ノコギリ男が盗めなかったタイミング(1985)

…って事で1980年代にタイムスリップしましょうか。

今回の映像は、

“盟友”亀熊さんから頂戴したDVD(参照:ファイアーバードサミット 2016冬)からの試合です。

聖地のリングへ先に入場を済ませ、

対戦者の登場を待つアントニオ猪木
先入場の猪木に対し、

大音量での『さらば砂漠』の壮大な旋律から、

一転して『A GYPSY'S KISS』のドラム音!!

煽動しながら先導する“地獄のお茶の水博士”ことワカマツの後ろに、
初登場のヒギンズwithシュルツ&KYワカマツ

満を持して登場は“桁外れの喧嘩屋”ハクソー・ヒギンズ!!

私、紫レガが大好きなB級ガイジンです!!
堂々たる体躯のハクソー・ヒギンズ

ゴングを待たずに、

いきなりセコンドのデビッド・シュルツと共に奇襲に出ると、
シュルツと二人がかりで奇襲攻撃

コーナー対角線に振ってのニーアタックは、

ややぎこちないのですが重量感はあります。
コーナーでの串刺しニーはやや不格好

1985年3.1 後楽園ホール

アントニオ猪木vsハクソー・ヒギンズ


ヒギンズのギロチンドロップと同時に、

試合開始のゴングが鳴らされました。
ハイアングルのレッグドロップ

とかく昭和の新日ファンにとっては、

“いわくつき”の一戦であります。

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tag : アントニオ猪木 ハクソー・ヒギンズ デビッド・シュルツ 将軍KYワカマツ 山本小鉄 櫻井康雄 古舘伊知郎

Boys In The Street(1982)

先だって『レッスルマニア34』でのWWE選手権初挑戦は、

失敗に終わったShinsuke Nakamuraですが、

まさかまさかの人気絶頂からのヒールターン、

さらにサイケデリック方向へ振り切り、と急展開ですね。
WWE20180417のShinsuke

WWE=かつてのWWF王座といえば、

そうそう日本人が挑戦出来る代物ではありませんでした。

実際にそのベルトを腰に巻いたのは、

アントニオ猪木ただ一人。
猪木WWF奪取3

実に4度目の挑戦にして偉業達成でしたが、

WWEの公式記録には残っていないんですよね。

そしてもう一人、WWFに縁深い日本人が、

第3代、第5代WWFジュニアヘビー級王者だった、

“炎の飛龍”藤波辰巳です。
舟橋アナのインタビューに答える新王者

藤波がWWFヘビーに初挑戦したのは、

1982年1.1 後楽園ホールでの、

飛龍十番勝負第一戦
ヘビー級転向直後の藤波

“ニューヨークの若き帝王”ボブ・バックランドを相手に、

まさしくヘビー級転向最初の大一番でした。
迎え撃つ王者バックランド

今夜はWWFヘビー級選手権試合

ボブ・バックランドvs藤波辰巳
を振り返りましょう。

立ち上がり、バックランドは片足タックルに行きますが、
最初の仕掛けはボブの片足タックル

藤波がロープ際に後退すると、

すぐにクリーンブレイク。
ロープサイドでクリーンブレイク

選手権らしい静かなスタートとなりました。

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tag : ボブ・バックランド 藤波辰巳 中邑真輔 ブルーノ・サンマルチノ WWWF~WWF~WWE

先駆者

今回は久々に入場テーマ曲に関する考察なのですが、

その前に“破壊王”故・橋本真也と『爆勝宣言』の作曲者鈴木修の友情を書いた過去記事で、

引用部分を大きく間違えていました。

読み返し、それに気づいたので、

訂正させて頂きました。

橋本さん、鈴木さん、登澤三広さん、

そして著者の清野茂樹アナ、大変申し訳ございませんでした。

 友情の『爆勝宣言』
橋本、小川にリベンジ1

…という事で再び引用させて頂きます!!



現状のプロレス界では試合終了の際、

ゴングとほぼ同時に、

勝者のテーマ曲が奏でられるのが通例となっています。

これ平成に入ってからと思われがちですが、

実は最初に行なわれたのは、

70年代後半の全日マットという説があります。
77オープンタッグ・ファンクスvsブッチャーシーク1

1000のプロレスレコードを持つ男表紙
 1000のプロレスレコードを持つ男 より

清野アナ
その歴史は意外と古く、'77年の全日本プロレス『世界オープンタッグ選手権』でザ・ファンクスが優勝した時(テリー・ファンクがアブドーラ・ザ・ブッチャーにフォークで腕を刺された伝説の試合!)にまで遡る。
左腕を三角巾で吊りながらファンの歓声に応えるテリーの姿を「スピニング・トー・ホールド」とともに記憶している人も多いだろう。この年の最後の試合ということもあって、試合後に曲が流れる様子はまるで紅白歌合戦の「蛍の光」のようにフィナーレにふさわしかった。


多くの日本人が目に焼き付いている、

1977年12.15 蔵前国技館での、

世界オープンタッグ選手権最終戦、

ザ・ファンクスvsアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シークのエンディングシーンですね。
77オープンタッグ・ファンクスvsブッチャーシーク2

ところが実際には今の様なタイミングとは違います。

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tag : 清野茂樹 鈴木修 入場テーマ曲

暴風雨の中の風車 Vol.9~最後のNWF戦・後編~(1981)

さあ、Vol.8からの続きです!!

暴風雨そのもののスタン・ハンセンの攻撃を、

アントニオ猪木は最小限のダメージに抑えながら受け身を取っていきます。

重爆ドロップキックからのカバーをキックアウトした直後、
カウントは2

アリキックを連発して、

ハンセンの土台から切り崩しにかかると、
猪木はアリキックの連打でダウンを奪い、

作戦変更を余儀なくされた猪木は、

一転して足攻めに移行。
猪木は作戦変更で足攻め、

さらにステップトウホールドから、

一気に足4の字の仕掛けに入りますが、

これはさすがにハンセンも回避。
足4の字狙いでハンセンがロープエスケープ

立ち上がるとロックアップから、

すぐにロープへ振っていったハンセンは、
ロープに振っての、

この体勢で待ち構えると、
カウンターの、

リバウンドで戻ってくる猪木にカウンターの、

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

暴風雨の中の風車 Vol.8~最後のNWF戦・前編~(1981)

Vol.7からの続きとなります。

再びNWFのベルトを腰に巻いた(参照:Vol.5)アントニオ猪木は、

凄まじい勢いで進化が加速するスタン・ハンセンを相手に、

過激な受け身を取り続けながら、

新たな境地を迎えていました。
猪木のタオルゴシゴシ

いよいよ「新たな夢」である“世界統一”への野望、

『インターナショナル・レスリング・グランプリ(IWGP)』へ向け、

一連の格闘技戦を封印したのと同様に、

虎の子のベルトであるNWFヘビーをも、

封印してしまおうという決意です。
「どうもっ!!」

その最後を飾る防衛戦2回の相手として、

まず1981年4.17 鹿児島県立体育館での、

NWFヘビー級選手権試合は、

ボブ・バックランド戦が予定されましたが、

バックランドのスケジュールの都合で中止。

結局、代打として挑戦したのはハンセンでした。
1981.4.17鹿児島のハンセン

試合は大荒れとなり裁定は“没収試合”、

しかもベルトはコミッショナーが一時預かり。
1981.4.17鹿児島の猪木

その結果、最後のNWF戦となる1981年4.23 蔵前国技館での、

アントニオ猪木vsスタン・ハンセンが、

NWFヘビー級王座決定戦になったのです。
アントニオ猪木vsスタン・ハンセン

ちなみにこの日はプロレス界の歴史において、

衝撃的な記念日でした(参照:世界を変えた569秒)。
初代タイガーマスクデビュー戦32

この蔵前大会は『ロックDEプロレス』と題され、

プロレスと音楽のコラボが企画されていました。
外道の演奏

猪木(他にも藤波、タイガー)は『ブレイン・ウォッシュ・バンド』、
猪木リングイン

ハンセン(他にもカネック、キッド)は『外道』による、
ハンセンもリングイン

それぞれテーマ曲生演奏によってリングインしました。

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

暴風雨の中の風車 Vol.7~ロングホーンとイチバン~(1980~1990)

Vol.6からの続きです。

スタン・ハンセンが新日で暴れた時代、

タッグマッチのパートナーは次々と変わりましたが、

最も印象深く記憶に残っているのは、

“超人”ハルク・ホーガンです。
ハンセン、ホーガン組

ハンセンにとってのホーガンは、

弟分でありながら良きライバルでもあり、

意識し合って切磋琢磨していく事で、

互いを高め合う関係でした。
ハンセンとホーガン

二人が初めて顔を合わせたのが、

1980年春の『第3回MSGシリーズ』。

ハンセンは前年度準優勝者として、

バリバリの大本命としてフル参戦。

一方、初来日のホーガンは、

リーグ戦に参加せず後半戦のみの特別参戦枠。

巨体を持て余すホーガンもまた、

新日マットにおいては“でくのぼう”でしたが、

最初にシンと出会ったハンセン同様に、

ホーガンもスーパースターへの道を、

歩み始めるきっかけを掴むのです。

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暴風雨の中の風車 Vol.6~0コンマX秒の逆ラリアート~(1980)

Vol.5からの続きです。

ここ一番の勝負強さでアントニオ猪木は、

虎の子のタイトルをスタン・ハンセンから奪回しましたが、
苦しみながらNWF奪還!!

その後もビッグマッチにおいては、

ハンセン相手にタイトロープ的試合を繰り返す事となり、

1980年5.9 福岡スポーツセンターでのNWFヘビー級選手権試合では、

再び場外でのウェスタン・ラリアートによって、

KO寸前となりながら、
場外でのウェスタン・ラリアート@1980年5.9福岡

九死に一生を得る形で

辛くも反則勝ちで初防衛に成功。
反則防衛@1980年5.9福岡

つづく6.5 蔵前国技館での『第3回MSGシリーズ』優勝戦も、

同じく反則勝ちによる消化不良のV3。
第3回MSGシリーズ優勝戦2

さらに9.11 大阪府立体育会館でのNWFヘビー級選手権試合も大苦戦の末、

リングアウト勝ちでの薄氷防衛。
辛くもリングアウト勝ち@1980年9.11大阪

ファンの間からも「もはや猪木は真っ向勝負でハンセンに敵わないのか?」と、

揶揄する様な声さえ囁かれ始めました。
薄氷の防衛@1980年9.11大阪

しかし猪木本人は、

敢えてハンセン独特のリズム感に身を任せる事で、

既に完成していた自らの殻を破る勢いだったのです。

アントニオ猪木自伝表紙
 アントニオ猪木自伝 より

猪木
本来、私とハンセンでは好むリズムがまるで違い、噛み合わないはずなのだ。それが面白いことに、噛み合わないことで予定調和のリズムが変拍子になってしまい、かつてない面白さが出てきたのだから、わからないものだ。ハンセンは一気にスターダムにのし上がった。
(略)人間離れした肉体と肉体がぶつかり合う面白さに言葉はいらない。ハンセンはその魅力を見事に表現出来た。


まさに、それまで互いが持っていなかった技術や、

それまでのセオリーにない駆け引きを織り交ぜながら、

両者の闘いは急激に進化していました。

そのハイライトとも言える試合が、

1980年9.25 広島県立体育館

NWFヘビー級選手権試合

アントニオ猪木vsスタン・ハンセン
だったと思います。
アントニオ猪木vsスタン・ハンセン

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暴風雨の中の風車 Vol.5~捨て身の至宝奪還~(1980)

Vol.4の続きであります。

急速に進化を遂げたスタン・ハンセンの猛威に、

“虎の子”とも言えるNWFヘビー級王座28度目の防戦に失敗したアントニオ猪木
走り込みウェスタン・ラリアート3

まさしく猪木のNWF王座転落は、

1975年3.13 広島県立体育館での、

タイガー・ジェット・シン戦(参照:血で血を洗う信頼感・੪~狂気とストロングスタイル~)以来5年ぶりの大事件でした。
完全フォールで、

しかし猪木の切り替えも超高速です。

2.27 蔵前国技館における格闘技世界ヘビー級選手権試合

“熊殺し”ウィリー・ウィリアムスとの死闘(参照:物騒さ世界一決定戦~中編~同~後編~)を終えると、
完璧な逆十字

王座転落から2か月でのリターンマッチに乗り出します。

1980年4.3 蔵前国技館

NWFヘビー級選手権試合

スタン・ハンセンvsアントニオ猪木


これもまた名勝負だったのですが、

まず試合前に突如出現したのは、

スーツ姿のT・J・シンでした。
突如シンが登場して声明文

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

暴風雨の中の風車 Vol.4~戦慄のウェスタン・ラリアート・後編~(1980)

Vol.3からの続きです。

試合も中盤に差し掛かり、スタン・ハンセンは、

アントニオ猪木の長いアゴを極めにいきます。
猪木のアゴを極めに行くハンセン

ここで山本小鉄さんの解説が光りますよ!

小鉄
「どうですかねぇ、あのー私たち練習でですね、あのアゴに大分いじめられたんですよね。アゴが凶器なんですよ。こんな長いからですね、弱いと思ってましてもね、つおいです。あれ凶器ですよ」


自らの経験に裏打ちされた猪木のアゴ論、

素晴らしいですね(参照:力道山最後の弟子が語った猪木)。

裏技ついでにチンロック脱出後、

猪木のダブルアーム狙いをハンセンが読んで、

ロープサイドに移動していったところ、
猪木のダブルアーム狙いを阻止するハンセン、

ブレイクのタイミングでガラ空きのボディめがけ、

猪木が膝蹴りを2発!
ガラ空きのボディに猪木の膝蹴り2発!

全く防御出来ない体勢で食ったハンセンは、

大きなダメージを負った様子ですが、
これはダメージがあったか?

少しの間を置いただけで、すぐに反撃開始!
しかしすぐにハンセン反撃開始

このタフネスぶりには驚くしかありません。

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

暴風雨の中の風車 Vol.3~戦慄のウェスタン・ラリアート・前編~(1979~1980)

Vol.2からのつづきとなります。

第2回MSGシリーズ優勝戦において、

短時間ながら熱戦を展開したアントニオ猪木スタン・ハンセンの両雄は、

二か月後、初めて海外でのシングルマッチを行ないます。
猪木vsハンセン@カナダ1

1979年8.17 スタンピード・グラウンド・ビクトリア・パビリオン(カルガリ)

NWFヘビー級選手権試合

アントニオ猪木vsスタン・ハンセン


終始余裕を持ちハンセンの攻撃を受け流した猪木が、

最後はドロップキック2連発から延髄斬り、
猪木vsハンセン@カナダ2

ダメ押しにコーナートップからの急降下爆弾でピンフォール。
猪木vsハンセン@カナダ3

見事、24度目のタイトル防衛に成功しました。

この時点においては体調万全ならば、

やはり実力的には猪木の方が一枚も二枚も上でした。

しかしこの半年後、1980年『新春黄金シリーズ』において、

通算5度目の来日にして初めて、

ガイジン側の単独エースとして乗り込んできたハンセンは、

もはや誰にも止められない進化を遂げて、

名実共、一気に“新日トップガイジン”へ登り詰めます。

シリーズ中に木戸修永源遥を相手にハンディキャップマッチを敢行するなど、

まさしくアクセルベタ踏み状態。

その原動力は母国アメリカでのビッグビジネスを捨て、

日本を主戦場にしていく覚悟を決めた事にあります。

Gスピリッツ46表紙
 Gスピリッツ Vol.46 より

ハンセン
「新日本が大きなチャンスを私にくれたということだよ。私のスタイルを気に入ってくれて、プロモーションをかけて売り出してくれた。交渉の結果、私自身が満足できるファイトマネーも提示してくれた。アメリカンフットボールに例えるなら、私は渡されたボールを持って思い切り走ったということだ」


シリーズ中盤で猪木を欠場に追い込み、

2.2 札幌中島スポーツセンター2.7 大阪府立体育会館では、

ノンタイトルながら北と西の大会場でシングルマッチを2連戦。

そして最終戦、2.8 東京体育館において、

3度目の挑戦となるNWFヘビー級選手権試合

アントニオ猪木vsスタン・ハンセン
を迎えます。
アントニオ猪木vsスタン・ハンセン

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tag : アントニオ猪木 スタン・ハンセン NWF

『環状線の理論』作品集

現在トップに立つ現役プロレスラーが、

いまいち一般層に浸透しないのは、

CM出演の少なさも関係していると思います。

一時期オカダ・カズチカが少年たちの間で、

一気にネームバリューを上げていったのも、

『ブシロード』のCMがヘビーローテーションで、

お茶の間に流れていた事が要因でしょう。

そう、関連企業のCMだっていいんです。

私らの少年時代だってそうだったのですから。
タバスコ

小料理屋のカウンターに座る着流し姿は、

我らのアントニオ猪木

女将から差し出された料理に一言、「アレある?」
「アレある?」

女将が「はい」と置いたのは、

もちろん『TABASCOペパーソース』!!
タバスコどん!

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tag : アントニオ猪木 CM

ヒーローいっぱい!(1983)

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。
リズムタッチ

突然ですが、

“公共放送”NHKには本当に、

たくさんのお宝アーカイブが眠っているんですね。

NHK・Eテレで放送されていた『ミュージック・ポートレイト』で、

2016年11.24に放送された、

古舘伊知郎×大根仁』の回において、

カリスマたちがジャンルの垣根を飛び越えた、

まさしく“初夢コラボ”の秘蔵映像が見られたのです。
猪木たけし清志郎1

映画監督・大根氏の少年時代のヒーローたち、

アントニオ猪木ビートたけし忌野清志郎が、

教育テレビ『YOU』正月特番のゲストとして、

同じスタジオに勢揃いした訳です。
猪木たけし清志郎2

それは1983年1.2の放送でした。

タイトルもそのものズバリ、

『わんさか、わんさか、ヒーローいっぱい!』。

スタジオ観覧の人の波を縫って、

『炎のファイター』で入場してくる猪木、
猪木たけし清志郎3

当時の若者の悩み相談に答えます。
猪木たけし清志郎4

向かって左が番組MCの糸井重里

のちのリングス中継でおなじみですが、

前田氏の師である猪木との共演は珍しいですね。

そして向かって右にいるのが、

当時の漫才ブームの中心的人物、たけしですね。
猪木たけし清志郎5

このツーショット…ほぼ5年後にリングで実現(参照:天才・かんじの狂気が出るプロレス!!~前編~)した訳です。

そして番組終盤に夢のコラボが待っていました。
猪木たけし清志郎6

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tag : アントニオ猪木 ビートたけし 忌野清志郎 古舘伊知郎 大根仁

追悼・ひょうきんプロレス

ここ何年かは暮れになると、

毎年驚くニュースが聞こえてきますね。

先日飛び込んできた訃報には、

心の底から驚きました。

 Yahoo!ニュース より
レスラー ドン荒川さん死去

プロレスラーのドン荒川(本名・荒川真)さんが亡くなったことが2日、分かった。71歳だった。複数の関係者によると亡くなったのは11月5日。死因は不明という。

荒川さんは鹿児島県出水市出身。1972年に新日本プロレスに入門。ストロングスタイルの新日の中で、コミカルな動きでリングを動き回る「ひょうきんプロレス」で前座戦線を沸かせた。黒のロングタイツを着用し体格も似ていたところから「前座の力道山」の異名を取り、テレビドラマで「力道山」役で出演したこともあった。また82年には、俳優・西田敏行主演の日本テレビ系ドラマ「池中玄太80キロ」にレギュラー出演するなど、リング外でも多彩な活動をしていた。


近年、表舞台への登場が減っていた事もあって、

ドン荒川に“死”のイメージが、

全く浮かびません。
ドン荒川

70~80年代の新日本プロレスにおいて、

“ストロングスタイルの突然変異”とも思える、

荒川のエピソードを思い出しながら、

レガ流追悼記事とさせて頂きます。


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tag : 訃報 ドン荒川 藤原喜明 橋本真也

強きIWGPジュニア王者(1986)

先日のサミット告知記事(参照:チャレンジ・スピリット86+31)で使用した画像は、

新日プロ1986年秋のシリーズ、

『チャレンジ・スピリット86』の予告映像からでしたが、
ワイキキから次期シリーズ予告12

『スター・サイクル』をBGMに炸裂する古舘節!

懐かしいですよねぇ。

そのシリーズ開幕戦の1986年8.29 後楽園ホールで行なわれた、

IWGPジュニアヘビー級選手権試合
IWGPジュニアヘビー級選手権

高田伸彦vsブラック・タイガー
を振り返りましょう。
高田伸彦vsブラック・タイガー

この試合は第2代王者である高田伸彦が、
ペースを掴めない高田

“暗闇の虎”ブラック・タイガーを迎えた6度目の防衛戦でしたが、
リングで待つブラック

実にジュニア王者として最後の防衛成功となった一戦です。

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tag : 高田伸彦 ブラック・タイガー IWGPジュニアヘビー

追悼・雷手

また一人、昭和の新日マットを彩ったファイターが、

天国に旅立っていきました。

元WKA全米クルーザー級王者、ドン・中矢・ニールセンです。
目が泳ぐニールセン

 イーファイト より
【訃報】前田日明と戦ったドン・中矢・ニールセンが死去

かつて前田日明と新日本プロレスで異種格闘技戦を戦い、日本の総合格闘技ブームのルーツとなった、日系三世の元キックボクサー、ドン・中矢・ニールセン(米国)が8月15日、バンコクにて亡くなった。58歳だった。

死因について、弟のジョン・ニールセンに取材をしたところ「脚が感染症にかかって、それが非常に悪化したんです。血液に毒素が入って腎不全になってしまいました。それで脚の手術を受けたのですが、手術中に心臓発作が起こって昏睡状態となり、再び心臓発作を起こして亡くなりました」とのこと。


よりによって脚からの感染症って…。

あの前田日明を苦しめて、
ハイキック

藤原喜明山田恵一をKOした脚からですか。
押せ押せのナカヤ

リンク先の記事にも書かれていますが、

前田vsニールセン(参照:歴史は10月に作られる~昭和編~)から80年代中盤の格闘技ブームが始まり、

一斉に月刊格闘技雑誌が刊行されて、

のちの総合格闘技やK-1の隆盛に繋がった訳です。

ここら辺は柳澤史観では情報操作されていますが、

当時を知るファンならほぼ異論ないと思います。

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tag : 訃報 ドン・中矢・ニールセン 前田日明

限りなく濃く深い師弟関係

1996年5.27 日本武道館でのシングルバウト(参照:Sobat of Departure)が、

藤原喜明高田延彦の最後の一騎打ちとなりました。
早くも脇固め

つくづくプロレスの世界というのは、

“因縁”によって成り立っているんだなぁ、と思うのが、

この日の丸々14年前、

試合前の体育館でこの師弟は、

血だらけになってスパーリングに汗を流していたという事実。


東スポ編集部に残る、

一枚の写真がその証拠写真です。

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tag : 高田延彦 藤原喜明

ストロングスタイル記念日

今日は8月8日、

そう、ストロングスタイル記念日でした。

…え? そんな記念日あったって?

今年から制定されたって?

いやいやいやいや、29年前からずーっと記念日ですよ。

 Number Web より
ぼくらのプロレス(再)入門
新日の「8.8横浜文体」が特別な理由。29年前の藤波と猪木、そして鈴木実。

新日本において、毎年同じ日付と会場で行われる大会といえば、1.4東京ドーム「レッスルキングダム」や、3.6大田区体育館の「旗揚げ記念日」、5.3福岡国際センターの「レスリングどんたく」などがあるが、そういった特別なイベント名も付いていない、G1公式戦の1大会でしかない「8.8横浜文体」が恒例となっているのには意味がある。

その原点は、'88年8月8日横浜文化体育館、藤波辰巳vs.アントニオ猪木のIWGPヘビー級選手権。この伝説的な一戦が行われた「8.8横浜文体」という呼称には、昭和のプロレスファンにとって特別な響きがある。いわば「ストロングスタイル記念日」なのだ。


オールドファンにとっては、

途轍もなく大きな意味を持った一日なのです。

そして当然、今年もこれを観た訳です。


♪あの日の僕のVHSテープは

少しだけいばって こう言ったんだ

いつでもどんな時でも ビデオデッキに入れろよ

そん時は必ずおまえ 十六才にしてやるぜ


VHSから移植したDVDですけどね。

もちろん、ここから始まります(参照:俺達の飛龍革命)。


さぁ! 行きますよ!


役者は揃った!


まずは景気づけに、


アントンに乾杯~!!


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tag : アントニオ猪木 藤波辰巳 流星仮面二世

追悼・“燃える闘魂”の命名者

私が日本を離れていた間に、

また一人、偉大な先人が天国に旅立って行きました。

 スポーツ報知 より
テレビ朝日のプロレス解説者、桜井康雄さん死去…古舘アナ、小鉄さんと名トリオ

テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」の解説者として1980年代のプロレスブームを盛り上げた東京スポーツ新聞社元編集局長の桜井康雄さんが10日、神奈川県内の病院で亡くなったことが11日、分かった。

(略)関係者によると、桜井さんは心臓疾患を抱えており、ペースメーカーを入れる手術を行ったが、感染症を引き起こしたという。桜井さんは法大を卒業後、東京スポーツへ入社。プロレス記者として活躍しテレビ朝日が中継した新日本プロレスの解説者としてファンに親しまれた。特に毎週金曜夜8時に中継されていた1970年代後半から80年代の新日本全盛期では、実況の古舘伊知郎アナウンサー、解説者の故・山本小鉄さんとのトリオでお茶の間を沸かせた。


私ら昭和のプロレス少年に毎週金曜8時、

学び舎で教えを説いて下さった偉大なる先生。

東京スポーツの櫻井康雄さんですね。
黄金のトリオ

葬儀は既に執り行われ、

大勢に見送られての出棺だった様子です。

桜井康雄さん告別式に藤波辰爾、古舘アナら200人 出棺時には「ワールドプロレスリング」テーマ曲

昭和の新日本プロレス全盛期にテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」で解説者として活躍し10日に80歳で亡くなった東京スポーツ元編集局長の桜井康雄さんの葬儀告別式が16日、神奈川県厚木市のJAあつぎ第2グリーンホールでしめやかに営まれた。

式には、藤波辰爾(63)、「ワールドプロレスリング」で実況を務めた古舘伊知郎アナウンサー(62)ら約200人が列席した。出棺時には「ワールドプロレスリング」の番組テーマ曲が流れる中、藤波、古舘さんら新日本プロレス黄金時代を支えた関係者が棺を運び、プロレスを記者として解説者として支え続けた桜井さんを送った。


既に天国にいる山本小鉄さん(参照:追悼・鬼軍曹)の姿は無理ですけど、

多忙な中でも古舘伊知郎アナは参列して、

最後は棺を持ったとの事です。
放送席もピリピリ

古舘アナは櫻井さんに対する感謝の意を表しています。

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tag : 訃報 櫻井康雄 アントニオ猪木 藤波辰爾 古舘伊知郎

エスペランサの青い春(1984)

春は希望が溢れる季節ですよね。

4月の名勝負、

我々プロレスファンにとって高田伸彦の出世試合といえば、

間違いなくこの一戦でしょう。
“青春のエスペランサ”高田伸彦

向かい側に立つのは藤波戦を終えた直後の、

“アナーキー”谷津嘉章…実にグッドシェイプですねぇ。
迎え撃つは谷津嘉章

1984年4.19 蔵前国技館で行われた、

正規軍vs維新軍 5対5勝ち抜き戦の、

正規軍次鋒・高田伸彦vs維新軍中堅・谷津嘉章です。
高田伸彦vs谷津嘉章

ゴング直後、

ロックアップからすぐにバックを取りに行く谷津に対し、

高田もすぐにダブルリストロック狙い。
ロックアップと同時にバックを取りに行く谷津、

そのままグルグルと揉み合って、

ブレイクが掛かったところで、
揉み合いながら高田が押し切ると、

高田が強烈な張り手一発!
離れ際の張り手

これが若い両雄の開戦の合図でした。

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tag : 高田伸彦 谷津嘉章 亀熊さん

雪の札幌でおこった事件史

2.5 北海きたえーる大会が近づいてきました。
2016.2.5ポスター

対戦カードについては賛否両論の様ですが、

私にとっては全くのノー問題です。

むしろ一時的にノアをほぼ制圧して、

箔が付きまくった鈴木軍の新日“凱旋”。
鈴木が帰って来た!

その一発目がいきなり頂上決戦というのがいい。

そして何より『雪の札幌決戦』、

実に11年ぶり? きたえーるにおいては14年ぶりの、

“雪祭り決戦”ですから、

事件の匂いがプンプンしてくるのです。

私も実際、何度も会場で事件を観てきましたが(参照:逆ブログ以前、みてきたもの)、

今夜は記憶の中のおこってきた事件を、

思い出せるだけ思い出してみましょう。

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tag : アントニオ猪木 藤原喜明 鈴木みのる

田コロの伝説~後編~(1981)

前編からの続きです。

ボディスラムで一気に形勢逆転したスタン・ハンセンは、

アンドレ・ザ・ジャイアントの大きな背中に馬乗りとなって、

キャメルクラッチで締め上げます。
キャメルクラッチで締め上げるハンセン、

しかし何もかもが規格外なのが大巨人たる所以、

自らの上体を起こすだけで脱出成功なのです。
力で返したアンドレ

それでもハンセン、怯んでいる場合ではありません、

しばし四つん這い状態にあるアンドレの後頭部目掛けて、

体重の乗ったエルボーを突き刺します。
ハンセンのエルボーは麻酔銃の如く

すると巨象に麻酔銃を命中させたかの様に、

アンドレの巨体がマットに沈みました!!

このド迫力たるや…。

ゆっくりと意識を回復させたアンドレは場外へ、

当然ハンセンも追随して、

リング下での殴り合いが始まりました。
場外戦でカウント20

あれよあれよという間にカウント20!!

両者リングアウトの裁定が下されてしまいました。

「これからがいいところだったのに…」と落胆する会場の雰囲気に、

闘ってる当事者のアンドレももちろん納得していません。

WWFから帯同しているマネージャーのアーノルド・スコーランと共に猛抗議。
納得いかないアンドレ陣営

もちろんやっとペースを掴みかけていたハンセンだって、

全く闘志は萎えておりません。
ハンセンも同じです

緊急事態に山本小鉄審判部長もリングに駆け上がり、

Tレフェリーがマイクを持ちました。
マイクを持ったレフェリーの発表は、

そこで発表されたのが、

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tag : アンドレ・ザ・ジャイアント スタン・ハンセン

田コロの伝説~前編~(1981)

さて、今年最初の試合振り返り記事です。

一発目ですから思いっ切り、

気持ちのいいやつ行きましょう!!

東方ぁ、“ブレーキの壊れたダンプカー”スタン・ハンセン!!
スタン“ザ・ラリアート”ハンセン

西方ぁ、“ガリバーシンドローム”アンドレ・ザ・ジャイアント!!
大巨人アンドレ

そう!! お待たせしました、伝説の田コロ決戦、

1981年9.23 田園コロシアム

スタン・ハンセンvsアンドレ・ザ・ジャイアント
です!!

いつもの様にトップロープを跨いでリングインするアンドレに、

ゴングを待たずに猛然と突進していくハンセン。
トップロープを跨ぐと、

しかしアンドレの反応が早い、

右足を跨ぐとそのまま18文キックの迎撃!!
近付いたハンセンに18文キック

すぐにハンセンも体勢を取り戻すと、

強烈なエルボースタンプ。
いきなり乱打戦

激しい乱打戦の中、

一足遅れで開始のゴングが鳴り響きました。

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tag : アンドレ・ザ・ジャイアント スタン・ハンセン

追悼・スーパーフライ

“飛獣”ジミー・スヌーカが旅立ちました。
これまた懐かしいなぁ…

 新日公式 より
【訃報】“スーパーフライ”ジミー・スヌーカさんが逝去

アメリカマットや80年代には全日本プロレス、新日本プロレスでも活躍した“スーパーフライ”ことジミー・スヌーカさんが現地時間・1月15日に南フロリダにて死去した。享年73歳。

ジミー・スヌーカさんは、フィジー出身のプロレスラーで、1969年にプロレスデビュー。1971年に日本プロレスに初来日。1981年からは全日本プロレスの常連となり、リッキー・スティムボートとの抗争や、ブルーザー・ブロディとのパートナーとしても活躍。

1985年5月には新日本プロレスにも初参戦。当時、藤波辰巳(現・辰爾)が保持していたWWFインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦したが、ドローとなっている。

1996年には、WWEの殿堂入りもはたしていたジミー・スヌーカさん。謹んで故人のご冥福をお祈りします。


長いスパンで接してきたファンにとっては、

全日時代の印象が強いかと思いますが、

私にとってのスヌーカはやっぱり新日転戦後、

藤波辰巳との一連のシングルマッチですね。
藤波辰巳vsジミー・スヌーカ

筋骨隆々な褐色の肌に浮き上がる血管、
1985.7.28藤波vsスヌーカ1

当時は藤波の上半身も隆起していて、
1985.7.28藤波vsスヌーカ2

この二人の闘いはまさに、
1985.8.1藤波vsスヌーカ1

“日米フィジカルエリート”のぶつかり合いでした。
1985.8.1藤波vsスヌーカ2

そしてこの試合において私は、

プロレスの重要な技術を思い知らされたのです。

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tag : 訃報 ジミー・スヌーカ 藤波辰巳 木村健吾 ブルーザー・ブロディ WWWF~WWF~WWE

スキャンダルと男のけじめ(1986)

あれは突然の出来事でした。

“燃える闘魂”アントニオ猪木が突然の丸坊主!!

曰く「男のけじめ」
1986年の猪木スキャンダル1

何に対する「けじめ」かと言うと、

答えは当時の有名写真週刊誌『FOCUS』の、
1986年の猪木スキャンダル2

トップ記事となったこのスキャンダル。

アントニオ猪木「密会」の夜—六本木ホステスと“熱愛タッグ・マッチ”!?
1986年の猪木スキャンダル3

この当時、猪木は倍賞美津子夫人との関係が、

いろいろと取り沙汰されていた頃でした。

さらに時期は『86IWGP』開幕直後、

今で言うところの『G1クライマックス』ですね。
1986年の猪木スキャンダル6

この記事が出た直後、

猪木はすぐに頭を丸めた訳ですが、

そこに屁理屈はございません。
1986年の猪木スキャンダル5

 週刊プロレス No.147 より

猪木
「いや、夜遊びが過ぎてね(笑)。実は、フォーカスにやられてね。それで男のけじめをつけたわけ。やましいところはないんだけど、周りの人に迷惑をかけることになるからね。
(略)これを機に、心機一転ですよ。IWGPは必ず勝ちます。男のけじめ、です」


気持ちいいですね、はい。

男として恥じかいたのを逆利用して、

リーグ戦に臨むエネルギーに変えてしまえ、という。

すかさず追随する破壊王も最高ですが、
1986年の猪木スキャンダル4

こっちは違う理由でけじめつけさせられた説もありますね(笑)。

しかし、“けじめ”の後には“禊ぎ”も待っていました。

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tag : アントニオ猪木 アンドレ・ザ・ジャイアント ディック・マードック 坂口征二 藤原喜明 橋本真也 柴田勝頼

運命の不協和音 WoO.1.5 ~Another KING KONG~

先月末の亀熊さんとのテーブルマッチ(参照:ファイアーバードサミット 2016冬)の際、

ありがたく頂戴した貴重な昭和新日DVDの中に、

“超獣”ブルーザー・ブロディの姿もありました。
20161126ファイアーバードサミット4

それはまさしく私が所有していない映像でして、

一つは新日マット初登場のシーン。
左手のチェーン右手に花束

もう一つはアントニオ猪木との初対決直前に、

山本小鉄さん自ら取材に赴いたサンアントニオ・ロケ。
ブロディ!!

今記事をもって、

一連の猪木vsブロディ記事完結編とさせて頂きます。

初回の記事(参照:運命の不協和音 WoO.1~バーニングスピリット~)と併せてお読み下さると幸いです。

それでは早速、

31年前の春にタイムスリップ致しましょうか!

1985年の紫レガ2号さーん!!

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tag : アントニオ猪木 ブルーザー・ブロディ 山本小鉄 亀熊

100こちら情報部

お馴染み深夜の情報局、【腕ひしぎ逆ブログ】です(笑)。

今週も『真夜中のハーリー&レイス』Podcast、楽しめました。

伝説の番組『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』(参照:1987年のクールビズ)の、
ギブUPまで待ってな~い♪

メインMC、山田邦子さんです。
藤井アナと山田邦子

昭和新日ファンにとっては大ヒール(参照:ナメられてたまるか同盟)として、

その名が刻まれておりますが、
「血はすぐに…」

実際にはプロレス愛が溢れまくっている、

現役バリバリのプロレスファンです。

 真夜中のハーリー&レイス より
山田邦子@真夜中のハーリー&レイス
11/22vs山田邦子(タレント) ※Podcastです。

邦子さん
「だから(ギブUPまで待てない!! は)プロレスファンが終わらせたんじゃないの? まだいまだにさ、私がさ、新日大好きなのにさ、新日行くとさ、『あん? 山田邦子来た!』って『うんううん!(咳払い)』みたいなの居るんだよ。信じらんなくない!? 私オカダとか大好きなのにさー。…だからよっぽどだったんじゃないの? だからみんな間違えてるよ、情報がね。(略)だから、今でもあるかもね。やたら女の子とかワーワーキャーキャー言ったら『邪魔だな』って思ってらっしゃる方いるかもね。でも仲良くやりましょうよ」

「(レスラーは)みんな好きだなー、プロレス面白いっ!」


素晴らしい。

というか私も含めてこの誤解は解かなきゃいかんですね。

邦子さん、本当にプロレス会場に足を運んでいますもんね。

延長戦では馬場さんとのエピソードが心に沁みます。

11/22 延長戦!※Podcastです。

さらに、この一週間は見逃せないTV番組も満載です。

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tag : 高田延彦 古舘伊知郎 山田邦子 大根仁 増田英彦 清野茂樹

真夜中のアナザーストーリーズ

昭和プロレスファンに最大限のインパクトを放った、

先月放送のNHK BSプレミアム『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』、

「タイガーマスク伝説~覆面に秘めた葛藤~」(参照:NHKBSプレミアム『アナザーストーリーズ運命の分岐点』で泣いた)。
佐山タイガー@NHKBS

その制作者であるテレビディレクター大川卓弥さんが出演した、

『真夜中のハーリー&レイス』の内容が実に面白いです。

大川さんご自身も当然、少年時代タイガーマスクに魅了されたプロレスファン。

ダイナマイト・キッドへの取材の裏話なんかは、

聴いててゾクゾクしてきますね。
大川卓弥さん

まずPodcastでは消音されていますが、

NHKの番組でもかかっていた『ローリングソバット』に乗って入場。

これ本当に良い曲ですよね。

番組パーソナリティの清野茂樹さんも超一流のテーマ曲マニアだけあって、

ここはスルーしませんね~。

 真夜中のハーリー&レイス より
11/1vs大川卓弥(テレビディレクター)※Podcastです

清野アナ「さぁ大川さん、これはいい曲ですねぇ、しかし!」

大川さん「これは名曲ですね。タイガーマスク幻のテーマ曲ですよね」

(略)

清野アナ「実際に入場では使われなかったんだけれど素晴らしい! 大野雄二さんですからね。あのルパン三世のね」


ちなみにこの曲の収録された『新日本プロレス・スーパーファイターのテーマⅡ』のカセット、

私も持っていますよー!!
新日本プロレス・スーパーファイターのテーマ2

二人のトークも同世代だけあって、

私には実に心地良いです。

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tag : タイガーマスク ダイナマイト・キッド 大川卓弥 清野茂樹

NHKBSプレミアム『アナザーストーリーズ運命の分岐点』で泣いた

昨夜は夕食後、

ちょっとした調べものに時間を割かれてしまい、

見逃してしまったNHK BSプレミアム『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』の、

「タイガーマスク伝説~覆面に秘めた葛藤~」
佐山タイガー@NHKBS

先程、視聴を終えたばかりなのですが…、

感動で、いささか興奮しています。

プロレスに対する色眼鏡を外して、

NHKが本気でドキュメンタリーとして制作すれば、

こんなに凄いものが出来上がるんだ…という好例でしたね。

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tag : タイガーマスク ダイナマイト・キッド アントニオ猪木 小林邦昭 新間寿

世界を変えた569秒(1981)

関東地域では既に放送開始された模様ですね、

この秋の新アニメ番組『タイガーマスクW』。
タイガーマスクW

当初の期待はやはり(?)裏切られてワープロ前の深夜枠、

それならむしろワープロ後にやれば日曜の超早朝(!)という事で、

無理矢理“ヒーロータイムの前座”的ポジションに入っちゃえばよかったのに…。

という事で今回は、

1981年4.23 蔵前国技館

タイガーマスクvsダイナマイト・キッド


初代タイガーマスクのデビュー戦です。
初代タイガーマスクデビュー戦1

当時、新日にとっても、テレ朝にとっても、カジセンセにとっても、

大事な大事なニューヒーローの緒戦。

その対戦相手は“爆弾小僧”ダイナマイト・キッド
ダイナマイト・キッド

到底“かませ犬”におさまる様なレスラーではございませんよ。

タイガーのあまりにチープなマスクデザインに、

一部のファンの失笑と「ジョージ!」の野次が飛びますが、

ゴング早々、私たちはこれまでプロレスで見た事のない、

華麗なステップワークに驚嘆する事になります。
初代タイガーマスクデビュー戦2

ピョンピョンピョンと時計の逆回りにフットワークを利かせると、

そこからマッハのモーションで飛び出したバックスピンキック!!
初代タイガーマスクデビュー戦3

思わずキッドもコーナーまで後ずさりです。
初代タイガーマスクデビュー戦4

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tag : タイガーマスク ダイナマイト・キッド

ヨンクチュアリ~旅姿六人衆検証編~

夏休みはとっくに終わりましたが、

まだ私の夏の宿題、片付いていませんでした。

それはサトウヨンペイ先生からの課題

この88サマーファイトシリーズの2連戦?を特定しましょうよ!

レガさんならできますよo(^▽^)o

最初がヘルナンデス・ソイヤー・アサシンがメインで次の日が黄金コンビのタッグマッチ?

バスの中は明らかに同日だとして(笑)

函館とか室蘭の気が・・


う~ん…これはかなり難易度の高い宿題かな???

でもやれるところまでやってみましょうか!!
旅姿六人衆1

まずはいつものデータベースに立ち寄り、

当時の日程を調べてみるとしますか。

1988年夏の週刊ゴングからなのですが、
1988サマーファイト・シリーズ8

1988サマーファイト・シリーズ9

読んでいくと、

当時の記事も懐かしい…飛龍革命、天龍革命、新生UWF“真夏の格闘技戦”、

そして超獣の死があったんですよね。
1988サマーファイト・シリーズ10

1988サマーファイト・シリーズ12

とりあえず北海道の巡業ルートは把握しました。

旭川→帯広→小樽→札幌→苫小牧ですね。

続いて調べるのは各会場のカードです。

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tag : アントニオ猪木 駒沢シバティスト サトウヨンペイ alive

紫レガとは?

紫レガ 

Author:紫レガ 
46歳のプロレス話


「紫レガのブログは少し滑る感じになってるんです。ですから今、スライディングしながらね。下ネタも使ってですね、巧く腕極めましたね」

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