追悼・American Dream

流星仮面二世さんからのメールで知り、唖然としました。

今度は“アメリカンドリーム”ダスティ・ローデスがお亡くなりになられましたか…。

 Yahoo!ニュース より
マードックさんの相棒ダスティ・ローデスさん死去

WWEは11日(日本時間12日)、往年の名プロレスラーで「アメリカンドリーム」の異名を持つダスティ・ローデスさん(米国)が、米フロリダ州オーランドで亡くなったと発表した。
69歳だった。ローデスさんは10日(同11日)の早朝、自宅で転倒し、近くの病院に搬送されたが、11日(同12日)午前中に帰らぬ人となった。

死因は不明。ローデスさんは、68年にデビューし、故ディック・マードックさんとのテキサス・アウトローズのタッグコンビで大ブレーク。75年に全日本、79年に新日本に来日参戦し、ジャイアント馬場、アントニオ猪木とも戦った。WWE殿堂入りし、現在は、同団体の育成部門NXTのコーチを務めていた。


“死因は不明”…ですか。

ローデスの初来日は国際だったそうですね、

抜粋記事にもある様にディック・マードックとの名コンビ、

“テキサス・ジ・アウトローズ”として。

こういう部分でも国際は早かったんですね。
ジ・アウトローズ1

そして1975年、マードックと共に全日本へ初参戦、

あの『オープン選手権』ですね!!
オープン選手権のローデス1

敗れはしましたが、

開幕戦でハーリー・レイスと対戦する大役を果たしました。
オープン選手権のローデス2

ローデスの代名詞といえば、

この“毒針殺法”バイオニック・エルボーです。
オープン選手権のローデス3

全体重を乗せた、

決め技のバイオニック・エルボー・ドロップは強烈でした。
オープン選手権のローデス5

このオープン選手権での映像は、

スパさんから頂いたDVD(参照:来た!)に収録されていたんですけど、

参加選手の顔ぶれだけあって、

公式戦は基本レスリング寄りの試合運びが目立つ中、

ローデス一人だけは「我が道を行く」、

アメリカンスタイルそのものなんですよ。

これむしろ特筆すべきじゃないですかね。



しかし私の記憶の中のローデスは、

新日本プロレス時代なんですよ。

1979年秋に初参戦、

11.1 札幌中島スポーツセンターで、

アントニオ猪木の持つNWFヘビー級に挑みました。
猪木vsローデス1

派手な色使いのコスチュームも忘れられませんが、

ゴングが鳴ればパフォーマンスだけではなく、

猪木のケンカ殺法にも一歩も引かず、
猪木vsローデス2

お得意の“尻振りダンス”を披露。
猪木vsローデス3

ストロングスタイルを掲げていた新日のリングで、

一際異彩を放っていた訳ですが、
猪木vsローデス4

これが意外とミスマッチの妙といいますか、

高い人気を誇っていたんですよね。
猪木vsローデス5

この試合は猪木がジャパニーズ・レッグロールクラッチで、

幻のピンフォールとなりましたが、
猪木vsローデス6

昏倒するレフェリーを尻目に、
猪木vsローデス7

得意のエルボーを打ちまくった挙句、
猪木vsローデス8

最後は反則負けの裁定。
猪木vsローデス9

改めて振り返ると札幌だったんですね。

流星仮面二世さんとも話したんですけど、

昔は全国各地で夢のカードが組まれてたんですよね。

だって猪木がWWFヘビーを奪取したのって、

あの徳島県ですよ!?

ツーですよ! スリーですよっ!!



1980年6.5 蔵前国技館の、

第3回MSGシリーズ優勝戦では、

三連覇を果たした猪木が、

試合後に準優勝者のスタン・ハンセンと、

乱入してきたハルク・ホーガンに袋叩きにされるのを見かねて、
猪木vsローデス10

颯爽と救援に現れたものの、
猪木vsローデス11

こっぴどく返り討ちに遭い、
猪木vsローデス12

蘇生した猪木によって逆に助けられるという、

離れ業も見せてくれました。
猪木vsローデス13

ハンセン、ホーガンが逃げ去ったリングに、

猪木の雄叫びが響き渡ると、
猪木vsローデス14

ローデスは私服姿のまま大流血。
猪木vsローデス15

その後も猪木とは、

対戦を重ねながらも時には味方となり、

長期に亘って新日参戦を継続していきましたが、
猪木vsローデス16

常に額から血を流してるイメージでしたね。

あのアブドーラ・ザ・ブッチャーですら、

新日ではそれ程、血を流してた印象がないのに。

あと忘れられないのが、

前出のジ・アウトローズを新日で再結成した際に、

猪木の膝を破壊して欠場に追い込んだ試合ですね。

…これさすがに映像持っていません。
ジ・アウトローズ2

他にも二人の息子を一流レスラーに育て上げた事も、

プロレス界全体における功績として大きいですよね。



とにかくローデスのプロレスには華がありました。

当時の日本での人気を物語る一冊の本があります。

プロレスアルバム13『ダスティ・ローデス』
プロレスアルバム・ローデス

当時の実況担当、古舘伊知郎アナのコラムに、

ローデスのイメージを象徴する一節があります。
 

古舘
ローデスは、プロレスの世界で“強さ”プラス、“ファッション”性を持ちこんだ最高峰の男。だからアメリカンドリームなのだ。

ローデスには他のレスラーのように、「あ、南部出身のレスラーだな」といった具合に、一つの地域性を感じさせるとこがない。東部ニューヨークマットへ行けば、その洗練さ。南部フロリダへ戻れば、太陽の明るさ、と、それぞれのムードをかもし出す。この自在さがローデスの個性だ。
リングコスチュームがそれを語る。ハッとするような鮮やかなロングガウン、一変して、ラフなTシャツスタイル。それらを使いわけるシャレ心。これがアメリカの夢→アメリカンドリームのゆえんだ。

ただ忘れてはならないのが、その根本には、むこうみずな荒っぽいファイティングスピリットがかくされていることだ。彼のこの腕にきざまれている無数の大きなキズ。あれは彼のレスラーとしての勲章だ。彼が本当にキザに自慢したいオシャレのワンポイントは、実は意外にもその“キズの数々”であるのかも知れない…。


まさしくこの通りだと思います。

私がローデスに抱くイメージも全く一緒です。

プロレスラーには二種類の人気があって、

「こいつを観たいからチケットを買おう」という“動員人気”と、

「観戦に行ったら、こいつが一番盛り上がった」という“会場人気”。

日本におけるローデスは間違いなく後者だったと思います。

ただし、そこには自分のスタイルに対する、

確固たる自信があっての事だと思います。

でないと日本のファンの支持なんて得られる訳ないですから。
オープン選手権のローデス4

ダスティ・ローデスさんのご冥福を、

心よりお祈りします。

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tag : 訃報 ダスティ・ローデス アントニオ猪木 古舘伊知郎 全日本プロレス

comment

Secret

思い出

こんばんは。

アメリカンドリームなんて言語はローデスで知りました。これ、プロレスファンは皆そうじゃないかなぁ~。

マードックと交代で最上段からのニーを猪木に落とした時は「なんて事する連中なんだ。」と腹立たしかったです。

あれで欠場して代理でカーンが決勝に出たんですよね。

私の調査では徳島でのタイトル戦の挑戦者決定戦をなんと小樽でしてますね。しかも札幌のNWFの1週間後に。

あとは列伝でフレアーの奪取相手とカブキをライバル視してペイントしたとか、カブキ編はいかにも列伝らしいファンタジーに満ちてますけど、そういうことにしましょう。

ダスティ…。
なんか幻想を持たせてくれた選手でしたわ。
キン肉マンでもビューティーローデスとして出ている位人気があったんですよね。

オラも覚えてるのはやっぱり新日時代かなぁ〜。
初来日の国際ではフレアーも一緒に初来日してるんですよね。
後はNWAが好きだったのでたまに全日本で観るフレアー戦だったり、マグナムTAやニキタコロフとのコンビやウォリアーズとのトリオとかも好きでした。
あの頃のNWAはフレアー、ローデス、ウォリアーズ、ラシアンズ、R&R、ミッドナイト、アンダーソン、ブランチャードとかが主要メンバーでWWFよか好きだったんだよなぁ。

アメリカンバッシュを成功させてダスティマジックと呼ばれた事もある位プロデュース能力にも長けていたようですね。

う〜ん、残念です。

R.I.P

こんばんは!

第3回MSGシリーズ

小6です(笑)

この大会の参加選手がそのままでIWGP決勝トーナメント開催出来てたら最高だったのになあと後に何度悶々としたか(−_−;)

特別参加も含み奇跡のようなメンバーでありました

こんな大会にプロレス見始めの時期の最初の頃に出くわしたんで35年もプロレスファンこじらせちゃっております(;^_^A

ローデスの異文化ヨソ者感が本当にカッコ良かった

少年時代の憧れの選手の訃報を聞くと自分も歳なんだなと思っちゃいますよね



あと

aliveさんのコメントで↑カブキVSローデスの「ドラゴン・シ・マッチ」なんて言葉を何十年振りくらいに思い出しちゃいましたよ

この間のサッカーW杯アジア予選の日本VSシンガポールをテレビで観てて

あれ?竹刀の事をアメリカでは「シンガポール・ケイン」って言うんだっけ?

・・いや、違うな・・何だったっけ?

と悶々としてましたが


今日読んで思い出しました

竹刀は「シ」だ

o(^▽^)o

>aliveさん

こんばんわ。

アメリカンドリームなんて言語はローデスで知りました<そうですね、テキサスブロンコとかメヒコっていう言葉なんかもプロレス知らなきゃ覚えてないでしょうね。

マードックと交代で最上段からのニーを猪木に落とした時…あれで欠場して代理でカーンが決勝に<あれ実は糖尿病だったんでしたっけ?
でもあの頃の猪木ってあんまり元気なかった様に見えてたんで、カーンがアンドレとやったのは痛烈に記憶に残っていますね。

徳島でのタイトル戦の挑戦者決定戦をなんと小樽でしてますね<それもローデス戦でしたか?
札幌の一週間後って事は一週間以上道内を巡業してたんですね。当時はけっこうな田舎も回ってましたもんね。

カブキをライバル視してペイントしたとか、カブキ編はいかにも列伝らしいファンタジーに満ちてますけど、そういうことにしましょう<カブキ編とブッチャー編がファンタジーの頂点でしょうかね?
まず当時のちびっこたちは、あの指の形を全員真似したはずですよね(笑)。

>BKっち

なんか幻想を持たせてくれた選手でしたわ<今思い返すと不思議なくらい人気はありましたね。
まぁあんなスタイルで、あんな体型ですけど、喧嘩強そうでした。

ビューティーローデスとして出ている位人気があった<超人キャラで成り立つという事は確かに人気があった証明ですね。

初来日の国際ではフレアーも一緒に初来日<いやぁサミットで最初に話題になりましたけど、改めて国際の先見性は凄いですな。

マグナムTAやニキタコロフとのコンビやウォリアーズとのトリオとかも好きでした<あんだけケレン味溢れる闘い方でいながら、タッグの名手であるというのがローデスたるゆえんでしょうね。

あの頃のNWAはフレアー、ローデス、ウォリアーズ、ラシアンズ、R&R、ミッドナイト、アンダーソン、ブランチャードとかが主要メンバーでWWFよか好きだった<まずタッグ屋だけで凄い顔触れですよね。
そこにリッキーとかスレーターとかも加わる訳でしょ? 最強ですよね。

>ヨンペイさん

こんばんわ。

第3回MSGシリーズ…小6です(笑)<凄いですね。私らはまだ低学年ですから、星取りとかほぼ覚えていません。

この大会の参加選手がそのままでIWGP決勝トーナメント開催出来てたら最高だったのになあ<そういうのってありますよね。
第一回はまだしも、第二回以降のIWGPはMSGシリーズ以下の顔触れだったかもしれませんね。

ローデスの異文化ヨソ者感が本当にカッコ良かった<あのスタイルで新日も認めてた訳ですから、実力は確かだったんでしょうね。
ゴッチさんは徹底的に毛嫌いしていましたが。

aliveさんのコメントで↑カブキVSローデスの「ドラゴン・シ・マッチ」なんて言葉を何十年振りくらいに思い出しちゃいました<私はペイントの部分で、上田馬之助のテングーを思い出しました。
ドラゴン・シ・マッチのシは死じゃなかったのですね?

ダスティローデスさんの凄さというのは、
どんな所に行ってもスタイルを崩さずに
「仕事」をしてのけたことです。

普通、場所が変われば そこに合わせるのに
逆に我々観客の方が、引き寄せられた。

並ではない力量だと思います。

プロレス界に遺された功績も小さくありません。

偉大なるレスラーの旅立ちに。

合掌。

皆さん言及なされてる通り、ローデスの凄味はどんな団体・土地・国であろうと己のスタンスを保ちつつそこのシチュエーションに対応できたところにあると思います。

単なる空気の読めないショーマンだったとしたらグチャグチャにされておしまいでしょうが、それをさせない確固たる下地と自信があったのでしょうね。

前田氏がNWAについて「ローデスが王者になった時点で価値はゼロになった」と述べていた記憶がありますが、当時前田寄りだった僕ですが「そうだろうか?」と素直にうなづく事が出来なかったのを覚えてます。

普通に考えるとあのビジュアルは今だとバナナマン日村的なのですが(笑)闘う姿はかっこよかったんだよなぁ。

あ、リッキーやレイスはもうニューヨーク行ってましたね。ディッキーはミッドサウスじゃなかったかな?

あとはコンガザバーバリアンとかサムヒューストン、ロニーガービンにジムガービン、バリーウインダム、リックルードにマニーヘルナンデス辺りがいたのかな?あ、ブッチャーもたまに。

ロニーガービンなんかは日本向けの選手だなぁと思ってました。だからベルト奪ったのかな?なんて思ったり。

>ogotchさん

どんな所に行ってもスタイルを崩さずに「仕事」をしてのけた<そうなんですよね。
国際、全日、新日、ほぼ変わらないスタイルだったでしょうね。それどころかアメリカでもほぼ一緒だったんじゃないでしょうか。

普通、場所が変わればそこに合わせるのに逆に我々観客の方が、引き寄せられた<本当の意味でのプロでしょうね。
猪木の持論の中には「究極、強ければ何をやってもいい」っていうのがありますから、ローデスのあのスタイルを否定しなかったという部分も推して知るべしですね。

>ささのっちさん

ローデスの凄味はどんな団体・土地・国であろうと己のスタンスを保ちつつそこのシチュエーションに対応できたところ<そこなんですよね。トップレスラーが自分のスタイルを貫くのは、言ってしまえば誰にでも出来るんですよ。
ささのっちさん言う様にそこのスタイルにマッチさせるってのは実力がないと不可能ですもんね。

単なる空気の読めないショーマンだったとしたらグチャグチャにされておしまい…それをさせない確固たる下地と自信があった<荒っぽいテリトリーで伸し上がっていくには相当な自信を要しますもんね。

前田氏がNWAについて「ローデスが王者になった時点で価値はゼロになった」と<まずゴッチさんが大のローデス嫌いでしたもんね。
風潮的にNWAの価値については、トミー・リッチが元凶説が大きい様です。

今だとバナナマン日村的なのですが(笑)闘う姿はかっこよかった<流星さんのブログでも記事になっていますが、“駄菓子屋のおばちゃん”風のルックスであそこまで支持を集めたのは凄い事です。
私個人的には破壊王がトップに立てたのもローデスのルックスという過去を踏まえてのものだった気がしています。

>BKっち

リッキーやレイスはもうニューヨーク…ディッキーはミッドサウス<いやぁ、いつもながら勉強になります。
ちょうどNWAも変革期だったんですね?

あとはコンガザバーバリアンとかサムヒューストン、ロニーガービンにジムガービン、バリーウインダム、リックルードにマニーヘルナンデス辺り<バリー・ウィンダムは秘かに好きでしたよ。マリガンぽさが濃くなくて。
あとはコンガ・ザ・バーバリアン!! 大好きっ!!

ロニーガービンなんかは日本向けの選手だなぁと思ってました<サンシャインだったっけ? 女子マネついてたのはどっちのガービン???

オラが好きだったのは85、6年くらいのNWAでしたから…微妙に時期がズレてるかもしれません。

サンシャインはジムガービンの方ですね。ただ、NWAの時はミス・プレシャスじゃなかったかな?サンシャインはその頃若手のサムヒューストンと結婚したんじゃなかったっけ?

ロニーガービンがお兄さん(本当は義父らしい)の方です。

ダスティの試合、改めてyoutubeで観ましたが意外と足が長いんですよね。
第三回MSGの決勝、子供の頃TVで観てるはずなんですがローデス&ボブは記憶なかったなぁ。

>BKっち

オラが好きだったのは85、6年くらいのNWA<ああ!! たった今、流星さんのブログの記事(http://ameblo.jp/maskedsuperstar2/entry-10232560414.html)を読んできて思い出しましたよっ!!
まさしくこのタッグ五輪の時代ですね。純粋なアメプロファンならWWFよりこっちだわ。

サンシャインはジムガービンの方ですね。ただ、NWAの時はミス・プレシャスじゃなかったかな?<あの香水を吹きかけるパフォーマンスは印象深いですね。

ロニーガービンがお兄さん(本当は義父らしい)<また博士らしい補足だなぁ~。

ダスティの試合、改めてyoutubeで観ましたが意外と足が長い<痩せたらダスティンそっくりな体型ですよね。
フレアーと並んでも断然かっこよかったりします。

ローデス&ボブは記憶なかったなぁ<思えばWWFとNWAの2大チャンプですよね。
昭和全日ばかりが豪華ガイジンの評価を集めていますが、意外と新日も豪華でしたよね。
IWGPまでの助走期間でもありましたしね。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
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