Uの青春~another side~

新日の勢いに天龍引退も相まって、

今年はたくさんのプロレス書籍が出版されました。

でも、私が手にしたのは、

各種ムックを除けば2冊のみ。

 安生洋二『200%の真実』
200パーセントの真実表紙
と、

 垣原賢人『Uの青春~カッキーの闘いはまだ終わらない』
カッキー本表紙 です。

それぞれがUWF、Uインターに思い入れ深い私にとって、

貴重な資料となっております。

中でも読んでいて面白いのは、

道場をはじめとした若手時代のエピソードですね。
格闘技道場UWF

厳しい練習、特にスパーリング、

さらに先輩からの理不尽な要求、

過ぎてしまえば良き思い出…と呼ぶには、

ちょっとホロ苦すぎる伝説の数々なんですよね。

今回はこの2冊ではなく、

田村潔司が語った“Uの青春”をお送りしましょう。

聞き手はいつもの通り、堀江ガンツさんです。
老けた?変わってない?



田村UWF入門後に、

新日から移籍してきた船木誠勝鈴木みのる
船木、鈴木…若い

その後、入門してきたのが垣原賢人冨宅祐輔(現・飛駆)ら。

田村は練習生になってから船木、鈴木と出会い、

垣原らは既に船木らがいる道場に入門してきた。

ここがそれぞれの明暗を分けたんですね。

KAMINOGE42表紙
 KAMINOGE vol.42 より

田村
「俺も業界的には船木・鈴木の後輩なんだけど、UWFには俺が先に入っていたから、いちおう、そういったところは気を遣ってくれてたし。船木さん、鈴木さんがUWFに来て、はじめての後輩が垣原、冨宅だったんだよね。だから、けっこういじられてたよ」

(垣原らは)船木さんには、よく落とされてた」


プロレス界特有の“かわいがり”、

これを通過する事がデビューへの道という時代です。
UWF道場での練習風景

しかし上野毛道場では山田恵一(現・獣神サンダー・ライガー)と伝説の極悪コンビ(?)を結成していた船木、

Uでは鈴木を新パートナーに代え、

非道ぶりにも拍車がかかっていた様子です(参照:青春の窓チン)。

そこへ骨折による長期欠場も重なり、

フラストレーションが溜まった状態で…照準はシモ方面へ(笑)。

田村
「船木さんは、東京ドーム大会前に腕を骨折して長期欠場になったあたりから家に引きこもるようになって、よく電話がかかってきたよ。船木さんもやることないから、一度電話かかってくると、2時間ぐらいずっとしゃべってた」

「垣原がウエイトトレーニング、ベンチプレスなんかをやってると、船木さんがストラップっていう布製のウエイト器具で、垣原の股間をずっと刺激したり。そんなことに動じず、ベンチプレスに集中するっていうトレーニングらしいんだけど(笑)。垣原も船木さんのいないところで、よくおもしろおかしく言ってたよ。『もう、あれはやめてほしいですね』って。股間を刺激されると、若いからすぐ反応しちゃうんだって。だから、ベンチプレスをやりながら、必死にほかのことを考えて、雑念を飛ばしてたらしい(笑)」


「いやいやイジメじゃねーかよ!」って?

そういう呼び方もありますけど、

プロレスラーになるまでの心理面の鍛錬、

いわゆる新手の精神修養なんですよね(笑)。

田村
「スパーリングでも結構やられてたね。まあ、練習は普通に厳しくやられるのはしょうがないけど。みんな一方的にやられていたから。でも、船木さん、鈴木さんは明るいイジメっていうのかな? 陰険なイジメじゃないから。みんなで練習をして、いじりはいじり、メシはメシみたいな感じで、楽しかったよ。後半は鈴木さんが当時付き合っていた彼女も含めてね」

「ちょっと悪い言葉で言うと、“アッシー”や“パシリ”になってたね(笑)。彼女も垣原たちに直接は言わないんだけど、鈴木さんにアピールするのよ。
『みのるちゃん、喉がかわいた~』とか。いちおう彼女は鈴木さんに対してアピールしてるんだけど、鈴木さんは『冨宅、垣原、ちょっとコーラ買ってこい!』って言うから、買ってこなきゃいけない。だから間接的な彼女のパシリだね。だから、引越しの手伝いとかもやらされてたよ。いや、やらせていただいた(笑)。俺もやったしね。でも、そんな日々が楽しかったね」


先輩の言う事は絶対服従、

もちろん姐さんの言う事も…。

まるで部活の先輩後輩の延長ですね。

だが青春時代の楽しい日々は3派分裂によって、

突然終焉を迎えます。

田村
「そのあと、当時仲の良かった船木、鈴木、俺、垣原、冨宅の5人で、『これからどうする?』って言って、戻ってきたら、『藤原さんがメガネスーパーに行くから、みんなで行かないか?』って言われてね。給料もしっかり保障してくれるし、凄くいい話だったんだよね。ただ、俺的には、ずっとUWFでがんばってきたから、SWSにも出なきゃいけないことに、個人的なひっかかりがあって。ただ、ほかの4人は、垣原も含めてみんな藤原さんのほうに行くもんだと思ってたんだよね。
(略)『やっぱりSWSはなあ…』っていう思いがあって。何度目かの話し合いがあったあと、船木&鈴木と藤原さんのところにいくか、宮戸さん、安生さんたちとUWFをやるか、どっちかを選べってなって。そのとき、俺は『UWFがやりたいから、高田さんに付いていきます』と言って、そしたら垣原もこっちに来るって言うからビックリしたの。俺はてっきり船木、鈴木のほうに行くと思ってたから」

「そのとき、『垣原もこっちを選んだんだ。偉いな』と思ったんだよ。当時はスポンサーがいないと団体が成り立たないって言われていて、そういう意味では、Uインターはいつなくなるかわからない団体だったんだよ。それでもこっちに来たっていうことは、損得抜きに『UWF』を選んだってことだから『偉いな』って」


UWFという“名前”に対する二人のこだわりだけが、

明日をも知れないUインターを選択させた。

ここで田村と垣原の絆は急激に深まったんですね。
熱い抱擁

時は大きく流れて、

今年の正月に飛び込んできたバッドニュース(参照:負けねえぞ!! 後厄明け!!)。

今後、田村は直接的な行動よりも、

気持ちの面で垣原を支えていくつもりです。

田村
「カッキーがフェイスブックに『悪性リンパ腫という、血液のがんになった』と書き込んだのを、ネットニュースかなんかで読んだのが最初だね。俺は実家に帰っていて、6畳の和室で妻と子どもたちの寝顔を見ながらそのニュースを知って。カッキーの家族のこととか考えると、胸が締め付けられた」

「へぇ~、もう一回、リングに上がろうとしてるんだ。病は気からって言うからね。そういう気持ちが大事なんだろうね。
(略)『マイペースでがんばれ』でいいんじゃない? 垣原がどういう選択をするのか、自分の価値観でやるしかないと思うから。俺に次の対戦相手になってほしいっていうなら、それはそれでいいしね」

「そういえば、数年前に1回だけ、ちょっと水面下で動いてて、カッキーと俺が試合するっていう話があったのよ。あったんだけど、垣原がちょっと俺に対して遠慮したみたいで。そこはちょっと実現しなかったんだけど」


これ、いつの事でしょうね?

私はやっぱり11年前のタイミング(参照:叶わなかった未来形)が、

ベストだった気がするんですけどね。
カッキーが“帰って”きた

え!? 「遠慮した」って、この事!?
問題のシーン5

…違うか。

もう一人、
鈴木@新生UWF3

現在、5人の中で最も輝きを放っている男、

鈴木みのるに対する田村の思いは、

田村
「なんかもう、いまの鈴木さんはレスラー、レスラーしすぎてて嫌だな~(笑)。鈴木さんのブログを直接見たわけじゃないけど、『俺のUWFの仲間へ』みたいな感じで、カッキーへのメッセージ書いてなかった? 昔の鈴木さんを知ってる俺からすると、『俺の大事な仲間』みたいな書き方が、ちょっとこそばいんだよね(笑)。普通に、昔のままの接し方でいいじゃん。さんざんいじってた頃の態度で接すればいいじゃん、みたいな(笑)。書かれたカッキーが一番こそばいと思うよ?」

「鈴木さんも、自分に酔っちゃうんだろうね。俺もたまに、自分に酔ってるなって思うことがあるからわかる(笑)。でもまあ、鈴木さんは格闘技ではケガとかあって本領が発揮できなかったけど、プロレスのセンスはピカイチだね。凄く頭がいいし。
(略)俺が知ってる鈴木さんっていうのは、相手の光を消して自分が光っていう闘い方をしてたから。その頃を知ってるから、スタイルを180度変えたんだなって思う」

「昔は酔っぱらうと散々言ってたよ、『天狗になって鼻が伸びても、折られなきゃいいんだよ』とか。『周りに合わせる大人になるより、俺はガキのまま大人になりたい』とかさ。そのとき、俺は鈴木さんに洗脳されてるから、『鈴木さんは凄いなあ。こういう生き方なんだ』って思ってたけど(笑)。あの頃あなたに洗脳された俺はなんなんだって! だから俺は『赤いパンツの頑固者』って言われるんだよ。責任取ってくれ! 洗脳から解き放たれた俺は、鈴木批判はいくらでもできるからね。
(略)まあ、鈴木さんは、いろんな苦労を経て、いまの鈴木みのるなんだろうね」


新生UWF時代とは最もマインドが違うのが鈴木、

そこに違和感を感じずにいられない田村なんですけど、

その鈴木が現在、プロレス界の中心の一人なんですよね。
安生引退試合後7

あとはほぼ下ネタ中心に、

カッキーの若手時代を暴露する様な感じなので割愛します(笑)。



Uインターにおける田村と垣原は立場が中堅となった事で、

今度は理想の闘いを実現すべく切磋琢磨していきました。
田村vs桜庭煽りV23

田村
「そうねえ…いま思うと、インターの頃っていい意味でも悪い意味でも、みんな仲がいい感じだったんだよ。その前の新生の頃っていうのは、練習してても常に殺伐とした雰囲気だったから。冨宅、垣原もその殺伐さを知ってるんだよね。
(略)2人とも下手な試合したら、上の先輩たちにどんな怒られ方をするかわからないっていう緊張感を持ってやってたから、もの凄く危機感持って、必死に闘ってるんだよね。それがUインターになると、練習はもちろん厳しいんだけど、新生の頃のような殺伐感がなくなってた。だから、俺とカッキーは歩んできた道が似ていて、新生もUインターも両方を知ってるから、自分が考える理想の試合というのも一番近かったと思うんだよ」

「だから、カッキーと一緒の団体にいたのは、89年から95年くらいまで、たかだか6年間なんだけど、その6年は本当に濃い6年だったと思うんだよね。いろいろ思い出もあるし。普通のサラリーマンでは絶対に経験できないことを2人で経験してるから」


それにしても濃い6年間ですよね。

殺伐感が薄れ、先輩たちからも存在を認められる中で、

二人は伸び伸びと上昇気流を描いた訳です。
田村も泣いているのか?

Uインター道場での田村は真摯に強さと向き合い、

理想の肉体作りにも精進していきました。

俺たちのプロレス4表紙
 俺たちのプロレス vol.4 より

田村
「垣原、高山、金原、桜庭、みんな選ばれた人間なんだなって思うよね。若いときはみんなライバルだったから、あんまり『認める』っていう作業はしなかったんだけど、みんなああやってきつい練習して生き残った選ばれた人間かなっていうのはいま思うから」

「どういう練習をしたらいいのか、というのを学んだのもインターだからね。
(略)インターでは体の作り方とかすごく意識しだして、20代、30代前半はアイスクリームなんかも一切食べなかったからね。いや、1本くらい食べたかもしれないけど(笑)。食べ物も同じものばかり喰ってたし」

「パンクラスが旗揚げしてからは、食事面での影響は受けたよ。でも、絞りすぎてボディビルダーみたいなバキバキな身体じゃダメだと思ってたから。まあ、俺も家庭用の体重計で体脂肪率とか測っても、エラーが出ちゃうくらい体脂肪率低かったけど」


禁欲的な食生活を自らに課す事で、

田村はそれまでの日本人プロレスラーにない、

筋肉のカットを作り上げました。

Uインター道場には肉体作りのエキスパートもいたのです。
Uインター道場1

田村
「和田(良覚)さんにウエイトを教わって、ウエイトがすごく楽しくなったんだよ。ウエイトって、やり始めた頃ってベンチプレスなんかでも数値がガーッて伸びるから楽しいんだよ。それで、ある程度落ち着くと、そこから筋力が増えてくるから。筋肉を1ミリでも減らさないようにという感覚になっちゃって。なにかを得るためにはなにかを捨てなきゃいけないから、食事やサプリメントにすごく気を使ったし、揚げ物や菓子類は極力食べない、そういった欲は犠牲にしてた」

「だから、インターを辞める直前が、肉体的にはピークだと思うな。和田さんのおかげで、デッドリフトは190、スクワットが170挙げてたから。うん。それもあってリングスに移ってから、肉体的にジャパン勢には負けてなかったと思う。和田さんのおかげです。あっ、精神的にもね(笑)」


確かにUインターでのラストマッチとなった桜庭和志戦(参照:別れは突然に)、

この時の筋肉量は田村のオールタイムベストじゃないですか?
別れ

この後、リングスに行ってからは練習環境の変化もあり、

ほんの少しだけ筋肉の質が変わった気がしますが、

U-FILE CAMPを作ってから少し取り戻した感があります。

このムックのインタビューで衝撃的だったのは、

田村が語った“道場における高田延彦”です。
田村vs桜庭煽りV22

Uインター道場での高田とのスパーリングの真実が、

田村の口から明かされたのです。

田村
「高田さんも社長業があるから、なかなか朝10時からの合同練習に来るということも少なくなるし、実践スパーも上になると基本、若手とやるようになるから、あんまりやらなくなるのよ。だから、高田さんと最後にスパーリングをやったのは、いつかは憶えてないんだけど、その最後のスパーリングでも歯が立たなかったのはたしか。俺が脂乗ってる時期でも、高田さんにはぜんぜん勝てなかったから。まあ、高田さんも、その頃になると必死にやってくれたとは思うんだけどね」


「脂乗ってる時期」…いつでしょうね?

田村って練習に関するコメントはほぼ装飾しませんからね。

いずれにしても最後のスパーにおいて、

高田の強さを思い知らされていた上での、

1995年の真剣勝負発言(参照:真剣勝負発言)。

これ、やっぱりただの下剋上発言ではなく、

田村の覚悟たるや相当なものだったと思います。



田村にとっての青春が詰まった、

新生UWFとUインターでの8年間。
田村vs桜庭煽りV24

その磁場であった道場には、

夢も希望も、

現実も失望も、

全部詰まっていました。
Uインター道場2

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tag : 田村潔司 高田延彦 船木誠勝 鈴木みのる 垣原賢人 UWFインターナショナル

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No title

田村くんの鈴木みのるのコメントが
面白いね。
洗脳されちゃったんだ(笑)
それは、責任取ってもらわないとね~
赤パンツの頑固者~
あたしは 好きだけどね。

あたしは、プロレス青春グラフィティ
ってのを 買いました。
みんな最初は新人だった!っていう
サブタイトルが付いてます。

神の子時代の真輔や
闘龍門時代のオカダ
大日本時代の本間さん
丸藤。潮崎はあんまり変らないね。
言えることは
みんな、今が一番かっこいいです。

>ケロ姐さん

洗脳されちゃったんだ(笑)<まぁ人のせいにするのが一番手っ取り早いですからね(笑)。

赤パンツの頑固者~あたしは好きだけどね<この田村の性格を許容するか否かでプロレスファンの器量が問われます(笑)。

プロレス青春グラフィティ<私は立ち読みでパラパラっと読みましたが、どうでしたか?
ケロさんジャニーズガンガン行っときながらプロレスにも出資して、リアルにレインメーカーですな。

言えることはみんな、今が一番かっこいい<おおーー!! 良いセリフですね!!
レスラーに限らず、みんな20代より30代、またそれより40代…と行きたいですよね。

No title

12月10日朝、仙台から帰る前に太一くんの番組だったかな?
癌とたたかうプロレスラー垣原さんの内容が放送されてまして見ました。

田村さんがメガネに行かなくてほんとうに良かったです(笑)

>怜ちゃん

太一くんの番組…癌とたたかうプロレスラー垣原さんの内容が放送されてまして<観ましたよー!
お世話になってる某Uインター関係者の方に教えて頂き、見る事が出来たんですけど、家族の絆素晴らしいですね。前田氏のマイクも改めて聞くと胸に来ました。
あと、お嬢さんは奥様似なんですね。
カッキーの話し方、昔と全く同じで嬉しかったですよ。絶対、復活しますね。リングに!!

田村さんがメガネに行かなくてほんとうに良かった<藤原組に行ってたら…それはそれでどうなっていたか興味ありますね。
案外、SWSで船木以上に佐野のライバルとしてやってたかも知れませんね。

No title

かわいがり…
こういうシゴキに耐えてレスラーになられた方は、もう大抵の事に動じることは無いのかなと。。

田村選手の鈴木選手 話は興味深くて面白かったです。

本来は自分で本を購入して読むのが1番なんですけど、いつもレガさんが文字に起こしていただいてるのを読むだけで(汗)

ブログにするの大変ですよね〜
いつもありがとうございます!!
…また宜しくお願いします(>_<)



” カッキーの若手時代を暴露する様な感じ ”
なので割愛…

またぁ〜〜レガさん自分の事を暴露する形になるのが怖かったのねん( ̄▽ ̄)

気になる〜〜〜〜〜(笑)

ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘

>みーさん

こういうシゴキに耐えてレスラーになられた方は、もう大抵の事に動じることは無いのかな<そうですね、理不尽さというか。
特にUWFは練習生少なかったですから、なお一人一人厳しく当たられたでしょうね。

田村選手の鈴木選手 話は興味深くて面白かった<今を時めくあの人が、かつては暴走族のヘッドで…みたいな感じでしたね(笑)。
また同窓会座談会みたいのやって欲しいです。

自分の事を暴露する形になるのが怖かったのねん<違ーーーう!!(笑)
私の話はちっさいのばっかりですたい!!

「ちくしょう! 負けたーーー!!」
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
44歳のプロレス話


待て待て待て待て!! 読め!! 俺の記事をこの野郎!! 待て貴様ぁ!!

どーですかぁーーーー!!

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