至高のプロレスリング~episode・Ⅰ~(1975)

先日の長州vs鶴田60分フルタイム記事(参照:思えば遠くへ来たもんだ~前編~~後編~)が、

おかげ様で大きな反響を頂きました。

60分フルタイムといえば幾多の名勝負がありますが、

その頂点にあるのが、

この“至高のプロレスリング”だと思います。

1975年12.11 蔵前国技館での、

NWF世界ヘビー級選手権試合

アントニオ猪木vsビル・ロビンソン
!!
ロビンソンのダブルアームスープレックス6

これに異論を唱える方はほとんどいないでしょう。

いや、いてもいなくてもいい。

私にとってはこの試合が究極のプロレスリングなのですから。

この試合が後年まで語り継がれた要因は、

結果的に後にも先にも“一度限り”のドリームマッチという、

近年のプロレスでは絶対にありえない大一番だったからでしょう。

さらに、このドリームマッチが実現するにまでに、

多くの障害が待ち受けていた事も、

忘れる訳にはいきません。



新日本プロレスの創始者であり絶対的エースのアントニオ猪木と、
猪木顔3

日本マット界初の“ガイジンエース”として国際プロレスを引っ張ったビル・ロビンソン
ビル・ロビンソン

お互いを結ぶキーワードはカール・ゴッチさんでした。

Gスピリッツ Vol.6 (DVD付き) (タツミムック)
 Gスピリッツ Vol.6 より

ロビンソン
「私が初めて猪木の試合を観たのは、68年頃(日プロ在籍時)だったと記憶してるんだけれど、ゴッチから“自分が教えている日本人の中で猪木というグッドレスラーがいる”という話を聞いてたんだよ。それで注目しながらテレビで試合を観たんだが、その頃の猪木はまだ卓越したレスラーではなかったと思う。猪木のレスリングの力量が上がっていったのは、70年代に入ってからじゃないかな」


ビリー・ライレー・ジムの兄弟子にあたるゴッチさんから、

その前評判を聞いていながらも、

ロビンソンにとっての猪木の第一印象は、

極めて薄いものだった様です。
向かい合う猪木ロビンソン

二人が初めて対面したのは、

その3年後の1971年3月の事でした。

猪木がUNヘビーを奪取して帰国する飛行機に、

国際プロの来日ガイジンとしてゴッチさんと共に、

ロビンソンは同乗していたのです。

そこでは恐らく軽い挨拶程度だったのでしょう。

2度目が新日プロ旗揚げ後の1974年3月、

オハイオ州でアーニー・ラッドとのNWF世界戦を終えた猪木が、

帰国途中にハワイへ寄った際に、

ホノルルでバーン・ガニアとのAWA世界戦を控えたロビンソンを激励。

ここまでは偶然が生んだ遭遇に過ぎませんでした。

そして3ヵ月後の6月、

偶然から必然へとシフトチェンジ。

ロビンソンが国際プロのエースとして来日した際、

二人は品川パシフィックホテルで会食し、

お互いのプロレスリング論を交わしました。

そこで二人は将来の対戦を約束したのです。

猪木にとってのロビンソンは、

ある意味、師ゴッチ以上の存在でもありました。
ゴッチさんと実力世界一ベルト

 アントニオ猪木の証明―伝説への挑戦 より

猪木
「素質からいったらカール・ゴッチ以上の部分もあって素晴らしかったんですけど。なんていうかビジネスライクなレスラーでね、それ自体はプロである以上決して悪いことじゃないし責められることでもないけど、ちょっと度を過ぎてるところがあってね。プライドも高くてね、『アンドレ・ザ・ジャイアントでもカール・ゴッチでも、この野郎、来るなら来い!』みたいな一番生意気なときでもあったな。でもそういうときがレスラーにとってはもっとも魅力があるんですけど。いずれにしてもロビンソンは、外国人でありながら客が呼べるという『外国人旋風』を初めて起こした選手で、日本のプロレスの流れを変えた一人だよね」

「ロビンソンは、ヨーロッパ流レスリングをアメリカのプロレスにうまくアレンジするという、ゴッチもできなかったことをバーン・ガニアのAWAで成功させていたから。
(略)テクニックはゴッチほどきめ細かくないんだけど、柔軟性では遥かにしのいでいたな」


ビジネスライクな部分はのちのちわかった事ですが、

猪木もレスリングの実力とプロとしての表現力には、

大いなる敬意を払っていた模様です。



ここからは私の想像に過ぎませんが、

当時テコでも動かないジャイアント馬場さんへの挑戦問題を、

日本選手権構想の突破口として連破した、

国際のエース・ストロング小林(参照:格とかパワーの事続・格とかパワーの事)、

日プロ最後のエース・大木金太郎(参照:昭和の日韓戦)につづいて、

プロレスファンほとんどが実力を認め、

国際プロの実質エースであるロビンソンを倒す事で、

一気に進展させようという賭けに出たのではないか? と。

とにかく1975年の夏から交渉を重ね、

年末の蔵前での試合契約を結びました。
立ち合いは探り合い

…しかし思わぬ形で横槍が入ります。

「誰の挑戦でも受ける」という声の主は、

何とジャイアント馬場さんからでした。

~episode・Ⅱ~へと続けましょう。

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tag : アントニオ猪木 ビル・ロビンソン NWF世界ヘビー

comment

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No title

猪木vsロビンソン、語りたいこといっぱいあります!!
後編まで待ちます(笑)

No title

噂の長編は、これでしたか!!

猪木VSロビンソンは、当時4歳の自分にはさすがにリアルタイム観戦はムリで、長らく幻の試合でした。猪木フルタイムシリーズ3部作の1つとして、初めて見たのが高校生の頃だったかな。宮戸のように人生が変わってしまう人がいるのもよくわかる、筆舌にしがたいロマン溢れる名勝負でした。

この試合はリング上の攻防は勿論ですが、サイドストーリーがこれまた強烈に面白くて。。。

この先は、エピソードⅡを待ちます(笑)。

>ナリさん

後編まで待ちます(笑)<ありがとうございます。

とりあえず今回は久々の長編に挑みたいと思います。

>スパさん

猪木VSロビンソンは…長らく幻の試合でした<私にとっても幻でした。
昔発売されたフルタイムシリーズ(90分版?)も高くて手が出ませんでしたし、他はノーカットじゃなかったですし。
15年位前にサムライ契約してた頃、初めてフルバージョン見れたんですよね。

宮戸のように人生が変わってしまう人がいるのもよくわかる、筆舌にしがたいロマン溢れる名勝負<ですからこの試合…宮戸からプロレスを深く考える事を知った私にとってもなくてはならない試合な訳です。

サイドストーリーがこれまた強烈に面白くて<まぁ深く追求していくと本線から大きく逸脱しかねないので(笑)、この程度にしておきます。
試合の方はガッチリ行きますんで…DVDの方はちょっとだけ時間下さい(笑)。
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