追悼・最後の帰還兵~Mr.O~

1974年にフィリピン・ルバング島で発見され、

最後の帰還兵として帰国の途に着いた、

小野田寛郎さんがお亡くなりになられました。

その経歴を辿ると、まさに壮絶。

30年間のサバイバル生活ですからね…想像を絶します。

 東京新聞:TOKYO WEB より
小野田寛郎さん死去 孤独耐え30年 最後の帰還兵

戦後三十年近く、フィリピン・ルバング島に潜み、帰国後は青少年を対象にした野外教室「小野田自然塾」を開くなどした元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだひろお)氏が十六日午後、心不全のため死去したことが十七日、親族への取材で分かった。九十一歳。和歌山県出身。親族のみで密葬を行う。体調を崩し、六日から入院していた。

一九四二年に応召。陸軍中野学校二俣分校で遊撃戦の訓練を受け、四四年ルバング島に派遣された。終戦を信じずにとどまり、七四年三月、約三十年ぶりに帰還した。

七五年にブラジルに移住し牧場を経営する傍ら「子どもたちをもっとたくましく」とルバング島の経験を生かし、八四年から日本各地で小野田自然塾を開催、五年後に財団法人化した。

九一年には、福島県塙町の山林に施設が完成。キャンプ生活を通じて、子どもたちや野外活動の指導者を対象に自然教育の指導を続けた。九六年にはルバング島を二十二年ぶりに訪問した。


この小野田さん、

実はプロレス界とも縁深い方なんですね。
小野田寛郎さん

帰還後、日本にとどまらずブラジルへ移住した関係で、

1974年の新日プロ・ブラジル遠征の会場に招待した事から、

アントニオ猪木との友好関係が始まっています。
猪木vsアンドレinサンパウロ1

この興行の翌日に行われた対談の様子が、

元祖・猪木本に収録されています(参照:元祖・猪木本)。

燃えよ闘魂
 燃えよ闘魂 より

猪木「どうもどうも。きのうは試合を見ていただいてありがとうございました。またきょうは早いですねえ、いつもこんなに早いんですか」

小野田「おはようございます。きのう見た試合が素晴らしくてゆうべは興奮して眠れませんでしたよ。ルバンにいたときから私は朝早いんですよ。日の出とともに動き出す習慣が身についてしまってね…。(笑い)」


前日の興行でアンドレとのメインを務めた猪木は、

まさに疲労困憊で休養をとっている最中。
猪木vsアンドレinサンパウロ2

この対談も正午スタートの予定でしたが、

興奮冷めやらぬ小野田さんは2時間のフライングで、

午前10時に猪木を訪問。

この小野田さんとの出会いこそが、

実は猪木の早起きの原点(参照:寛至の部屋~後編~)だったのかも知れませんね。

猪木「プロレスは、初めてご覧になったんですか」

小野田「ルバンから日本へ帰って一、二度テレビで見たことがありますが、本物を見たのは昨夜が初めてなんですよ。こんなに面白く、素晴らしいものだとは思いませんでした。日本でテレビで見たときは何だこんなもの、とあまり関心はなかったんですが猪木さんの試合を見てこれは素晴らしいと思いましたよ。最後には興奮してしまって…本当にお恥ずかしいしだいです」


「何だこんなもの」と思ったプロレスは、

どの団体のプロレスだったんでしょう…?

いずれにしても、いつの時代も、

プロレスは生観戦に限るという事ですね。

ただしこのままでは社交辞令に過ぎない場合もある訳で、

猪木はさらにそこから一歩踏み込んで行きます。

それに対する小野田さんの答えに、

私は忘れかけてたプロレスの魅力を再認識した次第です。

猪木「どうも…そんなにほめてもらうとてれくさいが、ひとつ率直な意見を聞かせてください。われわれも小野田さんみたいな方のプロレスに対するご意見をうかがうことは非常に参考になるんです。プロレスのどんなところが、素晴らしかったですか」

小野田「プロレスに対する意見なんて、そう大上段にふりかぶられると困ります。何しろ私はきのうの猪木さんと…何といいましたかな、あの大きな…」

猪木「アンドレ・ザ・ジャイアント」

小野田「そうです。そのジャイアントの世界選手権試合を見た限りですからね。とにかく男が戦う姿…美しいものです。猪木さんの真剣な戦いぶりに打たれましたね。私は少年のころから剣道をやっていましてね、これは相当に自信があるんです。竹刀をとって戦うときは相手を倒すということ以外に考えませんね。倒すか倒されるかなんですよ。猪木さんの戦う様子にはそれがありますね。あなたが戦っているときはスキがありませんよ。ジャイアントというのは体も大きいし、立派な体格をしていますが、スキだらけですね。猪木さんを攻めているときでも表情に笑いがある。あれは自分の力を過信しています。私は猪木さんとジャイアントがリングに上がったとき、二人の目を見て、これは猪木さんが勝つと思いましたね。戦いは精神力ですよ。あの大きなジャイアントに猪木さんが負けないのは、精神力で勝っているからです。猪木さんは自分で気がついているかどうかわかりませんが、戦っているとき、実に厳しい目をしてますよ」

猪木「そうですか、自分では気づかないんですが、そんなに厳しい目をしていますか。しかし、小野田さんは実に鋭い見方をしますね。私はリングに上がったら、もう本当に相手をどんなことをしてもぶっ倒してやろうという気持ちで戦うんです。プロレスは殺し合いではなく、スポーツです。ルールがあって、その中で戦うわけですが、倒すか倒されるかという競技なんですよ。私達はそのために普通の人の十倍も二十倍も体を鍛えているわけです。われわれがリングでぶつかり合っているような戦いを普通の人がやったら、死んでしまいますよ。われわれだってひとつ間違ったら死と隣り合わせの危険な商売なんです。だから戦いに少しの油断もスキも許されない。私の目に厳しさがあるとしたら、そんな心が目に出ているんでしょうね」

小野田「そういう、勝負に対する心構えは共鳴できますね」


私自身、プロレスの魅力にハマったのは、

相手に背を向けないとか、

決して目を逸らさないとか、

やはり闘いの部分からなんですよね。

それが昭和のプロレスではあたり前だったと。

もちろん例外も居ましたが、

猪木のプロレスは最後の最後までそういう世界でした。

そして自分自身の合わせ鏡として、

リング上を見つめていた訳です。

猪木「私は若い連中に“お前らはあの厳しいケイ古に耐え抜いて一人前のレスラーになった、その誇りを持て”というのです。だからうちのレスラーは胸を張って生きています」

小野田「猪木さんの話をうかがっていると、私が昔、中野学校に入学したころを思い出しますね。私達も訓練が厳しかった…私の場合はスポーツではない…戦争ですからね。精神的なたるみは自分自身の死を意味するだけではなく、国家の存亡につながる、それは厳しいものでしたよ」

猪木「その厳しい鍛練の中から精神力、根性の権化の小野田さんが生まれた」


読んでてハッとしました。そうなんですよね。

小野田さんは国の為に命を賭けて戦っていた兵士だったんですよね。

30年という長い長い自分の中の戦争を経て日本へ帰還した小野田さん。

帰国して間もなくブラジルへ移住した背景には、

高度経済成長による豊かさと引き換えに、

いつの間にか変質していた日本という国への寂しさがありました。

猪木「ところで、小野田さんはこちらに永住するんですか。もう日本には帰らないんですか」

小野田「はい。日本には未練がありません。もともと現在の日本に未練はないといっておきましょう。なぜ帰らないのか、といろいろ聞かれるんですが、私にいわせれば、今年の三月、私が三十年ぶりに帰った日本は日本ではなくなっていたんですよ。今の日本は心を失っています。精神的な美しさ、素晴らしさが失われて、物質的なものに支配されています。私はそういう日本がいやで逃げ出したんです」

猪木「ブラジルはいいですか?」

小野田「素晴らしいですね。来てから二ヵ月ですが、この国の人々には心がありますね。日本が失っているものがありますよ。こちらに永住の決意をして、今ここで始める仕事の準備に飛び回っています。物質的には日本の方が豊かかもしれませんが精神の豊かさはブラジルの方が上です」


その後も小野田さんは様々な活動の拠点として何度も日本へ帰国し、

幾度か新日の会場へ足を運んでは猪木を激励しました。
猪木を激励する小野田さん

小野田さんにとっての猪木は、

孤独な30年間を経て巡り会えた、

戦友の様な存在だったのかも知れません。
試合前の猪木とその奥に小野田さん

小野田「猪木さんの戦っているときの姿は美しいですよ。闘志の権化ですね。そういうあなたを見ていると昔からの友人のような、なつかしい気持ちになります」


勝手な想像ですけど、

戦争を体験なされた方々にとって、

力道山から始まるプロレスラー達は、

戦友の様な存在として応援して来たのかなぁ、なんて。

私の祖父も猪木やジャイアント馬場さんをそう見てたのかなぁ、なんて。



小野田さんですが、他にも先日入籍を発表した、

坂口征二の次男で俳優の坂口憲二さんの名付け親であるという事や、

前田日明の代名詞的テーマ曲である、

『キャプチュード』が収録されたキャメルのアルバム『Nude』が、

小野田さんの帰還を題材としたコンセプト・アルバムだという事、
Nude
 Nude

非常にプロレス界と強い縁で結ばれた方でした。
猪木と小野田さん@1974

小野田さんのご冥福を、

心よりお祈り致します。

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tag : アントニオ猪木 小野田寛郎 訃報

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生観戦は麻薬

こんにちは。


プロレスは生観戦に限る。全くもって、その通りです。

私の友人でプロレス否定論者の権化のような奴がいたのですが、「なぜ、ロープに飛ぶんだよ。プロレスはショーだろ。」等々。まぁ定番ですね。しかし橋本、武藤vs天龍の雪祭りの翌日の千歳を彼が当時、千歳在住だった為、一緒に観戦したら、前座で青柳の蹴りを阿修羅が胸で鈍い音を出しながら受ける展開になり館内にどよめきが起きました。彼は「あの蹴りが顔に入ったら死ぬんじゃないか。」と驚き、それ以来、プロレスの事を一切、悪く言わなくなりました。プロレスほどテレビ観戦と生観戦に大きな差があるものもないですよね。

また、猪木の試合は三回だけ、生で見ました。相手はベイダー、ビガロ、真駒内のタッグでしたが、醸し出すオーラは他のレスラーとは少し違うものを感じました。たかが三回、されど三回というものですよ。

No title

前にも書かせてもらいましたが、私が生観戦で初めて衝撃を受けたのは栗栖が木村に放ったイス攻撃。
その後、いろんな団体でイス攻撃を見ましたが
「ん~~・・・」
というものは多々ありました。
もし、初めて見たプロレスでそのイス攻撃を見ていたら私のようなプロレス好きは生まれなかったかも知れません。

話は変わりますが、奇しくも小野田さんの死去の時期と近い時に坂口憲二の入籍がありました。
以前wikipediaに坂口憲二の名付け親は小野田さんという記述がありましたが、今はなくなっています。
もし、その記事の載っている雑誌名が分かれば改めて記載されるかも知れません。
なんなら、私がやっておきたいです。

まぁしかし・・・30年も経てば同じ国であって同じ国ではないようになりますよね。
もし私が8歳の頃の日本を思い返せば・・・
祖国というものを感じなくなるでしょうね。

>aliveさん

こんばんわ。

プロレスは生観戦に限る。全くもって、その通り<現状の私が言うには説得力皆無なのですが、確実に言えるのは生で観なきゃわからない事が山程あるという事でしょうね。

私の友人でプロレス否定論者の権化のような奴がいたのですが…前座で青柳の蹴りを阿修羅が胸で鈍い音を出しながら受ける展開になり…「あの蹴りが顔に入ったら死ぬんじゃないか。」と驚き、それ以来、プロレスの事を一切、悪く言わなくなりました<音という部分もテレビじゃわからないんですよね。特に阿修羅なんて受けてナンボのレスラーですしね。
そしてその雪祭りの6人タッグ!! あの試合は燃えましたよね。
私が生観した大会の中で五指に入る興奮度でした。

猪木の試合は三回だけ、生で見ました…醸し出すオーラは他のレスラーとは少し違うものを感じました<やっぱり近年のファンが猪木の現役時代を知らないのは可哀想だなぁと思っちゃいます。
殺気という今ではほぼ絶滅したプロレスのニオイを強烈に放っていましたからね。

>ナリさん

生観戦で初めて衝撃を受けたのは栗栖が木村に放ったイス攻撃<本当に衝撃的でしたよね。
あの当時の栗栖に近いムードを今は石井に感じたりします。

もし、初めて見たプロレスでそのイス攻撃を見ていたら私のようなプロレス好きは生まれなかったかも<結局、こういうのも縁なんでしょうね。

以前wikipediaに坂口憲二の名付け親は小野田さんという記述がありましたが、今はなくなっています…その記事の載っている雑誌名が分かれば改めて記載されるかも知れません<あれはですねぇ…確かゴングですね。
坂口憲二が生まれた頃だから、75年の12月号付近でしょうか。

もし私が8歳の頃の日本を思い返せば・・・祖国というものを感じなくなるでしょうね<気の遠くなる時間軸ですよね。
30年前…私なら初代タイガー観てた時代です。今の日本とは全く違いましたよね。

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>○○さん

今年は戦争に対する日本国のスタンスが大きく動いた出来事がありました。
戦争は起きてはならない事だと、心から思います。
しかし過去には実際にそれが行われ、多くの日本人も戦争によって命を落としました。
肯定する訳ではありませんが、小野田さんの様な人がいて、今の日本があるんだと思っています。いろんな意味で。
紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
44歳のプロレス話


待て待て待て待て!! 読め!! 俺の記事をこの野郎!! 待て貴様ぁ!!

どーですかぁーーーー!!

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