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先駆者

今回は久々に入場テーマ曲に関する考察なのですが、

その前に“破壊王”故・橋本真也と『爆勝宣言』の作曲者鈴木修の友情を書いた過去記事で、

引用部分を大きく間違えていました。

読み返し、それに気づいたので、

訂正させて頂きました。

橋本さん、鈴木さん、登澤三広さん、

そして著者の清野茂樹アナ、大変申し訳ございませんでした。

 友情の『爆勝宣言』
橋本、小川にリベンジ1

…という事で再び引用させて頂きます!!



現状のプロレス界では試合終了の際、

ゴングとほぼ同時に、

勝者のテーマ曲が奏でられるのが通例となっています。

これ平成に入ってからと思われがちですが、

実は最初に行なわれたのは、

70年代後半の全日マットという説があります。
77オープンタッグ・ファンクスvsブッチャーシーク1

1000のプロレスレコードを持つ男表紙
 1000のプロレスレコードを持つ男 より

清野アナ
その歴史は意外と古く、'77年の全日本プロレス『世界オープンタッグ選手権』でザ・ファンクスが優勝した時(テリー・ファンクがアブドーラ・ザ・ブッチャーにフォークで腕を刺された伝説の試合!)にまで遡る。
左腕を三角巾で吊りながらファンの歓声に応えるテリーの姿を「スピニング・トー・ホールド」とともに記憶している人も多いだろう。この年の最後の試合ということもあって、試合後に曲が流れる様子はまるで紅白歌合戦の「蛍の光」のようにフィナーレにふさわしかった。


多くの日本人が目に焼き付いている、

1977年12.15 蔵前国技館での、

世界オープンタッグ選手権最終戦、

ザ・ファンクスvsアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークのエンディングシーンですね。
77オープンタッグ・ファンクスvsブッチャーシーク2

ところが実際には今の様なタイミングとは違います。

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tag : 清野茂樹 鈴木修 入場テーマ曲

暴風雨の中の風車 Vol.10~創造の先にHall of Fame~(1981~2017)

Vol.9からの続きです。

アントニオ猪木はNWFヘビー級王座を封印すると、

いよいよ世界統一のIWGP開催へ本腰を入れていきます。

そんな中で全日とのレスリングウォーは激化し、

アブドーラ・ザ・ブッチャーの引き抜きに成功(参照:Vol.7)するも、

それまでのガイジンの柱であったタイガー・ジェット・シンと、

最高のライバルとなっていたスタン・ハンセンを失ってしまうのです。
ブッチャー新日登場2

ライバルたちとの別れの気配を感じつつ、

1981年6.4 蔵前国技館において、

第4回MSGシリーズ優勝戦進出者決定戦を延長の末、

猪木はシンに反則勝ちし(参照:血で血を洗う信頼感・੬~デスマッチとUWA~)、
金的一発でシンの反則負け

同優勝戦に進出すると、

苦しい連戦の中、

場外戦でハンセンを自爆に誘い、
第4回MSGシリーズ優勝戦1

最後はトップロープ越しのドロップキックで、
第4回MSGシリーズ優勝戦2

辛くもエプロンでのカウントアウトによる勝利。
第4回MSGシリーズ優勝戦3

逆境の中からV4を達成しました。
第4回MSGシリーズ優勝戦4

しかしながら、猪木とハンセンの闘いは進化を続けていても、

同じ顔合わせに見慣れてしまったファンからは、

既にマンネリの声が囁かれ始めていました。

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン 全日本プロレス 新日本プロレス90'S ISM

情けなくねえ

今日、『みなさんのおかげでした』が終了しました。

我らグレーテスト1972世代は、

物心ついた頃が既にTVの最盛期で、

多くのバラエティ番組が溢れていました。

『8時だョ!全員集合』でお笑いに目覚め、

80年代に漫才ブームでギャグと出会い、

『オレたちひょうきん族』でバラエティを知り、

『笑っていいとも』でバラエティが日常化し、

“ものまね四天王”をさらに真似て、

『夢で逢えたら』、『ごっつええ感じ』、『やるならやらねば』で腹を抱え、

『めちゃモテ』から『めちゃイケ』で同世代のバラエティ番組に出会った。

その途中、最もたくさん見てきたのが、

とんねるずでした。
とんねるず

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tag : とんねるず

暴風雨の中の風車 Vol.9~最後のNWF戦・後編~(1981)

さあ、Vol.8からの続きです!!

暴風雨そのもののスタン・ハンセンの攻撃を、

アントニオ猪木は最小限のダメージに抑えながら受け身を取っていきます。

重爆ドロップキックからのカバーをキックアウトした直後、
カウントは2

アリキックを連発して、

ハンセンの土台から切り崩しにかかると、
猪木はアリキックの連打でダウンを奪い、

作戦変更を余儀なくされた猪木は、

一転して足攻めに移行。
猪木は作戦変更で足攻め、

さらにステップトウホールドから、

一気に足4の字の仕掛けに入りますが、

これはさすがにハンセンも回避。
足4の字狙いでハンセンがロープエスケープ

立ち上がるとロックアップから、

すぐにロープへ振っていったハンセンは、
ロープに振っての、

この体勢で待ち構えると、
カウンターの、

リバウンドで戻ってくる猪木にカウンターの、

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

暴風雨の中の風車 Vol.8~最後のNWF戦・前編~(1981)

Vol.7からの続きとなります。

再びNWFのベルトを腰に巻いた(参照:Vol.5)アントニオ猪木は、

凄まじい勢いで進化が加速するスタン・ハンセンを相手に、

過激な受け身を取り続けながら、

新たな境地を迎えていました。
猪木のタオルゴシゴシ

いよいよ「新たな夢」である“世界統一”への野望、

『インターナショナル・レスリング・グランプリ(IWGP)』へ向け、

一連の格闘技戦を封印したのと同様に、

虎の子のベルトであるNWFヘビーをも、

封印してしまおうという決意です。
「どうもっ!!」

その最後を飾る防衛戦2回の相手として、

まず1981年4.17 鹿児島県立体育館での、

NWFヘビー級選手権試合は、

ボブ・バックランド戦が予定されましたが、

バックランドのスケジュールの都合で中止。

結局、代打として挑戦したのはハンセンでした。
1981.4.17鹿児島のハンセン

試合は大荒れとなり裁定は“没収試合”、

しかもベルトはコミッショナーが一時預かり。
1981.4.17鹿児島の猪木

その結果、最後のNWF戦となる1981年4.23 蔵前国技館での、

アントニオ猪木vsスタン・ハンセンが、

NWFヘビー級王座決定戦になったのです。
アントニオ猪木vsスタン・ハンセン

ちなみにこの日はプロレス界の歴史において、

衝撃的な記念日でした(参照:世界を変えた569秒)。
初代タイガーマスクデビュー戦32

この蔵前大会は『ロックDEプロレス』と題され、

プロレスと音楽のコラボが企画されていました。
外道の演奏

猪木(他にも藤波、タイガー)は『ブレイン・ウォッシュ・バンド』、
猪木リングイン

ハンセン(他にもカネック、キッド)は『外道』による、
ハンセンもリングイン

それぞれテーマ曲生演奏によってリングインしました。

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

暴風雨の中の風車 Vol.7~ロングホーンとイチバン~(1980~1990)

Vol.6からの続きです。

スタン・ハンセンが新日で暴れた時代、

タッグマッチのパートナーは次々と変わりましたが、

最も印象深く記憶に残っているのは、

“超人”ハルク・ホーガンです。
ハンセン、ホーガン組

ハンセンにとってのホーガンは、

弟分でありながら良きライバルでもあり、

意識し合って切磋琢磨していく事で、

互いを高め合う関係でした。
ハンセンとホーガン

二人が初めて顔を合わせたのが、

1980年春の『第3回MSGシリーズ』。

ハンセンは前年度準優勝者として、

バリバリの大本命としてフル参戦。

一方、初来日のホーガンは、

リーグ戦に参加せず後半戦のみの特別参戦枠。

巨体を持て余すホーガンもまた、

新日マットにおいては“でくのぼう”でしたが、

最初にシンと出会ったハンセン同様に、

ホーガンもスーパースターへの道を、

歩み始めるきっかけを掴むのです。

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン ハルク・ホーガン ボブ・バックランド WWWF~WWF~WWE

暴風雨の中の風車 Vol.6~0コンマX秒の逆ラリアート~(1980)

Vol.5からの続きです。

ここ一番の勝負強さでアントニオ猪木は、

虎の子のタイトルをスタン・ハンセンから奪回しましたが、
苦しみながらNWF奪還!!

その後もビッグマッチにおいては、

ハンセン相手にタイトロープ的試合を繰り返す事となり、

1980年5.9 福岡スポーツセンターでのNWFヘビー級選手権試合では、

再び場外でのウェスタン・ラリアートによって、

KO寸前となりながら、
場外でのウェスタン・ラリアート@1980年5.9福岡

九死に一生を得る形で

辛くも反則勝ちで初防衛に成功。
反則防衛@1980年5.9福岡

つづく6.5 蔵前国技館での『第3回MSGシリーズ』優勝戦も、

同じく反則勝ちによる消化不良のV3。
第3回MSGシリーズ優勝戦2

さらに9.11 大阪府立体育会館でのNWFヘビー級選手権試合も大苦戦の末、

リングアウト勝ちでの薄氷防衛。
辛くもリングアウト勝ち@1980年9.11大阪

ファンの間からも「もはや猪木は真っ向勝負でハンセンに敵わないのか?」と、

揶揄する様な声さえ囁かれ始めました。
薄氷の防衛@1980年9.11大阪

しかし猪木本人は、

敢えてハンセン独特のリズム感に身を任せる事で、

既に完成していた自らの殻を破る勢いだったのです。

アントニオ猪木自伝表紙
 アントニオ猪木自伝 より

猪木
本来、私とハンセンでは好むリズムがまるで違い、噛み合わないはずなのだ。それが面白いことに、噛み合わないことで予定調和のリズムが変拍子になってしまい、かつてない面白さが出てきたのだから、わからないものだ。ハンセンは一気にスターダムにのし上がった。
(略)人間離れした肉体と肉体がぶつかり合う面白さに言葉はいらない。ハンセンはその魅力を見事に表現出来た。


まさに、それまで互いが持っていなかった技術や、

それまでのセオリーにない駆け引きを織り交ぜながら、

両者の闘いは急激に進化していました。

そのハイライトとも言える試合が、

1980年9.25 広島県立体育館

NWFヘビー級選手権試合

アントニオ猪木vsスタン・ハンセン
だったと思います。
アントニオ猪木vsスタン・ハンセン

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

暴風雨の中の風車 Vol.5~捨て身の至宝奪還~(1980)

Vol.4の続きであります。

急速に進化を遂げたスタン・ハンセンの猛威に、

“虎の子”とも言えるNWFヘビー級王座28度目の防戦に失敗したアントニオ猪木
走り込みウェスタン・ラリアート3

まさしく猪木のNWF王座転落は、

1975年3.13 広島県立体育館での、

タイガー・ジェット・シン戦(参照:血で血を洗う信頼感・੪~狂気とストロングスタイル~)以来5年ぶりの大事件でした。
完全フォールで、

しかし猪木の切り替えも超高速です。

2.27 蔵前国技館における格闘技世界ヘビー級選手権試合

“熊殺し”ウィリー・ウィリアムスとの死闘(参照:物騒さ世界一決定戦~中編~同~後編~)を終えると、
完璧な逆十字

王座転落から2か月でのリターンマッチに乗り出します。

1980年4.3 蔵前国技館

NWFヘビー級選手権試合

スタン・ハンセンvsアントニオ猪木


これもまた名勝負だったのですが、

まず試合前に突如出現したのは、

スーツ姿のT・J・シンでした。
突如シンが登場して声明文

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

素晴らしき1972

先日の3.6 大田区総合体育館における、

『旗揚げ記念日』を振り返って、

出勤途中にいろいろなブログを読み耽っていると、

やはり同世代の方の意見は全て腑に落ちるというか。
新日20180306ポスター

同じ時代の新日本プロレスを観て来た仲間と言うか、

特に同学年=グレーテスト1972の方々には、

自分が忘れていた部分や気付かなかった箇所を、

補足して下さる様な嬉しさがあります。

これこそ少年時代にテレビで観た翌日、

土曜日の朝に学校で顔を合わせてから始まる、

ワールドプロレスリングの振り返りを回顧させてもらっています。
ワープロOP@80年代初頭1

今宵はそんな“素晴らしき1972”ブログを、

ご紹介させて頂きます。

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tag : たか 流星仮面二世 ろけねお 新日本プロレス2016~

暴風雨の中の風車 Vol.4~戦慄のウェスタン・ラリアート・後編~(1980)

Vol.3からの続きです。

試合も中盤に差し掛かり、スタン・ハンセンは、

アントニオ猪木の長いアゴを極めにいきます。
猪木のアゴを極めに行くハンセン

ここで山本小鉄さんの解説が光りますよ!

小鉄
「どうですかねぇ、あのー私たち練習でですね、あのアゴに大分いじめられたんですよね。アゴが凶器なんですよ。こんな長いからですね、弱いと思ってましてもね、つおいです。あれ凶器ですよ」


自らの経験に裏打ちされた猪木のアゴ論、

素晴らしいですね(参照:力道山最後の弟子が語った猪木)。

裏技ついでにチンロック脱出後、

猪木のダブルアーム狙いをハンセンが読んで、

ロープサイドに移動していったところ、
猪木のダブルアーム狙いを阻止するハンセン、

ブレイクのタイミングでガラ空きのボディめがけ、

猪木が膝蹴りを2発!
ガラ空きのボディに猪木の膝蹴り2発!

全く防御出来ない体勢で食ったハンセンは、

大きなダメージを負った様子ですが、
これはダメージがあったか?

少しの間を置いただけで、すぐに反撃開始!
しかしすぐにハンセン反撃開始

このタフネスぶりには驚くしかありません。

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

暴風雨の中の風車 Vol.3~戦慄のウェスタン・ラリアート・前編~(1979~1980)

Vol.2からのつづきとなります。

第2回MSGシリーズ優勝戦において、

短時間ながら熱戦を展開したアントニオ猪木スタン・ハンセンの両雄は、

二か月後、初めて海外でのシングルマッチを行ないます。
猪木vsハンセン@カナダ1

1979年8.17 スタンピード・グラウンド・ビクトリア・パビリオン(カルガリ)

NWFヘビー級選手権試合

アントニオ猪木vsスタン・ハンセン


終始余裕を持ちハンセンの攻撃を受け流した猪木が、

最後はドロップキック2連発から延髄斬り、
猪木vsハンセン@カナダ2

ダメ押しにコーナートップからの急降下爆弾でピンフォール。
猪木vsハンセン@カナダ3

見事、24度目のタイトル防衛に成功しました。

この時点においては体調万全ならば、

やはり実力的には猪木の方が一枚も二枚も上でした。

しかしこの半年後、1980年『新春黄金シリーズ』において、

通算5度目の来日にして初めて、

ガイジン側の単独エースとして乗り込んできたハンセンは、

もはや誰にも止められない進化を遂げて、

名実共、一気に“新日トップガイジン”へ登り詰めます。

シリーズ中に木戸修永源遥を相手にハンディキャップマッチを敢行するなど、

まさしくアクセルベタ踏み状態。

その原動力は母国アメリカでのビッグビジネスを捨て、

日本を主戦場にしていく覚悟を決めた事にあります。

Gスピリッツ46表紙
 Gスピリッツ Vol.46 より

ハンセン
「新日本が大きなチャンスを私にくれたということだよ。私のスタイルを気に入ってくれて、プロモーションをかけて売り出してくれた。交渉の結果、私自身が満足できるファイトマネーも提示してくれた。アメリカンフットボールに例えるなら、私は渡されたボールを持って思い切り走ったということだ」


シリーズ中盤で猪木を欠場に追い込み、

2.2 札幌中島スポーツセンター2.7 大阪府立体育会館では、

ノンタイトルながら北と西の大会場でシングルマッチを2連戦。

そして最終戦、2.8 東京体育館において、

3度目の挑戦となるNWFヘビー級選手権試合

アントニオ猪木vsスタン・ハンセン
を迎えます。
アントニオ猪木vsスタン・ハンセン

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

2018.3.6旗揚げ記念日をテレビで観戦したのだ

本日、2018年3.6は新日本プロレス『旗揚げ記念日』。

生誕した1972年から数えて46歳、

学年的には一個上ながら、

グレーテスト1972と同い年なのであります。

今日も仕事を終えて帰宅後、

チャンネルを合わせた時には既に第4試合、

YOSHI-HASHIvsSANADAのシングルマッチからの観戦となりました。
新日20180306ポスター

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tag : オカダ・カズチカ ウィル・オスプレイ 鈴木みのる 真壁刀義 内藤哲也 タイチ SANADA YOSHI-HASHI

暴風雨の中の風車 Vol.2~ブレーキの壊れたダンプカー~(1979)

Vol.1からのつづきです。

2度目の新日本プロレス参戦(通算3度目の来日)にして、

早くもアントニオ猪木の持つ、

NWF世界ヘビー級のタイトルに挑戦し、

あわや王座奪取の場面を作り出したスタン・ハンセンでしたが、
猪木vsハンセン1977~8

次の新日参戦までには1年以上の期間を挟みます。

その理由は別に干されたのではなく、

母国でのレスリングビジネスが成功していたからなのです。

Gスピリッツ46表紙
 Gスピリッツ Vol.46 より

ハンセン
「新日本の77年8月のツアーから帰国した後は、ジョージアテリトリーでビジネスが上手く行っていた。ファイトマネーも良かったし、いいポジションで仕事ができたよ。79年にジョージアに入ってきた天龍はブッカーのオレイ・アンダーソンと良い関係を築けなかったようで、今もいいことは言わないが、私にとってオレイは優秀なブッカーだった。だから、日本に行く必要がなかったんだ」


ビンス・マクマホン・シニアの思惑通り、

しばらく冷却期間を置いた事で、

ハンセンは再びアメリカのマット界で、

脚光を浴びるポジションを見つけたのです。

それも古巣WWWFではなくNWA系のテリトリーにおいて。
ハンセン@1978

一方の猪木も1978年はタイガー・ジェット・シンとの抗争を軸に、

上田馬之助との釘板デスマッチ(参照:本物同士のデスマッチ)や、
館内を煽る猪木

第1回MSGシリーズの制覇、

欧州世界選手権シリーズ参戦(参照:欧州“殺し”紀行~eins~同~zwei~同~drei~同~vier~同~finale~)と、
傷口めがけ手刀

さらにプレ日本選手権開催と制覇(参照:獅子と狼のレスリング勝負~前編~同~後編)など、
プレ日本選手権優勝インタビュー

まさしく大車輪の活躍でした。

さらには藤波辰巳の凱旋帰国(参照:日本ジュニアヘビーの夜明け)を機に、

興行の方も大盛況の様相を呈していました。

そして長い沈黙を経て1979年

ハンセンは再び新日来襲を果たします。

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン MSGシリーズ

暴風雨の中の風車 Vol.1~でくのぼうBLUES~(1977)

アントニオ猪木の歴史において、

決して欠かす事の出来ないライバルの一人が、

“ブレーキの壊れたダンプカー”スタン・ハンセンでしょう。

もしかするとハンセンと猪木が巡り合ったのは、

プロレス界の奇跡かも知れません。

丸5年間という短い時間の中で、

両雄が何度も闘う事によって、

プロレス界の様々な既成概念が壊されていきました。



ハンセンの初来日は1975年秋の全日マットでした。
ハンセン初来日@全日1

今、この時の映像を観ると、

どこにでもいる様な大型ラフファイターの佇まいですね。

そのまま全日の常連ガイジンになっていれば、

“レスリングの出来るジム・ドゥガン”ぐらいの感じだったのかな?
ハンセン初来日@全日2

ハンセンが最初にブレークしたのは、

意外にもWWWF(現在のWWE)のマットでした。
ハンセンvsサンマルチノ@WWWF1

当時、完全無欠のトップだった“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノとの抗争で、

数々の激闘を繰り広げたのですが、
ハンセンvsサンマルチノ@WWWF2

そのハイライトとなったのが“首折り事件”ですね。
ハンセンvsサンマルチノ@WWWF3

ご承知の通りアクシデントによる事故だった訳ですが、

それを直接、興行に結び付けるのが本当のプロレス。

1976年6.25(現地時間) ニューヨーク州センチュリー・シェア・スタジアムにおいて、

WWWFヘビー級選手権試合で完全決着をつけました。
ハンセンvsサンマルチノ@WWWF4

この試合の背景については、

流星仮面二世さんが詳細に記していますが、

サンマルチノがいかにNYの英雄だったかがわかりますね。

 団塊Jrのプロレスファン列伝 より
過去ブログメモリアル~ラリアートよ永遠なれ!スタン・ハンセン大特集 第ニ戦~

1976年6月26日 格闘技オリンピック(前編)

この日は日本での猪木vsアリの“世紀のスーパーファイト”をメインに、

全米4団体が各地でそれぞれビッグマッチを開催するという、

歴史的な一日でもありました。
猪木アリ試合前

しかしながら、

トップレスラーに大怪我をさせたハンセンは、

あわや危険な男のレッテルを貼られて、

“商売あがったり”になりかけたのですが、

怪我を負わされたサンマルチノ本人の温情で、

しっかりと興行に還元されて、それを免れました。

そして、一つの仕事を終えたハンセンに対して、

WWWFプロモーターのビンス・マクマホン・シニアは冷却期間を置く意味で、

1977年の年頭に、

提携先の新日本プロレスへブッキングします。

そしてハンセンは真っ赤な糸に導かれる様に、

遂に宿命のライバルと出会う訳です。

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン ブルーノ・サンマルチノ NWF WWWF

紫レガとは?

紫レガ

Author:紫レガ
47歳のプロレス話


「昔はインターネットを旅してましたからね。毎晩ブログでね、今みたいにSNSがいっぱいある訳でもないし、終わったらみんなブログでね、一日の終わりにUPして。今こんなこと言ったらエラいことになりますけどね、よく寝不足になったね、部屋でPCを打ったりね。…いや、そういう歴史はちゃんと教えとかないとね」

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