追悼・“燃える闘魂”の命名者

私が日本を離れていた間に、

また一人、偉大な先人が天国に旅立って行きました。

 スポーツ報知 より
テレビ朝日のプロレス解説者、桜井康雄さん死去…古舘アナ、小鉄さんと名トリオ

テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」の解説者として1980年代のプロレスブームを盛り上げた東京スポーツ新聞社元編集局長の桜井康雄さんが10日、神奈川県内の病院で亡くなったことが11日、分かった。

(略)関係者によると、桜井さんは心臓疾患を抱えており、ペースメーカーを入れる手術を行ったが、感染症を引き起こしたという。桜井さんは法大を卒業後、東京スポーツへ入社。プロレス記者として活躍しテレビ朝日が中継した新日本プロレスの解説者としてファンに親しまれた。特に毎週金曜夜8時に中継されていた1970年代後半から80年代の新日本全盛期では、実況の古舘伊知郎アナウンサー、解説者の故・山本小鉄さんとのトリオでお茶の間を沸かせた。


私ら昭和のプロレス少年に毎週金曜8時、

学び舎で教えを説いて下さった偉大なる先生。

東京スポーツの櫻井康雄さんですね。
黄金のトリオ

葬儀は既に執り行われ、

大勢に見送られての出棺だった様子です。

桜井康雄さん告別式に藤波辰爾、古舘アナら200人 出棺時には「ワールドプロレスリング」テーマ曲

昭和の新日本プロレス全盛期にテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」で解説者として活躍し10日に80歳で亡くなった東京スポーツ元編集局長の桜井康雄さんの葬儀告別式が16日、神奈川県厚木市のJAあつぎ第2グリーンホールでしめやかに営まれた。

式には、藤波辰爾(63)、「ワールドプロレスリング」で実況を務めた古舘伊知郎アナウンサー(62)ら約200人が列席した。出棺時には「ワールドプロレスリング」の番組テーマ曲が流れる中、藤波、古舘さんら新日本プロレス黄金時代を支えた関係者が棺を運び、プロレスを記者として解説者として支え続けた桜井さんを送った。


既に天国にいる山本小鉄さん(参照:追悼・鬼軍曹)の姿は無理ですけど、

多忙な中でも古舘伊知郎アナは参列して、

最後は棺を持ったとの事です。
放送席もピリピリ

古舘アナは櫻井さんに対する感謝の意を表しています。

古舘伊知郎アナ「プロレスのウィキペディアみたいな人だった」桜井康雄さん葬儀で偲ぶ

古舘アナ
「ただひたすらあの当時、育てていただいたことに感謝いたします。それのひとことに尽きます。それ以外は思いつかないです。本当にお世話になったんで」

「当時は、解説が遠藤幸吉さんと桜井さんの2人だったんです。山本小鉄さんは、まだ、そのだいぶ後だったんですが、遠藤さんは、古い方は知っていると思うんですけど、解説がめちゃくちゃな人でめちゃくちゃ面白いんです。本当にめちゃくちゃなんです。“さぁグラウンドの態勢に入りまして、リングのほぼ中央だ。さぁこの態勢から遠藤さん、こっからかなり受けている方はキツイヘッドロックの態勢に入りましたね”って言うと“いや、何の何の今、休んでいるだけ。もうちょっとしたら、起きあがると思います”とか言うんです。その横で桜井さんが絶妙にフォローしてくれてすべて面白く興味深く解説していただいたんですね。本当にプロレスのウィキペディアみたいな人だから、全部自分の引き出しの中からうまくまとめてくれてお世話になりました」

「思い出がいっぱいあって、よくニューヨクのマジソン・スクエア・ガーデンへ中継に行きましていつも桜井さんと一緒に行かせてもらってボクが22、23歳の新人アナウンサーのころですから、お金もそんなにない。ニューヨークもあの方事情通で何でもよく知っていて、高級ホテルの1階に天ぷらの稲ぎくっていうお店がありまして、そこに2人だけで連れて行ってもらってごちそうしてもらって“古舘君、あなたおしゃべり面白いからモノになるから、一生懸命にやった方がいいよ”って色々、アドバイスもらって、本当に染み渡るように、天つゆが染み渡るようにうれしくて。桜井さんのひとつひとつの言葉が。未だに忘れられないですね。あの当時、本当にお世話になりました」

「やっぱりベースですから、意識せずともそれはあります。この60歳を過ぎますとね、自分の中の桜井さんがあって、ただただ若い時みたいにしゃべるだけじゃなくて、合間合間でちょっと落とすとか、そういうことも考えてみると、そのチェンジオブペースも桜井さんの解説込みで入っている感じはしますよね。そういうのっては、若い時の感受性で入ったら抜けないですよね。深層心理で入ってます」


他にも古舘節と呼ばれた過激な実況フレーズも、

実は櫻井さん発信であったという秘話も語っています。

古舘アナが日本指折りの名司会者、名キャスターとなった原点が、

櫻井さんとの実況席だったの言うのも、

毎週観ていたプロレスファンとしてみれば誇らしいです。

NYで男の嗜みを教わっているのも素敵じゃないですか。
ブロディ敵前逃亡を伝える放送席

葬儀にはプロレスラーとして唯一、

藤波辰爾が参列していた模様です。
放送席の藤波を挑発

藤波辰爾、名解説者で必殺技の名付け親・桜井さんに感謝「黄金時代を支えてくれた第一人者」

藤波
「感謝の気持ちでいっぱいでお見送りしました。新日本プロレスのいい時代を側面で支えてくれて、黄金時代を支えてくれた第一人者だと思います」

「名前を付けていただいて今でも、あの技が呼ばれ続けていることに感謝の思いでいっぱいです。桜井さんはプロレスが好きでマスコミの中でもずば抜けてプロレスが好きだった」


名前…そう、ドラゴンスープレックスの名付け親は櫻井さんなんです。
その名も飛龍原爆固め!!

一連のドラゴン殺法と若き藤波のルックスが相まって、

70年代の新日に女性ファンと少年ファンが急増したと思います。
若き飛龍・藤波

藤波が言う通り櫻井さんも本当にプロレスが好きで、

新日黎明期にはいろいろなビッグカード実現のために、

裏でブッキングに尽力したり、資金を出していたんですよね。

そういう部分は竹内宏介さん(参照:追悼・ミスターゴング~そのプロレス愛~)と双璧だったと思います。

さらに私ごとで言えば、

当ブログ名の元ネタである腕ひしぎ逆十字も、

櫻井さんが発祥(参照:逆十字論争の最終結論)ですしね。

古舘アナ以前の名タッグパートナーである、

舟橋慶一アナが、

「まさに日本のプロレスの夜明けです」という名言を吐いた時も、

隣に座っていたのが櫻井さん。
70年代の放送席

櫻井さんは作家としてたくさんの著書や原作も残しています。

アントニオ猪木の処女作品である『燃えよ闘魂』は、

櫻井さんがゴーストライターだったというのも有名な話です。
猪木処女作『燃えよ闘魂』表紙

そしてこのタイトルこそが舟橋櫻井コンビによって浸透し、

猪木の代名詞として日本国民の胸に刻み込まれた訳です。

Gスピリッツ SPECIAL EDITION Vol.1アントニオ猪木表紙
 Gスピリッツ SPECIAL EDITION Vol.1 アントニオ猪木 より

櫻井さん
「これは猪木寛至著として出したんだけど、どういうタイトルを付けようかと。当時、僕が愛読していた作家の司馬遼太郎が週刊誌に土方歳三の生涯を描いた『燃えよ剣』という小説を連載しててね。これが物凄く人気を呼んでいたんですよ。それでタイトルを『燃えよ闘魂』にしたんです。そうしたら、舟橋(慶一)アナウンサーがそのタイトルを『燃える闘魂』とテレビで連呼するようになって、あのキャッチフレーズが生まれたんだけど、この『闘魂』というのは猪木の人生の座標みたいなものですよね」


“燃える闘魂”…こんなにかっこいい響きはないですよ。

いつまでも古くならないし、

どこまでいってもダサくならない。
“燃える闘魂”アントニオ猪木

猪木は葬儀に参列しませんでしたが、

櫻井さんにとって猪木の存在は、

全くもって格別な意味を持っていたと思います。

今から25年前に発刊された記念本に、

櫻井流猪木プロレスの嗜み方がレクチャーされているんです。

 新日本プロレス20年史 より

櫻井さん
アントニオ猪木は、素晴らしいプロレスラーだった。
どの場面でも“絵”になっている。
最近、私はプロレスリングのビデオや実況中継を見る時、音を消して見る。いや、音は別に聞くのだ。
プロレスリングの名勝負はクラシック音楽とピタリとフィットする。
それもベートーベンやモーツァルトではなくワーグナーだ。

(略)
昭和47年10月4日、東京・蔵前国技館において行なわれたアントニオ猪木とカール・ゴッチの“世界ヘビー級選手権試合”…当時、テレビ放送がなかった新日本プロレスの試合が初めてブラウン管に登場した記念すべき試合である。
長い間、私が見てきた新日本プロレスの試合の中からベストワンの名場面を選べといわれれば、私はこの一戦の中の猪木とゴッチ…そしてレフェリーのルー・テーズによって魅せられた一コマを選ぶだろう。
これほどワーグナーに合う試合はなかった。「ニュルンベルクの指環」の中の「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」…その旋律の中で猪木、ゴッチ、テーズが動いている。

(略)
ただ戦いの瞬間に全霊を沈めて耐えるゴッチの目、非情なまでに冷静にそれを見つめるテーズの目。まさにここは「ラインの黄金」の場面だ。そして一気にゴッチの力が盛り上がってくる。猪木にショートアームシザースをかけさせたまま…ゴッチは、じりじりと立ち上がり始めたのだ。音楽は「ラインの黄金」から「ワルキューレ」へ。リングサイド…いや満場を埋めた観衆の驚嘆の表情。ゴッチはついに115キロ(当時)の猪木を持ち上げてしまった。そして一歩二歩とコーナーに歩きはじめる。コーナーへ猪木を運び終わったゴッチ…そして猪木の表情の動きが素晴らしい。
猪木の目に一瞬ではあったがゴッチに対する“崇敬”の念が見えた。

(略)
試合は最後に場外でゴッチのジャーマン・スープレックス・ホールドが炸裂したが、猪木は一瞬のタイミングでこれを空中で砕けさせゴッチを自爆させてリング上に転がりこみ、ついに“師”であるゴッチに完勝、“世界チャンピオンベルト”を獲得したのだが、猪木がリングに転がり込んだ瞬間…リング下で立ち上がったゴッチの表情が素晴らしかった。
非情な勝負師として勝負に負けた悔しさ。そして愛弟子が自分を超えた師としての嬉しさが交錯した何ともいえぬ男の顔。リングに戻った時のゴッチの顔は晴れ晴れとして猪木の勝利を心から讃えていた。
猪木、ゴッチ、テーズ。この20世紀を代表する三者が三様の思いで同じリングに立ったプロレスリング・ロマン…私は改めてワーグナーの「神々の黄昏」を聞きながら味わった。


ブランデーグラス片手にプロレスとクラシックを賞味…、

そんな感じがありますが、

櫻井さんだからこそ様になる様な気がします。
猪木がゴッチに初勝利した試合

改めてこれを読んで思ったんですけど、

やっぱり私のプロレスの原点は金曜8時なんだなぁ、って。

小鉄さんから教わった技術論、

櫻井さんから教わった情景描写と脳内補正(参照:櫻井さんの馬場論血で血を洗う信頼感・੨~新宿伊勢丹路上襲撃事件~ネイルデスマッチとは何か?)、

これを一言で表すなら“プロレスリング・ロマン”ですかね。

あとはもちろん“タイミング”。

私のブログ記事に「…ね。」が多いのも、

櫻井イズムなのかも知れませんねぇ。

櫻井さんのご冥福、心よりお祈り致します。
猪木と櫻井さん

関連記事

tag : 訃報 櫻井康雄 アントニオ猪木 藤波辰爾 古舘伊知郎

comment

Secret

No title

今回の訃報を受けて思ったのが櫻井さんって、いつ頃まで解説してたっけでした。

いつの間にかフェイドアウト?古館と同時にフェイドアウト?

という事でDVDコレクションで調べてみました。
86・5・1の新日本vsUWFの勝ち抜き戦(藤波が血だらけで藤原に勝ち前田に負けたやつ)までいて、その後のIWGPには、いませんでした。

ゴールデンタイムに、ずっといた気がしていたので意外と早かったんだと思いましたね。それだけ存在感が大きかったという事でしょう!!

櫻井さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

>aliveさん

櫻井さんって、いつ頃まで解説してたっけ…DVDコレクションで調べてみました<黄金時代に解説していたので、かなり長くやってた印象ありますが、実際のところ10年強だったんですね?
2000年代にはよくドームのリングサイドに太刀川社長と並んで座ってるのを見かけましたが、ほとんど寝てましたね。「ああ櫻井さんには今のプロレスがつまんないんだろうなぁ」と思ったものです。

No title

櫻井さん、竹内さん、I編集長、山田さん、菊池さん、田鶴浜さん・・・。
ほんとうに寂しいですね。

>前吉さん

初めまして。
コメントありがとうございます。

櫻井さん、竹内さん、I編集長、山田さん、菊池さん、田鶴浜さん・・・。ほんとうに寂しい<そうですね。私らが少年時代にプロレスの手ほどきをして下さった恩人たちですね。
今や門馬さんくらいですか? でも門馬さんはちょっと違うんですよね…。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
45歳のプロレス話


長州、これは俺のブログだ。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
UFC (1)
最新トラックバック
検索フォーム
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
リンク
来場者数
QRコード
QRコード