ネイルデスマッチとは何か?(1978)

“日本初”のネイルデスマッチ

1978年2.8 日本武道館
での、

アントニオ猪木vs上田馬之助(参照:本物同士のデスマッチ)が実現した背景には、

両者を取り巻く様々な事情がありました。
何とか態勢を整えると、

上田は前年1月より新日本プロレスに参戦し、

トップヒールであったタイガー・ジェット・シンのパートナーとして、

猪木のみならず坂口征二ストロング小林らを血の海に沈めて来ましたが、

猪木とのシングルマッチが一枚看板としてメインを張るにはインパクトが弱く、

フリーランスとして生き抜く術を必死に模索していました。

当時のドル箱企画、格闘技世界一決定戦との対比もあって、

シンの格下に位置する上田への期待値が低かったのです。
上田のセコンドには盟友シン

営業部長として最前線にいた大塚直樹が当時を語っています。

Gスピリッツ Vol.36
 Gスピリッツ Vol.36 より

大塚氏
「ルスカ戦の2年後の日本武道館(78年2月8日)なんかは前売りが伸びなくて、1週間前に札幌中島体育センターからのテレビ中継で猪木さんと上田馬之助さんの究極のデスマッチ…ネイルデスマッチを急遽宣伝したら、試合当日は1400万円の収益があったんですよ。当時、興行のコースは僕が切っていたんですが、札幌の2日前、社長の猪木さんに“何で武道館の切符は売れてないんだ?”と聞かれたので、“ファンは決着がつかないと思ってますから”と答えたんです。それで“じゃあ、どうすればファンは納得して来てくれるんだ!?”という話になって…」


日本武道館という当時最大規模の会場で興行を打つにあたって、

猪木vs上田でどうやって集客するか?…悩み抜いた末の決断だった訳です。

釘板デスマッチはテレビ中継での上田のアピールから実現に至ったと思われて来ましたが、

実際には猪木と大塚氏の話し合いから具現化した様です。

大塚氏
「先に“俺はデスマッチはやらないよ!”と言われてしまったんですけど、“それなら絶対に逃げられないように、リングの周りを氷水が入った水槽で囲むのはどうでしょうか?”とか“リングの周りに割れたビールビンを敷き詰めるのはどうでしょう?”って僕がアイディアを出したんですね。そのうちに社長自身が“そうだ、五寸釘だ!”って言い出して、“ベニア板に五寸釘を打ちますか?”“そうだ、それだな!”と。ネイルデスマッチと命名したのも社長ですよ。それでデザイナーにネイルデスマッチのイメージ画を描いてもらって、テレビで宣伝してもらったんです」


猪木の「やらない」と言うデスマッチは“金網”の事を指します。

上田の古巣、国際の二番煎じみたいな真似は絶対やらない、と。

実際に新日が金網に踏み切ったのは、

四半世紀後の2003年が初めてでした。

大塚氏のアイディアは“水槽”、“割れたガラス”…、

これ平成に入ってインディ団体で実行されたり、

今年始動した巌流島のルール会議(参照:今の姿を観た訳だけど~前編~)で出された案じゃないですか?

改めて書きますけど、この時点でまだ1978年ですからね。
猛然と落としに行く上田!!

結局、猪木の閃きで“釘板”に決定した訳ですが、

大塚氏は、さらに突っ込んだ提案をします。

 猪木毒本―いま、なぜイノキなのか? より

大塚氏
「ネイルのときも猪木さんに落ちてくれといったんですよ。『落ちる? 刺さるじゃねえか』『靴の下に鉄板を入れておけばいいじゃないですか』『そうか』。猪木さん、実際にやってみたらしくて『重いし硬くて歩けなかった』といってましたね(笑)」


「刺さるじゃねえか」、「鉄板を入れておけば…」、「そうか」

コントじゃないですよ! これを真剣に討論して、

さらに猪木は鉄板入りシューズ試してみる、という。

しかもこの2年前にも一度、鉄板入りシューズ作ってるんですよね(参照:神が仕組んでくれた闘い~前編~)。

この“命懸け”と“エンターテインメント”が地続きの世界こそ猪木イズムなんです。



当時、猪木のブレーンの一人であった、

東スポの櫻井康雄は、

釘板デスマッチの緊張感を至近距離から目撃した一人です。

Gスピリッツ猪木
 Gスピリッツ SPECIAL EDITION vol.1 アントニオ猪木 より

櫻井氏
「上田とのネイルマッチは僕が解説してたけども、やっぱりスリルがあったよ。怖かったもの」

「試合前に猪木は落ちることを覚悟してると言ってましたよ。『相手が上田だから』と。この頃はもちろん上田も力が落ちてますよ。腰も悪くなってるし。でも、やっぱり上田の“勝負根性”というものを猪木が高く評価してたから。上田はやる時はやるからね。猪木は『アイツだから、本当に落ちるかもしれない』と。実際にギリギリまでいったよね」


今のデスマッチを見慣れたファンからすれば、

「落ちてないじゃん」と言われるのがオチかも知れませんが、

日本武道館という会場でリング下に釘板を敷き詰めるだけでも、

どれだけの障害を強行突破したのか、という事なんですよ。
敷き詰められた釘板

しかも、もしどちらかが落ちていたら、

武道館のプロレス興行は2度と行われていないでしょう。

そんな中でも猪木は相手が上田だけに、

落とされる覚悟は決めていたという…。
危ないっ!!

上田の死後、誤解は解けつつありますが、

そもそも猪木にとっては日本プロレスを追放され、

多大なリスクを背負わされる事になったきっかけであって。

当時、信頼関係なんて一切なかった事でしょう。



ではなぜ上田を新日のリングに上げたのか?

アントニオ猪木本人の言葉を拾ってみます。

アントニオ猪木の証明表紙
 アントニオ猪木の証明―伝説への挑戦 より

猪木
「理由はないね、別に。プロレス界の中で必要な役割というのがあれば、それを全うしてもらえばいいだけで。プロレス界はもちろんのこと、新日本プロレスだって俺の私物じゃないんだから。個人的な感情、私憤という言葉がありますが、プロレスの枠にはめ込んでしまうと、そういう個人的なものは消えてしまうんですよ」


これこそ『猪木の常識、非常識』の原点というか、

プロレス界にとってメリットがあれば、

自分個人の恨みつらみなんてどうって事ねぇや、と。

その後も猪木は自分から離れていった弟子達の出戻りを、

快く受け入れてましたからね。

猪木は冷静に上田を分析しています。

猪木
「彼自身はね、非常に善人なんです」

(元々が)面白くもおかしくもない存在。実力はありましたよ、俗に言うセメントとかスパーリングでは若手の中で群を抜いて強くて、俺に次ぐくらいの力は持ってた。だけど個性がなくてなかなか花を咲かせられない…そんな感じでした」


若手のセメント大会『関西の牙』において、

ダブルリストロックを武器に堂々の優勝を果たす実力者、

それが日プロ若手時代の上田でした。

しかし試合運びが地味過ぎて、

観客も退屈で眠ってしまうという苦悩もありました。

そんな上田が国際プロでヒールとして頭角を現すと、

猪木は一本釣りし、自らプロデュースまで手掛けたのです。

猪木
「当時のタイガー・ジェット・シンは、世の中でこんな悪いヤツは他にいないんじゃないかっていうくらいみんなに憎まれていたよね。そこでその極悪人に加担する日本人といったら、これはもう憎まれないわけがないじゃないですか。上田馬之助のひとつの変身のプログラムとして、彼の善人としての顔の裏側にある、無意識の悪の顔というかね、それをシンと組ませることで引き出そうという…」

「シンとタッグを組んでヒールになりきって、プランに乗りきった彼も偉かったと思います」


上田は上田で“日本人初”の凶悪ヒールという、

それまで存在しなかったスタイルで必死に上を目指し、

猪木は猪木で何とか上田をトップヒールに引き上げ、

シンの様な存在まで確立したい。

あの“有名なエピソード”は上田の必死さから生まれたそうです。

猪木
「上田馬之助も何とかメインで俺と闘いたくて必死だったんですよ。ただね、まだその頃は彼との試合では切符が売れなかった。上田馬之助がただ猪木に挑戦してもインパクトが弱かった。その頃、上田も悩んで当時のワールドプロレスリングのプロデューサーだった栗山という人に相談したこともあったそうです。『猪木とメインやれるなら俺は何でもやりますから!』って言って、栗山さんの前でガラス瓶を割って、それをガリガリかじってみせたと…。
『まあその覚悟はわかったけど、プロなんだからそういうことはリングの上でやれ!』と諭されたそうなんです。そこまで必死ならばね、『何でも言ってこい!』となって、『極限の闘いをやろうじゃねえか』と…それが釘板ということになったわけです」


コップかじりの原点は猪木戦直訴からだったんですね。

こう読み返してみると、

どちらから投げ掛けた案なのかは微妙ですが、

上田の必死さが猪木の世界で化学変化を起こした。

それがネイルデスマッチだったという事でしょう。

いずれにしても、あの試合でどちらかが釘板に転落していたら、

くどい様ですが、その後の武道館でのプロレス興行も、

平成のインディー団体におけるデスマッチも、

無かった様な気がしてなりません。
さぁ反撃開始だ、

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tag : アントニオ猪木 上田馬之助 ネイルデスマッチ 釘板デスマッチ 大塚直樹 櫻井康雄

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Secret

No title

五寸釘マッチに至るにはかなりの紆余曲折があったみたいですねぇ。
しかし、猪木のアイディアってのは凄いですよね。
「猪木はいつもプロレスの事を考えている」
というのがよく分かります。
そういう意味では馬場のいう『王道』ってのは無難なんですよね。
それは商業的には悪いことでは無いのでしょうが。


五寸釘マッチはその後、W☆INGで復活しましたが結局剣山と同じような形になるので『突き刺さる』のではなく『刺さって乗る』という感じになるんですよね。
松永が試合後に
「こんなもんじゃあ物足りない、次はもっと釘を増やせ!」
とコメントしていたのですが、
それを聴いた北野誠は自身のラジオで
「釘が増えたらもっと乗っかるやん」
とツッコミを入れてました(笑)

>ナリさん

「猪木はいつもプロレスの事を考えている」というのがよく分かります<当時、特に若い大塚氏の事を買っていて、何かにつけ自宅に呼んでアイデアを交換していたそうです。

馬場のいう『王道』ってのは無難…商業的には悪いことでは無いのでしょうが<それでも今号のGスピを読むと、81年頃には全日崩壊の噂が業界内で騒がれたみたいですね。

五寸釘マッチはその後、W☆INGで復活…松永が試合後に「こんなもんじゃあ物足りない、次はもっと釘を増やせ!」<そこから数年後に今度は逆説的な釘板マッチをバトラーツのゴールデンタイム伝説路線で石川とやったんですよね。
あれもまた札幌中島でした。

北野誠は自身のラジオで「釘が増えたらもっと乗っかるやん」<ごもっともです(笑)。

大塚氏とのやり取りの内容も去る事ながら
猪木選手の”閃き”で釘板って、恐ろしい閃きするんですね〜

私はいまだにデスマッチは観る勇気がありませんが、これは当時でも前代未聞の試合ですよね。
それに、上田選手の試合 (少しですが)観てるのですが、その度に寿命が縮まったような気がしていました。

>みーさん

猪木選手の”閃き”で釘板って、恐ろしい閃き<本当にね、日本では前例がない事ですからね。
でもそれ以外にもアイデアが湧き出ていたんですから、当時の新日の会社の勢いを感じます。…今の勢いとは違う意味でね。

上田選手の試合 (少しですが)観てるのですが、その度に寿命が縮まったような気が<独特の雰囲気、“陰”ですよね~。
現在のヒールからはほとんど感じませんもんね。ほぼヒールである以前に大義のあるヒーローですから。

子供の頃、シンと上田の二人は本当に怖かったですよ。

「本気」

もう先月のことですがカナプロマニア:パルスに行ってまいりました(G1は行かなくてもカナプロは行きます)
隣席の少年ファン(高校生)とちょっと話をしました。今のファンはフィクションと了解して楽しんでいるので、最強論争とか思想論争とかしないそうです。
オレ達は本気だったんだなぁ。
釘板マッチが決定した時、私は「そんなのストロングスタイルじゃない!」と憤慨しました。警察からは「絶対に落とすな」と言ってきたそうな。ファンは本気、なんだかんだ言いながら世間も本気。
今のファンと昭和のオレ達と、どちらが上とかどちらが正しいとかはないけれど(今のファンの方が豊かな楽しみ方をしているかもしれないけれど)、本気で観ていたオレ達の方が幸せだったんだな。
昭和の遺物はそう思ったのでした。

>SisLANDさん

カナプロ<ご贔屓の興行があるのって良いですね。
でも、しばらく観られないんですかね?

今のファンはフィクションと了解して楽しんでいるので、最強論争とか思想論争とかしないそう<完全にファンの気質が変わってしまったんですね。
2000年代初頭のヤオガチ論争が最後だったんでしょうか。今ではファンタジーみたいです。

釘板マッチが決定した時、私は「そんなのストロングスタイルじゃない!」と憤慨しました…ファンは本気、なんだかんだ言いながら世間も本気<それぞれの時代にストロングスタイルは存在したんじゃないですかね?
マシン軍団が出現したときも、大仁田が参戦した時も、同じ声を聞いた記憶があります。

本気で観ていたオレ達の方が幸せだった<私も本気でした。今のファンの中にも本気な観方をしてる方もいる、と信じたいです。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
44歳のプロレス話


待て待て待て待て!! 読め!! 俺の記事をこの野郎!! 待て貴様ぁ!!

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