高山が久々に語ったUインターの事

久々にUインター事です(ケロさん調)。

先月のKAMINOGEでの『変態座談会』において、

ゲストに招かれたのは“帝王”高山善廣
満足感ありありの高山の表情

いつもの様に玉袋筋太郎をはじめ、

堀江ガンツ椎名基樹の三者が絶妙のフリで展開する居酒屋トークで、

高山の半生が語られています。

少年時代からUWF入門と挫折~全日、ノア、PRIDEと続く中で、

やっぱり圧倒的に面白いのがUインター回想録なんですよね。
疲労感ありありの高田入場

高山のUインター新弟子時代、

それは即ちUWFで一度ケツを割っての出戻り時代でもあります。

KAMINOGE vol.32
 KAMINOGE vol.32 より

高山
「意外とUインターは、理不尽なイジメとかはなかったんで、そこは良かったんですよ。でも、最初は高田(延彦)さんが口をきいてくれなかった」


そこで同志と認められるには、

長である高田延彦のお墨付きが絶対なのです。

高山
「ずーっと練習して、雑用やって、何ヵ月かしてようやく口をきいてくれて。そのとき『俺がなんでおまえと口きかなかったかわかるか? おまえが本気でやるつもりがあるのか試したんだ。いま俺は、おまえががんばってるのを認めたから、おまえを俺の付き人にする』って言ってくれたんです。そのとき、すげえ嬉しくて」


高田というのはそういう男なんですよね。

簡単には認めない、けど認めたからにはとことん…と。

ここから長きにわたる師弟の関係が始まったのですが、

道場におけるキツさはまた別物でした。
ヒンズースクワットwith高山

高山
「デビュー前に鼓膜が破れたり、眼窩底骨折もしたからね。あのときは泣きたかった。でも、泣きたいけど泣けないし、逃げたいけど逃げられない。それにケガしたからといって休める世界じゃないじゃないですか? 一応病院は行かせてくれるんですけど、『じゃあ痛くないとこだけ攻撃するからスパーリングやろう』って言われて、『はい』って言うしかない(苦笑)」

「あの頃はね、合宿所で留守番しててひとりになったときに、泣いたもん。ひとりになったら、ふと涙が出てきた」


現在の傍若無人な姿からは想像もつきませんが、

あの高山を以ってしても涙を流さずにいられない。

それがプロの世界なんでしょうね。
田村vs桜庭煽りV21

それでも鍛錬を重ねた先にデビューはやって来ます。

高山には心強いビッグプレゼントがありました。
高山デビュー戦1

高山
「ゲーリーが高田さんにKO勝ちしたときのリングシューズ、俺はゲーリーからもらったんですよ。それが俺のデビュー戦のシューズなんです。なんでそんなことしてくれたかっていうと、当時、俺はガイジンの送迎係で。いつもクルマでリベラとか連れてってたんです。そしたらかならず奢ってくれて、『タキヤマ、タキヤマ』って言われて、可愛がってくれたんです」


高山デビューの一ヵ月前に高田をジャーマン葬した(参照:オーバー・ザ・シュート【7発の殺人橋】~前編~~後編~)、

ゲーリー・オブライトからゲン担ぎの贈り物です。

ゲーリーは本当に高山を可愛がっていました。

それはのちの全日参戦時まで続いて行くんですよね。
戦い終えてノーサイド

高山デビューと同時期にUインターの快進撃は始まり、

それは突如終わりを告げます。

安生洋二の“ヒクソン道場破り返り討ち”(参照:Yoji Anjo Is Alive vol.17~十年間、そして十年後・其の参~)です。
安生、道場破り5

高山
「あのときは『まさか!』でしたね。安生さんはホントに、道場で強かったから。
(Uインターのイメージが)やっぱりあれでボーンって落ちたでしょ? 悔しかったもん、俺」


Uインター所属の全選手が耳を疑った返り討ち。

そこから団体は分裂を起こし、

やがて新日本との対抗戦へ突入していきます。

Uへのこだわりから悩む先輩を尻目に、

高山は自然体でそこに飛び込みました。

高山
「俺はUWFが好きでプロレスラーになったんじゃなくて、プロレスが好きでUWFに入ったから。ルールがUWFルールじゃなくて、普通のプロレスルールだって考えるだけだった」


さらに進んで安生、山本健一(現・喧一)とのゴールデンカップスが、

その後の高山の礎を築いたと言っても過言ではないでしょう。

高山
「あれでけっこう人前に出て喋るようになったから。あれがなかったらノー・フィアーもなかった。いきなりノー・フィアーだったらあんなに言えなかったと思うから」

(山本)喧一なんか、もともとは巡業中の安生さんの洗濯係ですよ。でもあのとき、長州さんは喧一のこと買ってたんですよ。ツラ構えとかたたずまいを。やられ役にちょうどいいじゃないですか(笑)」


その効果はリング上だけではありません。

地上波の深夜バラエティにほぼレギュラー扱いで出まくっていましたから(参照:Yoji Anjo Is Alive vol.23~G⁻cups×TOKIO前編~~後編~)。

高山
「『リン魂』はデカいですよ。だって、当時けっこう安生さんと遊び歩いてて、飲み屋とか行くと『あ、“リン魂”の人だ』とか言われましたよ」


団体の危機を最も肥やしにして伸し上がったのは、

実は高山だったのかも知れませんね。
「ウィアー・ゴールデンカップス!!」

それでも力尽きてしまったUインター。

その最後の日のメインは高田vs高山でした(参照:実は集大成~前編~~後編~)。
高山が上からスリコギ攻撃から、

高山
「最後に高田さんとできたのは嬉しかったですね」


その後のキングダムからの流れ、

高山は垣原賢人と共に、

他の同志たちとは違う全日本~ノアという王道を歩んでいきました。

当初はキングダムに籍を置いたままの出向でしたが、

この時代がのちのち大きな意味を持ってきます。

高山
「キングダムは興行よりね、練習が凄いしっかりしてた。安達(巧)さんが入ってきてレスリングの立ち技を教わって、ボーウィー(・チョーワイクン)がいて打撃やってたでしょ。エンセン(井上)が来て柔術の練習もやって」

「そこで『溜め』があったんだよ。溜めがあったからこそ、そのあとみんなががんばれて。あのあと、喧一もUFC-J優勝したもんね」

(キングダムが続いていたら)それはけっこう嫌ですよね。俺はあのルールで、仲間内でやるの嫌だったんで。ああいう試合は、相手が敵だからできるわけであって。いつも一緒にメシ食ってるヤツとやるもんじゃない」


道場が異常に充実していた事(参照:Uインター最強の功労者エンセン井上が語ってたUインター道場)が、

のちのUインター出身者大ブレイクの要因となりました。

ただ一つだけ高山には悔いが残っています。

『PRIDE.1』(参照:顔を見る、感情を見る。第一歩ルールとジャッジと戦意)での師の惨敗でした。
高田ヒクソン初戦

高山
「難しいですね。なんでかって言うと、高田さんは俺らとスパーリングしてなかったんですよ。だから、どんな状態か全然わかんなかった。ちょうど、みんなでスパーリングして強くなっていってた時期なのに、高田さんは別行動だったから、けっこう厳しいだろうなとは思ってました」

「いま言ってもしょうがないけど、せめて安生さんと毎日スパーリングやってたら、全然違ったんじゃないかと思う。安生さんは1回闘って、ヒクソンの戦法を知ってるわけじゃないですか。だから、安生さんに『ヒクソンの動きはこうだった』ってやってもらえてれば、それでだいぶ違ったと思う」


そう…そうなんですよ!!

ヒクソン戦に関しては、

全て違う方違う方へと行ってしまったのが最大の敗因です。

高山がPRIDEに参戦した経緯には、

己がメジャーシーンに登りつめる私欲もあったでしょうが、

師の敵討ちという部分もほんの何パーセントかあったと思っています。
乱打戦

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tag : 高山善廣 PRIDE

comment

Secret

No title

今回に関しては、このブログで全て終わってる感じがします。
何かを言おうという気になりません(笑)

でも、ちょっとだけ言わせてもらえるならば
『「(キングダムが続いていたら)それはけっこう嫌ですよね。俺はあのルールで、仲間内でやるの嫌だったんで。ああいう試合は、相手が敵だからできるわけであって。いつも一緒にメシ食ってるヤツとやるもんじゃない」』
という部分ですね。

プロだから当たり前、なんていう気はサラサラないです。
当然ながら、それって大変だろうなと感じます。
高校とか大学みたいに20~30人の大所帯ならば絡みの薄い人間ならば問題ないでしょうが、いつも同じ場所で練習してる同士なかなか顔面殴れと言われても出来ませんよね。

キングダムルールではマウントポジションにならないと顔面パンチが認められなかったような?

高田ヒクソンそれぞれの感想

こんばんは。


高田ヒクソンの結果ですが、桜庭なんかは、一月後の後楽園で思い切り「高田さんは負けたけど、このルール(キングダム)で試合していないし高田さんが負けたからといって、僕達も負けるとは限らない。」と妙にクールなコメントを出していたので、やはり、プロレスラーは個人商店なんですかね?

寂しいけど。

>ナリさん

何かを言おうという気になりません(笑)<それでもコメント下さってありがたいです!!

高校とか大学みたいに20~30人の大所帯ならば絡みの薄い人間ならば問題ないでしょうが、いつも同じ場所で練習してる同士なかなか顔面殴れと言われても出来ませんよね<特にキングダムの場合はお互いを高める練習していましたから、出来るなら外と闘って強さを見せつけたかったでしょうしね。
ほぼ1年弱の団体でしたが、他の団体の数年分の濃さがあったかも知れません。

キングダムルールではマウントポジションにならないと顔面パンチが認められなかったような?<「ヒット」「オフ」…懐かしいですね。

>aliveさん

こんにちわ。

桜庭なんかは…「高田さんは負けたけど、このルール(キングダム)で試合していないし高田さんが負けたからといって、僕達も負けるとは限らない。」と妙にクールなコメントを出していた<試合直後も「ヒクソンならタックル取れそう」って言ってたらしいですね。
ヤマケンは号泣してたらしいですし、高山も泥酔した様です。
キングダム勢とは別に食事に行った宮戸と田村も「お通夜みたいだった」と言っていますし、みんな結構な落ち込み方だったと思うんですよね。
そんな桜庭がのちに高田と行動を共にするんですから、わからないものですよね。

キングダムってやりようによってはもう少し長く存続が可能だったと思うんですよね。練習環境が充実してたからこそ大会はPRIDEへ選手を送り込むために他団体所属の日本人選手と凌ぎを削る場とすれば…て、それはパンクラス的な感じかも知れませんね。ただ、パンクラスと違いヘビーの人材を活かせる場になり得たと。

いつかサミットでお話出来ればと思うのですが、上に立つ人って大きいに越したことはないけど、大き過ぎるのも問題ありなんじゃないかなと思う時があります。その意味で猪木や高田くらいが理想的なんじゃないのかなと。アスリート的にも指導者的にも。チョット話の筋から逸れてしまいましたが…。

高山がUと言うよりプロレスラーに主軸を置いてるのは若手時代からそれとなく感じる部分がありました。強さと同時に大型選手がトップに(色んな意味で)立つ難しさを模索してたところがあったと思います。

>ささのっちさん

キングダムってやりようによってはもう少し長く存続が可能だったと思う<いきなり借金から始まってますからね。イズマイウとかが来なかった件でダメになっちゃったんでしょうか。

練習環境が充実してたからこそ大会はPRIDEへ選手を送り込むために他団体所属の日本人選手と凌ぎを削る場とすれば…<あ、思い出しました。折原が出てましたね。でもあれってお互いに何も得してない感じします。

上に立つ人って大きいに越したことはないけど、大き過ぎるのも問題ありなんじゃないかなと思う時があります<圧倒的な存在であるのは当然なんですけど、下の人間が『俺もいつかは…』と目指す様なのも大事なんでしょうね。
馬場さんにはなれないですからね。違う意味で大仁田にも。

高山がUと言うよりプロレスラーに主軸を置いてるのは若手時代からそれとなく感じる部分がありました。強さと同時に大型選手がトップに(色んな意味で)立つ難しさを模索してたところがあったと思います<そうなんですよ。
高山自身は「キャラ立ちしてセミくらいまでは行けても、メイン張れる様なレスラーになるのは無理だと思ってた」そうです。もちろんUインターが続いていたら、という話ですが。
自信持ったのは案外、全日で馬場夫妻に可愛がられてからじゃないでしょうかね。

で、サミットなんですけど、10月くらいにどうでしょうね?
ちょっとテイセンで観たい興行があるんですよね。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
44歳のプロレス話


待て待て待て待て!! 読め!! 俺の記事をこの野郎!! 待て貴様ぁ!!

どーですかぁーーーー!!

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