運命の不協和音 WoO.13~ボイコット事件とワイキキ襲撃事件~(1985~1986)

WoO.12より続きます。

アントニオ猪木ブルーザー・ブロディによる“運命の闘い”は、

半年の期間において6戦を経てきましたが、

暮れのシリーズ『85IWGPタッグ・リーグ戦』の最終戦の日、

1985年12.12に突然ピリオドを打ちました。

ジミー・スヌーカとのコンビでこのリーグ戦を独走してきたブロディは、

当日、優勝決定戦が行われる仙台行きの東北新幹線、

11時発の『やまびこ49号』に乗り込みましたが、

ここで突如、ガイジン係のTレフェリーと口論した挙句、

罵声を浴びせて発車直前の車輌から降りて、

スヌーカと共に去っていってしまったのです。
ボイコット事件2

この異常事態を当時の現場責任者、坂口征二は語っています。

 Gスピリッツ Vol.30 より
Gスピリッツ30表紙

坂口
「ブロディっちゅうのは、ヘンにプライドが高いんだよ。他のガイジンを持ち上げると北向いたり、試合をするのしないのって時間ギリギリに会場に来たりとかね。トラブルメーカーだった。あの時は、決勝戦の前の日にシングルマッチで俺がブロディにイスで左膝を滅多打ちにされて、歩けなくなって。俺は歩けないから棄権することも考えていたんだよ。ところが、ブロディたちがボイコットしたから無理して出て…
(略)。ブロディたちは上野駅まで行って、仙台に向かう列車には乗ったんだよね。でも、発車間際に飛び出して行っちゃったっていうんだから信じられないよな」


この当時、色々な憶測が飛び交いましたが、

とにかく宿舎の京王プラザホテルに戻ってしまったブロディは、

こう言い放ちました。

ブロディ
「新日プロはブロディのレスラーとしての技量は買えても、フランク・グーディッシュ
(本名)の心までは買えない。気難しいと言われればそれまでだが、俺にも言い分はある。理由? それは新日プロに聞いてみろ。不満は数え切れないほどある」
ボイコット事件1

結局、「去る者は追わず」を決めた新日は、

ブロディの行動を“敵前逃亡”と発表し、
ブロディ敵前逃亡を伝える放送席

当日の優勝決定戦では、

日本プロレス史に残る名勝負を残しました(参照:「やったーーーーーーーーーー!!」)。
涙の初優勝

一方のブロディは翌日、マスコミの取材に対して、

その心中を吐き出してから帰国の途に就きました。

その内容とは全日時代と異なる『待遇面』と『金銭面』の不満。

特に『星野勘太郎の様な遥かに小さい相手とのマッチメイク』などを、

ボイコットの理由として挙げました。

まず、全日離脱直前の長州力とのタッグ初対決(参照:それが超獣のロケンロール)でもコメントしていましたが、

ブロディの中には「チビは前座」という揺るぎない概念があります。

その前座レスラーと自分が向き合わなくてはならない事が、

我慢ならなかったのでしょう。
長州×超獣11

それとブロディの高すぎるプライド。

ブロディ
「人間にとって金が最も大切なものではない。最も大切なものはファミリーでありプライドだ」


この言葉こそが最もブロディを表わす名言ですね。

事件を機に、“日本人不信”にまで発展してしまいました。



しかし新日離脱後、

ブロディは予想以上の孤立をしてしまいます。

まずトラブルメーカーとしてのレッテルを確立してしまった事で、

全米の大きなマーケットでの仕事がほぼ消えたのです。

実はボイコット事件当日の深夜、

ブロディはジャイアント馬場さんに“最も近い”マスコミ関係者と、

朝まで新宿のバーで飲み明かしたそうなのですが、

これはブロディなりの間接的馬場さんへのアプローチだった様です。

しかし、そうみすみすカムバック要請する馬場さんではありません。

その後、主に参戦していたカンザス・マットにおいても、

ハーリー・レイスを通じてアプローチを試みましたが、

そこでも馬場さんは無視。

実は既に猪木、坂口と馬場さんの間で、

“ブロディ日本追放協定”が締結されていたからです。

それでもブロディは4月、

AWAのビッグショー『レッスル・ロック86』出場時に思い切って、

ドレッシングルームで馬場さんに直談判に出ますが、

返って来たのは「元気か?」の一言のみ…。

ちなみにこの日のブロディの対戦相手、

タッグマッチながらも因縁深いスヌーカだったんですねぇ。

この大会後、スヌーカは新日と和解して復帰しています(参照:BEST OF THE 稲妻)。

 団塊Jrのプロレスファン列伝 より
1986・エープリル・オブ・レスリング・ウォー3)
ブロディINレッスルロック86

アメリカの弱小団体とプエルトリコ、

あとは親交が深いエリック一家のダラスくらいしか、

闘う場所がなくなりつつあったブロディですが、

そのダラスのボスであるフリッツ・フォン・エリックの尽力によって、

突然、本当に突然に運命は巡ってきます。



1986年8.9

ちょうど一年前に猪木との4度目のシングルマッチを行ったハワイ・アロハスタジアムでの、

『ホット・サマー・ナイトⅡ』に急遽出場する事を決めたのです。

実はこの日ブロディは、

アラバマ州バーミンガムの興行でザ・ロード・ウォリアーズとの対戦が決まっていました。

それを当日ドタキャンしてのハワイ入り!!

また一人プロモーターを敵に回した訳です。

このハワイ大会には新日からも猪木、坂口に藤波辰巳木村健吾ザ・コブラと主力が総出場。

ブロディはグリゴリー・スミスと組んで、

ザ・シークマーク・ルーイン組と対戦し、

スタジアムのスタンド席まで雪崩れ込む大乱闘を演じました。

一方の猪木はハクソー・ヒギンズとの一騎打ちでしたが、

新進気鋭のスティーブ・ウィリアムスが乱入して、

二人がかりで袋叩きにされてしまいます。

そんな中で、会場のバックステージにおいてブロディが、

取材に来ていた週刊ファイト記者のカメラを破壊する暴挙もありました。

嵐の様な一日が終わり翌日、

運命の8.10を迎えます。



この日、猪木は一日だけのオフを利用して、

午前中にアラモアナ・ショッピングセンターで買い物を済ませると、

昼食後の2時半頃に山本小鉄さん古舘伊知郎アナらと、

日光浴の為にワイキキビーチへ。

そこで“事件”は起こりました。

現地は日曜日、ゴッタ返すビーチに現れた、

赤のタンクトップとグリーンのショートパンツ、

白いソックスにジョギングシューズ姿のブロディが、

日光浴に興じる猪木の背中をバーン! と叩き、

そのまま至近距離での睨み合いが始まります。
ワイキキ襲撃事件1

ブロディは一方的に大声でまくしたてると、

猪木は思わず「落ち着いて話せ。こんな場所ではなく、もう一度、出直してこい」と。

突然走った緊張に、

ビーチの海水浴客らは騒然となりますが、

ほんの数分の出来事とあって、

大事にはなりませんでした。
ワイキキ襲撃事件2

ここからの展開は速かったです。

 週刊ゴング No.118 より

ブロディ
「実は我々の仲を案じたフリッツ・フォン・エリックが間に入ってくれて、ニュージャパンのサカグチと電話で話をしたんだ。ニュージャパンのビジネスは私が日本を離れてから散々なものらしいじゃないか。TVレーティング
(視聴率)も落ちたし、会場の入りも悪くなったらしいな。私の力がどうしても必要だということを聞いて『それなら』と話を聞くことにした。(略)話し合いをした末、ニュージャパンのマットに再び上がることを決意した」


実は当時の新日本、

UWF軍との抗争を看板にしていましたが、

観客動員、テレビ視聴率ともにそれ程反映されず、

やはり大物ガイジンのネームバリューに頼らざるを得なかったのです。

そして一方のブロディも、

プロレスラーとしてのライフワークが、

「衰退したプロモーションの救世主になる」事である以上、

声が掛かれば二つ返事な訳です。

ただし、プライドだけは決して譲る事はなく…、

ここの部分、重要ですね。



かくしてブロディは本当に帰って来ました。
帰ってきたブロディ1

9.14 成田新東京国際空港に降り立つと、

タクシーで宿泊先の京王プラザホテルに直行。
帰ってきたブロディ2

19:37より同ホテル4階『なつめの間』で記者会見に臨みましたが、

前年4月の移籍会見とは大きく異なり、

会見の質疑応答は無し、さらに滞在中のインタビュー取材拒否宣言。

一方的に10分間スピーチすると、すぐに自室へ戻っていきました。

目に見えて野性味が薄れてしまったブロディ、

さすがに今回ばかりは、

おとなしく新日側の要求を飲むだろう、と周囲は予想しました。

猪木も今度こそは完全決着を着けんと、

改めて三本勝負を提示したのですが…。
ルール問題はまたしても…

さあWoO.14、最後の闘いです。

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tag : アントニオ猪木 ブルーザー・ブロディ

comment

Secret

No title

このあたりのリング外の出来事が特に現代プロレスと全く違うというか、まぁ当時もブロディが異質だったかも知れませんが、アントニオ猪木の作り出すプロレスの面白さが堪らないですよね。8割以上が謎っていう感覚でしたよね。

No title

こんばんは。

ブロディーは好きだったけど
いつのまにやら姿がみえないなぁ~って
思っていたら
こんなことになっていたんですね。気難しいとは
聞いていましたが、ドタキャンは ないなぁ~・・・
彼にとって 日本のいや。
プロレスファンってなんだったのかな?
死んじゃってるからもう聞くことはできないけど
なにか残してくれてるなら うれしいなぁ・・・

>アンドレ・ザ・カンドレさん

特に現代プロレスと全く違う…当時もブロディが異質だったかも知れませんが<やっぱり違うんですかね。
ブロディみたいな存在は今のプロレス団体においては疫病神みたいなものかも知れませんね。

8割以上が謎っていう感覚<猪木はブロディの精神的な部分を指摘していますが、日本のプロレスファンに対しては真摯な想いで試合に臨んでいた模様です。

>ケロ姐さん

こんばんわ。

いつのまにやら姿がみえないなぁ~って思っていたら<テレビ中心に追ってるファンには唐突でわかりづらいフェイドアウトの仕方ってありましたよね。

ドタキャンはないなぁ~<新日も全日もかなり手を焼いたそうです。
結局、こののちもう一回ドタキャンやって新日を追放されるんですけど、その後復帰した全日においては何となく角が取れて、私から見ると魅力が半減しちゃいました。別な見方もあると思いますが。

プロレスファンってなんだったのかな?<日本のプロレスファンに対しては、発言の一つ一つを掘り返すとリスペクトが感じられますね。レスリングを求めて新日に動いたんでしょう。
あの馬場さんも「ブロディは金では動かない」って認めていたくらいです。

No title

結局ブロディという人はアーティスト気質のつよい人だったのでしょう。このへんが猪木と重なるところではないかと。ふつうレスラーって芸人カタギだと思うんですよ。もちろんアスリートとしての自負もまた二人には強かったには違いありませんが。

プロレスが主導権を奪い合う闘いであり、ワークもまたシュートになりうるという典型がブロディだと思います。彼に翻弄されたことのある長州やベイダーが、自己中ファイトで平成マットに君臨したことを思えば、その感化は絶大というべきでしょう。

話はそれますが、以前YouTubeでカーンvs藤原戦の(隠し撮り)動画を視聴したとき、風聞とは異なりマットワークの範疇でいがみあう両者に大人の喧嘩をみたというか(笑)。
単に雌雄を決するだけの取っ組み合いなら道場でやればいいし、潰しあう意味での喧嘩がしたければ路上か女子トイレ(笑)でどうぞ!ってなもんですが、人目にさらしたリングで闘う以上、そんなみっともない真似はできない、だって彼らは責任あるプロレスラーなのだから。
ゼロワン旗揚げ興行のメインでノア勢を翻弄した橋本にも同じ印象をもちましたね。反対に武道館で小川直也三沢&力皇のマットワークにしてやられた光
景もまたしかり。

ブロディのスタイルは、プロレスが自我の解放と闘争という性質を孕んでいることを思えば、案外正統なのかもしんないなーと。

うおぉー超変換モジバケル!!

コメント文字化け失礼しました(T▽T)

さて猪木・ブロディシリーズも後半戦に入ってきましたね!

プロレス、小鉄さん風にいうと「商売」になりますが・・・確かに当時、一緒に商売するとなるとブロディはやりずらいタイプの人間だったのかもしれませんね~(^^;

でも、ボクは純粋にブルーザー・ブロディが好きだったので、やっぱり戦っている姿こそすべてだと思っていました。裏事情なんか欲しくなく、ブロディを見ていたかった。だからボイコットって、一体ブロディに何したんだ?って感じでしたね~。こういうと多くの人は、こいつ何言ってんだ?って思うかもしれませんが(^^;

では闘魂手まり歌、ラストまで楽しみにしてます!!

>し~まさん

ブロディという人はアーティスト気質のつよい人<自分の試合を作品として捉えていた節はありますよね。
その代わり自分の型は絶対に崩さない。猪木はそこを批判していますね。

彼に翻弄されたことのある長州やベイダーが、自己中ファイトで平成マットに君臨した<長州もベイダーもバックボーンやケンカ度胸は並外れていましたから、それに対してガンガンと我を押し付けたブロディってのは相当なアレだったんでしょうね。

カーンvs藤原戦の(隠し撮り)動画を視聴<前田氏が近年しきりに語ってる例の試合ですか? いわゆる藤原基準ってやつですね。
それにしてSWS神戸事件とか、ジャッキーvs神取とか、普通にスマホとかで無料視聴出来る時代ですもんね…凄いですよね。

ブロディのスタイルは、プロレスが自我の解放と闘争という性質を孕んでいることを思えば、案外正統なのかも<風貌からしても宗教的なアレを感じずにはいられませんよね。
だから…前田戦は観たかったなぁーーーーーっ!!

>流星さん

こちらこそお手数取らせまして、すみませんでした。

小鉄さん風にいうと「商売」<古舘さんね、ブルーザーは試合直前でもお構いなしに「俺、今日は出ないよ」とかやるんですよね。それから足首見て下さい、画面でわかりますかね、他の選手より細いでしょ?
それでも相当つおい訳ですよ。あの巨体でしょ? それがあれだけ高々と飛ぶんですから…とんでもなくつおい訳です!

純粋にブルーザー・ブロディが好きだったので、やっぱり戦っている姿こそすべて…裏事情なんか欲しくなく、ブロディを見ていたかった<流星さんは本当にブレないからいいです!! もう本当…大好きっ!! ヴァーーー!!
一つの試合の中で冷徹なくらいに技をぶち込んでいったり、オーバー過ぎるくらいに受けに回ったり、身も蓋もないくらいに簡単にかわしたり、自分自身が試合を動かすという事にプライドを持っていたんでしょうね。
流星さんが以前ご指摘された様に、猪木の投げ技しか食わないんですよね。
特にボディスラムは絶対に受けませんでしたからね。

初めまして

流星仮面2世さんのブログコメント欄でお声がけいただきました、亀熊でございます。
レガさんの事は、流星さんブログのコメント欄で以前から存じ上げておりました。
先日、私にお声がけくださいまして有難うございました!流星さんのブログの中でも取り上げていただいておりましたが、4月より札幌市民になりまして、道内での生活を満喫しております。

もし、次回の道内サミットに参加させていただけるのでしたら喜んで参加させていただきます。宜しくお願い致します!

改めてレガさんのブログを拝見しましたが、ブロディボイコット事件の詳細で、知らなかったエピソードも散見し、大変興味深かったです。次回も楽しみにしております!

あと、「想い出のプロレス会場物語」は私も書店で見つけて即買いでした!道内では、中島体育センターで観戦したかった願望がありましたが、個人的には旭川市常盤体育館が懐かしいです。学生時代に旅行で旭川に行った時に、何の気無しに体育館を見学したんですよ。道内のビッグマッチによく使われていたので、その雰囲気の一部でも感じたくて。トレーニング室の床の一部が陥没していて、バーベルが錆びていたのが凄く印象に残ってます(笑)

脱線しましたが、今後も宜しくお願い致します!

>亀熊さん

こちらこそ初めましてです。
わざわざコメント下さいましてありがとうございます。

お声がけくださいまして<とんでもない!!
これもまたご縁ですから、ぜひよろしくお願いします。

道内サミットに参加させていただけるのでしたら喜んで<亀熊さんの膨大な脳内アーカイブについていけるか一抹の不安もありますが、必ずお声掛けさせて頂きます。
その節は宜しくお願い致します。

ブロディボイコット事件の詳細<今回いろいろ調べていくと、ブロディにとっては家族と自分のプライドが一番であって、日本のプロレス団体なんて優先順位以前の話だったんだろうなぁ、と思いました。
でも一番魅力あるレスラーでしたね。

個人的には旭川市常盤体育館が懐かしいです<またマニアックな会場名を(笑)。
ジャパンプロ自主シリーズの開幕戦が行われた会場ですね。
流星さんが大好きな“キマラの入場テーマ”がかかった数少ない体育館ですね(笑)。

今後とも宜しくお願い致します。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
44歳のプロレス話


待て待て待て待て!! 読め!! 俺の記事をこの野郎!! 待て貴様ぁ!!

どーですかぁーーーー!!

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