たなる道を切り開いていき、
ラッシャーのタックルを切って、

1989年に国政へ出て行くまでは、

常にプロレス界の先頭を走り抜きました。
裏十字④

そして千切れたはずの猪木とハンセンの赤い糸が、

再びつながるのは決別から9年後の1990年秋です。

ハンセンは9.30 横浜アリーナでの、

『アントニオ猪木デビュー30周年記念興行』のセレモニーに姿を現します。
猪木30周年セレモニー2

アンドレ・ザ・ジャイアントと共に、

『90ジャイアント・シリーズ』開催中の全日から、

ゲストとして招かれたのです。
猪木30周年セレモニー1

猪木の歴史を彩った激戦の雄たちが、

1枚の写真に収まったショットは壮観の一語ですね!!
猪木30周年セレモニー3

ちなみに、この日創設された『グレーテスト18クラブ』が、

我らグレーテスト1972の元となっています。

さらにこの日は猪木と同日デビューの、

“東洋の巨人”ジャイアント馬場さんもデビュー30周年。

ハンセンとアンドレはこの夜、

『G・馬場デビュー30周年記念試合』に出場しました。
馬場さん30周年記念試合

そのハンセンも90年代は若い三沢光晴小橋建太らと、

三冠ヘビーを巡る激闘を繰り広げます。

全日四天王と呼ばれた彼らのハードヒットを、

決してスタイルは変える事なく真正面から受け止め、

ダンプカーばりの肉体も徐々に消耗していきました。
三沢vsハンセン

猪木50周年本上巻表紙
 アントニオ猪木50Years(上巻) より

ハンセン
「イノキにはなかなか勝てなかったけど、コバシが私との闘いでアップセットを起こすことで上がっていったように、私もイノキ相手にアップセットを起こすことで成長していった」


ハンセン自身の成長過程において、

激闘を重ねていった猪木の様に、

自らが高い壁となる事によって、

鶴龍不在後の全日で彼らをオーバーさせていったのです。
小橋vsハンセン

三沢らが全日を離れた時には、

頑強な肉体も既に限界を迎えていました。

爆弾を抱えていた両膝が限界を超え、

2001年1.28 東京ドームで試合をせずして引退します。
ハンセン引退セレモニー

その3年前に同じドームで引退していた猪木(参照:神と信者たちへの劣等感)とは、

2000年代にもIGFのリングで何度か顔を合わせますが、

太くて赤いブルロープがつながったのは、

2010年3月

猪木がWWEのHALL OF FAME(殿堂)入り(参照:ワンツースリーの世界に還ってきた猪木)する際、

受賞セレモニーのインダクターをハンセンが務めたのです。
猪木のWWE殿堂入りスピーチ

6年後の2016年3月には、

そのハンセン自身も同じくWWE HOF入り。
ハンセンのWWE殿堂入りスピーチ

モハメド・アリと闘った事が偉業として残っている猪木はともかく、

それまでのプロレスの常識から考えると、

かつてはWWWFでアウトローの様な存在だったハンセンも、

日本の2大メジャー団体での活躍が評価されて、

世界最大に成長した同団体の殿堂に入ったのです。

1977年に日本で出会った二人は、

39年の時を経てプロレス界のレジェンドとなった訳です。




そして2017年10.21 両国国技館

INOKI ISM.2~アントニオ猪木『生前葬』~
で、

再びハンセンの姿が日本のリングで見られましたが、
ハンセン@猪木生前葬1

大会タイトル通り、

猪木の生前葬として執り行なわれた興行では、
ハンセン@猪木生前葬2

猪木ハンセンの2ショットはありません。
猪木@猪木生前葬1

過去の二人の闘い同様に、

そこは常識を逸脱するリングの様相でした。
猪木@猪木生前葬2



日本中のプロレスファン全世代を通して、

恐らく最も愛されるガイジンレスラーだったハンセンは、

猪木に対して感謝の言葉を残しています。

ハンセン
「私もイノキと闘ったことでここまで来られたと思う。イノキに限らず、ニュージャパンのレスラーと闘うことが成長する機会を与えてくれた。そして、それを支持してくれるファンがいた。そうじゃないと、日本で25年も闘うことはなかっただろう」

「もし、あの時ニュージャパンへ行ってなかったら、その後のスタン・ハンセンはなかっただろうし、日本のプロレスリング、日本のファンを愛することもなかっただろう。日本でキャリアを終えることもね。イノキとゆっくり話したことはないが、ニュージャパンのリングに上がり始めたころの私はまだ未熟だったし、イノキから闘いを通じていろんなことを教えられた。トップとしてオールジャパンに迎え入れられたのも、イノキとの闘いがあったからこそだしね」


一方の猪木もまた、

幾多のライバルたちの中でもハンセンと出会った事で、

互いに高め合っていった5年間を、

誇らしげに振り返っています。

アントニオ猪木の証明表紙
 アントニオ猪木の証明―伝説への挑戦 より

猪木
「あくまでも俺の立場から捉えれば、繰り返すようだけど、本人も気づかない自分に気づかせて、凄いレスラーに成長させて、そうすることによって俺も刺激を受けて勝負ができた存在とでも言うのかな…。もしかすると、そのプロセスがおれにとっての本当の勝負だったのかもしれないね…」


アントニオ猪木スタン・ハンセン

この二人の闘いがあったから、

日本におけるガイジンレスラーの定義は変化し、

プロレスの試合における間合いも多様化し、

ハードヒット、ハードバンプがスタンダード化しました。
走り込みウェスタン・ラリアート3

全て吹き飛ばすハンセンの暴風雨によって、

猪木という風車が激しく回り続ける事で、

1980年代の前半から物凄い速度で、

世界のプロレスが進化したのです。
逆ラリアート3

その著しい変化、多様化、進化は、

間違いなく今に繋がっているものだと思います。
猪木場外ダイブ②

かつてNWAが絶対的なプロレスの権威だった時代、

英雄の首を折って干されかかった“でくのぼう”が、

小さな島国で権威と闘い続けるカリスマに出会い、

二人で権威よりも大きなものを創造していった。
トップロープからの延髄

こんな奇跡は、

そうそうお目にかかれないはずです。
それに応える猪木

そして、この奇跡をテレビで一緒に観る事で、

私にプロレスの存在を教えてくれた亡き祖父にも合掌。



以上で【腕ひしぎ逆ブログ】流、

猪木とハンセンのストーリーを終わります。

エンディングまでお付き合い下さいまして、

ありがとうございました。

最後にこの続きもの記事を書くために、

優しく背中を押して下さいましたスライディングDさんに、

改めて心より感謝申し上げます。

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン 全日本プロレス 新日本プロレス90'S ISM

comment

Secret

No title

大作ありがとうございました。

Gスピリットでも読んでいるかのような錯覚を感じました。

僕が見始めた頃は既に
ブッチャー、マードックは全日本
シン、ハンセンは新日本
の時代。
プロレス大百科に載ってるアンドレvsハンセンを見て
「なんで、ハンセンが猪木のとこにいるの?」
という感覚しかありませんでした。

新日本時代のハンセンを無性に見たいのですが、なかなか叶いません。


今年も北海道、行きたくなってきました(笑)

>ナリさん

こちらこそ最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

Gスピリットでも読んでいる<とんでもない。例によって文法も何もメチャクチャですよ〜。

プロレス大百科に載ってるアンドレvsハンセンを見て「なんで、ハンセンが猪木のとこにいるの?」<見始めるタイミングが一年違うと、当時のプロレス界はそのくらい違ったかも知れませんね。私の場合は全日時代のマードックって全く記憶にないんですよ。

新日本時代のハンセンを無性に見たい<結構動画サイトには転がっていますね。
あとはナリさん再来道の際に私が持ってる範囲でお渡ししましょう。

行きたくなってきました<そこはもうタイミングですねぇ〜(櫻井さん調)。

感動をありがとう(T▽T)

大作、お疲れ様でした!!

今回はもう、のっけからまず題名にやられました。暴風雨、ハンセンの写真集にありましたね~。世の中が慣れ親しんだ不沈艦をあえて使わず、この暴風雨と風車の理論を合わすとは、さすがのセンスです。シビレました(*´∇`*)

そして内容。今回は猪木とハンセンの戦いの歴史でしたが、その他に・・・個人的感情なんですが、一戦一戦を見るたび当時のプロレス以外のこともいろいろ思い出して・・・(*^O^*)

ブラウン管のガチガチ回すチャンネルのテレビに掘りゴタツ。そこで家族でプロレス見た記憶や、学校でハンセンのマネしてたことなど、更新された記事を読むたび自然と頭によみがえってきて、本当になつかしい気持ちでいっぱいになりました。

素晴らしい作品、ありがとうございました(*´∀`)

>流星さん

こちらこそ、最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございます。

のっけからまず題名にやられました…シビレました<いやぁ~!! 嬉しいっ!!
そこにまで気付いて下さる方は恐らく流星さんだけでしょう。先日のJWAのくだりなんかもそうですが、出会う前から色んなものを共有していたとしか思えない次第です、はい。

一戦一戦を見るたび当時のプロレス以外のこともいろいろ思い出し<今回は敢えて歌は無しにしました。でも振り返りつつ、調べていくと、この猪木vsハンセンがプロレスの試合スタイルを大きく変えたと思うんですよね。
攻撃と受けのリズムがこの抗争を境に変わっていったと思います。

ブラウン管のガチガチ回すチャンネルのテレビに掘りゴタツ。そこで家族でプロレス見た記憶や、学校でハンセンのマネしてたことなど<いろんな記憶にリンクする事が出来て何よりです。私も書き進めながら祖父のことが思い出されてひとしおの気持ちがありました。気がつくと、季節はお彼岸でした。

こちらこそ本当にありがとうございました。
年内には流星さんからのご提案、マシン1号の続きものをやりたいと思っています。あと、海賊男にもつなげていきたいと思っています。

超大作有難うございます

まさかここまでの大作を提供いただけるとは。本当にお疲れ様でした!
書かれている事、全てに同感しうなづきながら読ませてもらいましたよ。

全日が彼らの安住の地だった・・・というのは即ち全日新日の外人レスラーの扱い方の違いにも繋がるんでしょうね。新日は、ワフー・マクダニエルやブラックジャック・マリガンのような本国で超一流のレスラーでも使えないと判断すれば容赦なく切り捨てたり、主力でない外人の場合は中堅・若手を使って潰しにかかったりと、とにかくシビア。かたや全日は、中堅どころの外人にもクリスマスプレゼントを送ったりと細かいケアもバッチリ行うという対照ぶりで。
ハンセン・シンは厚遇されていたでしょうけど、引き抜き戦争で、自分のポジションさえ絶対ではないと限界を感じての移籍だったのでしょう。

ハンセンが戦いの中でアップセットを起こし成長させていった・・・天龍と四天王が正しくそうでしたね。こんなエグい攻撃を食ったら死んでしまう、という場面を幾度も経験し、それを乗り越えて上り詰めたわけで。その原点は全て猪木との戦いにあるわけですものね。

新日より全日のリングに上がった期間が長いわけですけど、ハンセン自身、自分の原点を忘れずに誇りに思っているのは良い話だと思います。ここ近年のハンセンは、とにかくにこやかで柔和ですよね。現役時代からは想像もつかないですね。

コメントが長くなってしましましたが、これだけ掘り下げて読み応えのあるブログを提供してくださったレガさんに感謝感謝ですよ。改めまして有難うございました!

No title

こんにちは!
実は楽しみに読んでいました。
非常に面白かったですよ。ハンセンも私は新日スタートだったもんで。
ただ、やはり私個人はラリアートよりもウエスタンラリアット!なんですよね~。
イノキ、アンドレや放ったラリアットも凄いのですが・・やはり全日でラリアットは完成されたという思いです。あの居合のようなものは、打撃の完成形です。
ただ、こうしてみると確かに全日時代はラフと体力に任せたファイトというのは否定できませんが、やはりハンセンはそれでよかったかとも思いますね。
その完成形がハンセンVSベイダーのドームだったかと思います。
でも本当に面白かったです。
高田、ハンセンがいなくなりめっきりプロレスを観てませんよ・・・。
そろそろ高田vs嵐きましょうよ(w。
待ってます!

>亀熊さん

書かれている事、全てに同感しうなづきながら読ませてもらいました<おかげさまで何とか書き終えることが出来ました。亀熊さんとのお食事会でスタートダッシュが切れたという思いです。

全日新日の外人レスラーの扱い方の違いにも繋がる…ハンセン・シンは厚遇されていたでしょうけど、引き抜き戦争で、自分のポジションさえ絶対ではないと限界を感じての移籍だった<馬場さん夫妻は自分らの子供の様に若手やガイジンたちの面倒を見ていたみたいですね。
それが水に合ったハンセンやウィリアムスはある意味新日以上に力を出せたのでしょうし、シンなんかは戸惑いもあったのか新日時代よりも輝けなかったですよね。

ハンセンが戦いの中でアップセットを起こし成長させていった…原点は全て猪木との戦いにある<天龍は別として四天王に対するハンセンは、90年代以降不在となった鶴田天龍の代わりとしての役目を全うしたんじゃないでしょうか。
四天王もハンセンという絶対的な象徴を突破したからこそファンからの圧倒的な支持を得ることが出来たのだと思います。

感謝感謝ですよ<おおっと! 黒板五郎ばりの「感謝感謝」頂きましたぁ~!!
こちらこそ、最後まで読んで下さいましてありがとうございます。

>Fさん

こんばんわ。

実は楽しみに読んでいました<ありがとうございます。

私個人はラリアートよりもウエスタンラリアット!<通名は今やラリアットの方ですが、私はラリアットって何となく軽く感じるんですよね。ラリアートの方が重厚感あるというか。

全日でラリアットは完成された…あの居合のようなものは、打撃の完成形<一撃必殺という部分では全日時代の方が明白でしょうね。
しかしながら新日ではそれも良しとはせず、意外性とインパクトを重視していました。

確かに全日時代はラフと体力に任せたファイトというのは否定できませんが、やはりハンセンはそれでよかったかとも思います<そこは記事とは逆説的になるのですが、結果的にそれで良かったと思います。それこそ新日に残っていれば、ややもすると器用貧乏にもなりかねない。
だって数年後に現れたベイダーやビガロなんてハンセン以上の巨体で跳んだり、回ったりしていたのですから。
ハンセンはテクニカルな部分を排除して全日で闘ったから、これだけのインパクトを残せたのだとも思います。

高田、ハンセンがいなくなりめっきりプロレスを観てません<今でもFさんの心を動かすプロレスラーはいると思うんですけどね~…ぜひ機会があれば、また観てみて下さい。

そろそろ高田vs嵐<んあ~(笑)。嵐引退までには!!(??)

No title

更新お疲れ様です。

見ているだけなのに何故かハラハラして
しまうスタン・ハンセン選手!

でも好きな選手なんです。

リアルタイムで見ていませんが過去の
試合動画を見ても活躍していた暴走気味の試合
スタイルから目が離せませんでした。

本当に凄い試合ばかりだったんですね。

逆ラリアートに両者リングアウトには
驚きました!!

タイガージェット・シン選手も勿論
凄かったですが、ハンセン選手が
活躍していくにつれ徐々に鳴りを潜め
ていったのかな。

シン選手もハンセン選手も新日での
活躍があったからこそ他団体へ移籍
し安住の地であっても魅せてくれてい
たように思いました。


ハンセン選手の引退セレモニー
まだ見ていないので見てみます。

やっぱりプロレスって楽しいね。

次の続きモノは何かな?



>みーさん

ありがとうございます。

見ているだけなのに何故かハラハラしてしまうスタン・ハンセン選手!<そういう雰囲気持った選手って激減しました。

過去の試合動画を見ても活躍していた暴走気味の試合スタイルから目が離せません…本当に凄い試合ばかり<まずあのスタイルは凡戦になり辛いですよね。これはダイナマイト・キッドもしかり。

逆ラリアートに両者リングアウト<逆ラリアートは閃きの一発ですからね。
両リンについては…あぁ、みーさんの様なお若いファンだと確かに想像つかない結末かも知れませんね。

タイガージェット・シン選手…ハンセン選手が活躍していくにつれ徐々に鳴りを潜め
ていった<新日時代に限ってはそうでもないんですよ。
猪木は両方の抗争を成立させていました。さらに異種格闘技路線もあったんですからね。

ハンセン選手の引退セレモニー<私も今回初めてYOUTUBEで観た次第です(笑)。

次の続きモノは何かな?<次はですね、みーさんにだけお教えします。
実は4月1日に宣言した某美少女の女子プロレスラーへの道を完全ドキュメントで追っていく予定です。

No title

あぁ、聞いた話では

今、虎の穴に通ってるみたいです( ゚д゚)

遅れましたが・・・

猪木vsハンセンの超大作ありがとうございます。
余り知らなかった新日時代のハンセンを知る事が出来ました。

猪木さんはテクニックを駆使しつつもトップロープからの捨て身のダイブ技や逆ラリアットとハンセン技に真っ向からぶつかって行ったとはねえ。

確かに全日のハンセンはパワーと馬力を生かしたスタイルでしたが其れが全日本に受けたんでしょうね。
そう言えば、リック・マーテルからAWA世界ヘビー級王座を奪った時の決め技はコーナーマットを上手く使った逆エビ固めでテクニックな部分を見せましたね。

ハンセンにしろシンにせよ有名外国人レスラーにさせた猪木さんの名伯楽振りを感じさせて頂きました。本当にありがとうございました。

>みーさん

聞いた話では…の穴に通ってるみたい<…え? どちらの穴に? 何が通ってるのですか??? …なんつってンムフフ。

>スライディングDさん

こちらこそ、本当にありがとうございました。

テクニックを駆使しつつもトップロープからの捨て身のダイブ技や逆ラリアットとハンセン技に真っ向からぶつかって行った<ここ一番において閃きで繰り出されるんですよね。やはり不世出の大レスラーだったと再認識した次第です。

リック・マーテルからAWA世界ヘビー級王座を奪った時の決め技はコーナーマットを上手く使った逆エビ固め<あれも微妙でしたよね。「これって反則じゃないの?」とか思いながら観ていた記憶があります。
でもハンセンがAWAを巻くことで、アメリカのプロレス界も実力第一主義になったと思いました。

ハンセンにしろシンにせよ有名外国人レスラーにさせた猪木さんの名伯楽振り<ホーガンも最高傑作の一人かも知れません。ぎりぎりベイダーもかな?
闘いながら育てていくのは新日のお家芸だったかも知れませんね。
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Author:紫レガ 
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