連鎖する“if…”

知る人ぞ知る“デイビーボーイ・スミス幻のUインター参戦”が、

実の息子であるスミスJrの口から発せられ、

記事にしたところ(参照:“if…”の嵐)で、

早速、コメント欄にBKっちの追及が。

う~ん、さすがです。

もう一人の幻の参戦者は“ドクターデス”スティーブ・ウィリアムス(参照:追悼“人間スクラップ工場”)です。
睨みつけるウィリアムス

スタイル的にも、スミスよりも現実味のある話ですが、

私の考えはちょっと違いまして…。

まずは、鈴木健の述懐からいきましょうか。

最強のプロレス団体UWFインターの真実―夢と1億円 (BLOODY FIGHTING BOOKS)
 最強のプロレス団体UWFインターの真実―夢と1億円 より

鈴木
9.11の神宮球場での興行が決まったときに、せっかく馬場さんの申し出を活かさない手はないなって思って、「9.11神宮球場大会に全日本プロレスも出したい!」っていう発想が出てきた。それで早速、馬場さんに相談してみることにしたんだ。
私はそのとき馬場さんに、全日本に上がっていたスティーブ・ウィリアムス選手か、UWFインターから全日本に移籍していたゲーリー・オブライトを出してくれっていうリクエストをしてみた。「できれば、スティーブのほうがいい」っていうことを伝えた上で。なぜかというと、全日本と話ができるようになるよりもずいぶん前に、ウチは独自でスティーブ・ウィリアムスの招聘に動いたことがあったからだった。


1996年の日本プロレス界のエポックメーキング的興行、

9.11神宮球場大会で、

最初にUインター側からオファーしたのは川田利明ではなく、

実は殺人医師だったんですね。
前田との局面

そして、その遥か以前に打診をしていたというのです。

ウィリアムスのバックボーンはレスリング。

のちにUインターの常連ガイジンとなるゲーリー・オブライトとは、

大学時代にライバルとして競い合った仲です。
ドクターデス@学生時代

ゲーリー@学生時代

想像の範疇ですが、

ウィリアムス招聘(未遂)の橋渡し役は、

ゲーリーだったんじゃないでしょうかね?

ちなみにゲーリーが全日に行く際、

馬場さんに口利きしたのがウィリアムスでした。
大学生で既にドクターデス

前回の記事で抜粋した新生U時代の高田本ですが、

実は高田延彦の口からスミスより先に出た、

闘いたい相手というのはウィリアムスです。

 夢のいる場所―新U.W.F.伝説 高田延彦エースへの物語 より

高田
「そうですねぇ。スティーブ・ウィリアムスなんか、やってみたいですね。でっかくて、いいカラダしてるでしょう。アマレスの素地もあるしね。そのうえ、まだ若いですもんね。彼とならやってみたいです」


Uインターの中でも高田とウィリアムスの縁は古く、

1986年の初来日時にまで遡ります。

当時、UWF軍団として新日に上がっていた高田。

試合前に練習していると、

ウィリアムスは近寄ってきて、にっと笑うと、

親指でサインを送ってきたそうです。

「やってるな」と。

高田
「彼は、強いヤツは認めてくれるレスラーなんですよ。格とかは関係なしに」


大きな身体に似合わず(?)、根っからのアスリート気質だったんでしょうね。



1993年にタッグパートナーのテリー・ゴディが病に倒れて、

シングルプレーヤーとしての株が上がりだした頃、

ウィリアムスにオファーが掛かったのでしょうか?

そこからは殺人バックドロップを武器に、

翌年のチャンピオン・カーニバル準優勝、

さらに三沢光晴からの三冠ヘビー級王座奪取と、

まさに全日マットでは破竹の勢いでした。
殺人バックドロップ



とかくビッグマネーで動きがちなガイジンらの中で、

ウィリアムスが最後まで全日に留まっていたのは、

ボスへの忠誠心からでした。

 プロレス異人伝―来日外国人レスラー・グラフィティ より

ウィリアムス
「何度もいろんなジャパンのカンパニーから誘われたことがある。でもできなかった。私はオールドスクール(保守的、伝統的)な人間なんだ。握手が一番大事だと思っている。コントラクトは従業員に対して存在するものであって、従業員ではないわれわれには二の次だ。私はババさんのやり方が好きだった。ババさんが『心配するな』と言ったら、それが答えだった。ババさんは今まで出会った中で最高のボスだったよ。ババさんが売店のイスに座って試合を見ている光景が好きだったよ」


ウィリアムスが持っていたポテンシャルや闘争心というのは、

もともと素晴らしいものがあったと思います。

しかしこれだけ家族的なマインドを持って、

日本で仕事していた選手なら、

生き馬の目を抜くUインターマットにおいて、

正直あまり活躍出来なかった気がするんです。

例えて言うならアイアン・シーク的な感じ(参照:Yoji Anjo Is Alive vol.5~Uの本質~)で。

あくまでも私感なんですけどね。
ドクター・デス入場

他にも三沢独立の際に襲撃予告して実行出来なかった事とか、

イグナショフ戦での闘い方とか…。

シュートの強さなんかとは別の次元で、

全日に大きく染まっていた様に感じます。

ウィリアムスにとっては、全日マットで(ほぼ)選手生命を全う出来た事が、

結果的に幸せだったんじゃないでしょうか。
殺人バックドロップ2

異論反論、お待ちしております。

関連記事
スポンサーサイト

tag : スティーブ・ウィリアムス 高田延彦 ゲーリー・オブライト 全日本プロレス

comment

Secret

う〜ん、隠れウィリアムスファンとしてはアイアンシークはないだろ、と。せめてダンスバーンじゃないですか?

てか、ウィリアムスはなるほど、レガっちの言う通り全日のファミリー感に染まってたかもしれません。結局全日本時代が一番輝いてましたからね。
ただ、初登場の団体でのウィリアムスは、日本では相手を壊すくらいがちょうどいいと言う教えを忠実に守ってます。
新日での猪木しかり、全日での谷津しかりです。
もし、川崎に全日本としてインター初登場したらかなり危ないウィリアムスになっていたんじゃないでしょうか?

アイアンシークになりそうなのはIRSマイクロトンドあたりかな?

あ、川崎じゃなかった…。神宮でしたね。
失礼しました。

>BKっち

隠れウィリアムスファンとしてはアイアンシークはないだろ、と。せめてダンスバーンじゃないですか?<あはは、そういう反論を待ってたんですよね。だって弱い訳ないんですから。
スバーンは道場で当時ほぼ新弟子の桜庭に極められてたらしいですけど、ウィリアムスもその可能性ありますよ。

全日のファミリー感に染まってたかもしれません。結局全日本時代が一番輝いてましたからね<バックドロップは凄かったですけど、新日時代の危険な感じは薄れて行った記憶があります。
馬場さんにしてみれば、最初の荒削りからどんどんプロレスが上達していく様を見て嬉しかったでしょうね。

初登場の団体でのウィリアムスは、日本では相手を壊すくらいがちょうどいいと言う教えを忠実に守ってます<ゲーリーもそういう感じありましたね。いや初来日の新日のは知らないですけど。
最初にナメられない様にガツンとやる…のちにトップ張ったガイジンはほとんどやってますよね。

全日本としてインター初登場したらかなり危ないウィリアムスになっていたんじゃないでしょうか?<高山も正面から行ってたでしょうしね。全日での対戦とは一味違う試合になっていたでしょう。

アイアンシークになりそうなのはIRSマイクロトンドあたり<うまい。なるほど。
nWoのロトンドは吉幾三みたいな顔でしたね。関係ないけど。

あ、川崎じゃなかった…。神宮でしたね<BKっちらしい間違いです(笑)。
新日ファンなら東京ドーム、Uインターなら神宮球場、インディー好きなら川崎球場。これ間違いないです。

でも

通用しませんでしたね、総合では

No title

私も予想では、ウィリアムスは全日に馴染みすぎて他では無理だったような気がします。

ウィリアムスは新日本にいた頃は物凄くデカいイメージでしたが、全日に来るとさほど大きく見えなかったというか?
東京ドームでノートンと当たった時も、同じくらいの背格好と体格だったので不思議な感じがしました。オブライトもインターにいた頃ほど大きく見えませんでしたし。
そういうところからも
「いや、このクラスの選手にバックドロップやったら怪我させちゃうだろ・・・」
という気持ちが出てしまうかも知れません。


そういや、DBスミスのUインター参戦の噂というか「交渉中」みたいなものはゴングにも載ってましたね。
「ええ?(不可思議)」の反応だったのを覚えています。

確かにイグナショフ戦、ブロールフォーオールルールでのバートガン戦など確かに大切なトコで落としてますな…。
オラ的には年齢的なモノを感じましたが。
オラはウィリアムス幻想を持ってるんでしょうな。

ジョニースミスもいいレスラーでしたね。

No title

一つ前の方で出てたコンガ・ザ・バーバリアンと言い、ジョニー・スミスといいどんだけですか(笑)

ジョニー・スミスは初来日だけは新日本だったけどすぐキッド&DBスミスの誘いで全日本に移籍しましたね。新日本ではジュニアともヘビーとも言い切れない体格だったし正解だと当時は思いました。まだセントクレアーも元気だったし、正規軍・長州軍・UWFの三竦みがメインの状況で埋もれかけてましたしね。

ウィリアムスは峠を過ぎてからのMMA挑戦が残念でしたね。でもビガロにも言えるのですが、性格的にMMAには向いてなかったと思ってます。何が何でもトップに居座るよりスタイルの割にはトップクラスで長くファンに愛されるのを望んでる節が両者のインタビューからはにじみ出てたし。

ウィリアムスがUインターに上がってたとしたらHBKさんの見立て通りスバーンみたいな感じになったと思います。ただ投げやがぶりの後の技術が秀でたものがなかったから(できないわけではないけどむしろ平均より上ではありましたが)アジャストに苦しむことにはなると思いますね。

DBスミスがUインター参戦実現してたら面白かったと思います。あと個人的にはバズ・ソイヤーも見てみたかったですね(笑)

>^ ^

でも、相手も悪かったですね。

>ナリさん

私も予想では、ウィリアムスは全日に馴染みすぎて他では無理だったような気がし<あ、そうですか。これについては総スカン食う覚悟してたんですけど(笑)。

ウィリアムスは新日本にいた頃は物凄くデカいイメージでしたが、全日に来るとさほど大きく見えなかったというか?<レッドブル軍団とやったのが、強さという部分での最後の仕事だった気がします。
あと89年のワールドカップの橋本戦も名勝負でした。

オブライトもインターにいた頃ほど大きく見えませんでしたし<サイズは全日じゃ普通でしたもんね。
あと糖尿の影響で、足とかも細くなってた気がします。

「いや、このクラスの選手にバックドロップやったら怪我させちゃうだろ・・・」という気持ちが出てしまうかも<ファミリーという部分ですかね。

DBスミスのUインター参戦の噂というか「交渉中」みたいなものはゴングにも載ってました<え? そうだったんですか?
これまた調べるべき題材が出てきましたね。

>ナリさん

確かにイグナショフ戦、ブロールフォーオールルールでのバートガン戦など確かに大切なトコで落としてますな<バートガンはウィリアムスをKOした男としてオーバーしましたからね。
むしろあの時代にUFCあったら出てたかも知れませんね。というか既にあったっけかな?

ウィリアムス幻想<やっぱり最初の猪木戦のアレですか?
当時、ガイジン勢が嫌ってた前田にも臆することなくガンガン行ってた印象もありますしね。
鉄柱に腰を当てて藤原を破壊したり。

>ささのっちさん

コンガ・ザ・バーバリアンと言い、ジョニー・スミスといい<ここはそういう場所ですからね。エンドレスなんだよ(中邑調)。

ジョニー・スミス…新日本ではジュニアともヘビーとも言い切れない体格だったし正解だと当時は思いました<長州政権では貴重な中堅クラスをどんどん切っていく傾向にありましたしね。

ウィリアムスは峠を過ぎてからのMMA挑戦が残念でした…性格的にMMAには向いてなかったと思ってます<単純に基本、受けてしまう。これが一番の原因だとも思うんですよ。
同じプロレスラーでも試合開始早々、殺しに行く選手は通用してきたと思っています。

スバーンみたいな感じになったと思います。ただ投げやがぶりの後の技術が秀でたものがなかったから<だから見せ場はやっぱり“受け”になっちゃうと思うんですよ。
極めがなかったレッドブル軍団同様に先細りしちゃう様な…例えばアレンなんか極めが強かったですもんね。

あと個人的にはバズ・ソイヤーも見てみたかった<ああ!! それも見たい!!
アスリートでいながら、ああいうキャラを貫く選手ってUで見たかったですよね。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
45歳のプロレス話


長州、これは俺のブログだ。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
UFC (1)
最新トラックバック
検索フォーム
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
リンク
来場者数
QRコード
QRコード