至高のプロレスリング~episode・Ⅱ~(1975)

~episode・Ⅰ~からの続きです。

カール・ゴッチさんの仲介の元、根気強く重ねた交渉の結果、
ゴッチさんと実力世界一ベルト

国際のエースガイジンであるビル・ロビンソンの新日参戦が決まりました。
ビル・ロビンソン

アントニオ猪木にとっても、またプロレスファンにとっても、

それは長年の夢のカードでした。
向かい合う猪木ロビンソン

しかし思わぬ形で横槍が入ります。

1975年9.29 銀座東急ホテルでの全日本プロレスの記者会見において、

ジャイアント馬場の口から『オープン選手権』の開催が発表されたのです。

自団体のみならず新日、国際にも出場者を呼び掛け、

それまで頑として無視し続けてきた、

猪木の参戦までも認める、と。

これには猪木も千載一遇のチャンスとばかり、

飛び込むものかと思われましたが…、

 週刊ゴング 平成10年7月28日増刊号 論証アントニオ猪木 より
(別冊ゴング昭和50年12月号でのインタビュー)

猪木
「オープン選手権、主旨は非常に結構なものだし、三団体が参加して派手にやるのが当然でしょうが、それはルールを踏まえて、堂々とそれが実行された場合ですよ。
今回の場合は、提唱者である馬場のやりかたが非常に汚ない。これは、はっきりいえることなんですよ。初めからわたしというか、新日本プロレスを出場させる気持はないんですよ。記者会見をやって、いかにもオープンに呼びかけた建前をもっているが、実際にその筋書きをみてみると、これは冷静に見ればプロレス・ファンなら誰でもわかることなんだが、初めから全日本プロレスと国際プロレスの合同興行という形ができてるんですよ」


その背後にあるものを察して、

みすみす墓穴を掘るような真似はしないぜ、と。

そもそも全日、国際の間で決まっていた合同興行に、

なぜ後付けで新日が加わる必要があるのか、と。

事の発端は猪木全盛期の幕開けとなったストロング小林戦を、

快く思っていなかった国際プロがラッシャー木村名義として、

この年の6月6日、猪木に対して送った挑戦状に対し、

プロとしてはこれ以上ない屈辱的な返答で一蹴した一件でしょう。

「貴殿は自分の立場と実力がおわかりになっていないようですので、先輩レスラーとしてひと言『己を知れ』と忠告させていただきます」

「貴殿があえて日本選手権試合を私に申し入れられる所存ならば貴殿側(国際プロレス)が公表しておられる全日本プロレスとの対抗戦で、ジャイアント馬場選手と戦い、馬場選手を破った上で、改めて私に挑戦されることを望みます。
(略)馬場選手に勝った場合は貴殿を日本選手権の相手として適格者と認めましょう」

特にこの二つの部分に吉原社長は激怒した様です。

当時、どちらからともなく歩み寄った全日と国際。

オープン選手権はプロモーター馬場さんによる、

猪木潰しの“日本版・殺しツアー”だったという噂もあります。

「だから新日本プロレスも参加しろと一応、呼びかけはしても、実際には新日プロに対して何の具体的な連絡もなかったし、実際の興行計画も、すべて全日プロの興行で日本テレビ中継でしょう。いってみればオープン選手権というのは全日プロの最終シリーズですよ」

「わたしとしては馬場がオープン選手権をやるが、共催でどうだと話をもってきたならば受けようと思っていたが、冷静に考えたら馬場がそんな道をわたしに対して作るはずはない。
わたしと一緒の場にたてば、口はばったいが、くわれるのは馬場ですからね。わたしと五分の条件で今の馬場がファイトできるはずもないし…わたしが出ないのでホッとしているんじゃないですか」


自ら終結宣言をしておいてから、

ロビンソン戦の日程も12.11 蔵前国技館と発表。

大一番に向けて走り出そうとした矢先、

猪木に再び大きな横槍が入ります。

10.29 ヒルトンホテル(現キャピトル東急ホテル)における力道山家の記者会見で、

12月11日・日本武道館での『力道山十三回忌追善興行』の開催を発表。

会見には馬場全日代表、吉原国際代表の両氏も出席して、

全面協力を約束しました。

さらに会見では力道山家の後見人である山本正夫氏(故人)から、

追善興行に協力せず同日に興行を打つ猪木に対し、

「恩知らずの馬鹿野郎だ」という罵りの言葉も出ました。

力道山家と山本氏の言い分は、

7月の時点で猪木の方から追善興行への協力を約束していながら、

同日にロビンソン戦を組んだのはおかしい、と。

それを聞いて猪木は怒りの反論をします。

猪木
「はっきりいわせてもらえば、それはひどいいいがかりですね。わたしは七月に奥さん(敬子未亡人)と会ったことは神かけてないし、十二月十一日という話を聞いたのは、さっきの山本氏からだ。十月九日に蔵前でルー・テーズと試合をやった時、山本氏が着流しでやってきて、十二月十一日に追善興行を武道館でやることを決めたが出てくれといってきた。しかし、この時点で、わたしの方はロビンソン戦を十一日にやることに決めてしまっているのだから、出られるはずはない。ところが、それを説明しても山本氏は聞かないんですね。まったく一方的に…力道山の追善なんだから何を犠牲にしてでも出ろというわけですよ。しかし、わたしとロビンソンの試合はいわせてもらえば、わたし自身もそうだし、ファンの皆さんが長年望んでいた夢の対決の実現なんですよ。これをやめることはファンの夢を潰すことになる。だから、わたしは山本氏に断わったんです。しかし、その後もいろいろな筋から出ろといって圧力をかけてきた。非常に不愉快だ」

「けっして力道山先生の恩を忘れているわけではない。わたしが、いまこうしてあるのは先生のおかげだと思っている。だから、出られれば出たい。しかし出られないのだから仕方がありませんね。そのわたしの気持も考えずに記者会見という公式の席で恩知らずだ、馬鹿野郎だというのはもう何をかいわんやです」


恩知らず云々と言われる筋合いはない、と。

当時の猪木は毎年、力道山の墓参りと墓掃除、

百田家の菩提寺である池上本門寺への寄付は欠かしませんでした。

さらに現在、本門寺にある仁王像のモデルとして、

依頼が来ていたのもこの頃ですね。
猪木完勝

形ばかりの追善ではなく、

試合内容で師に喜んでもらうのが、

本来の供養じゃないのか? というのが、

猪木の言い分だったのでしょう。

猪木
「追善興行なんて華々しく看板はあげませんが、十一日の蔵前国技館でのロビンソン戦は追善興行のつもりで戦います。お墓をきれいにするのも結構だし、記念行事をやるのも結構でしょう。しかし、本当に力道山先生が墓の下で喜んでくれることは、いったい何だろうかと考えてみて下さい。それはプロレスリング…力道山先生が日本に植えつけ、育てたものなんです。力道山先生が一番喜ぶこと…それは日本にプロレスリングを永遠に栄えさせることですよ。プロレスリングを栄えさせるために何をすべきか…それはいい試合をファンにどんどん提供して、いつまでもファンの皆さんに、プロレスリングとは素晴らしいものだという気持を持ってもらうことだと思う」

「まあ馬場と国際プロレスの人達が合同でやる追善興行も結構でしょう。ただ一言ここでいわせてもらえば追善興行だけでも力道山先生が墓の下で嘆くような試合をやってもらいたくないですね。わたしはロビンソンとの試合に全力投球する…どちらの試合が本当に力道山先生の供養になったか、それはファンに判定してもらいたいと思う」


闘魂は逆境ほど燃え上がる。

まさに四面楚歌の中での興行戦争に、

猪木の闘魂が燃えない訳がありません。
若獅子・アントニオ猪木

俄然、練習に熱が入っていくのですが…、

裏では物騒なやり取りも続いていました。

東京スポーツの櫻井康雄さんが振り返ります。
70年代の放送席

Gスピリッツ SPECIAL EDITION Vol.1 アントニオ猪木 (タツミムック)
 Gスピリッツ SPECIAL EDITION Vol.1 アントニオ猪木 より

櫻井氏「馬場に肩入れしていた“ある組織”も関ってきてね。『東スポさんも協力してくれ』という連絡が来たし」

― 猪木さんも馬場さん側の「ちょっと凄みがある人」が出てきたということは言っているんですが、最終的に東スポが仲介して、猪木さんが力道山未亡人の百田敬子さんに頭を下げている写真が紙面に載りますね。これはかなり屈辱的だったと思います。

櫻井氏「でも、あれがなかったら“事件”になってた。頭を下げろと夜中に説得したのは、僕と当時の東スポの井上社長なんですよ。『面倒くさいから、頭を下げてしまえ』って。途中から別の組織も乗り出してきてね。そこの人が猪木に実力行使するという話になったんだけど、『猪木に頭を下げてもらえれば、こっちもそれ以上のことはしない』ということで、東スポが帝国ホテルにセッティングして猪木を呼んだんです。猪木は『俺は行かねえ』ってゴネてたんだけど、前の晩の1時頃かな、猪木に最後の電話をして『どうしても来い』と言ったら、『じゃあ、明日行きますよ。顔を立てますよ』と言ってくれてね。それで収まったんですよ」

― まさに一触即発だったんですね。

櫻井氏「もう凄いヤバい感じだったな。向こうは『来ないなら来なくていいですよ』と言っててね。猪木は当日の昼になったら気が変わったみたいで、新間氏から電話がかかってきて『ちょっと待っててください』と。そうしたら、向こう側は『こっちから行きますから』と言うんで、説得して引きとめてね。要するに、頭を下げた写真を一面に載せろということで。(略)アレがなかったら、ちょっと収まりがつかなかったね」


一歩間違えば興行どころか、

プロレスラー猪木が消えてしまいかねない状況です。

リング外での様々なしがらみを潜り抜け、

猪木は決戦当日を迎えました。

次回、~episode・Ⅲ~からじっくり試合を振り返りましょう。



余談ですけど、

この記事を読んで思い出すものありませんか?

やや強引かもしれないですけど、

94年のUインターとリングスのやり取りを思い出しました。

R・木村の挑戦状に対する猪木の返答…再三の対戦要求から一転してのオープン選手権呼び掛けとシュート画策…、

これらをそのまま変換すると、

宮戸優光の馬の骨発言(参照:宮戸語録 vol.10~馬の骨発言の真意~)…前田への対戦要求を一転して7対7団体対抗戦にすり替えてのシュート画策…、となります。

だから私にとってのUインターは新日なんですよ。

世間的にはリングスの方がそういう見方されてるんですけど、

豪華ガイジン天国のリングスは全日なんだよなぁ…。

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tag : アントニオ猪木 ビル・ロビンソン NWF世界ヘビー

comment

Secret

No title

試合は映像で見ましたが、背景は忘れてました。
知ってたのに記憶から消えてましたね。

実は私は、これを途中まで読んで別の用事をしてたんですが”相手のところへ乗り込む”というのは半端なことじゃないんだなぁと。
大仁田さんはどうだっただろ?
その弟子の土屋&前泊が全女の会場にアポなしで行った時はどうだっただろ?(対抗戦時代のきっかけになりました)
リングスとインターの時は?
とか。

この当時は、力道山没後からまだ10年少しなので力道山とゆかりのある”ある組織”の影響力はまだまだ強かったはずですね。
今ではほとんど会場では見なくなりましたが、今でも田舎の会場には”いかにも”な感じの人はいます(笑)

No title

いやはや・・・
猪木 かなり ヤバかったんですねー(汗)
力道山先生のバックって いろんな系列の人がいそうで
ホント怖いわ~

今 元気でいられるのも このとき 頭下げたからこそ!
はぁ~ あぶない あぶない・・・。
ダーー なんて言ってらんなかったよね。

>ナリさん

実は私は、これを途中まで読んで別の用事をしてたんですが”相手のところへ乗り込む”というのは半端なことじゃないんだなぁと<いろんなシチュエーションでその後も他流試合は行われましたが、当時はリング上のみならずリングの周辺にいろいろな危険がありましたね。

力道山とゆかりのある”ある組織”の影響力はまだまだ強かったはず<年々、プロレス界からそういった方々の旨みがなくなってしまったのですが、かつてはコミッショナーから後援者から物騒な顔触れがたくさんありましたしね。
猪木の場合は極真、水谷氏、梶原一騎、韓国…本当にヤバイ話のオンパレードです。

>ケロさん

力道山先生のバックっていろんな系列の人がいそうでホント怖いわ~<力道山時代のコミッショナーは今の時代では問題になる様な方々が立ち並んでいましたからね。

今元気でいられるのもこのとき頭下げたからこそ<ただし猪木にしてみれば、かなりの屈辱だった様です。
でも、そういう条件の中ほど神がかりな力を発揮するのが猪木の凄さだったんですよね。

No title

「だから新日本プロレスも参加しろと一応、呼びかけはしても、実際には新日プロに対して何の具体的な連絡もなかったし、実際の興行計画も、すべて全日プロの興行で」

と言っておきながら、IWGPのときは全く同じことを新日が全日に対しやっているというのは、このときのリベンジなんですかね?

第1回IWGPよりオープン選手権の方がメンバー的にはリアルワールドに近かったと思います。ただ、組み合わせの決め方がかなりナゾですけどね(笑)。
IWGPは第2回の方が当時の新日のベストには近いですけど、肝心のホーガンはリーグ戦不参加。
やっぱり、オープン選手権が、昭和のリーグ戦最強だと思います。

>スパさん

IWGPのときは全く同じことを新日が全日に対しやっているというのは、このときのリベンジなんですかね?<規模的なものは抜きにして、そういった部分もあったでしょうね。
ちょうどオープン選手権の時期ですか、新日がNWA加盟を認められたのは。

第1回IWGPよりオープン選手権の方がメンバー的にはリアルワールドに近かったと思います。ただ、組み合わせの決め方がかなりナゾ<大相撲方式…でしたっけ?
何やらAWAかどこかから「そんなに長期間トップレスラーが日本に拘束されるとこちらの興行に支障が…」みたいなクレームが入り、やむなく総当りは諦めたとの事です。

IWGPは第2回の方が当時の新日のベストには近いですけど、肝心のホーガンはリーグ戦不参加<これも上記と同じ様な理由ですね。
WWF王者になってしまったので日本への長期参戦が不可能になってしまって…。思えばこの辺りからホーガンのレスリングが大味になっちゃいましたね。

全日オープン選手権は、多分猪木に散々言われてきた馬場さんが画策した一度だけの最大のカウンターだったのでしょう。メンツも企画も開催日程も猪木が一番嫌がるレスラー、タイミングを選んだんでしょうね。だから最初で最後なんでしょう。
新日本のリーグ戦は第三回のMSGシリーズがオープン選手権に匹敵するんじゃないかな?
オープン選手権はエリックにも「アメリカのマーケットを空っぽにする気か?」と言われたそうな。
MSGシリーズにはリーグ戦は不参加だったものの、バックランドやホーガンも来てたし、参加メンバーにハンセン、アンドレに加えてローデスまでいましたからね。四回大会もハンセン、ホーガン、シンと豪華でしたけど。

>BKっち

全日オープン選手権は、多分猪木に散々言われてきた馬場さんが画策した一度だけの最大のカウンター<この詳細詳しくないんですが、日テレ側が煽ったんでしたっけ?
いずれにしても馬場さんが凄い(?)のは自分の手を汚さずに猪木の商品価値だけ奪ってやろうという…まあそれがプロの世界なんでしょうけど。

だから最初で最後なんでしょう<その後のチャンピオンカーニバルは身内の大会になっちゃいましたしね。

オープン選手権はエリックにも「アメリカのマーケットを空っぽにする気か?」と言われた<そうだそうだエリックからのクレームだった。スパさん、すみません間違えました。
エリックみたいなプロモーターと対等に付き合ってた馬場さんならではのエピソードでしょうね。

MSGシリーズにはリーグ戦は不参加だったものの、バックランドやホーガンも来てたし、参加メンバーにハンセン、アンドレに加えてローデスまでいましたからね。四回大会もハンセン、ホーガン、シンと豪華でしたけど<今度そういった記事やりましょうか。

リーグ戦ベストテン…とかって、どっかでやってそうですけどね。

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>○○○さん

初めまして。
コメントありがとうございます。

ありがとうございます。

またこの様な記事が残せる様に勉強していきたいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。

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>○○○○○さん

遂にここまで辿り着きましたね!!

今はどうなんでしょうね?
昔は明らかにあちらの世界の人でしょ? っていう方がリングサイドに見られましたからね。
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