追悼・Superman,Yes! Superstar

プロレス界にまた訃報が流れました。

 yahoo!ニュース より
【訃報】阿修羅原さん死去 ラグビー世界選抜メンバーからプロレスへ

元プロレスラーの阿修羅原さん(本名・原進)が28日午前5時15分、長崎・諫早市内の病院で肺炎のため死去した。68歳だった。
原さんはラグビー選手として長崎・諫早農高から東洋大、近鉄に進み6年間、日本代表として活躍。1976年には日本人として初めて世界選抜メンバーに選ばれた(左プロップ)。77年にプロレスに転向して国際プロレスに入団。78年6月26日、大阪府立体育会館の寺西勇戦でデビュー。その直後に海外へ武者修行に出て翌年に帰国し、作家・野坂昭如氏から「阿修羅」のリングネームを命名された。

79年にはWWU世界ジュニア王座奪取。81年の国際プロ崩壊後は全日本へ戦場を移す。“ヒットマン”の異名を取り、87年から天龍源一郎とタッグを結成。当時では革命的だったゴツゴツとしたプロレスを展開して「天龍同盟」と呼ばれ、一時代を築き上げた。

その後、2年のブランクを経て91年に天龍のSWSで復帰。94年10月に故郷・長崎で引退試合を行った。マットに上がったのは2001年5月のFMW川崎大会で天龍―冬木弘道戦のレフェリーを務めた時が最後だった。近年は心筋梗塞を患って闘病生活を送っていたという。


阿修羅・原
やっとリングに戻った阿修羅の、

プロレスファンにとっては各時代で、

それぞれの阿修羅がいるはずです。



今でも多く存在している国プロファンにとっての阿修羅は、

WWU世界ジュニアヘビー級王者の勇姿でしょう。
向かい合う二人

決して技の多彩なスタイルではないですが、

ラグビー日本代表で、“日本人初”の世界選抜メンバーになる程、

スーパーアスリートだった原の身体能力を活かしたレスリングは、

国際特有の男臭さも加味されて、

独特の華を咲かせていたと思います。

昭和新日ファンにとっては藤波辰巳との名勝負(参照:ドラゴン・ザ・トップアスリート)が印象深いでしょう。
最後はノーサイド



国際崩壊後、全日本に籍を移してから、

長く中堅の位置に居座りましたが、

その頃のイメージといえば、

スタン・ハンセンとの数々のシングルマッチですね。
ハンセンvs阿修羅1

移籍初戦という重要な試合を皮切りに、

とにかくウェスタンラリアートを喰らいまくった印象が強いのですが、

実際にシングルで対戦したのは数回なんですよね。
ハンセンvs阿修羅2

見て下さい、
ハンセンvs阿修羅3

この、
ハンセンvs阿修羅4

インパクト!!
ハンセンvs阿修羅5

ハンセンが全日で最も持ち味を発揮した相手は、

馬場さんでもジャンボでも三沢でも小橋でもなく、
ハンセンvs阿修羅6

阿修羅なんですよ(天龍革命以降含む)。
阿修羅原



もう一つの全日時代の阿修羅の代名詞は“ヒットマン”。

長州力率いるジャパンプロが殴り込んできた際、
長州vs阿修羅2

消息を絶っていた阿修羅は突如乱入して、

カウボーイブーツで長州をメッタ打ち。

そこから天龍源一郎と三つ巴の抗争になりかけました(参照:スーパースターズ)。
長州vs阿修羅1

そういえば新日ではこの長州が、

ハンセンのラリアートを喰らいまくっていたんですよね。
長州vs阿修羅3

でも天龍と違って、

長州は明らかに阿修羅を格下と見ていましたので、
長州vs阿修羅5

抗争は長く続きませんでした。
長州vs阿修羅4



阿修羅が本当の意味で覚醒したのは、

長州が全日からいなくなった後でした。

天龍同盟の龍原砲時代です。
龍原砲2

ただし、この頃リング上での激しい闘いと引き換えに、

ラグビー時代から壊れかけていた身体は、

ハイペースでどんどん傷ついていったんですよね。

それでも連日、全力で五輪コンビや輪島、

ハンセン、ゴディらのスーパーヘビーとぶつかり合いました。

 週刊現代 No.2768 より

阿修羅
「プロレスは仕事と割り切っていたんだけどね。でも蹴られても痛くないのに痛い顔はできないって。だから顔を引かないで逆に突っ込んでいく」


この時代からWARでの引退まで、

阿修羅の試合と言えば、

ヒットマン・ラリアートと、
龍原砲3

ヘッドバットしか印象にないんですよね。
龍原砲3

でも、決してしょっぱくないんですよ。

それは阿修羅のラリアートとヘッドバットには、

覚悟と説得力が見えたからなんですね。
阿修羅原

そこから失踪~SWSでの復帰~WARでの引退は、

あまり印象にないんですよ。

でも新日との絡みの中で、

変わる事なくラリアートとヘッドバットを打ち続け、

ボロボロの身体で受けまくった阿修羅は忘れられません。



訃報が流れた日、

阿修羅が2度目の失踪後に潜伏していた札幌の街では、

桜が満開となりました。
2015年春の桜

思えばハンセン戦に代表される様に、

阿修羅の魅力は潔い散りっぷりだったかも知れません。

それは本当に桜の花の様に潔くて儚い、

しかし綺麗に堂々と咲き切る花。

ちなみに阿修羅が青春を賭けたラグビー日本代表の、

歴代ユニフォームにも桜の花が刺繍されています。
ラグビー日本代表時代の阿修羅原

阿修羅・原さんのご冥福を、

心よりお祈りします。

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tag : 訃報 阿修羅原 天龍源一郎 長州力 スタン・ハンセン

comment

Secret

こりゃ、またなんだかなぁ~。

こんばんは。

天龍の引退の年に死去なんて哀しすぎますね。

瞬間的にヤマハが亡くなった2010年を思い出しましたもん。

中島で見たSWSの龍原対決では試合後余りにゴツゴツした男臭い内容で「阿修羅、今日、呑みに行くぞ~。」と聞いた事も無い声援が飛んだのをよく覚えています。

天国で吉原社長やラッシャーと楽しく呑み続けてほしいものです。

オラの中では”阿修羅幻想”が存在しまして…。
ラグビー世界選抜のトップアスリートと聞くとどうしても東三四郎と被らせて観てしまうし、アメリカにはアメフト上がりのトップレスラーが多いのでラグビー界のトップスターと言う肩書きに
「もっと凄いはず!」
と思ってしまうんですよねぇ。

まぁ、阿修羅幻想を持ったキッカケは失踪後の長州襲撃の時ですね。
長州革命と被りました。長州と阿修羅は何かと被るんですよね。
何故阿修羅は長州になれなかったのか?とか最近何故か考え続けてましたよ。
一番輝いていたとされる天龍同盟時代ですが、仰る通り阿修羅の技は少なく、あとはダブルチョップ、アッパーカット、ブレンバスターくらいでした。長州以上に格下に見ていたジャンボが相手だとやはり実力差を感じて観てました。
ヒットマン時代の方が勝ち星は少なくても、何か期待して観てましたよ。マシンと組んだ時や、UNリーグ戦の時とか。

ん〜、しかし残念ですね。そう言えば、オラ初めて触った選手が阿修羅じゃなかったかな?

RIP。

>aliveさん

こんばんわ。

天龍の引退の年に死去なんて…ヤマハが亡くなった2010年を思い出しました<そうですね。何という因果でしょうね。

中島で見たSWSの龍原対決…「阿修羅、今日、呑みに行くぞ~。」<中島はそういった野次とかトンチの効いたのがたくさんありましたね。
阿修羅もご多分に漏れず、かなりの酒豪だったみたいですしね。

天国で吉原社長やラッシャーと楽しく呑み続けてほしいもの<ラグビーからの先輩に当たる草津もいますしね。
天国なら身体の事心配しないで呑めますよね。

>BKっち

”阿修羅幻想”<いつかのサミットで言ってましたね。意外でした。

東三四郎と被らせて観てしまう<三四郎はラグビーも柔道も我流でしたけどね。
むしろギブアップブギじゃないでしょうか?
でも私、健三や謙吾…ラグビー出身者あまり好きじゃなかったんですよね。

アメリカにはアメフト上がりのトップレスラーが多いので<2000年代初頭って、アマレス出身もラグビーもアメフトも、みんなスピアー使ってたじゃないですか。あれ嫌だったんだよなぁ。

失踪後の長州襲撃<あれインパクトありましたよね。カウボーイブーツで滅多打ちして。
でも記事にした通り、長州って見下してたんじゃないでしょうかね? 阿修羅の事。

一番輝いていたとされる天龍同盟時代ですが、仰る通り阿修羅の技は少なく、あとはダブルチョップ、アッパーカット、ブレンバスターくらいでした<それより何よりも“受け”ですよね。
本当に真正面から受けてたもんなぁ。

ヒットマン時代…マシンと組んだ時や、UNリーグ戦の時とか<マシンと結託したのは馬場さんの意向だったんですかね?
いずれにしても反体制が似合いました。

オラ初めて触った選手が阿修羅じゃなかったかな?<あ、そうですか。
大熊じゃなくて(笑)。

No title

本当に近年は知ってるレスラーの訃報が増えましたよね・・・

我々も年を取ったので、自分らが見てた頃のレスラーが年取るのも仕方ないのかもしれませんが、それにしてもさみしいです・・・

あ、因みに阿修羅は酒好きじゃなかったそうです。
輝かせてくれた天龍の為、合わせていたそうです。
漢ですねぇ〜。

阿修羅原と言うレスラーの人生は決して実力通りの評価をされなかった道のりだったと思うのです。

アスリートとしての身体能力の高さ、男臭さを漂わせた精悍な顔立ち、根性論に頼らない柔軟な考え方など。実は少し馳とかぶるところがあるのですが、馳より発想の切り替えが出来なかったと言うか、やはり実直過ぎ正直過ぎだったのがいばらの道を歩ませる一因だったのかも知れませんね。私生活でも。

長州とのすれ違いは「プロレスとはこうじゃないか!」と言う長州と「プロレスでもこうありたいんだ!」と言う阿修羅の違いなんじゃないかと。ニュアンスとして伝えにくいのですが。最後の一騎討ちで長州が阿修羅の生き方を肯定するようなコメントが出ただけでも少しは報われたのかなって。

龍原砲が体現したものこそ実は受けの凄味だったと思う時があります。受身をどんな態勢からもとれるのも勿論凄いのですけど、相手の技を正面から受け止めた上で負けるか‼︎と向かって行く気迫…これを出来たのは龍原砲だったり猪木さんだったかなと。

>流星仮面二世さん

近年は知ってるレスラーの訃報が増えました<そうですね。
特に阿修羅なんてタフガイのイメージのままですので、まだピンとこないんですよね。

自分らが見てた頃のレスラーが年取るのも仕方ないのかもしれませんが<少年時代から観ていたので、もちろん我々の父親世代になる訳ですが、やっぱりレスラーっていつまでも衰えないという思いもあるんですよね。

>BKっち

阿修羅は酒好きじゃなかったそうです<元々はその様ですね。
そもそも最初に入ったのが国際ですからね…草津に無理矢理鍛えられたそうです。

輝かせてくれた天龍の為、合わせていた<しかも「毎回源ちゃんの奢りじゃおかしい」と、借金しながら若い衆に食わせたり飲ませてたらしいですよね。
その結果が突然の解雇だったと。

そこからSWSで復活するまでの話は、もう涙なしには語れませんもん。

>ささのっちさん

アスリートとしての身体能力の高さ、男臭さを漂わせた精悍な顔立ち、根性論に頼らない柔軟な考え方<理論派だった、と小佐野さんも言ってましたね。

実は少し馳とかぶるところがあるのですが…実直過ぎ正直過ぎだったのがいばらの道を歩ませる一因<自分が損してでも、っていうのがプロレス界では致命的だったのかも知れないですね。
馳の場合はしたたかというか、自分が損しない様にやっていましたね。

「プロレスとはこうじゃないか!」と言う長州と「プロレスでもこうありたいんだ!」と言う阿修羅の違い<よくいう「アマで上まで行った選手はお金の為に…」という表現も、この二人に当てはまる部分ありますね。
阿修羅はトップアスリートの血なのか、必ず全力でした。
最後の一騎打ち、「長州! ラリアート勝負だ!!」ですね。あれって小橋vs健介系の名勝負だった気がします。

龍原砲が体現したものこそ実は受けの凄味だった…相手の技を正面から受け止めた上で負けるか‼︎と向かって行く気迫<スカす事もほとんどなかったですし、もしスカしても、その後に何十倍ものバンプ取っていましたからね。
逆にハンセンを失神させて、蘇った後にド近眼のハンセンがトペやるくらいのブチ切れを見せたり…攻撃力もハンパなかったです。
紫レガとは?

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Author:紫レガ 
44歳のプロレス話


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