“燃える闘魂”アントニオ猪木に「ありがとう」を言えた旅~後編~
この記事は前編からの続きです。
成田空港に降り立ちスマホの電源を入れると、
妻からの着信がありました。
それはここ数年、覚悟していながらも、
避けて通りたかった悲しい現実(参照:天国に旅立った愛犬)です。

※ 画像は昨年、18歳の誕生日より
当初は流星仮面二世さん(from 団塊Jrのプロレスファン列伝)のホームタウンまで、
道中でTweetしながら移動しようと思っていました。
ところが平常心を保てず、
乗り換えの度に家と連絡を取りながら、
ドライアイスや何やらの手配をしていました。
『よりによってこのタイミングで逝ってしまうなんて…』
そんな時に送られてきたLINEで、
私の心は救われました。
送り主はグレーテスト1972創設者・たかさん(from 自遊人)。

たかさんはイッテンヨンにも武藤引退ドームにも、
会場へ足を運ぶ真のプロレスファンであります。
当日は南茂原カントリークラブでのゴルフから、
新日本の『旗揚げ記念日』3.6 大田区総合体育館観戦と、
超ハードスケジュールの中で、
私のTweetに目を止めて下さって、
やり取りの中で愛犬の死を一番最初にお伝えする形となり、
本当に優しい言葉を掛けて下さいました。

お陰で現実をしっかり受け止める構えが出来、
車窓から見える春の景色を眺めつつ、
愛犬との想い出をゆっくり振り返る事が出来ました。
たかさん、あの時間、本当に心が救われましたよ。

…湿っぽくなってすみません。
2時間半の移動を経て流星さんの街に辿り着いた頃、
既に日は落ちていました。
ホテルにチェックインすると少しして、
流星さんから『ホテル前に着きました』との連絡が!
遂に我々は再会を果たす事が出来ました!!
コロナ禍以降では初! 実に3年10ヵ月ぶり!
1,407日ぶりの握手(参照:平成の最後、昭和への旅Ⅳ~四十路半ば過ぎの青春紀行~)を交わしました!!

成田空港に降り立ちスマホの電源を入れると、
妻からの着信がありました。
それはここ数年、覚悟していながらも、
避けて通りたかった悲しい現実(参照:天国に旅立った愛犬)です。

※ 画像は昨年、18歳の誕生日より
当初は流星仮面二世さん(from 団塊Jrのプロレスファン列伝)のホームタウンまで、
道中でTweetしながら移動しようと思っていました。
ところが平常心を保てず、
乗り換えの度に家と連絡を取りながら、
ドライアイスや何やらの手配をしていました。
『よりによってこのタイミングで逝ってしまうなんて…』
そんな時に送られてきたLINEで、
私の心は救われました。
送り主はグレーテスト1972創設者・たかさん(from 自遊人)。

たかさんはイッテンヨンにも武藤引退ドームにも、
会場へ足を運ぶ真のプロレスファンであります。
当日は南茂原カントリークラブでのゴルフから、
新日本の『旗揚げ記念日』3.6 大田区総合体育館観戦と、
超ハードスケジュールの中で、
私のTweetに目を止めて下さって、
やり取りの中で愛犬の死を一番最初にお伝えする形となり、
本当に優しい言葉を掛けて下さいました。

お陰で現実をしっかり受け止める構えが出来、
車窓から見える春の景色を眺めつつ、
愛犬との想い出をゆっくり振り返る事が出来ました。
たかさん、あの時間、本当に心が救われましたよ。

…湿っぽくなってすみません。
2時間半の移動を経て流星さんの街に辿り着いた頃、
既に日は落ちていました。
ホテルにチェックインすると少しして、
流星さんから『ホテル前に着きました』との連絡が!
遂に我々は再会を果たす事が出来ました!!
コロナ禍以降では初! 実に3年10ヵ月ぶり!
1,407日ぶりの握手(参照:平成の最後、昭和への旅Ⅳ~四十路半ば過ぎの青春紀行~)を交わしました!!

天国に旅立った愛犬
“燃える闘魂”アントニオ猪木に「ありがとう」を言えた旅~前編~
2023年3.7 両国国技館で、
アントニオ猪木さんに「ありがとう」を伝えてきました。
私が『アントニオ猪木 お別れの会』に向かった、
最初のきっかけは、
もしかするとHBKさん(from 妄想旅館3~ハートブレイクホテル)のこのコメントかも知れません。
当然の事ながら、
昨年10.14の葬儀には参列する術もなく、
オンラインで語り合う(参照:10.14INOKI追悼ONLINEサミット)しか出来ませんでした。
私にとって“二人の父親”…確かに。
あの日、『お別れの会』開催も発表されましたが、
自分がそこへ行く事など考えもしません。
ガクさんからの問い掛けにも、
きっぱり「行きません」と言ったはずです。

アントニオ猪木さんに「ありがとう」を伝えてきました。
あの日と同じ、
— 紫レガ (@murasakilg) March 7, 2023
どこに行っても青空でした。
これで自分にとってのケジメはついたと思います。
もっとも、
これからも猪木ファンである事には変わりありませんが。#猪木 #お別れの会 pic.twitter.com/vntnFxmtJP
私が『アントニオ猪木 お別れの会』に向かった、
最初のきっかけは、
もしかするとHBKさん(from 妄想旅館3~ハートブレイクホテル)のこのコメントかも知れません。
HBKさん
「レガさんにとっては、
一気に父親を2人亡くしてしまったような感じでしょうか。」
当然の事ながら、
昨年10.14の葬儀には参列する術もなく、
オンラインで語り合う(参照:10.14INOKI追悼ONLINEサミット)しか出来ませんでした。
私にとって“二人の父親”…確かに。
あの日、『お別れの会』開催も発表されましたが、
自分がそこへ行く事など考えもしません。
ガクさんからの問い掛けにも、
きっぱり「行きません」と言ったはずです。
