腑に落ちた日
新緑の導夢の想い出(1990)
新日公式動画で28年前に観戦(参照:逆ブログ以前、みてきたもの)した、
夢のタッグマッチがUpされていますね。
この試合を観れたのはプロレスファンとして、
ちょっとした自慢かも知れません。
とにかくこの日の興行はいろいろありました(参照:月寒ドームは…グリーンだよ!!)。

大会を締めくくるメインが、
超豪華なこのカードでした。
1990年7.22 月寒グリーンドーム
武藤敬司、蝶野正洋vsザ・ロード・ウォリアーズ

いつもの通り入場と同時に相手チームを蹴散らすのが、
ザ・ロード・ウォリアーズの定番スタイル。

リングを占拠すると、
これもいつも通りの筋肉ポーズ。

若きIWGPタッグ王者、武藤敬司と蝶野正洋は、
早速、主導権を奪われた模様です。

tag : 武藤敬司 蝶野正洋 ザ・ロード・ウォリアーズ 小原道由
疾風の希望~後編~(1984)
若さ溢れる高田伸彦の猛攻に、
小林邦昭は一旦場外で間合いを外しにかかります。

とにかく練習の虫だった当時の高田、
無尽蔵なスタミナでガンガン攻め込んでいきますね。
リングへ戻ったところを豪快な腰投げで叩き付けますが、

“いつまでも若僧に舐められてたまるか”とばかりに、
ここで小林がマウントを取り、
左腕を後頭部に当て、
右手親指で喉笛を潰しにかかります。

あたかも柔道の袖車の様な極め方ですが、
これはもちろん裏技…反則ですね。
体勢を変えて一本背負いから、
腕ひしぎ逆十字への移行。

簡単には極めさせない高田、
藤原教室の教えが生きています。
立ち上がると高田は、
小林をロープに振るのですが、

この高田独特のハンマースロー、
他の選手とは全く違う投げ方なんですよね。
私の推測だと、
このフォームの由来は“野球のバットスイング”だと思います。
リバウンドしてきた小林の顎の先端に、
バックハンドのエルボーをお見舞いしますが、

この打ち方…ダイナマイト・キッドを意識したかの様な一発ですね。
疾風の希望~前編~(1984)
『証言UWF 完全崩壊の真実』(参照:いよいよ一週間後)の全貌が見えてきました。

カクトウログ より
10月24日発売『証言UWF 完全崩壊の真実』の目次! 高田延彦が「U移籍で幻に終わったキッド戦」から語った2時間半
証言UWF 完全崩壊の真実
夢と理想を追い求めた男たちの苦悩―
シリーズ最終作!
髙田延彦独占告白
UWFの全内幕!
前田日明と佐山聡
新生U解散の衝撃
U系3団体の終焉
UFCとグレイシーという2つの「黒船」、そして1990年代後半から始まる総合格闘技ブーム。“Uの幻想”は崩壊し、「パンドラの箱」を開けざるをえなくなったU戦士たち。格闘技に侵食され、UWFが完全崩壊に至った内幕を当事者、関係者の証言で詳らかにする。証言UWFシリーズの最終作についに髙田延彦が登場。第一次UWFへの移籍から、UWFインターナショナルの崩壊まで、プロレスと格闘技の間で漂流し続けた男の葛藤と苦悩とは―。
高田延彦の語り出しの部分、
「ダイナマイト・キッド」からなんですね。

身延山の回想とかも詳しく語っているのかな?
今夜はヤングライオンから卒業して、
タイガーマスクの後釜として輝き始めた頃の、
“青春のエスペランサ”高田伸彦を振り返りましょうか。
1984年3.9 茨城県・古河市立体育館で行なわれた、

高田伸彦vs小林邦昭の一戦。

ジュニアヘビーでは百戦錬磨の小林邦昭が、
試合前に奇襲を仕掛けます。

高田は入場コスチュームのまま場外エスケープ、

臨戦態勢を整えてから、
ゆっくりとリングインしたところで試合開始です。
いよいよ一週間後
この一冊。

『証言UWF』シリーズ3作目にして、
帯にある様に“シリーズ最終作”!!
…なの? 本当に???
とにかくUWFどころかプロレスについても、
ほぼ口を開く事はなくなった高田延彦が、
2時間半に及ぶ超ロングインタビューを敢行したという、
私にとっては文字通りの“最終作”であります(参照:私にとっても最終作)。
今回の記事はこのインタビューで高田が何を語っているのか?
果たしてこれまでUWF出身者が語って来た数々の話を、
高田は肯定するのか? 否定するのか?
憶測と希望を込めて書き綴ってみます。
気楽に生きようぜ 長い旅のひとこま
追悼・ゴールデンアームボンバー
大物レスラーの訃報が続いていますね。
今度はプロレス界のみならず、
日本のプロスポーツ界の頂上に立った人物です。
yahoo!ニュース より
【悼む】輪島大士さん 天龍の喝に奮起「オレをこけにしたら承知せん」
大相撲の第54代横綱輪島で、「黄金の左」と呼ばれた左差しの攻めにより史上7位となる14度の幕内優勝を果たした輪島大士さん=本名輪島博=が下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱で、8日午後8時に東京都世田谷区の自宅で死去したことが9日、分かった。70歳。横綱北の湖としのぎを削って「輪湖(りんこ)時代」を築いた。廃業後はプロレスに転向。タレントとしてお茶の間も沸かせた。
“黄金の左”輪島大士。

まず忘れてならないのが、
“第54代横綱”としての時代。

前にも書きましたが、
私がプロレス好きになったのは祖父の影響で、
さらに祖父母とも大相撲が好きで、
物心ついた頃から、
夕方は一緒にNHKの中継を観ていました。
微かな記憶の中に“輪湖時代”の輪島の姿があります。
ここら辺の思い出は近日また改めて。
当ブログにおいては、
やはり1986年4.13の全日本プロレス入りからですね。

とにかく輪島の知名度は凄まじく、
連日ワイドショーで取り上げられていました。

プロレスが世間を相手に闘っていた時代の話ですね(参照:プロレスと世の中の架け橋)。
渕正信「豪快な人」全日で輪島さん追悼10カウント
名誉レフェリーの和田京平さんは「プロレスをメジャーにしてくれた立役者。入団させた馬場さんが、知名度の高さに驚いていたほど。横綱が来ただけで、日本テレビがゴールデンタイムにスペシャル番組を放送してくれた。話をすると、自分の世界に入っちゃって、なかなかかみ合わない。それで、最後は笑っちゃう。底抜けに明るくて、真っすぐな人だった。みんなに好かれていて、悪く言う人はだれもいなかった」と故人を偲んでいた。
ゴールデンタイムに移行して2年目突入の切り札として、
ジャイアント馬場さんは輪島にエリートコースを敷きました。

『よりによって一番弱いヤツ』の真意(1998)
去年“私小説もどき”でお茶を濁しました(参照:復刻版・私説PRIDE.1)が、
PRIDE.1から21年、PRIDE.4からはちょうど20年目の今日、
今年もこの試合に関連した記事をUpします。

登場人物はもちろん高田延彦と、
師であるアントニオ猪木であります。

師弟は袂を分かってからも、
様々な紆余曲折を経ながら、
再会と別れを繰り返して来ました。

時は1998年8.27、再会の地はロサンゼルス、
前田日明氏との対談(参照:背中合わせの二人~後編~)も収録された、
この一冊で再会を果たしました。

当時の二人の立場を簡単に記しておくと、
猪木はこの年の4月に現役を引退(参照:神と信者たちへの劣等感 、 今日という日)。
高田は前年10月に歴史的敗北(参照:高田の耳打ち、田村の涙)を喫し、
この年の10月に再戦(参照:あと3分だけ…~前編~ 、 同~後編~)が決まっていました。
引退後、アメリカに住まいを移した猪木と、
ヒクソンへのリベンジの為にビバリーヒルズ柔術クラブで特訓中の高田。
緊張の再会シーンからです。

T 多重ウェィブ より
高田「ご無沙汰してます(と、緊張しつつもさわやかに)」
猪木「こちらこそ。元気ですかーッ!!」
高田「はい(笑)」
猪木一流の挨拶ですぐに高田の顔がほころびます。
tag : アントニオ猪木 高田延彦 新日本プロレス80'S
つぶやきピロートーク20181008
あのメインは駄目だろ。
しかもIWGPヘビー級選手権試合?
なおさら駄目過ぎるだろ。
13年前にも3wayあった?
あの時のグダグダの方がよっぽど闘いがあった。
何より役者が違うよ。
棚橋のマイク、
njpwにした当事者の「ここは新日本だ」は、
ちょっと胸に染みた。
一度賞味期限が切れた男の、
「お前は賞味期限切れだ」には、
ちょっと胸が高鳴った。
“怒り”は創業以来、新日の社風だ。
レスラー側にも、観てきたこっちにとっても。
私にとっても最終作
堀江ガンツさんのTwitter記事に衝撃が走りました。
髙田延彦、ついにUWFを語る!
— 堀江ガンツ (@horie_gantz) 2018年10月5日
2時間半に及ぶ超ロングインタビューを敢行!
『証言UWF』シリーズ第3弾、10月24日発売! https://t.co/VzvKPjnHGX pic.twitter.com/oeb45v5S7V
遂に…宝島の『証言UWF』シリーズに、
高田延彦が登場するのです。
早速Amazonを開きました。