高山が語ったUインター異人史

ここ最近のムックの中で、

最もUインターファンを喜ばせた一冊がコレ(参照:買って来ました、この一冊。)でした。
俺たちのプロレス買って来た

読んだ方の中には、こう思われた方もいらっしゃるでしょう。

「これでレガの野郎もしばらくネタに困んねーだろな」と…。
俺たちのプロレス目次です

その通り!!(笑)

今回は“帝王”高山善廣が語った、

Uインター来日ガイジンの回想録をお送りします。
満足感ありありの高山の表情

これは読んでて本当に面白かった。

聞き手である堀江ガンツさんの振り方が絶妙なんですよ。

ガイジンたちと深く付き合った高山だけが語れる秘話、

早速、参りましょうか。

高山の口から語られるガイジンと言えば、

もちろん最初は“殺人風車”ゲーリー・オブライトですね。
迎え撃つは“格闘技世界一”ゲーリー

キッカケは♪ロックンロ~~~~ル!! からでした。

俺たちのプロレス4表紙
 俺たちのプロレス vol.4 より

高山
「ゲーリーは、すごいロック好きなんですよ。俺と趣味が同じで、ストーンズとかレッド・ツェッペリンとか大好きで。成田に迎えに行ったら『タカヤマ、聞いてくれ! 飛行機でジミー・ペイジが隣にいたぞ!』って(笑)。
(略)来日するとき、ストーンズのアメリカツアーTシャツを買ってきてくれたりね。当時はインターネットがあんまり普及していないから、向こうのTシャツなんか買えないんだよ。たまに輸入してたり古着屋にあったりしても、俺のサイズなんかなかなかないからさ、嬉しかった」

「あと、ボスのゲーリーからは、俺のデビュー戦のときに、お祝いでレスリングシューズをもらったんですよ。ゲーリーとはサイズがちょうど一緒だったんで。『これはチャンピオンシューズだから、おまえもこれを履いてチャンピオンを目指せ』って。ゲーリーが高田さんをジャーマンでKOしたときに一回だけ履いたシューズを俺にくれたんだよ。だから、いまもそれはとってありますよ」


アマチュア時代からトップアスリートにありながら、

日本のグリーンボーイ相手にロックの話で盛り上がる。

そして面倒見の良さ…これがボスたるゆえんですね。

Uインターのモデルが昭和新日本であったならば、

ゲーリーはそこでハンセンやアンドレの様な存在だったのです。
ゲーリー、ライディック圧勝

当然、子分たちとの関係もレスリングの絆です。

高山
「親分でしたね。そしてジーンが子分、弟分みたいな感じで。あと、マーク・フレミングと仲が良かった」

「やっぱり、みんな成功するためにハングリーでしたよ。ゲーリーも最初のうちは大学で、レスリングのコーチをしながらのプロレス活動だったんですけど、後半になって、ようやくプロレス一本の生活になったり」


ジーン・ライディックもカレッジレスリングの世界で名を馳せたエリート、
ジーン・ライディック

マーク・フレミングはテーズ道場の師範代、
マーク・フレミング

世代を超えて二人が夢見たのは、

ゲーリーの様な日本での成功でした。

その結束力はベースの異なる人間を受け入れなかった様です。

高山
「別行動だったトム・バートンなんかは、けっこうみんなに嫌われてたんですよ。なんで嫌われてるのかって訊いたことあるんだけど、ゲーリーとかジーンは『アイツは下品だ』って言ってましたね。で。よくよく考えてみたら、ゲーリーとかジーンは大卒なんですよ。で、トムは本当に町の与太者だったじゃないですか? そういう差別的な会話がされてたんですよ(笑)」

「トムはケンカ上がりってわけでもなかったから。ケンカでもっとすごかったら、前田さんみたいに蹴り倒してたかもしれないけど(笑)。本当に田舎のプロレスラー。だからプロレスだけじゃ生活できないから、最初のうちはトラック運転手とか工事現場で働いたりもしてたらしいよ」


Uインターに登場したのはトム・バートンが一番初めでしたが、

ゲーリー一派にとっては蔑視する対象だった、と。
さらばバートン

ライディック以前の成長株だったマーク・シルバーも、

ゲーリーらとは真逆の経歴だったらしく。
マーク・シルバー

高山
「マーク・シルバーも、笹崎さんが暮らしていたところの近くにいた、半分ヤンキーみたいなプロレスラーになりかけの奴だったんですよ。それをガタイが大きかったからって、笹崎さんが連れてきたの」


なる程、確かにシルバーの風貌、

向うのヤンキー兄ちゃん風情でしたね。
睨み合いから、

でもレスリングエリートだけじゃなかったから、

Uインターのガイジン勢には個性が溢れていたんでしょうね。

話をレスリングに戻すと、

ゲーリー、ライディックとの付き合いは、

のちの“帝王”高山に多大な影響を残しています。

高山
「だから、ゲーリーがジャーマンを復活させたんですよ。ジャーマンって、昔は一撃必殺だったのが、みんな使い出して、カウント2で返されるようになっちゃってたじゃないですか。それをゲーリーが完全な必殺技として蘇らせたんですよね。ホント速かったよ。背筋が異様に強いんだよね」

「ジーンも背筋強そうだよね。だから、ボクのジャーマンはジーンの真似ですよ。
(略)Uインター時代は普通に反って投げてたんだけど、ジーンのジャーマンを見て、『より高く上げて投げればいいんだ』と思って、それで自分のものにさせてもらいました(笑)」


やっぱりな!! と。
まさしくエベレストジャーマン

エベレストジャーマンの原点は、

ライディックの急降下ジャーマンだったんですね!!
ライディックのジャーマン4

これは合点行きました。

あと、ゲーリーより早くブレイクしたビリー・スコットの下積み時代は、

高山
「ビリー・スコットだって、Uインターに来る前までは、トペとかやってたらしいですからね。『昔は俺も飛んでたよ』って、言ってましたから」


へぇ~…もしUインターがなければ何かの拍子で、

みちのくプロレスとかでマスク被っていたかも知れませんね。
ビリーがUに帰還

他にもインタビューの中で、

高山が印象に残っているガイジンとして、

スティーブ・ネルソンの名を挙げたのは意外でした。
スティーブ・ネルソン

高山
「彼はお父さん(ゴードン・ネルソン)がゴッチさんの友達なんですよ。だから、普通のレスリング以外の関節技もうまくて、技巧派でしたよ。他と比べてどうこうじゃないですけど、そういうのは印象に残ってます」


聞き手のガンツさんはここから、

のちにネルソンが主宰したMMA団体USWAの話を出しますが、

確かにヒース・ヒーリングなんかはあのキャラもあって、

もしもUインターに来日していたら、

PRIDE以上のブレイクを果たしたんじゃないかなぁ?

…とか長年思っていました。

ここからバッドニュース・アレン
アレン、Uインター初参戦

アイアン・シークとレジェンドの名が並ぶのですが、
出ましたアイアン・シーク

高山はアレンの強さを知る、数少ない現役レスラーです(参照:高山に柔道の罠!?~後編~)。

高山
「アレンさんはもう50歳近かったんだけど、やっぱり払い腰とかはすごかったですよ。ボクがスパーンと投げられましたから。あとアレンさん、本当に怖い人なんだよ。リング外でハンパなく怖い人らしいよ。黒人差別に敏感で、差別的なことを言ったアンドレ(・ザ・ジャイアント)を脅したらしいですからね。」

「ホントはめちゃくちゃ強いのにね。だってあの人、柔道の(76年モントリオール)オリンピック銅メダリストですよ。たぶん当時は、黒人だとなかなかレスリングできなかったから。それで柔道にいったんだと思うけど。だから、差別にも敏感だったんじゃないかと思うけど」

(アイアン・シークは)意味わかんないですよね。たぶん、WWF(WWE)とコンタクトを取ろうとしたんじゃないですか? 当時はWCWとはベイダーを呼んだり、パイプはあったんで。今度は彼を通じてWWFとも繋がりを持とうとしたんじゃないですかね。わかんないけど」


そして、ここから驚愕の秘話が飛び出します。

高山
「だから俺、WCWの本部に行ったことありますもん。笹崎さんとキャシィーさんと3人で。エリック・ビショフに会いましたからね」

「だから、当時のWWF世界チャンピオンも呼ぼうとしてたんだと思いますよ。本当は宮戸さん、ホーガンを呼びたかったんだから。ホーガンを呼んで、やっちゃいたかったんだよ(笑)。でも、ホーガンは新日本にいたことあるから、UWFっていうのがどういうもんか、知ってるじゃないですか。だから『あんな奴らとやりたくない』って言ったらしいですよ」


デイビーボーイ・スミスの件は以前書きました(参照:“if…”の嵐)が、

何と宮戸の本当の狙いはハルク・ホーガンだったんですね!!
ホーガン入場

高田vsホーガンのプロレスリング世界ヘビー級選手権試合が実現していたら…、

のちの10.9もヒクソン戦もなかった様な気がします。

さらにはタイソン戦が実現していたんじゃないかなぁ、と。
挑タイソン

もう一つの秘話としては、

新日がLA道場を構える遥か以前に、

Uインターが開いたナッシュビル道場の真相です。

高山
「みんな日本に来る前に、笹崎さんが地元のテネシーで鍛えてから送ってたんですよ。公共のボクシングジムみたいなところで、リングやサンドバックもちゃんとあるんですけど、夜は誰も使ってなくてガラーンとしてるから、そこで笹崎さんが教えてたらしいですよ」

「だから笹崎さんが勝手に看板書いてましたから。『UWFインターナショナルUSA』って(笑)」


これじゃ、まるで柳●拳じゃないですか(笑)。

でも、このナッシュビルの道場から、

ジャパニーズ・ドリームへとつながっていった訳ですから、

それも有りなんでしょうね。
ゲーリーの入場

知れば知る程、Uインター最高です。



Uインターのガイジンを知っておく上で、

過去記事も合わせてお読み頂くと幸いです。

 Uインター異人史 vol.1

 Uインター異人史 vol.2

 Uインター異人史 vol.3

 Uインター異人史 vol.4

 Uインター異人史 vol.5

 Uインター異人史 vol.6

 Uインター異人史 vol.7

 Uインター異人史 vol.8

 Uインター異人史 vol.9


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tag : 高山善廣 ゲーリー・オブライト ジーン・ライディック ビリー・スコット スティーブ・ネルソン マーク・シルバー トム・バートン マーク・フレミング バッドニュース・アレン アイアン・シーク

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Secret

No title

紫レガさんの博識ぶりと情熱には感服させられるばかりです!個人的に名手のスープレックスは美しさと説得力を兼ね備えているな~と思います。何だか偉そうですかね(笑)

No title

インターWWFを狙ってたんすか?
当時の世界王者はヒットマンじゃないですか。高田対ヒットマンなら興味惹かれるなぁ〜。
…あ!いや、短期政権に終わったけど、当時ミスター・バックランドが王座に返り咲いてたから三度のバックランド戦が実現してたりして…。

でも、ゴールドバーグやレスナー、カート、ベンジャミンのようなレスラーがUのリングに上がってたらどうなってたかなぁ。

>浦原さん

博識ぶりと情熱には感服<恐れ入ります。
でもこの記事、ほぼ転載ですので、ここは高山とガンツさんに感謝致します。

名手のスープレックスは美しさと説得力を兼ね備えている<そうですね。その両輪あってこそ必殺技でしょうね。

先日のサミットでゴッチさんのジャーマン日本初公開の話題が出たんですよ。
あのシチュエーションで、あの対戦相手だったから、ジャーマンスープレックスホールドは必殺技として認可されたんでしょうね。

>BKっち

インターWWFを狙ってたんすか?<これサミットで話そうとしてたんですけど、そんな時間はなかったですね(笑)。

当時の世界王者はヒットマンじゃないですか<調べてみると、ちょうどホーガンがWWFから距離を置き始めた時期ですね。
高田vsヒットマンか…ちょっと日本ではインパクト弱かったでしょうね。

三度のバックランド戦<厳密には4度目ですけど、もういいですよね(笑)。

ゴールドバーグやレスナー、カート、ベンジャミンのようなレスラーがUのリングに上がってたら<本当に妄想止まらなくなっちゃうんですよ。


前にサミットで話しましたけどね、ブロディが生きてたら、最後のリングがUインターだったと思います。
そのタイミングは95年春でしょうね。
ブロディって弱体インディーに救世主みたいに上がってたじゃないですか?
新日に移籍したのも、当時、全日にかなりの選手持って行かれてインディになりかけたところを救いに…みたいな説もありましたよね。
だからけっこうな年齢になっていましたけど、安生がヒクソンに敗れて一気に観客動員が落ちたUインターに上がってたんじゃないかなぁ?

あ、出たら出たでいつも通りわがままなブロディなんでしょうけどね(笑)。

No title

僕もあの本買いました!濃厚で読み応えあり過ぎました(笑)

Uインターの外国人だけでサミットいけるくらいネタ多いですよね。シークはWWEとのホットラインもあったんでしょうが、アレン的な期待もあったと思うんですよ。バックランドの王座転落のアレもシークのバックボーンあればこそだったと思いますし。

これは、皆さんとまたお会いする機会欲しいですね(笑)

No title

ヒットマンと高田なら確かに当時のヒットマンの知名度から言って話題にはなりにくいですね。
ただ、オラはデイビーボーイ戦よりは興味惹かれますなぁ。

97年頃ならWWF版リアルファイト、ブロールフォーオールルールでの高田も面白かったかもしれません。

ブロディは確かに全日に上がり続けてはいなかったかもしれません。が、FMかIジャでしょ^^;東京プロレスとか。あ、WAR経由でインター行ったかもしれませんね。

インターで流血戦したかも…。

No title

DBスミスはUインターにあがるという噂はありましたもんね(以前の記事で思い出しました)
しかし、ホーガンですか。

当時で言えば、U・ウォリアーに破れ、休業、ヨコヅナから王座奪取、3ヶ月後陥落して休業、新日本登場・・・という流れでしたから新日本でムタや藤波とやってる頃(WWFと切れたタイミングを狙って?)に引っ張り出す予定だったのか。
いずれにしろ、当時はすっかり
「ミスター・アメリカン」
でしたが、言ってもその数年前はIWGPで猪木をKOしたり、荒削りなファイトで若手パリパリの長州力(笑)を簡単にやっつけていた時代です。
ベイダーよりも背は大きいし、パワーもハンパない。
きっと、Uインターに上がっていたとしたらその後の日本での評価もかなり変わったかと思われます。

トム・バートンという名前と、嫌われていたというのを聞いて、
「お前らにこれができるか?」
と、周囲の外人レスラーらに睾丸に駐車でステロイドを打ちこむという特技(?)をやっていたという噂を聞いたことがありますが、真相はどうだったんでしょうね。

>ささのっちさん

Uインターの外国人だけでサミットいけるくらいネタ多いです<リングスのファンは同じ様にリングスのガイジンを捉えてるかも知れないですけど、肝心なのはB級も多いという事なんですよね。

シークはWWEとのホットラインもあったんでしょうが、アレン的な期待もあったと思う<そういう見方もあるでしょうね。五輪レスラーですから。

皆さんとまたお会いする機会欲しいですね<またタイミング見て、お願い致します。

>BKっち

ヒットマンと高田なら確かに当時のヒットマンの知名度から言って話題にはなりにくい<マニアツアーの件もありますから、日本における集客力という部分でですね。
でも試合はホーガンよりは面白いものになったでしょうね。

ブロールフォーオールルールでの高田も面白かったかも<一応、大橋ジムでボクシングやっていましたんで、興味ありますね。

インターで流血戦したかも…<そうですね。勝手に切っちゃってね…、

で後日、記者会見開いて宮戸が「先日のブロディ選手の試合で不正がありました。自らのテーピングの中に刃物を忍ばせていた模様です。これは対戦相手を傷つける為のものか? あるいはそれ以外の目的なのか? 現在、笹崎をサンアントニオに向かわせて調査中です。なお、試合を裁いたミスター和田もチェックを怠ったという事で30%の減俸処分とします」とか(笑)。

>ナリさん

しかし、ホーガンですか<この本で新たに知った事実の中の大きな一つですね。

新日本でムタや藤波とやってる頃(WWFと切れたタイミングを狙って?)に引っ張り出す予定だったのか<いや、それが話す内容的には正面突破的に交渉に行ってたみたいなんですよ。

ベイダーよりも背は大きいし、パワーもハンパない。きっと、Uインターに上がっていたとしたらその後の日本での評価もかなり変わったかと<旧知のレスラーは「ホーガンはシュート出来た」みたいな話してたり、ヒロ・マツダ門下という部分もありますしね。
何より私は以前、GA9さんという方から教えて頂いたエピソードもあって、ホーガンってやる時ゃやるんだろうな…と。

トム・バートン…「お前らにこれができるか?」と…睾丸に駐車でステロイドを打ちこむ<うわ~、それもまた初耳ですね。
流さんの書き物で、周りに誰がいても気にせず注射を打ってたというのは知っていましたが、玉に直接ってのはショッキングですね。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
44歳のプロレス話


待て待て待て待て!! 読め!! 俺の記事をこの野郎!! 待て貴様ぁ!!

どーですかぁーーーー!!

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