本当にヤバかった格闘技世界一決定戦

1991年12.22 両国国技館

今日であの日から24年が経過しました。

高田延彦vsトレバー・バービックの、

格闘技世界一決定戦です。
格闘技世界一決定戦 高田vsバービック

Uインターが旗揚げ一年目の最後に、

社運を賭けた興行で高田延彦の相手に指名したのが、

なぜトレバー・バービックだったのか?
バービック入場

当時、Uインターの渉外部門で大きな役割を果たした、

テディ・ペルクさんが語った秘話を紹介しましょう。

今回も『俺たちのプロレス VOL.4』より抜粋です。
俺たちのプロレス買って来た

聞き手は高山インタビュー(参照:高山が語ったUインター異人史)と同様、

“Uの語り部”堀江ガンツさんです。

俺たちのプロレス4表紙
 俺たちのプロレス vol.4 より

ペルクさん
「当時はいまみたいなMMAがまだ存在しない時代だったから、プロレスが最強だっていうのを見せるには、他の格闘技と異種格闘技戦をやる必要があったんですよ。その中で、ボクシングのヘビー級チャンピオンというのは、一番最強のイメージを持っていたので、ある意味、他に選択肢はなかったですね」


そうですね…1976年の猪木vsアリから、

当時、既に15年が経過していた訳ですが、

プロ格闘技の世界で強さとメジャー感の両方を持っていたのは、

やはり“プロボクシング世界ヘビー級王者”だったんですよね。

Uインター究極のターゲットは当然、

当時“世界最強”の代名詞だった“鉄人”マイク・タイソンでした(参照:幻の“真”格闘技世界一決定戦~第一章~)。
マイク・タイソン

ペルクさん
「最初はマイク・タイソンだったんですよ。やっぱりタイソンが一番強いって世界中の人から思われていたんで。ただ、残念なことに、Uインター旗揚げの前年に、東京ドームでジェームス・“バスター”・ダグラスに負けてしまったんで、『う~ん…』ってなっちゃってたんですよね。それ以外にも、いろんな問題があったりして」

「それで『じゃあ、タイソンに勝った、バスター・ダグラスしかいないんじゃないか』って、招聘に動き出したんですよ。別にダグラス自身には最強のイメージはなかったけど、タイソンに勝ったという事実はあったから、『もうコレしかないな』ってアプローチをかけたら、あまりにも太りすぎていたんですね。けっこうプロボクサーにいるんですよ、試合のときはグッド・シェイプだけど、試合が決まってないときはぐうたら生活してて動けなくなっちゃう選手が」

「急に大金が手に入って、もう練習なんかしなくなっちゃったんでしょう。とてもじゃないけど試合ができる状態じゃなかった。だから、実績があって、コンディションがある程度良くて、まだ闘える人をあらためて探したんです」


あのタイソンが東京ドームのリングでダウンを喫し、

そのままKO負けした瞬間は衝撃的でしたね。

この結果からターゲットはスライド式にバスター・ダグラスに行きかけましたが、

既にハングリーさを失ってしまった状態のダグラスでは、

Uインターの社運を賭けるには明らかな役不足。

そこで辿り着いた相手がバービックだったのです。
調印式

そこにはもう一つの運命を感じずにはいられません。

ペルクさん
「結局はドン・キング経由で探したんですけど、そうしたら86年にタイソンに(WBC世界ヘビー級の)ベルトを獲られる前までは、ずっと波に乗っていたトレバー・バービックの名前が挙がってきたんですよ。一応、(81年11月に)モハメド・アリにも勝ってるしね。しかも、その時点ですごくコンディションが良かったんですよ」


“猪木と闘ったアリに引導を渡した男”…、

意外と知られていませんが、

バービックの実績はかなり大きなものでした。

ただし単なる仕事として、

自分の役回りをわきまえてやって来る様な、

ものわかりのいいガイジンさんとは異なり、

バービックを招聘するのは大きなリスクを背負ったものでした。

ペルクさん
「私生活ではかなり荒れていて、凶暴だったんです。こんなのと異種格闘技のルールで試合したら、いつ殺し合いになるかわからないような状態ではあったんだけど、連れてきた時は、本当に燃えてましたからね」

「いや、実際にヤバかったんですよ。本当にもう手がつけられないくらいに。ただ、あれだけ燃えていて、『これは戦争になるんじゃないかな』っていうくらいの勢いだったんで」


一番最初のニューヨークでの会見、

バービックのいでたちは、ほぼギャングかマフィアでしたからね。
N.Y.での会見

試合はご存知の通り、

1ラウンドの途中でバービックが、

戦意喪失してのTKOとなったのですが、
脱兎の如くエスケープ

当時も今もファンの語り草となっているのは、

『高田のローキックは騙し討ちだったんじゃないのか?』という部分。

Uインターという団体を知るファンなら、

その真相はほぼ知っていると思いますが、

当時の交渉の最前線にいたペルク氏は、

新たに、こう証言しています。

ペルクさん
「『ローキック禁止』というルールは最初っから一切なかったんですよ。ただ、契約を結んだあと、本人に『ローキックは大丈夫なの?』って聞いたら、『そんなことやったら、もう試合じゃないから。殺すからって言い出して、『あちゃ~っ』と思いましたけどね」

「(ドン・キング経由で他にも交渉したが)みんなミックスド・マッチというのを怖がってたんですよね。でも、バービックは『問題ない』って自信満々で、あのときは彼がボクシング代表で良かったと思ったんですけど…」

「だから、ボクサーへのオファーというのは、まあシンプルに『プロレスが強いか、ボクシングが強いか。ちゃんと競技化したコンテストで、ファイトしてみませんか?』って向こうに出して。ローキックとかサブミッションを恐れる選手が多いなか、バービックサイドは気持ちよく受け入れてくれたのはいいんですけど、途中から…」


アメリカのプロボクサー、ましてやドン・キング配下の選手との契約ですから、

初めっから事細かに契約書は作成されていたと思います。

ですから“ローキックは禁止されていた”のではなく、

「ローキックを蹴ってきたら殺すぜ!」というのが、

あのバービックが見せた試合前のジェスチャーだった。
ローキック禁止を要求するバービック

…と思っていましたが、

もっと根本的な部分にこのシーンはあった様なのです。

ペルクさん
「OKはしてるんですよ。契約書にもサインして。ただ、もしかしたら本人は何も知らないでOKしてるかもしれないですね。アメリカの契約書って、電話帳みたいに厚いんですよ。ハッキリ言って彼は字が読めるかどうかもわからないから、理解してなかったかもしれない」

「彼の生まれ育った環境を知ると、そんな気がするんですよね。ボクは後楽園ホールでやった公開練習のときも、念を押すために何回も『アメリカのキックボクシングみたいに上半身だけじゃなくて、脚も蹴ってくる可能性があるよ。それもルールでOKだからね』って言ったら、『その前にパンチ一発で倒すから大丈夫だ。もし一発でも入れてきたら、そのときはKOじゃなくて殺してやるからとか言ってて。もう、こっちまで緊張しちゃいましたからね。本当にヤバい状態でした」


契約書にサインした当人が、

ルールを完全には把握していなかったと!!

なぜなら文字など読めないんだから!!

さらにペルク氏が念を押したところ、

その事を重く受け止めていなかったバービックは、

平然と「大丈夫だ、殺すから」の一点張り。

しかしながら高田の強烈なローキックに、
打つ!!

バービックのゲームプラン(?)は狂いまくった結果、

場内騒然の結末を迎えてしまいました。
動けぬバービック

それでもペルク氏は最後にこう結んでいます。

ペルクさん
「高田さんも、バービックのパンチはリスペクトしてましたよ。だから試合のやり方も、いつもよりちょっとアゴを引いたスタンスで、高田さんも考えて闘ってましたね。それで、絶妙のタイミングで蹴りを入れたりして。だから、あれで負けてもいいからバービックがガンガンいってくれてたら、すごい試合になってたかもしれないですね」


ご承知の通り高田自身も、

試合前の段階で大きな怪我をしていた訳ですが、

だからこそ“覚醒”とも呼べる、

あの殺気漲る姿になったんだと思います。
野次を睨みつける

ペルク氏が言う様に、

もしバービックが蹴りを恐れずガンガン行ってたら、

全く違う結果が出た可能性も大です。
控室で苦悶のバービック

試合内容的には、

とても名勝負と呼べないかも知れませんが、

いずれにしてもUインターにとっては、

いろんな意味でヤバイ闘いだったんですね。

 本当の意味での真剣勝負

 プロレスとプロボクシングとルール

 最強ノ男、覚醒スル。


お陰様で、今回がUインター記事300本目となります。

今後とも宜しくお願い致します。
「タイソンか、ホリフィールド!!」

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tag : 高田延彦 トレバー・バービック テディ・ペルク 格闘技世界一決定戦

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橋本千紘新人賞

\(^-^)/\(-o-)/週プロプロレスグランプリで橋本千紘(センダイガールズ/922票)新人賞獲得です。うん、シャープですよ

>わくまゆ命さん

週プロプロレスグランプリで橋本千紘新人賞獲得です<思わずビールを飲み干した訳ですね?
おめでとうございます。

ご自身の推した選手が高評価を得るってのは本当に嬉しいですよね。

いやね、本当に …

試合内容云々じゃ無くて、分岐点になる試合ってのは有りますよね!
(。,_,)ウンウン


この試合で、確かに高田は最強への階段を登って行ったと思います。

>アステさん

試合内容云々じゃ無くて、分岐点になる試合<そうですね。
かくあろう、この試合がなければ、今の今まで私が高田延彦を好きでいたかはわからないですね。
一つだけ言えるのは、この時代のプロレスラーでここまでの殺気を出せたのは高田と前田氏だけだと思います。
内に秘めたものとかは他にもいましたが、目に見えてオーラを感じたのはその二人だけですね。

最強への階段を登って行った<PRIDEへ辿りついたのも必然だったんでしょうね。

No title

この試合、高校生の頃に実父(小学校に入る前に母と別れた)に連れて行ってもらったハワイに行く前の空港でゴングを買い飛行機内で熟読、ホテルでも熟読していました。

カッカ、カッカと怒りを沸かせながら。
もちろん、バービック馬鹿野郎、この野郎です(笑)


後日、いろいろな物議と推測が出てきましたが
「バービックは逃げて、高田が勝った」
というリングで起こった事実のみを留めておきたいなぁと思いました。


しかし、この当時の『世界ボクシングヘビー級王者』っていうものの響きはすごいものがありましたよね。
ジェームス・ダグラスの知名度もそうですが、その後のホリフィールド、ボウ、レノックス・ルイス、フォアマン等王者当時は結構みんな知っていたものでした。
今の格闘技ファンですらも、ウラジミール・クリチコとか言ってもほとんど知りませんもんね(苦笑)


しかし、ボクサーとやるってのは難しいですよね。
船木も、ロベルト・デュランとやったりしましたが何とも言えない試合になりましたし・・・。


>ナリさん

ハワイに行く前の空港でゴングを買い飛行機内で熟読、ホテルでも熟読<あ~芸能人みたいですね。
国際線の機内でプロレス雑誌読むって、余程あれですね!!

「バービックは逃げて、高田が勝った」<この一戦をどう捉えるかで、プロレスに対する立ち位置も違いますよね。

ボクサーとやるってのは難しいですよね<結局、お仕事の一環として来るガイジンと、試合をしに来るガイジンとで、大きく変わってきますよね。
バービックは契約自体がボクシングのランキング戦と何ら変わらないものでしたから、あの緊迫感が出たのでしょうね。結果はともかく。

15年の鬱憤が晴れた日

会場の「格闘技世界一決定戦」という看板にあの日あの頃を思い出し
国歌吹奏の時、いつも冷笑的な(2ちゃん的な)知人が起立しているのを見てこの一戦の重要性を想い、
敵のなりふり構わぬ遁走を見て15年間の鬱憤が晴れた日でした。
「あの日もこんな風にやっちまったらよかったんだ。こんな風にできたらどんなによかったことか」
セミの試合もよかった。
でも、あの日の客席は、不満がうずまいていました。
敵は尻尾を巻いて逃げだしたんだよ。こんな完璧な勝利はないだろうに。

>SisLANDさん

国歌吹奏の時、いつも冷笑的な知人が起立しているのを見てこの一戦の重要性を想い、敵のなりふり構わぬ遁走を見て15年間の鬱憤が晴れた日<国歌吹奏も今は昔ですよね。生放送の時代はもどかしくもありましたが、あれがあるのとないのでは重みが全然違います。
あの試合もバービックの心をヘシ折った闘いだったと思います。

「あの日もこんな風にやっちまったらよかったんだ。こんな風にできたらどんなによかったことか」<でも…出来なかったんですよね、あの試合においては。

敵は尻尾を巻いて逃げだしたんだよ。こんな完璧な勝利はないだろうに<目の前の結果をどう捉えるかですよね。
一つはっきりしてるのは、あの日の高田が纏ったオーラはその後のプロレスラーからは感じた事がないです。
紫レガとは?

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Author:紫レガ 
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長州、これは俺のブログだ。

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